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ダンポポの種

備忘録です

バンコク旅行(2)

2018年02月24日 22時30分20秒 | 旅のあと
バンコク(タイ)旅行の思い出です


【2月14日(水)のつづき】
15時18分(日本時刻17時18分)に、スワンナプーム国際空港(バンコク)に着陸しました。 ←ドスンと滑走路に着地したのがこの時刻。
関空の滑走路を離陸したのが日本時刻11時26分だったから、正味、空を飛んでいたのは 5時間52分!
(ちなみに、私は今まで、片道2時間程度までの区間でしか飛行機に乗ったことがなかったので、今回は搭乗時間の記録をぐぐっと更新!しました
飛行機を降りてボーディング・ブリッジ(通路)へ歩き進むと、もわっとした空気に身を包まれました。やや湿度もあるような空気。
「おおっ、暖かい
関空で飛行機に乗り込んだときから、私の服装はTシャツの上にやや厚手の長袖1枚を羽織った格好。飛行中の機内では、この服装でちょうどいい感じでした。
タイに着いて結構暑いようだったら、長袖を脱いでTシャツだけになればいいか… と思って やって来ました。

「飛行機を降りた瞬間に 日本との気温差で自分の体がビックリしてしまうのではないか?と予想していたけれど…、案外、冷静だった」
「気温の違いに、驚かなかったの?」
「『あっ やっぱり、暖かいね』っていう、サクッとした受け止めでした」
「『うぉぉりゃー やっぱ、暑いぜぇぇー』みたいな、魂の叫びは…?」
「そういうの、無かった

入国審査は、順番待ちの長蛇の列で、すごく時間がかかりました。
「ARRIVAL」が到着口やね。「IMMIGRATION」が出入国審査(出入国管理)、でいいのかな?
「PASSPORT CONTROL」という表示もありました。これも出入国審査という意味かな。
こういう言葉を、わし、よく知らないものだから、どこの列に並んで 何をしたらいいのか…、見当がつかず、実に不安なひとときでした。
それにしても、入国審査を待つ人々の行列がすごかった
飛行機を降りたあと、審査など手続きを済ませて、荷物(かばん)を受け取って、出口ゲートに至るまで、1時間半ぐらいかかったと思う。
そういうもの…なのかも知れませんが

入国審査の行列に並びながら、自分のスマホを操作してみました。
機内モードを解除して、データローミングをオンにしました。
「データローミングをオンにするだけで、海外でも、日本国内で使っているのと同じようにスマホ使えます。ほかは何もいじらなくて大丈夫です」
と、旅行前にドコモのお店で教えてもらってきました。
ホントに、そんな簡単な設定だけで大丈夫なのか? ちゃんと、海外でもスマホ使えるのか!?)
と、私は半信半疑だったのだけれど。
ところが、実際にやってみたら、これが本当に海外からも通信・通話ができるんやね~
「おおっ!わしのスマホ、スゴイぞ!」と感動しました。

・6時間近く飛行機に乗ったこと。
・寒い日本から→暑いタイへ降り立った瞬間の印象。
・不慣れで見当がつかない入国審査。長蛇の列。
・海外でも私のスマホが使えた、ということ。

海外旅行に慣れておられる方には、言うに及ばぬ事柄ばかりでしょうけれど()、なにぶん、私は25年ぶり2回目なので
些細なことも、ひとつひとつが不安であり、新鮮であり。



↑空港からバンコク市内のホテルへ向かう。
 ルックJTBのツアー客が乗り合わせて一緒に移動。空港ロビーから現地ガイドさんが案内してくれました。車は、大きいタイプのハイエース号。
 夕方の道路渋滞に巻き込まれ、バンコク市内までは結構時間を要しました。空港からホテルまで1時間半ぐらいかかりました。
 私たちのホテルは、デュシタニ・バンコクです。現地滞在中の5泊とも、このホテルでお世話になりました。
 ホテルに着いたのは18時半ごろでした。ガイドさんが、ホテルのチェックインの段取りもやってくれました。

ホテルのロビーで、姉が、私たちの到着を待っていてくれました。(兄は、この日は仕事です)
道路はこってり渋滞しているし、何時にホテルへ到着できるのやら…見通しが立たない状況だったけれど、姉は待っていてくれました。おおきに~。
姉さんと久しぶりに再会して、「ああ、バンコクへ来たのだな!」と実感が湧きました。



↑チェックインを済ませたあと、父母姉私の4人で晩ごはんを食べに出かけました。姉が案内してくれました。
 記念すべき、バンコクで初めての食事です
 象さんのラベル、チャーンビヤ。(←チャーンビールという名前、私もすぐに覚えました
 「おいしい ビールおいしい



↑名前忘れた 激辛じゃなく、適度でした。これはおいしかったです。
 ほかの料理だけど、トムヤムのスープの唐辛子が混じっているところをパクッと口に含んでしまったときは、のどがヒリヒリしました。


画像はないけれど、晩ごはんを食べたお店で、私たちの近くのテーブルにいたお客(タイ人の若者)が、変わったTシャツを着てました。
胸のところに平仮名で「つづく」とプリントされているTシャツです。
「〝つづく〟って、なんだ
つづくTシャツ。姉にその意味を教えてもらいました。面白いですね。バンコクで人気のTシャツ…、ということで いいかな

晩ごはんのあと、食品デパートでちょこっと買い物をしてから姉と別れ、父母私の3人はホテルへ戻りました。21時過ぎだったかな。(→日本時刻では23時だから、そろそろ眠たい時間?)
明日は、朝7時半にホテルロビー集合で、アユタヤ観光(日帰り)に行きます。ツアーに含まれているメニューです。


〔つづく〕



バンコク旅行(1)

2018年02月22日 23時56分30秒 | 旅のあと
バンコク(タイ)旅行の思い出です


私にとっては非常に珍しい、海外への旅行です。
滅多にない、せっかくの機会だと思うから、業務スケジュール(本業)を入念に調整して、6日間(5泊6日)の旅行日程を確保しました。

万一、旅行中に緊急業務が発生した場合は…、ウチの近所の同業施設の方に〝代行〟対応してもらうよう、あらかじめお願いしておきました。
「緊業の代行対応をお願いして旅立つならば、もはや、4日間でも5日間でも6日間でも大差ないというか、同じことやんな?」
ってなことを思いまして、図々しく、自信を持って、6日間の日程で計画をした次第です


2月14日(水) 出発の日。
両親と私の三人は、極寒の朝6時に自宅を出発しました。関空までヴォ号で行き、空港駐車場に停めておきました。関空には7時半に到着。
私にとっては、学生時代に韓国(ソウル)へ旅行して以来の、人生2度目の海外旅行です。25年ぶりぐらいに、日本から出国します。
そんなわけなので、経験不足というか、国際線に乗るため(=出国)の手続きとか審査とか心構え(?)とか、私は皆目理解していません
今回、旅行そのものは<ルックJTB>のツアーなので、事前にJTBからもらった 旅のしおりに記された 出発(出国)の手順を確認しながら、手続きを済ませました。
無事に出国審査までクリアすることができて、ホッとしました。
関空では〝日本語が通じる〟というだけで、断然安心感がありますね。

出国審査のあと、出国エリアにある「KIXノース・ラウンジ」で、ひととき休憩をしました。
本来、エコノミーの乗客はラウンジの利用はできないそうですが、私たちはルックJTBの特典で<ラウンジクーポン>券をもらっていたので、
ノース・ラウンジの利用がOK!でした。
「ラウンジには軽食と飲み物が用意されていて、ご自由に… ということなので、私もいただきました。朝メシ食べて来なかったから、腹ペコだったし…」
「おまえ、絶対ビールも飲んだやろ?」
「飲んだ」

そのあと、<シャトル>という電車みたいな乗り物で移動して、搭乗ゲートへ。
これから乗るタイ航空の飛行機が、窓越しに、目の前に見えていました。
11時00分、関空を出発。タイ航空623便で、旅の始まりです。







所定、関空11時00分出発だけど、実際に飛行機が動き始めたのは11時10分で、滑走路から離陸したのは11時26分でした。
飛び立つまでに結構時間がかかった気がします。そういうものなのかな?

離陸からしばらく飛んだところで、持参した懐中時計の針を2時間戻しておきました。これがタイの時刻です。日本とタイの時差は2時間
私は今まで、海外は 韓国にしか行ったことがないので、「時差」を経験するのはこれが初めて
正午前(12時まえ)を指していた時計の針が、2時間戻しによって、10時まえを指し示しました。
時差を目の当たりにして、格別な気持ちの変化は…、無かったです。
あっ、なんだ、今は10時前なのか」って、案外冷静に受け止められました。
2時間ですから、時差のなかでは〝かわいい〟ほうかもしれません。

上空では、揺れは少なくて、穏やかで快適な飛行でありました。
機内食もおいしくいただきました。ワインもいただきました
15時18分(日本時刻17時18分)に、スワンナプーム空港(バンコク)に無事着陸しました。


〔つづく〕



出掛けてきました

2018年02月20日 23時39分10秒 | 旅のあと
久しぶりのブログ更新です。
そもそも、今月は投稿頻度が低調です


とりわけ、ここ1週間ほどはブログ更新が止まっておりました。
ひょっとして、こいつ、風邪をひいて寝込んでいるのかも…
と、みなさんには思われていたかもしれませんが(そんなこと無いか?)、
大丈夫です、私は元気です。風邪ひいていません

実は、きのうまでの6日間、京都を離れて バンコク(タイ)へ旅行に出かけていました。
両親と私の3人で出かけてきました。
昨日の夕方(というか夜)に、自宅へ帰ってきたところです。

タイに、私の兄夫婦が暮らしております。 →仕事でタイに赴任中。
身内がタイに居るという、家族のつながりから実現した今回の旅行です。

「いっぺん、タイへ遊びにおいでよ-」と、以前から、兄夫婦は声を掛けてくれていました。

「よし、思い切って、行ってみるか!!」

一念発起して… と言ったら大袈裟かもしれないけれど、今回、私も思い切って出かけてみました。
バンコクの気候(天候)面からは、2月とか3月ぐらいが雨も少なくて穏やかな日が多く、観光で訪れるのには〝いい時期〟なのだそうです。
私としても、2月は、本業がそんなに忙しくない時期(閑散期?)なので 旅行日程の調整が比較的容易な〝いい時期〟であります。
ということで、昨年秋ごろから「2月に旅行する」ことを念頭において、計画と準備を進めてきました。

2月14日から19日まで、5泊6日にて旅行してきました。
上に書いたように、両親と私の3人で出かけました。
海外旅行はさっぱり不慣れなので()、JTBのツアーに申し込んで、延泊で自由行動日を追加しました。宿泊はホテルです。
バンコク市内観光(王宮とか寺院)とアユタヤ観光は ツアーに含まれていて、日本語を話せる現地ガイドさんに案内してもらいました。
晩ごはんとか自由行動日には兄夫婦と会って、みんなで行動しました。楽しく過ごせました。
兄が現地ツアーを申し込んでくれていて、線路市場ことメークローン市場にも行ってきました。
いろいろなものを見て、経験できました。

兄さん姉さんには大変お世話になりました。どうもありがとうございました。
(*^^*)






旅行中に写してきた画像が、たくさんたくさん、あります
また、今後のブログ記事にて、旅の思い出(記憶)とともに順次ご紹介したいと思います。


「当ブログの読者へ、タイ旅行のお土産プレゼント、あるの?」
「無い」
「…と言いつつ、実は、抽選で1名様にぃぃ- 」
「何も当たらないっ! 当たりません



和田岬線

2016年10月28日 22時24分50秒 | 旅のあと
先週10月22日に、和田岬線に乗ってきました。
そのときに写してきた、画像まとめです。


和田岬線(兵庫-和田岬)


↑兵庫から和田岬までを結ぶ短い線が、和田岬線。
 正式には、山陽本線の一部とされていて、兵庫~和田岬間も「山陽本線」と呼ぶのが正しい。
 支線だと分かりやすいように、通称〝和田岬線〟と呼ばれている区間です。

 私にとって、JR西日本エリアの「最後の一線」が和田岬線になりました。
 この線で締めくくろうと思って、わざとラストまで〝温存〟してきた… というわけでは決してありません。
 ほんまに、たまたま、なんとなく、この線が残りました

◆          ◆          ◆          ◆          ◆          ◆

平成28年10月22日(土)

和田岬線に乗るべく、午後から出かけました。
兵庫~和田岬間わずか2.7kmの線なので、いざ列車に乗ってしまえば、あっという間に走破完了となります。
ただ、朝と夕方にしか列車が走らない線なので、その時刻に合わせて現地へ参らねばなりません。

10月下旬に入って、日も短くなっているので、わずか2.7kmの線とはいえ、早めの時間帯に乗ってしまうのが良さそう。
私は、夕方の一番列車、兵庫17時15分発の和田岬ゆきに乗ることにして、神戸へ向かいました。

ただし、うちから学研都市線→JR東西線→JR神戸線で兵庫駅を目指すのは、なんか、フツーすぎて面白くないなぁ
…とか思ったので、うちの最寄駅から近鉄電車に乗って、大和西大寺経由で大阪難波へ。そして御堂筋線に乗り換えて、梅田へ。
梅田から阪神電車に乗って、神戸を目指しました。
「難波から梅田へ御堂筋線で乗り継ぎって…  これまた〝古風な〟ルートで行ったんやな
「阪神なんば線が通じていなかった時代の、乗り継ぎの仕方やね」

わざわざ梅田へ回ったのは、以前から一度乗ってみたいと思っていた電車があったものだから…。
それは、「梅田から高速神戸まで、阪神電車の各駅停車(普通)で乗り通してみる」っていうことです。

今回、その件については画像を撮っておりませんが、梅田から5500系の各駅停車に乗り、途中下車なしで高速神戸まで乗り通してきました。
なかなか、面白かったです。
直通特急や快速急行との接続駅など、途中の主要駅を節目にして、各駅停車(普通)の車内はどんどん乗客が入れ替わっていくのですね~。
じぃーっと座って、乗り続けているのは、私だけ という車内でした。
梅田から高速神戸まで各駅停車(普通)は1時間半近くかかりますが、案外退屈しませんでした。(個人の感想です)
ちなみに、梅田から高速神戸、特急だったら40分弱で到達します。

まあ…、このくだりは、和田岬線とは関係のない部分であります。




↑高速神戸で乗り継いで、大開まで行って、下車しました。
 大開駅から歩いて、JR兵庫駅までやって来ました。大開駅から兵庫駅までは歩いて10分、…も掛からなかったです。

兵庫駅前にたどり着いたのは、夕方4時30分ごろでした。
和田岬ゆき電車は兵庫17時15分発なので、まだ、45分ほど時間があります。
難波と梅田での乗り換え時間にかなりの余裕を見込んで出かけてきたこともあり、かなり早く兵庫駅に着いた格好です。

「だいぶん時間があるな。 こうなりゃ、和田岬まで歩くか…



↑というわけで…、兵庫駅から和田岬駅まで、片道は歩いてみることにしました。
 和田岬駅から折り返しの電車に乗って、兵庫駅へ戻ってこようと思います。和田岬→兵庫間の乗車をもって、和田岬線の走破達成とします。

 白状すると、『兵庫駅から和田岬駅まで線路に沿って歩いてみるのも、悪くないかも…』と事前に考えていたのです。
 自宅でグーグルマップを幾度も眺めてきたので、和田岬駅までの道順も概ね分かっています。



↑和田岬線の線路。
 兵庫駅を出て、大きくカーブしていくところ。画面奥が和田岬の方向。
 阪神高速3号神戸線、国道2号線をくぐります。



↑上と同じ個所の、阪神高速・国道2号をくぐり抜ける地点を、和田岬の側から見る。画面奥が兵庫の方向。



↑川崎重工業兵庫工場への引き込み線が、道路を横切っています。
 工場で造られた鉄道車両は、ここを通って運び出されるわけやね。



↑しばらく、和田岬線の線路に沿って歩いていきます。



↑1キロポスト(…やんなぁ?)



↑明和通 踏切の付近から、和田岬方向を望む。



↑線路に沿う道路が途切れてしまう個所があります。その付近では、ぐるっと迂回して歩きました。
 工場や会社が建ち並ぶなかを、テクテク歩きました。
 視界に入ってきた大きな建物は、富士通テンさん。





↑再び和田岬線の線路が見えたのは、運河にかかる旋回橋(和田旋回橋)の地点でした。
 白状すると、この鉄橋を見たかったので、兵庫から和田岬まで歩いてみることにしたのです。(最初からスッとそう言えよ)



↑旋回式の鉄道可動橋。 ほかでは見かけない、独特な造りの鉄橋です。
 ただし、現在は旋回しないように固定されているそう。





↑神戸百年記念病院のそばの、踏切。



↑同上。
 その踏切のところに、かつて存在した駅「鐘紡前駅」の跡地があります。



↑線路に沿って、ブロックみたいなのが並んでいます。これが鐘紡前駅の跡地。(合ってるよな?



↑和田岬のほうを望むと…、もう、和田岬駅のプラットホームが見えてますな。
 あそこまで、あと少し。頑張って歩こう。





↑兵庫からの一駅区間を歩き終えて、和田岬の駅前に着きました。
 天気がよろしくないこともあって、夕暮れ感がどんどん増してきました。夕方5時15分を過ぎたところだけれど、結構暗くなっていました。
 この画像の印象よりも、実際にはもっと薄暗くなっていました。

 和田岬駅の駅舎は、とうの昔に解体撤去されていたんやね。(わし、当日ここへ来るまで知らなかった。駅舎無いやん…って)
 駅舎があったスペースには、コンビニエンス店が営業中です。



「バス停か」って思ったけれど、駅の目印というか表札というか…、ここが和田岬駅であることを示す設備ですね。
 電車のりば(プラットホーム)は、画面左奥のほう。 黄色の点字ブロックに沿って、ずうっと歩いていきます。



↑電車がやってきました。ゆっくりゆっくり、近づいてきました。
 私が乗ろうと思っていた、兵庫17時15分発の和田岬ゆきが、いま、和田岬に到着しようとしているところ。





↑到着した電車は、17時26分発の兵庫ゆきとなって折り返します。私もこれに乗って兵庫へ戻ります。
 207系電車でした。種別表示は「普通」と出ていますが、行先表示はナシ! この区間では、いちいち行き先を表示しないんやね。
 「和田岬(ゆき)とか、兵庫(ゆき)とか、表示してくれたらいいのに」





↑和田岬駅ホームにて。
 プラットホームから道路へ直接出入りできる非常口みたいな通路(階段)が、何カ所かありました。全部開放されていました。
 「道路からプラットホームへ、出入りが自由にできるんやな」
 …っていうか、そもそも、この駅には改札口とか切符売り場というものが無いですね。



↑ICOCAをタッチする改札機も見当たらず、〝無札〟の状態で電車内に乗り込むこととなりました
 乗り合わせた通勤客のみなさんも、定期券とかきっぷとか全然出しておられなかったので、「ここは、無札で構わないんだろう」と判断。



↑和田岬を発車して、兵庫へ向けて走り出しました。
 わずか2.7kmの区間です。4分で着きます。



↑車窓風景を狙ってみたけれど、日が暮れてしまって、もう写せません 車内が映り込んでしまうばかりで…。
 土曜日だったので、通勤利用のお客さんは平日よりだいぶん少ないのだろうな…と思ってみました。



↑和田岬から所要4分で、兵庫に着きました。終点です。
 山陽本線(JR神戸線)の乗り場とは完全に独立したプラットホーム。
 電車を降りたお客たちは、そのままホーム前方へとどんどん歩いて行きます。



↑これにて、和田岬線の乗車完了です。
 乗車時間が短くて、あっけなくて…、なんだか拍子抜けの気分になりましたが、一応、JR西日本エリア全線乗車成るであります。



↑ホームの先には、さらに通路が続いていました。
 この通路の突き当たりに 和田岬線乗り換え改札口(中間改札)があって、和田岬発着の乗車券類の発売・改札処理ができるようになっていました。
 「こんな場所に〝和田岬駅の〟改札口があるのか!?」
 と不思議な気がしたけれど、よく考えたら、うまい仕組みだと思いました。 



↑私はイコカで電車に乗るんだけれど、自動券売機が設置されていたので、記念用に1枚買ってみました。(律儀に大人運賃で買ってしまった



↑帰りぎわ、山陽本線ホームから兵庫駅前を見る。





北陸新幹線 (おまけ付き)

2016年10月03日 22時05分00秒 | 旅のあと

去る8月31日に、「北陸新幹線」に乗ってきました。
1か月以上も前の話になってしまいましたな
遅くなりましたが、そのときの画像を貼っておきます。






↑今回の乗車券。
 京都からサンダーバードで金沢へ行き、そこからは新幹線ばかりを利用して東京経由で京都へ戻ってくるコースです。(別途、特急券必要)

◇               ◇               ◇

久しぶりの電車旅です。
今回は、日帰りで「北陸新幹線」に乗ってきました。北陸新幹線そのものが、私にとっては未乗線区です。

北陸新幹線を走破したら、JR西日本エリアに残る未乗線は、ラスト1線(和田岬線のみ)に絞られるのです。

今年5月に広島を訪ねて、近い将来に路線延伸される予定の「可部線」にあえて乗ってきた…という、自分自身の経緯も踏まえて、
ぜひ今年中に(今年度中に)JR西日本エリアの全線乗車を〝とりあえず一度達成したい〟と考えています。
そのために、今回は「北陸新幹線」です



平成28年8月31日(水)、天気晴れ。

朝6時に自宅を発ち、近鉄電車で京都駅へ出て、京都6時58分発の特急「サンダーバード1号」金沢ゆきに乗りました。
まず金沢まで出向いて、そこから高崎へ向かって北陸新幹線に初乗りしようと思います。



↑京都6時58分発、北陸線特急「サンダーバード1号」金沢ゆきでスタートしました。
 指定券の席番に従って、びわ湖側の座席(湖西線内)に陣取ると、朝日の輝きが湖面にも反射しながら車窓へとび込んできました。まぶしい~



↑空もきれい。山々もきれいに見えています。



↑この日の「サンダーバード1号」は9両編成でした。
 朝一番のサンダーバードだから込んでいるかも知れないと予想して、私は指定席券を買っておいたのだけれど、意外にも車内はガラガラでした。
 京都から金沢までは2時間ちょっと。
 窓の外に新幹線の高架橋が見えてきて、まもなく終着の金沢です。



↑定刻9時13分、金沢へ着きました。終点です。
 北陸新幹線の開通にともない、特急サンダーバード号は金沢発着の列車になりました。(1日1往復、和倉温泉発着がある)
 金沢から先、高岡・富山へ直通するサンダーバードは、もうありません。「金沢で新幹線に乗り継いでね」ということやな。



北陸新幹線(金沢→高崎)

金沢の駅では、8分接続で北陸新幹線「はくたか号」に乗り換えました。
ここで途中下車して金沢観光をしようとかいう気は、最初からありませんので…

きょうの目的である、北陸新幹線への初乗りが始まります


↑金沢からスタートする赤色のラインが、北陸新幹線。
 新幹線の開業に際して、並行在来線の金沢~直江津間(旧北陸本線)と直江津~長野間(旧信越本線)は、第三セクター鉄道に転換されました。



↑金沢駅の新幹線のりかえ改札口。
 サンダーバードを降りた客のうち、それなりに結構な人数が、どどど…っと のりかえ改札口へ流れていきました。
 もっとも、この日は、サンダーバード1号の乗客自体がそれほど多くなかったけれど。
 在来線と新幹線との乗り換えは、通路の構造も分かりやすく、簡単でした。



↑新幹線ホームにて。
 サンダーバードから流れてきた乗り継ぎ客の波が車内へ収まると、ホーム上はガラ~ンとした雰囲気に
 ホームの駅名標はブルーの色づかいで、JR西日本の管轄であることを物語ります。
 北陸新幹線のうち、金沢から富山を経て上越妙高(じょうえつみょうこう)までの区間がJR西日本の管轄です。



↑金沢9時21分発、「はくたか558号」東京ゆきです。
 私も、これに乗って高崎まで一気に通そうと思っています。
 この列車の停車駅は、金沢から軽井沢までの各駅と、高崎、大宮、上野、終点東京。



↑車両は、E7系でした。(JR東日本の車両です)



↑ここでも、私はあらかじめ指定席を取っておりました。(結果は、自由席でも良かったぐらいに空いていました)
 東京方面へむかっての座席配置は、ご覧の通り。
 左列が3人掛け(ABC席)、右列が2人掛け(DE席)ですね。東海道新幹線とは〝逆〟やね。
 …でも、東京駅ホームに入線するときの列車の向きも逆、だものな。
 だから、この座席配置でいいのかも(?)と思ってみたりしました。



↑定刻に金沢を発車し、北陸新幹線の旅が始まりました。



↑まだまだ〝白さ〟が残っているコンクリートの高架線を、心地よく加速していきました。
 高架の壁の向こうに街並みをちらちらと見ながら加速していく感じ-、ほかの新幹線の路線と変わらない乗り心地です。



↑ほんとに、きれいな青空です。



↑座席背面には、テーブルと合わせて、ドリンクホルダー付き。
 ドリンクホルダーの下のほうには、コンセント差込口(一口)も付いています。



↑窓側席の乗客用として、壁際(足元)にもコンセント差込口が付いています。
 「デジカメの充電器、持って来たらよかったな
 最近、私のデジカメは、電池(充電)の消耗が早くなってきました。電池、寿命かもしれない。



↑高架の壁の一番上のところが…、透明の板が〝くの字型〟にカクンと折り曲げて設置されている、独特な構造です。
 防音対策かな? あるいは、冬場の積雪対策なのかな。
 京都の東海道新幹線では見かけない造りですわ。



↑金沢のとなりの駅、新高岡に停車。
 もう一度書きますが、私が乗っている「はくたか558号」の停車駅は、金沢から軽井沢までの各駅と、高崎、大宮、上野、終点東京です。



↑新高岡から富山までは、すぐ。
 神通川を渡って、富山へ到着です。





↑富山9時44分着。金沢から20分ちょっとでした。



↑富山を発車しました。
 コカ・コーラの看板を写したかったのではなく、右側の「富山地方鉄道」という文字に思わず反応して 写した一枚です。



↑富山の街並みの向こうに、連峰がよく見えていました。



↑以前にも当ブログに書きましたが(北陸線・ほくほく線の「特急はくたか」に乗ったとき)、
 車窓から眺める立山連峰の風景は、こんな写真で見るよりも、実際に電車内から自分の目で見るほうが断然素晴らしいです



↑ズームしてみた。見るからに険しい雰囲気の山です。
 手前から奥へ、山々が幾重にも重なっている様子が分かります。







↑さきほどの富山の駅でも、乗ってくるお客は少なかったです。指定席9号車は、相変わらずガラ~ンとした雰囲気だ。
 わが「はくたか558号」の後続列車には、速達便の「かがやき508号」(停車駅:金沢・富山・長野・大宮・終点東京)が控えているので、
 富山から長野・東京方面へのお客はそちらへ流れるのだろうな、…と思ってみたりしました。





↑富山の次駅、黒部宇奈月温泉に停車しました。
 駅名を平仮名で書いたら「くろべうなづきおんせん」で11文字となり、現在の新幹線の駅では一番字数が多いらしい。(ひらがな書きの場合です)
 でも、ここから宇奈月温泉までは、やや距離がありますなぁ
 新幹線駅のそばに富山地方鉄道の新黒部駅が設置されていて、宇奈月方面へのアクセスが確保されているようです。



↑このあたりの地形は、険しい峡谷をくぐり抜けてきた黒部川が海へそそぐときに形成された、扇状地なのだそう。
 車窓を見ていても、いまひとつ、扇状地っぽい感じが読み取れなかったけれど。(たった一回眺めただけではねぇ…)
 グーグルアースとかの衛星写真で見ると、谷を抜けてぶわーっと扇形に広がって海へ達している様子が、よくわかります。 



↑黒部宇奈月温泉を出てしばらく走ると、トンネル区間に入りました。ここから断続的に長いトンネルが連なっていました。
 「これで一気に、糸魚川まで結んでしまうのだな」
 昔から北陸道随一の難所として知られてきた「親不知」の地も、北陸新幹線はトンネルで通り抜けてしまいます。



↑連続トンネルの区間を抜けて、糸魚川の町へ。
 姫川の流れがきらきらと輝いていて、きれいでした



↑糸魚川付近では、北陸新幹線の車窓にも海(日本海)が見えます。
 きょうは、空も海も穏やかです。



↑糸魚川に停車。
 ここでは、同時刻に対向の「はくたか553号」(金沢ゆき)と出会うダイヤです。お互い定刻運行で なにより



↑糸魚川から高崎へ向けて、新幹線のルート図。
 富山県側から、海沿いの糸魚川を経て長野方面へ回り込んでいくので、新幹線路線ながら大きく迂回したルートを描きます。
 糸魚川と上越妙高は新潟県内にあり、飯山・長野・上田・佐久平・軽井沢は長野県内にある駅です。
 長野県の新幹線駅って、数が多い



↑糸魚川を発車。
 行く手には、まだ山々が連なっています。





↑まもなく、上越妙高(じょうえつみょうこう)に着きます。







↑上越妙高に停車。
 JR西日本管轄の北陸新幹線は、この駅まで。 この先はJR東日本管轄の北陸新幹線です。
 ホーム駅名標など、旅客案内の表示類は〝東日本仕様〟ですね。上越妙高の駅自体はJR東日本の管轄なんやね。
 私は「妙高」という地名を聞くと、信州(長野)を連想してしまうのだけれど、地域区分としては「妙高」は新潟県の地名なのですね。
 例えば、妙高山という山は、長野県ではなく新潟県にある山なのだそう。
 
◇               ◇               ◇

さて、これで、JR西日本の北陸新幹線には乗車完了しました。 きょうの大きな目的は、果たせました
目標を達成したので、ここ上越妙高で新幹線を下車してしまうのも一手ではあったけれど…。
上越妙高で下車し、新潟ゆきの特急電車「しらゆき」に乗り換えて柏崎を目指して、未乗線の越後線・弥彦線に乗ってしまうのも悪くないな…、とか。
どうしようかなぁ」と、出発前には思案をしました。

結局、越後線・弥彦線は先送りにして、今回は北陸新幹線に徹することに決めました。
このまま「はくたか558号」をキープして、上越妙高から高崎へ、JR東日本区間の北陸新幹線にも乗ってしまおうと思います。

「…っていうか、この記事の冒頭から、きょうは北陸新幹線で高崎まで乗り通しますって、書いていたやろが?」




↑上越妙高を発車。 
 乗り心地は別に変りませんが()、JR東日本区間に入り、新潟県から長野県へと進んでいきます。
 この先で、またまた長いトンネルに突入しました。



↑飯山(いいやま)に停車。
 旧信越本線のルートからは外れる形で、北陸新幹線は飯山経由で長野へ結ばれています。
 新幹線の駅ができて、飯山へのアクセスが便利になりましたね。



↑善光寺さんの名前が、幾度も字幕で表示されていました。
 きっぷだったか旅行商品だったかの宣伝メッセージだったと思います。





↑新幹線の車両基地が見えました。
 もうすぐ長野に着きます。



↑ビルなどが建て込んできました。この車窓から久しぶりに見る、都会の雰囲気







↑長野へは10時48分に到着。 金沢から長野まで、各駅に止まって約1時間半かかりました。
 この列車は長野駅で12分間ほど停留し、後から追い上げてきた「かがやき508号」東京ゆきに先を譲りました。
 言うなれば、近鉄大久保で、京都ゆき準急が急行と接続して道を譲るのと一緒ですわ。 (例えが局地的すぎるし



↑12分間停車を終えて、11時ちょうどに長野を発車。
 長野から先(高崎方面)は、いわゆる長野新幹線(長野行新幹線)として先行開業していた区間なので、新幹線も〝馴染んで〟います。







↑長野の次駅、上田に着きます。
 駅へ着く直前に、こちらへ向かってくる高架線路を発見 
 上田電鉄別所線ですね。画面左端に見えている高架上の構造物が、上田電鉄の上田駅。 壁面に〝丸窓〟が再現してあるみたい?



↑上田に停車。





↑佐久平(さくだいら)に停車。



↑佐久平は、小海線(こうみせん)への乗換駅。



↑ひと駅区間が10分程度です。 10分走っては駅に止まり、また10分走っては駅に止まり…。





↑軽井沢に停車。 この駅のホームには、転落防止柵が設置されていません。
 さすが名立たる避暑地・観光地  ここから乗り込んできたお客は、けっこう多かったです。 



↑軽井沢を発車すると、またトンネル。
 地形的には、碓氷峠を越えて群馬県へ向けて〝急降下〟していく区間です。
 新幹線はトンネルを突っ走るだけなので、峠道の険しさは皆目伝わってきませんけれども。



↑難なく群馬県に入って、この列車の初めての通過駅-安中榛名(あんなかはるな)駅を駆け抜けました。



↑「安中榛名〝付近〟」 …と表示されるところが、JR東日本の新幹線やね~





↑ここまでずうっと続いてきた山並みの気配が失せて、大きく広がる街並みが見えてきました。
 まもなく、高崎に到着します。



↑上越新幹線の線路に寄り沿って、高崎駅へ進入。



↑定刻11時47分、高崎に到着。
 列車は東京ゆきですが、私はここで下車。



↑東京へ向けて出ていく「はくたか558号」をお見送り
 金沢から高崎まで一気に乗り通しました。これにて、北陸新幹線への乗車完了!とします。



↑高崎駅前のようす。


北陸新幹線に乗り終えたので、未乗線に乗るという分野では、きょうの目的は達成済みとなりました。
高崎到着が11時47分ということで、まだお昼ですから、このまままっすぐ京都へ帰るのはモッタイナイ!
…ってことで、以下、おまけツアーとして、「午後の部」は高崎周辺にある鉄道の名所を訪ねてみようと思います。



↑再掲。
 いま、京都から高崎まで乗ってきました。
 高崎で途中下車して、このきっぷは一旦封印。 おまけツアーで高崎周辺に滞在中は、別途きっぷを買って行動します。

◇          ◇          ◇          ◇          ◇

おまけツアー (高崎駅 途中下車のひととき)


↑古くから信越本線の名物駅弁のひとつだった、「峠の釜めし」(横川駅)を食べに行ってきました。
 久しぶりに横川駅まで電車に揺られて、〝現地〟で釜めしをいただいてきました



↑高崎から横川まで、現在も運行されている信越本線の路線です。(このほか、新潟県内の 直江津~新潟間にも信越本線は運行中です)



↑高崎から30分ほどで、終点の横川(よこかわ)に到着。



↑峠の釜めしは、「おぎのや」さん。
 駅の中にも売店があるんやね。



↑横川の駅前に「おぎのや」本店があります。(画面左奥の白い建物が、横川駅)
 歴史が感じられるお店建物です。店内で、峠の釜めしを買って、食べることができます。私もこのお店の中でいただきました。
 久しぶりに食べた釜めし、あたたかくて美味しかったです



↑峠の釜めしは、ひとつ1000円です。 


横川駅のすぐそば
「碓氷峠 鉄道文化むら」を見学しました






↑横川駅のすぐそばにある施設なので、立ち寄らないわけにはいかないと思い、見学してきました。
 碓氷峠の急勾配に挑み続けてきた鉄道輸送の歴史を伝える、鉄道展示施設です。



↑旧信越本線の特急列車に使われていた、189系特急の先頭車両。
 「碓氷峠鉄道文化むら」の園内には、たくさんの実物車両が 屋外展示されています。



↑一部の展示車両は、車内への立ち入りも可能。
 これは、上の画像の189系特急車両の車内。(立ち入ると、密室感がハンパなく、もわ~っと暑かったです)
 できれば…、営業運行していた頃のように、座席カバー(枕カバー)を付けた状態で保存展示してもらえたらなぁと思いました。
 まあ、立ち入り自由で一般公開すると、盗難とかイタズラされる恐れが付いて回るんだろうけれど



↑同じく、189系展示車両の、運転室 内部のようす。ここも立ち入り(見学)可能でした。
 座席の向こう側の壁に、灰皿が付いているのが見えます。運転席に灰皿が付いているっていう…
 国鉄時代に造られた車両は、そういう設計だったんやね。

















↑碓氷峠の急勾配に挑んだ、昔のアプト式機関車ED42型、1号機。



↑勾配区間のラックレールと噛み合う構造だった「歯車」も見えるように、展示されています。







↑アプト方式が廃止されたのち、碓氷峠で活躍したEF63形電気機関車。 左端は、特急電車189系あさまカラー車。(塗装の劣化がちょっと…









↑こういう気動車、とても懐かしいです。
 屋外での車両展示は、雨ざらしになるので、どうしても塗装の劣化や車体の傷みが進みやすいね。
 だけど、やっぱり、鉄道車両は太陽の光の下で見るのが、かっこいいと思う。



↑この日は、キハ20の車内も開放されていて、立ち入り見学が可能でした。









↑寝台車両も、立ち入り見学が可能でした。
 オハネ12形。3段式B寝台の車両。








↑3段ぶんの寝台を展開した状態。 下段・中段・上段の3段ベッド。
 画面の一番上のところは黒く影になっているけれど、これが上段。ここにもひとり、寝られます 天井裏みたいな領域だけどね。



↑車端部には洗面所。
 3器の洗面台が並んでいるのが、寝台車両らしいところです。 そして、この間隔の狭さね…



↑洗面台のところは、すりガラスの窓になっていたんやね。外からは見えません。
 窓の上とか横に「鏡」が取り付けてあります。わかりますか?
 乗客は、洗面台を利用しつつ、この鏡を見て、身支度を整えたというわけですね。
 こういう鏡の取り付け方、すごいよなぁ。 隔世の感を禁じ得ない、というやつですわ。











↑園内をぐるっと一周する豆汽車がありましたので、私も乗ってみました。(乗車料金が必要です)









↑私は、園内に1時間半ぐらい滞在して、ゆっくりと見学しました。
 屋外展示の車両をたくさん見ることができて、有意義でした。車体塗装の劣化が、ちょっと気になりました。



横川駅から 軽井沢駅へ、JRバスで移動


↑次は、横川駅前を15時ちょうどに出るJRバスに乗り、山道を登って碓氷峠を越え、軽井沢駅まで移動しました。
 横川から信越本線の電車で高崎へ戻っても良かったんだけど…、せっかくここまで来たので、碓氷峠の山々も見ておこうかなと


JRバスで軽井沢駅へ着いたあとは、寄り道や見物は無しで、次の新幹線「あさま号」に乗って高崎へ戻りました。













↑軽井沢にて。15時55分発「あさま622号」東京ゆきが入ってきました。
 自由席車両に収まって、高崎まで戻りました。 軽井沢からの乗車も多くあって、自由席はほぼ満席の混雑でした。



↑16時14分に高崎へ到着。
 発車していく「あさま」を見送りました。 高崎駅で新幹線を見送るのは、きょう2回目


◇          ◇          ◇          ◇          ◇

再び高崎駅へ戻ってきたけれど、
おまけツアーは、まだ続く!

↓続いては、こちら





↑こんどは、高崎から「上越線」に乗って移動します。
 高崎から渋川、沼田、水上を過ぎて、その先に「土合」(どあい)という駅があります。
 目指すは、その土合駅です。



↑高崎16時32分発・水上ゆきに乗り込んで、移動開始。高崎から水上まで、約1時間です。





↑水上17時36分着。
 ホームを移動して、接続の長岡ゆき列車に乗り換えました。
 車体にピンク(とイエロー)のラインを巻いた、新潟エリア配備の新型電車E129系。



↑水上は「みなかみ」と読みます。
 ひとつ前の駅は上牧で「かみもく」、そして次の駅は湯檜曽で「ゆびそ」と読みます。
 どれも独特な読み方やね。





↑17時48分に水上を発車しました。 土合駅までは2駅で、所要約10分。
 いよいよ日が暮れてきました 山間なので、余計に早く、暗くなっていくような気がします。
 「明るさよ…、もうちょっとの間、頑張ってくれ



↑湯檜曽(ゆびそ)に停車。 トンネルの中にある駅です。
 このトンネルが「新清水トンネル」というのだそう。全長13.5km。 上越線の〝下り線〟のトンネルです。



↑湯檜曽を発車すると、次が土合です。
 列車はずうっとトンネルの中を走り続けます。



↑土合に着きました。 下車して、発車していく電車を見送りました。
 ここもトンネルの中の駅。 湯檜曽の駅から、ずうっと「新清水トンネル」の中なのです。


改めまして、旅行日は8月31日でした。
さきほど、水上の駅で列車を乗り換えたときは、外気温はまだまだ高い(暑い)と感じましたが、トンネル内の土合駅ホームに降り立つと、
明らかに〝冷~んやり〟と感じました。
トンネルの中って、こんなに涼しいものなんやね



↑土合駅、下り線ホームの駅名板。



↑それでは、出口(出札口)へ向かいましょう。
 頭上の黄色い看板に「出口」の方向が示されています。



↑階段… どこまで続いてる



↑これが、ほかの駅には無い、土合駅だけの特徴です。
 「日本一のモグラ駅」と、紹介されています。
 新清水トンネルの中にある下り線ホームから改札口までは、長~い階段を登らなければ到達できないんです。
 『改札口までの所要時間は、約10分要します』って、書いてあるね。



↑私は、この駅へ降り立ったのは今回が初めて。
 改札口まで10分かかるという この階段を一度歩いてみたいと思い、きょうのスケジュールに盛り込みました。





↑階段もトンネルの中なので、ただただ殺風景です。
 途中、何か所か、踊り場にベンチが置いてありました。休憩用やね



↑デジカメのフラッシュを焚かずに撮影。
 この画像のほうが、現場の明るさを忠実に再現できていますわ。
 フラッシュを焚くと、周囲が〝真っ暗け〟に写ってしまう。





↑462段目に到達したところで、うしろを振り返り、いま登ってきた階段を見おろす。
 この階段の一番下に、下り線ホームがあるわけです。
 ほんまに、すごい階段やね。 改札口と下り線ホームを結ぶ「通路」に過ぎないんだけど、ほかでは見られない光景です。



↑トンネルから〝外〟へ出てきました。
 改札口までは、もう少し通路が続いていました。







↑突き当りに見える階段が、ラストです



↑通路の窓には、三角屋根の駅舎も見えてきました。 土合駅の駅舎です。



↑下り線のプラットホーム面から数えて「486段目」です。これで、階段はおしまい。
 「登り切ったぞ  正直、疲れたー





↑改札口に着きました。(但し、改札は無人)
 下り線ホームから、確かに10分ほど要しました。



↑駅前へ出てみました。
 三角屋根が印象的な、独特の駅舎です。









↑土合駅での滞在時間はわずか。
 上り電車(水上ゆき)の時刻が近づいているので、私も上り線ホームに出て、待機。

 下り線ホームは地中深くのトンネル内に設けられているのに対し、上り線ホームは 駅舎のそばに設置されています。





↑土合18時18分発、水上ゆきがやってきました。
 土合は無人駅なので切符が買えません。車内で車掌さんが乗車券発行を取り扱ってくれます。



↑水上で高崎ゆき115系電車に乗り換えました。
 すっかり日も暮れて、あとは京都へ帰るだけです。



↑19時37分、高崎に到着。
 これにて、きょうお昼ごろから延々と続いてきた「高崎駅での途中下車」を終わります。
 ここからは新幹線の旅に戻ります。
 




↑高崎駅の新幹線ホームにて。
 向かいのホームに、新潟ゆき「Maxとき」が〝重連〟で入ってきました。
 私は、高崎19時59分発の「あさま628号」で東京へ向かいました。



↑東京からは、21時10分の「のぞみ」で京都へ帰還。
 長い一日でした。いろいろな所を訪ねました。楽しかったです。






鳥取旅行、画像まとめ

2016年09月03日 17時50分50秒 | 旅のあと

去る8月25日~26日に 両親と出かけてきた、「夏業務ごくろうさん旅行」のときの画像を貼っておきます。
断片的ですが、いくつか訪問した場所で写してきました。


8月25日(木)

 朝早めにスタート。ヴォ号で出動しました。行先は鳥取県です。
八幡東ICから高速道路。大山崎を回って名神で吹田→中国道で吉川JCTを経て、舞鶴若狭道で春日ICへ。
春日から、北近畿豊岡道っていう自動車道に入って、但馬方面を目指しました。
この北近畿豊岡道、いっぺん通ってみたいと思ったのです。
和田山付近で一旦下道に出て、ちょっと寄り道して、竹田城(天空の城跡)を下界から見上げました。(城跡まで登っていません)

北近畿豊岡道は、八鹿氷ノ山ICで終点。そこから先は、国道9号を突っ走りました。
気持ちのいいドライブでした



↑昼12時半ごろに鳥取市街へ入りました。
 まずは、鳥取港というか、賀露港(かろこう)という港にある海鮮市場みたいなセンターの、「かろいち」に行きました。
 海鮮丼の昼ごはん、食べました
 まぐろが…、のっていなかったです (まぐろ丼というメニューが別にありましたけれども)
 「鳥取の海鮮丼には、まぐろは付かないのか(?)」
 鳥取では、マグロは〝レギュラー〟ネタじゃないのかな (まぐろは太平洋を泳いでいる魚か…



↑昼ごはんのあと、賀露港のすぐ近くにある鳥取空港へ立ち寄ってみました。
 空港ビルの入り口のところに、砂の造形。



↑鳥取空港には、「鳥取砂丘コナン空港」というニックネームも付けられているんやね。
 全国にもよく知られた鳥取砂丘の存在と、「名探偵コナン」の作者・青山剛昌さんが鳥取県の出身であることから、付けられた愛称だそう。
 私も実感したけれど、鳥取のおみやげ品とかにも、けっこう、コナン君(キャラクター)が使われていますね。



◎若桜鉄道、安部駅を訪ねました。


↑鳥取空港からびゅーっとクルマを走らせて、若桜鉄道(わかさ鉄道)の安部駅を訪ねました。
 映画「男はつらいよ・寅次郎の告白」(寅さん44作目。平成3年公開)の、撮影ロケ地になった駅なのです。





↑ホームにある、小さな待合室の中には、寅さんが座っています()  人形やけど…
 でも、おもしろい



↑古めかしく、狭い、改札口。 ここは無人駅です。



↑壁には、寅さんロケ(撮影)のときの様子を伝える写真が、何枚も掲げられていました。
 ほんまに、この場所へ寅さんが来たんやね。







↑安部駅から鳥取方面へ戻る途中、丘の上に建つ河原城(展望台)に立ち寄りました。



↑鳥取市の方向をのぞむ。
 都心と郊外の区別が、わかりやすいなぁ




宿泊は、三朝温泉(みささ)の旅館でした。
 温泉も食事も、ゆっくりと楽しめました。ありがとうございました。


◇               ◇               ◇               ◇               ◇

8月26日(金)

朝9時半ごろに旅館を出発。
まずは、三朝(みささ)からほど近い、倉吉の町へ。


↑倉吉は、白壁土蔵群の歴史的な景観が残る町です。
 道に沿ってすぐ横を小さな川が流れていて、白壁の土蔵とは石橋で結ばれているという風景です。
 ちなみに、倉吉(白壁土蔵群の町並み)も「男はつらいよ・寅次郎の告白」(44作目。平成3年公開)のロケ地になった場所です。

 白壁土蔵のたたずまいも立派ですが、私はそれ以上に、この〝川の風景〟に感銘を受けました。とても懐かしい感じ
 昔はこういう「川のある風景」を、どこででも見られたように思います。
 クルマ社会になったことがひとつの要因でしょうが、こういう川は、軒並み、コンクリートで〝蓋〟(=暗渠化)をされてしまったよねぇ。
 道幅が広くなって自動車の乗り入れが容易になりましたが、風情ある景観は見られなくなりました。
 みなさんが住んでいる地域でも、そういう場所はきっとあるはず…。



↑白壁土蔵のところから、少し歩いて…、やって来ました、倉吉鉄道記念館。
 「倉吉へ来たのなら、ここも見ておかなくては…」と思いまして。



↑倉吉鉄道記念館。小さな建物です。(建物の壁面には〝倉吉鉄道記念館〟と書いてあるね。それが正式な施設名なのかな?)
 決して、ものすごい鉄道記念品が収蔵・展示されているわけではない…、ことは事前承知の上でやって来ました。
 私はともかく、それに付き合わされて一緒にここまで歩いてきた両親には、なにも面白くなかっただろうけれど

かつて、この町には、国鉄の倉吉線という線路が通っていたのです。
赤字路線だったこともあり、昭和60年に廃止されました。
倉吉線の線路が敷かれていた土地(線路跡地)に、この「倉吉線鉄道記念館」は建てられています。
小さな建物だし、相当地味な記念館ですが…、この地に倉吉線という鉄道が通じていたことを後世に伝える、意義のある施設だと思います。

◆               ◆               ◆

【参考】
昔の『時刻表』に見る、国鉄倉吉線 (JTBの復刻版時刻表より)


↑大正14年4月号「汽車時間表」の索引地図より。
 山陰線の上井(あげい)から倉吉までの短い線が、倉吉線です。
 なお、上井(あげい)という駅が、現在の倉吉駅です。



↑昭和42年9月号「交通公社の時刻表」索引地図より。
 大正時代のやつに比べると、倉吉線も路線が伸びており、上井~山守(やまもり)を結ぶ線になっています。(これ以上、延伸することは無かった)
 城下町でもあった倉吉の町は、海岸線(日本海)からグッと奥まった場所に開けていたのですね。
 山陰本線は倉吉の中心地へは乗り入れずに、数キロはずれた上井(あげい)を通る形で線路が敷かれたんやね。
 本線の駅から〝脇へ入る〟形で、倉吉の町への鉄道アクセスが機能していたのですね。
 後年、倉吉線の倉吉駅は 打吹駅(うつぶき駅)と改称され、代わりに、上井駅が倉吉駅に改称されました。
 
 今回訪れた、倉吉線鉄道記念館は、打吹駅(前の倉吉駅)の跡地に建てられているそうです。



↑昭和42年9月号「交通公社の時刻表」索引地図より。
 倉吉線の時刻欄。
 運転本数は多くないにせよ、でも、極端に少なかったということでもなさそう。
 もともとの町の中心である倉吉(打吹地区)を通る線だものなぁ。
 終点の山守(やまもり)という駅は、駅の周りに何もない所だ… と、私は子どものころに本で読んだように記憶します。



↑昭和42年9月号「交通公社の時刻表」索引地図より。
 一番右の列、大阪から姫新線経由で走った急行「みささ・みまさか(2号)」の時刻です。
 「みささ」は、津山で進行方向を変えて因美線に入り、鳥取から山陰本線に直通して上井(現在の倉吉駅)までの運行。
 大阪12時10分発で、上井18時33分着、とありますね。なんと、所要6時間23分
 なお、現在運行されている特急「スーパーはくと」(智頭急行経由)は、大阪~倉吉間をちょうど3時間で結びます。(所要時間、当時の半分に!)



↑昭和55年10月号の索引地図より。
 倉吉という駅名は山陰本線に移り、倉吉線の駅は打吹(うつぶき)になっています。



↑昭和55年10月号、倉吉線の欄。

◆               ◆               ◆


それでは、倉吉線鉄道記念館 の画像に戻ります。


↑館内に展示されていた、小型の機関車。
 貨車の入れ換え用として、倉吉線で活躍していた車両だそう。
 これと同じタイプの機関車は、私の子供時代(広島時代)、西広島の駅でも使われていました。







↑倉吉線が走っていた当時に記録された写真類の展示が、壁一面に。



↑記念館の前。緑地帯と遊歩道。
 画面の奥に向かって広がるこの領域が、打吹駅(前の倉吉駅)があった場所らしい。



↑蒸気機関車(C11形)も止め置かれていました。



倉吉を後にして、再び鳥取市を経由し、途中で昼ごはんを済ませて、鳥取道・中国道・名神を通って京都へ帰りました。
夕方6時前に地元へ帰り着きました。
ここだけの話…、昼ごはんを食べたあとだったし、鳥取道を走っているとき、めっちゃ眠たかった~
長いトンネルが連続する区間だったし、なかなか大変でしたわ。
そういうときは無理をしないで、休憩をとらないといけないですね。反省反省。

夏業務ごくろうさん旅行を、無事に終えることができました。
ありがとうございました。


【おまけ画像】 鳥取市にある「わらべ館」にも立ち寄ってきました。(画像のみ)























懐かしモノが、たくさん展示されていました。こういうトコを見学するの、大好きです



名松線 (家城~伊勢奥津)

2016年06月25日 22時22分20秒 | 旅のあと
平成28年6月8日(水)、名松線に乗ってきました。
そのときの画像を貼っておきます。

名松線は、全線のうち 家城~伊勢奥津間17.7kmが、長らく災害不通(台風被害による線路の不通)のため列車運休になっていました。
関係機関によって被災線路の復旧工事が行われ、被災から6年半を経て、今年春のダイヤ改正日から伊勢奥津までの全区間で運転再開となりました。
私は、復旧した家城~伊勢奥津間には もともと乗ったことがなかったので(=未乗区間)、今回、乗りに出かけてきました。

◎参考◎ 今から3年前に、不通区間を除く松阪~家城間にだけ、乗車済みです。
2013年1月16日の当ブログ記事






↑平成28年6月8日(水)、JR松阪駅にて。
 この日は、大和西大寺11時22分発の近鉄特急で出発し、大和八木で乗り換えて12時40分ごろ松阪着。そこでJRに乗り換えました。
 わし、名松線の松阪~家城間には以前に乗車済みですが、結局今回は、始発駅の松阪から〝乗り直す〟格好です~
 午後1本目の列車、松阪13時09分・伊勢奥津(いせおきつ)ゆきに乗りました。
 ステンレス・ボディのキハ11形。ワンマン、単行です。





↑3年前に名松線に乗ったときは1月(冬)でしたが、きょうは〝緑〟がまぶしい初夏の風景を見ながら走ります。



↑井関(いせぎ)にて。13時30分撮影。



↑家城(いえき)に到着します。13時46分着。
 前方の窓越しに、行き違う対向列車が見えています。



↑家城では13分間ほど停車しました。そういうダイヤ設定になっています。



↑家城にて。(これは、ホームの松阪寄りから撮影)
 伊勢奥津ゆき(左)と、松阪ゆき(右)です。 双方とも、しばらく停車したまま動きません 発車待ち。
 単線区間のワンマン運行だから、行き違い駅の家城では〝ゆとり〟が取ってあるのかな?
 運転士さんの休憩時間かも…? と思ったりもして。(休憩時間って…)(←そういう時間も大事やで)



↑家城での13分間停車。 ほかの乗客たちも、ホームに降りてウロウロしていました
 こんなふうにホームをウロウロするのは〝観光客〟!…ということで、間違いなし
 画像に写っている方々は、「名松線に乗ること」を目的にして乗っている人たちでした  もちろん、私も。



↑家城を13時59分を発車しました。(≒午後2時ちょうどやね)
 ここから終点の伊勢奥津までが、災害復旧なった区間です。そして私の未乗区間です。
 早速に鉄橋を渡って進んでいきます。この川は、雲出川(くもずがわ)。





↑どんどん山間へと踏み入っていきます。
 私は、名松線は「松阪から西へ西へと向かう線」という印象を強く持っていたのですが、地図を見ると、その路線ルートはぐぐぐっと湾曲しており、
 特に、家城から伊勢奥津へ至る区間については「南へ向かう(南北に走っている)」と言うほうが良さそう。



↑山々と、雲出川の流れ。
 車窓風景的には〝いい景色〟だと思うけれど、6年半前の台風では、この山河の表情が一変して甚大な被害が出たわけですね。





↑コンクリでがっちり固められた山肌が、車窓すれすれを過ぎていきました。
 長かった運休期間と、線路復旧に努めてこられた関係者皆様の思いがしのばれます。









↑伊勢八知(いせやち)。 車内から見ただけですが、駅舎も立派な雰囲気でした。
 かつての美杉村(一志郡美杉村)の中心がこの駅の周辺だったそう。現在も、津市役所の支所が当地に置かれています。

伊勢八知駅の近くには、美杉リゾートホテルがあります。私は行ったことがないけれど。
テレビ番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』の第何弾かで、この地域を通りぬけていく場面がありました。
ちょうど夜になってバス運行が終了したので、太川さん蛭子さんマドンナの一行は、美杉リゾートホテルにとびこみで宿泊していました。



↑伊勢八知を発車すると、たくさんの木材が持ち込まれた集積場が見えました。
 ここは、地元・美杉で切り出された木材を出荷するための木材市場だそう。杉とか桧だそうです。本当にたくさんの木材が見えました。
 宮脇俊三も、著書『終着駅へ行ってきます』の「伊勢奥津(名松線)」の章で、伊勢八知で見えたこの風景のことを書いています。







↑山あいを流れる川には、大きな岩がゴロゴロしています。
 自然な風景だと思いますが…、大雨でこれが増水すると、岩が押し流され、名松線の鉄橋に被害をもたらすとか…
 やはり、そういう心配は付いてまわります。



↑キハ11形は小型のディーゼルカーですが、エンジン出力は十分
 力強く、勾配を登っていきます







↑比津(ひつ)を出ると、次が終点の伊勢奥津。









↑「熱烈歓迎」の文字に迎えられて、終点の伊勢奥津に到着しました。 三重県津市美杉町奥津、という地名(住所)だそう。
 定刻14時33分着でした。松阪から所要1時間24分。



↑決して広くはないプラットホームが1面だけの終着駅です。
 ここも、駅としては無人駅なので、列車からホームに降りる際に 車内で運賃清算を済ませる仕組みでした。
 私は松阪の駅できっぷを買って乗ってきたので、それを運転士に手渡してから下車。



↑伊勢奥津。
 「おくつ」ではなく「おきつ」って読むのが独特やね。
 これだけ山あいまで列車に乗ってきたのに、三重県津市の〝市内〟だというのも、なんか驚き~
 津市って、市域がめっちゃ広いのですね。

プラットホームの雰囲気とかフェンスや舗装の色合いから、この駅が改修工事を受けてからまだそんなに日が経っていないことが窺えます。

宮脇俊三著『終着駅へ行ってきます』の「伊勢奥津(名松線)」の章では、伊勢奥津の駅について、次のように書かれています。
※昭和57年(1982年)6月に宮脇俊三が現地を訪ねたときの様子が描かれている。

構内は線路が三本に分かれ、ホームも片面と両面との二面がある。
あらたまって呼べば、1番線から3番線までとなるが、そのうち二本は錆びていた。
小さな木造の駅舎があり、改札口にカメラの山内さんと年配の駅員が立っていた。
改札口で乗越し運賃を払う。応対する駅員の感じのよいこと。
私たちは、松岡さんというその駅員と、しばらく話をした。
 

引用終わり。



↑行き止まりの、終着駅です。
 前方、フェンスの向こうに見えている構造物(一部)が、かつて蒸気機関車の時代に使われていた〝給水塔〟の跡、らしい。

◇          ◇          ◇

目の前に、レールの行き止まり。車止め。ここは、まさに終着駅です。
いま、伊勢奥津への到着をもって、名松線の全線乗車 成る!…であります。
そしてそれは、私にとって、JR東海エリアの路線に乗り尽くした(完乗率100%達成)という瞬間です。
めでたい

今後、JR東海の路線網に変化が生じるとすれば、いつ頃だろうかなぁ。 やっぱり、リニア新幹線が開通するときになるのかな(?)
それはそれで興味津々。 そのときが来るのを、楽しみに待ちたいと思います。



◎伊勢奥津駅


↑きれいな駅(建物)です。
 全体を駅舎と呼ぶのが正しいのか分かりませんが、建物は、津市の支所出張所や地域住民センターとして使われているようです。
 駅(ホーム)への出入り口は、右端の、のれんが掛かっているところ。



↑駅の出入り口に、「おかえりなさい名松線」の のれん。
 列車の運転再開をずうっと待っていた、地元の方々の思いが伝わってきます。
 




↑かつては1番線から3番線までの線路があったという駅構内の土地(敷地)を活用して、建てられたのですね。
 ここには写っていませんが、画面の左側にはさらに建物が並んでいて、そこは、津市の運営による 観光案内交流施設となっています。
 私も、ふらっと立ち入ってみました。
 立ち入っただけなんだけど()、職員さんがお茶を1杯いれてくださいました。ありがとう~
 名松線の復旧記念で商品化された(?)みたいな、伊勢奥津駅の名前がデザインされた缶バッジをひとつ買いました。リュックに付けておきまーす。





↑さっき乗ってきた列車が15時08分に松阪へ向けて折り返すので、私もそれに乗って帰ります。伊勢奥津滞在は35分間!
 名松線の旅なので、伊勢奥津から〝名張〟へバスで抜けられたら言うこと無しなんだけど、バスは無いみたいなので 残念。



↑15時08分、伊勢奥津を出発します。 
 乗客はそんなに多くありませんでした。そして、ほぼ全員、さっきの列車で伊勢奥津まで一緒に乗ってきた人たち。 帰り道も一緒ということで 

 さて、列車が発車しようとしたとき…、ホームに女性ふたりが姿を見せて、車内に居る乗客に向かって手を振り始めました。
 『ありがとう! また来てなぁ』の文字を添えて、笑顔でお見送りしてくれるという、サプライズな計らいでした。
 駅と同じ建物に入っている、津市の支所出張所の職員さんですね。
 1日に何回かある列車の発車時刻に、ホームへ出てきて〝お見送り〟しておられるわけやね。(いつも必ずお見送りしてくれるのか、私は知りません
 名松線の復旧を受けて、今後も列車運行を維持・存続していくことは、津市にとっても 大事な仕事なのだなぁ…と、お察ししました。
 こういう職員さんの頑張りを見るにつけて、JR東海も伊勢奥津に駅員をひとり置いたらどうか…って思う
 終着駅が無人駅って、寂しいわ

「…まあ、それはともかく。 この画像って、ふたりの〝お顔〟を隠さなくてもいいんじゃないか、という気もしたけど」
「非常に難しい、高度な判断が求められる場面やな」
「せっかく笑顔で見送ってくれたのなら、その笑顔を紹介しなきゃダメだろ…って、ふと、思ったものだから」
「一応、当ブログとして、いつも通りの画像対応ということで、お顔、隠しました
「なんか、残念やな
「笑顔のお見送りを受けたい方は、JRに乗って伊勢奥津へ、ぜひお出かけを
「あ…、そうか。 そういうまとめ方も アリかもね。現地を訪ねて見てください、と
「松阪~伊勢奥津、運賃は片道840円です
「帰り際に〝お見送り〟をしてくれるのだから、片道運賃だけじゃアカンやろ」
「おっ! 宣伝上手! ぜひ、往復きっぷを買い求めて、お出かけください」


(おわり)



聖地にて(!?)

2016年06月19日 23時53分50秒 | 旅のあと
ダンポポ聖地、広電西広島駅で写してきた電車の画像です。





↑再掲画像。 2007年(平成19年)春に 西広島を訪れた際に撮影した一枚。
 JR西広島駅隣接の駐車場から、ひろでん会館を写しました。
 ひろでん会館の 建物のてっぺんには、〝ひろでん〟のマークが掲げられていました。

◇          ◇          ◇

以下の画像は、去る5月31日(火)に写してきたもの。


↑今回、写真を撮っていて〝すぐに〟気になったんだけど、建物てっぺんの ひろでんマークが無くなっていますねぇ なんか寂しい
 私は事情を全く知りませんが、もしかして、この建物はもう先が長くないのかな(?)



↑ひろでん会館の前から、電車が出ていきます。



↑5000形グリーンムーバーが、交差点の手前で発車待ち。
 超低床車両、5車体連接構造で、編成全体の長さ(全長)は約30.5mだそう。



↑交差点内で大きくカーブしながら広電西広島駅へ進入してくる、5000形グリーンムーバー。
 この形式は、広島駅~宮島口間を直通運転する「2号線」に充当されることが多いみたい。



↑前方の交差点信号を窺いながら、静々と近づいてきた3900形「ぐりーんらいなー」宮島口ゆき。市内線を走り終え、これから宮島線へ直通。
 3900形は、私が広島に住んでいた当時には、まだ走っていなかった形式です。
 あの当時は、市内線~宮島線を直通するのは〝ピンク色の連接車〟と決まっていましたなぁ。2000形とか、2500形の2両連接車。
 で…、ある年に、3000形という〝3両連接車〟がお目見えしたのです。そのときのことは覚えています。


※参考 広電3000形 (動画拝借いたします
 
3000形は、今でも市内線で活躍していますね。頑張るのぉ。
当時は、この電車が宮島線直通の花形車両でした。3両連接という編成長が〝長距離列車〟の貫禄のようでもありました。



↑もと京都市電の、1900形。



↑ひろでん会館のすぐ前の、線路際。
 子供時代の私が路面電車を眺めていた場所は、ここです。



↑その場所に立つと、こんなふうに電車が見えます。
 市内線へと発車していこうとする電車は、交差点の信号待ちのため、大抵この場所で一旦止まるんです。
 目の前でゆっくり電車を眺められて、発車していくところも見送ることができる…っていう、電車ウォッチングにもってこいの場所です。



↑市内線から走りこんでくる電車も、連接車だと迫力があってカッコ良く見えたものです。
 当時は、こういうシーンが、さきほど拝借動画で紹介した3000形編成でキマッていたわけです。



↑もと京都市電1900形(広電でも形式は1900形のまま)が、3号線運用で発車していきます。
 昭和53年頃に京都から広島へ移籍してきた車両形式です。私が広島に住んでいた当時に、この形式はすでに広電に来ていました。覚えています。
 私は京都市電には乗ったことがないけれど、広電に移籍したこの1900形には、子供時代に幾度も乗りました。
 〝もと京都市電〟と言うけれど、この車両の経歴としては、広島へ移籍してから走行した距離のほうが圧倒的に長いでしょうね。



↑出発していく1900形と入れ違いで、1000形「グリーンムーバーLEX(レックス)」が走り込んできました。
 古参と最新鋭の、すれ違いシーンです。車両デザインの違いが、凄まじいな  時代の変化を感じます。





↑新型電車の1000形「グリーンムーバーLEX」。 超低床車両、3車体連接構造。
 この形式は、5車体連接の5100形「グリーンムーバー・マックス」の設計をもとに造られたそう。〝短いグリーンムーバー〟です。
 見た目は〝3両連接〟のスタイルですが、さきほど紹介した3900形や3000形といった3両連接車とは構造が違います。






以上、広電西広島で写してきた画像でした。
また広島を訪れたときには、時間を作って立ち寄りたいと思います。大事な場所なので。聖地なので。

(広島編おわり)


彩 Happy Train SLバージョン




西広島の巻

2016年06月18日 22時54分10秒 | 旅のあと
5月31日(火)の画像の、続きです。

可部線の走破を終えた私は、可部から引き返す途中、三滝の駅で下車しました。
途中下車して、もう一度40年前の思い出を振り返りたかったというか…、なんか、そのまま広島駅まで戻ってしまうのは 物足りない気がしたからです。

三滝駅で電車を降りた私は、そこから西広島駅まで、太田川放水路沿いをてくてく歩いて移動しました。
先に記述したように、私は子供時代の8年間を広島で過ごしました。そのときに住んでいたのが、西広島、己斐の町でした。
なので、西広島界隈は、私にはとても懐かしく思える地域なのです。





↑可部から引き返してきた私は、三滝で下車。
 電車を降りてしばらくプラットホーム上に残留し、227系どうしの列車交換(行き違い)を眺めました。



↑可部ゆきが発車していきます。
 従来、広島地区のJR電車は、種別や行き先を 車両に表示せずに走る流儀でしたよねぇ。(可部線の電車は、表示して走っていたっけ?)
 私の印象ですが、『なんで、広島のJRは、行き先を表示しないで走るんだろう?』という疑問を、ずうっと抱いていました。
 227系の導入で、種別・行き先がきちんと表示されるようになりましたね  分かりやすくて、いいぞー



↑広島ゆきの電車も、発車していきました。



↑三滝駅。
 無人駅ですが、自動券売機と自動改札機(ICカード乗車券対応)が設置されています。
 学研都市線の無人駅と同じ装備やね  (可部線の全駅、ICカード乗車券に対応しています)



↑三滝駅の出入り口。 シンプルな造りの駅です。
 40年前、祖父に連れられて 私はここで電車を降りたんだなぁ。その場面は記憶に残っていないけれど…



↑三滝駅から横川方面へ向かう線路。
 線路は、左へカーブしながらトンネルに消えていきます。このトンネルは短いです。



↑三滝駅前から川沿いに出て、ここから西広島駅まで歩きました。
 すぐそこに、可部線の鉄橋が見えています。



↑踏切。 車道ぶんの幅だけしかない、昔ながらの踏切道やね。
 子供時代(広島時代)、父が運転するクルマで、家族で買い物に出かける際、この道をよく通りました。この踏切を渡ったことも覚えています。
 当時は、今よりは可部線の運行本数が少なかったかもしれないけれど、踏切が鳴って遮断機が下りている場面に遭遇することもありました。
 うすいグリーン色(うぐいす色)の旧型国電が通り過ぎるのを見ました。それも覚えています。
 昭和50年代の前半です。当時の可部線って、ホンマに古めかしい電車だったなぁ。
 今から思うと、父のクルマで出かけていた買い物先っていうのは、いづみ(イズミ)の祇園店だったと思う。現在の「ゆめタウン祇園」やね。 



↑可部線の踏切を渡ると、続いて、鉄橋が見えてきます …っていうか、すでに見えています。
 山陽新幹線の高架橋と 山陽本線の鉄橋です。
 ちょうど、山陽本線のトラスを、ディーゼルカーがとろとろと渡っているところでした。回送列車だったのかな(?)



↑歩いていく方向を望む。 山陽新幹線と山陽本線が横切っています。
 この道路、昔は、土手から下って(=河原へ下りて)、山陽本線の鉄橋を〝くぐり抜けて〟いたと思うのですが、現在は陸橋で〝またぐ〟方式に改められています。
 でも、こういう形態に改修されてから、もう久しいです。
 私も大人になってから、すでに幾度か西広島界隈を訪れているので、ここの道路形状が変わったことは存じておりました。



↑陸橋の歩道から。
 山陽本線をまたぎながら、山陽新幹線をくぐる…、という、絶妙な設計が求められたであろう、立体交差です。



↑陸橋の上から、もういっぺん、歩いていく方向を望む。
 子供時代、父のクルマに乗せてもらってこの辺りまでやってきて、河原で凧揚げをして遊んだことを覚えています。
 ここの河原は遊び場でした。(ダンポポ思い出の宝箱) (←何やねん、それ)
 画面の前方に見える〝斜め〟に横切っていく橋! すごいなぁ。 私が広島に住んでいた当時は、この橋、まだ無かったです。



↑これが〝斜め〟に横切っていく高架橋。



↑山陽本線の線路も高々とまたぎ、その向こうで山にぶつかって、そのままトンネルにつながっていくという、〝わが道を突っ走る〟構造です。
 これは「広島高速4号線」という都市高速だそう。この道路も、開通してからすでに久しいですね。
 トンネルで山の向こう側の沼田というところまで通じています。新しい街づくりが行われて、そのあたりを西風新都って言うんやね。



↑土手より一段低い、線路沿いの道を歩いていきます。 線路は、山陽本線です。



↑この場所、いいねぇ  立ち止まって、次の電車が通りがかるのを 待ちたくなります。
 それと、豆知識ですが、画面左手の丘の上に、幼い日の私が通った幼稚園が今もあります。



↑電車、来たっ!  岩国ゆき普通電車が駆け抜けました。6両編成…、だった気がする。



↑さらに歩いていくと、こんどは上り列車が走ってきました。 (さっきの場所でデジカメ持って待機しておけばよかった
 白市ゆき普通電車でした。



↑この、陸橋入り口が、私が通った幼稚園へ通じる道です。
 園の送迎バスに乗って、毎日ここを行き来しました。くどいですが、40年前の話です



◎西広島駅の風景


↑JR西広島駅へ着きました。
 まっすぐ駅前へは行かず、ちょっと違う角度から、西広島駅を写してみました。(そんなに、角度は違わないと思うけど これはこれで…)
 ゆめマート、見えていますね。昔はイズミ己斐店。
 わが家が広島で暮らしていた時期に、イズミ己斐店はオープンしました。私も覚えています。
 新しいスーパーマーケットだったわけですが、お店の出入り口が〝自動扉〟になっていたことが 当時の私には珍しくて、珍しくて… 
 面白がって何回も出入りを繰り返し、母に叱られたという記憶もありますなぁ。



↑西広島駅そば(広島寄り)の踏切です。
 現在は自動踏切ですが、ここも当時は踏切係の職員さんによって遮断機の昇降がおこなわれる、手動式の踏切でした。



↑いよいよ、西広島駅の前まで歩いてきました。



↑決して、道路は広くないっていう…、この雰囲気が懐かしいです。



↑JR西広島駅の跨線橋。 
 この雰囲気、昔のままですね



↑駅のまん前にやってきました。



↑JR西広島駅前には『ズッコケ三人組』の像があります。
 どうしてここに、この像があるのか? については、後ろの説明板に書かれていますので、みなさん、また現地を訪ねて読んでみてください。
 (こらっ! ちゃんと説明しなさいよ!)
 ウィキペディア情報によると、「この石像のモーちゃんの腹に触ると恋が叶うという噂がある。」のだそう。
 モーちゃんっていうのは、画像の真ん中のキャラクター。 

「触ってきたん?」
「いや…  こんなおっさんが、ひとりでブツブツ言いながら触ってたら、アブナイやろ」
「ぶつぶつ言わんでええやろが…



↑JR駅前にある、駐車場・駐輪場の出入り口。
 駅に隣接しており、駐車場や駐輪場にはもってこいの場所です。
 当時、ここは、貨物を積んだトラックが出入りする場所だったと思う。〝日通〟か何かの、運送関係の営業所の敷地だった気がします。



↑バスのりば。



↑私が広島に居たころは「国鉄西広島駅」だったわけですが、この駅舎のたたずまいは、今も当時と変わっていない気がします。
 だからこそ、この駅は、いつ見ても懐かしい気持ちになります。
 私は大人になってからも幾度かここを訪れていますが、その印象は毎度変わりません。



↑さらに懐かしいのは、あの建物です。 ひろでんのビル! (ひろでん会館)



↑ちょっと駅前から離れて、この位置から眺めるのが、やっぱり一番いい感じ
 大きなビルが、ひろでん会館。交差点の路上にレールが見えていますが、ここを通って路面電車が発着しています(広電西広島駅)。
 そして、画面の右奥、バスの向こうに、さっき眺めたJR西広島駅が見えています。
 ひろでん会館もJR西広島駅も、建物が昔のままの姿なので、この場所から見える風景は私が子供時代に見たそれと、今もほぼ変わりません。
 大人になった今でも、西広島を訪れてこの場所に立つだけで容易に懐かしい気持ちに戻れるのは、風景が変わっていないからでしょうね。

そして、目の前を広電(路面電車)のレールが通り抜けるこの場所は、私の「鉄道ファン人生」の原点 始発駅なのです
ひろでん会館のすぐそばの〝線路わき〟に立って、目の前を走り抜けていく路面電車を眺めるのが、子供時代の私の 楽しみでした。
この私にしては珍しく自分からすすんで()、路面電車を眺めていましたから、すでに当時から鉄道に対する興味は持っていたんやね~。

ここが、鉄道ファンになるキッカケの場所だったと言ってよく、私にとっては「聖地」です。ダンポポ聖地、認定。(なんだそりゃ…)



↑広島電鉄(ひろでん)の電車。



↑もと京都市電の電車も、ここで元気に活躍しています。


ひろでんの電車画像を さらに何枚か写してきましたので、また後日に紹介いたします。
きょうのブログはここまで。


(つづく)



可部線 (三滝~可部) 〔28.5.31乗車〕

2016年06月16日 23時45分50秒 | 旅のあと
平成28年5月31日(火)。
日帰りで広島を訪ねて、可部線に乗ってきました。

以下、画像を貼っておきます。



↑5月31日の昼すぎ、広島駅へやって来ました  駅名標は、グリーン!?
 この日は早朝スタートではなく、京都10時27分発の「のぞみ15号」博多ゆきで出発して、広島へ12時08分に到着。
 一旦、広島駅改札口を出て、まずは腹ごしらえ。駅ビルASSE(アッセ)でお好み焼きを食べました。
 そして、新たに可部までのキップ(広島→可部320円)を買って、12時40分ごろ、可部ゆきが発車するホームへおりました。



↑JR広島駅の風景。 在来線ホームは高架ではなく、〝地べた〟にあります。
 今までにない目線ですが、見上げると、超高層ビル(マンション?)が複数建築中で、駅周辺の景観は大きく変化しつつあるようです。
 ホームに隣接している駅ビルの建物が、小さく見えるやん



↑広島駅ホームに忙しく出入りする列車たち。
 電車の世代交代が進み、115系や105系などに代わって新型227系がすでに多数派を占めているよう。
 山陽本線だけでなく、呉線直通の列車にも227系が充てられています。



↑可部線は、広島のふたつ先の横川(よこがわ)から可部までを結ぶ、14.0kmの線です。
 かつては、可部から先へさらに線路が続いていて、三段峡(さんだんきょう)までを結ぶ約60kmの線区でした。
 のちに可部~三段峡間は廃止となって消滅し、現在は、可部までの区間だけで電車運行が継続されています。

◇          ◇          ◇
 
私は、可部線の横川~三滝の一駅区間にだけ、昔に乗ったことがあります。
子供のころというか、幼いころです。幼稚園児だったころ。今から40年前ですわ。遠い昔だ!

そもそも、私は、幼少時代を広島市で過ごした者なのです。広島の頃の思い出話は、当ブログでもあまり書いていないけど。
当ブログ的には西宮時代(小学生時代)の思い出を綴った記事は幾つか投稿しておりますが、その前段に、広島での幼少時代があるのです

「じゃあ、あんたは広島で生まれたの?」
「いや、生まれたのは兵庫県。 高砂市っていうところ」
「あっ いつも お墓まいりに行ってるところやね。かつめしの一平さんに立ち寄るっていう…」
「さすが、相棒! 分かってるね
「高砂市で生まれてから、子供のころは、いろんな町で暮らしてきたわけやねぇ」
「高砂で約1年、広島で8年、西宮で4年、過ごしました。 これを合計すると、小学校卒業までの年数と一致するねん」
「広島の期間が、長かったんやな…」
「ただ、わしにとっては、小学2年生を終えるまでの8年間だったからな。 自身が幼すぎて、思い出の記憶が乏しいのが残念や…
「でも、その乏しい記憶のなかで、横川~三滝間に乗ったことは覚えていると…」
「そう、覚えてる。 ある日、祖父に連れられて外出(おでかけ)したときに、横川から三滝まで電車に乗った! 間違いない記憶です」

「じゃあ今回は、ホンマに、そのとき以来の40年ぶりに乗る可部線なんやね!」
「そうです! わしを連れて歩いてくれた祖父も、亡くなって久しい。 感慨深くもある、40年ぶりの可部線へ、いざ-

画像に戻ります。


↑広島12時48分発、可部ゆき普通電車。 227系の2両編成。
 私もこれに乗って、終点可部まで行きました。



↑広島を発車すると、次は新白島という新駅に止まって、それの次が、横川の駅です。
 昔は、広島の次が早速、横川だったものな。 街並みだけでなく、広島の鉄道風景も着実に変わっていきますね。
 横川の駅名標は、ノーマルなブルーやね。(なんで、広島駅のはグリーンなんやろ?)
 この駅から可部線がスタートします。



↑12時54分に横川を発車して、進行向きを北のほうへ変えながら、太田川放水路にかかる鉄橋を渡っていきます。
 次の三滝までのひと駅が、40年前に祖父と乗った思い出の区間です。



↑鉄橋自体はその後改修とかされているのかもしれないけれど、
 40年前、この鉄橋を渡る車窓から川面をじーっと眺めたことを、今でも覚えています。



↑鉄橋を渡り終えると さらにぐいっとカーブして、北向きに進路をとって三滝に着きました。横川から2分で到着。
 そして、ここで早くも対向列車と行き違いしました。(可部線は単線です)
 40年前の思い出に浸る旅路は、ここまで~
 この先、終点の可部までは未乗区間です。きょうは、ここからの区間を走破するために、広島へやって来ました



↑三滝を出ると、太田川(放水路)を見ながら、進みます。
 線路と道路が隣り同士でくっ付いて、並走します。道路を行くクルマとの、この距離感!



↑下祇園にて。


↑13時04分、古市橋(ふるいちばし)に着きました。
 駅の外側に立っている道路案内標識の、その支柱に、「安佐動物公園」(あさどうぶつこうえん)の方向を示す標識も付いていますね。
 安佐動物園、懐かしいなぁ 広島に住んでいたころ、幾度か行きました。
 幼稚園のときも小学校のときも、遠足で行った気がします。



↑古市橋では数分停車し、対向列車と行き違いしました。
 可部線の列車は、上り・下りとも、昼間は20分間隔で運転されています。
 すれ違う対向列車も、全部227系やね



↑大町13時08分着。
 カメラをむける方向(写す方向)を間違えた なんか、殺風景な一枚になってしまった。
 アストラムライン(広島高速交通)との乗換駅、大町です。
 前方の頭上を横切っている高架が、アストラムラインの線路というか通行路。



↑線路沿いぎりぎりに、マンションが建つ。



↑緑井(みどりい)13時10分に到着。



↑七軒茶屋(しちけんぢゃや)13時12分着。
 とにかく、駅間距離が短いです。発車したら、すぐに次の駅に着きますわ。
 そして、線路沿いぎりぎりにまで建て込んでいる住宅やマンションが、可部線の車窓風景の特徴ですね。





↑なお、可部線の沿線は、2年前(平成26年)の8月に発生した広島豪雨で、土石流などの大きな被害を受けた地域です。
 可部ゆきの進行方向左窓には、その山並みが続きます。



↑13時16分、梅林(ばいりん)に到着。
 ここでも対向列車と行き違い。





↑上八木(かみやぎ)を出ると、もう一度、太田川を渡りました。
 三滝からずうっと太田川の西岸を走ってきたけれど、ここで最後にもういっぺん鉄橋を渡って、太田川の東岸へ移るのです。





↑中島(なかしま)に停車中。





↑13時25分、終点の可部に着きました。 広島駅から所要37分。



↑可部駅、駅前のようす。



↑駅前、駐輪場のようす。



↑可部駅の東口側に歩み出てみました。
 おそらく、こちら側が、もともとの〝可部駅前〟の街並みなのでしょうね。



↑踏切ごしに、西の山々を眺める。
 山崩れの跡が、見えます。





↑可部駅の西口側(バスターミナル側)。
 いかにも、新しく整備しました~ という雰囲気の駅前空間です。
 駅前を通る国道54号も道幅が広いですね。 東口側とは、風景の趣が異なります。



↑もともと、可部駅構内の鉄道敷地だった領域を活用して、バス乗り場や駅前歩道が整備されたようです。
 しかし、駅前に止めてある自転車、多いなぁ





↑可部駅の周辺をぐるりと歩き回ったのち、再び駅ホームに戻りました。
 可部線はイコカが使えるので、折り返しはキップを買わずに、改札機にイコカ・タッチ
 2番線で発車を待っているのは、さきほど乗ってきたのと同一の車両。 私が戻るのを待っているかのように、じっと2番線に停留しています。



↑線路を隔てて向かい側には、新しいホームが整備されつつあります。



↑路線延伸に向けての工事が行われていました。
 可部から先への線路は廃止されたのですが、地元の強い要望もあって、可部駅から1.6kmほどの区間が〝線路復活〟することになりました。
 計画ではありますが、来年(平成29年)の春に、可部駅から先へ、可部線はちょっとだけ営業区間が伸びます。(予定)



↑線路が伸びたら、またそのときに、〝可部線乗り直し〟にやって来ますわ
 また広島を訪ねる理由ができるから、いいじゃないか。



↑ホームの駅名標。
 駅名標(プレート)の右上のところに「広」のマークが書かれていますね。 「広島市内の駅です」という意味です。
 わし、さっき、広島駅で改札口を出ておこのみ焼きを食べたから、可部線のきっぷを買い直したけれど、そういう途中下車をカットしたならば、
 京都で買った「京都市内→広島市内」の乗車券で、そのまま可部駅まで乗ってくることができたわけやね。



↑車内の広告。 赤ヘルきっぷ  広島やなぁ~



↑可部13時48分発の広島ゆきに乗って、引き返しました。
 これは、発車待ちの車内から撮影した一枚です。
 ホーム向かいに13時45分 可部終着の電車が入ってきました。この電車の到着を受けて、私が乗った広島ゆきもいよいよ発車です。

 終点の可部駅に着いた電車が3分程度ですぐに折り返す(クイックターン)のではなく、可部駅には常に1編成、電車が停留しているんやね。
 来年(予定)に路線延伸が実現したあとのダイヤを、すでに見越している感じがする。さすがや



↑また各駅に停車しながら、可部線をバックしてきました。







↑下祇園にて。
 駅に隣接した広い広い土地が、工事中でした。



↑下祇園にて。
 駅のそばだし、マンションとか住宅地が造られるのかなぁ。
 このコンクリート壁、なかなか年季が入っている気がします。ひょっとして、ここ…、工場の跡地だったのかな(?)
 再開発事業というやつですね、きっと。

◇          ◇          ◇

このあと私は、もう一度 40年前の思い出をたどりたかった …っていうか、そのまま広島駅まで戻ってしまうのは物足りない気もしたので、
三滝駅で電車を降りました。
そして、三滝から西広島まで、太田川を眺めながらテクテクと歩いてみました。
西広島界隈は、私にはとても懐かしい地域なのです。子供時代の記憶は乏しいけれど、その〝空気〟が懐かしい!(なんだそりゃ)

引き続いて画像も写してきましたので、西広島の巻、また次のブログ投稿でご報告します。

(つづく)



羽越本線を 普通列車で行く

2016年06月13日 22時56分40秒 | 旅のあと
5月27日(金)の話。 続きです。

陸羽東線から陸羽西線へと乗り継いで、ちょうどお昼12時ごろに余目駅へ着きました。
余目では20分ほどの乗り換え待ちがあって、12時26分発の鶴岡ゆき普通列車(羽越本線、上り)に乗りました。
ここからは、新潟方面へ向けて羽越本線を上っていきます。
なお、羽越本線には以前に乗ったことがあるので、ここは未乗線区ではありません。



↑余目から鶴岡までは駅数も少なく、15分ほどですぐに到着しました。(鶴岡12時42分着)
 鶴岡で後続の列車に乗り継ぐのだけれど、次の列車は13時25分発なので、乗り換え待ちが約40分あります。
 ちょうど昼時ですから、この40分で昼ごはんを済ませました。
 駅前(駅の建物と一体化したようなお店)の「日本海庄や」で、海鮮丼いただきました 琥珀色も少々…



↑鶴岡駅。





↑再掲画像。ハチ公像の試作品が、駅建物のなか(改札口のまえ)に展示されていました。



↑鶴岡駅ホームにて。
 ここ羽越本線を走る特急列車「いなほ号」が描かれたパネル。記念撮影用ですな。
 常磐線の特急「フレッシュひたち」として活躍したE653系電車が、今では、羽越本線の特急「いなほ」に使われているのです。



↑「山形日和。」というフレーズと、このキャラクターを、あちこちで目にした気がします
 このキャラクターは、「きてけろくん」という名前だそうです。
 顔が歩いているような…、独特のデザインです。アンクル○リスとは、またちょっと違う感じ(?)
 きてけろくんの、この〝横顔〟は、地図上でいう山形県のカタチを表しているのだとか。(確かに、山形県って、人の顔の形に似てるかも



↑鶴岡駅にて。 この車両は、さっき、余目から鶴岡まで乗ってきたやつ。


◇          ◇          ◇

昼ごはんを済ませた私は鶴岡駅へ戻り、13時25分発の村上ゆき普通列車に乗りました。終点の村上まで、これで行きます。
鶴岡から先、特急「いなほ」で新潟まで突っ走るのも良かったんだけど、実は、お昼のこの時間帯、鶴岡には「いなほ」が来ないっていう…
「いなほ」の運転間隔が、間延びしているんやね。
仕方がないので、普通列車で移動します



↑再掲画像。 鶴岡から村上へ向かう車内にて。
 鶴岡で乗り込む際に、車両外観を写せなかったんだけど、この車両は「キハ48」です。





↑ちらっと、海が見えてきました。
 羽越本線は、海沿いを行きますから、飽きるぐらいに海を眺められます



↑駅間を走行中に、車掌が巡回してきて、検札がありました。
 普通列車で車内検札って、久しぶりに遭遇しましたわ 券面には、酒田運輸区のハンコが押されました。









↑あつみ温泉にて。
 対向列車の特急「いなほ5号」(秋田ゆき)とすれ違い。
 


↑すれ違っていく「いなほ号」の車体に、これまた何やらキャラクターが描かれていましたので、大急ぎで一枚〝カシャッ〟と。
 「村上市 サケリン」…って書いてあるみたいやね。
 沿線の都市・村上市のキャラクターですね。
 ホームページ情報によると、『名産の「鮭とお酒」、「人情(なさけ)」の「サケ」から愛称的に命名しました。』とのこと。



↑鼠ヶ関(ねずがせき)。
 ここが、山形県最後の駅です。





↑ずうっと海を眺めながら、走り続けます。 
 天気はすっかり回復し、雨の心配は無くなりました。むしろ、ちょっと、まぶしいな



↑府屋(ふや)。 山形県に別れをつげて、ここからは新潟県です。





↑あまりにもまぶしいので、座り直して、進行方向の逆(後方)を向いて写してみました。
 「海を眺めるぶんには、こっち向きでも一緒やろ…」と思って。









↑この列車も2両編成でした。
 乗客はそんなに多くなくて、鶴岡で乗り込んだときからずうっとこんな感じの車内でした。


↑国鉄型の座席は、懐かしさもあって、やっぱりいいものやねぇ



↑所定より3分ほど遅れて、15時03分に村上へ着きました。
 途中駅で貨物列車の通過待ちをしたのだけれど、その貨物列車が数分遅れていたもので。



↑遅ればせながら、車両外観です。キハ48形。 国鉄型ディーゼルカー、久しぶりに乗れて良かったですわ
 塗装のデザインは「新潟色」と呼ばれるご当地カラーです。
 羽越本線は電化路線ですが、村上~酒田間を走る普通列車は、ディーゼルカーで運行されることになっているようです。
 直流電化と交流電化の切り替え点(デッドセクション)があるから、でしょうね。
 ※特急「いなほ号」の車両(E653系電車)は、直流・交流の両方を走れる構造です。






↑のりかえ。 次の列車は、村上15時15分発・新潟ゆき普通電車。 キハ48形からはガラッと雰囲気が変わって、今風の電車です。
 村上から先、新発田・新津(新潟)方面の羽越本線は直流電化なので、この区間には直流電車が配備されているのです。
 この車両は、E129系(直流電車)という形式、やね。最近だんだん車両形式を覚えきれなくなってきた、私です
 画像をよく見ると、編成番号が「A30」と出ています。あとから思えば、わし、このシリーズの最新型車両に乗ってきたことになるんやね。



↑E129系、車内。



↑この大きさの画像では読めませんけれど、形式番号のステッカーには「平成28年」とあります。製造年です。
 今年造られた(登場した)車両っていうことです。



↑できたてほやほやの新型車や  とにかく、きれいな車内でした。



↑村上を15時15分に発車して、各駅に停車しながら進みます。
 新発田からは白新線(はくしんせん)に入って、新潟へは16時24分着です。(結局、特急「いなほ」を使わずに新潟まで行ってしまった)

新潟から先は、上越新幹線で東京へ向かい、東京から東海道新幹線で京都へ帰る-、という形で今回の旅はめでたく締めくくられるのです。
で…、実は、上越新幹線の新潟~越後湯沢間が未乗区間だったものですから、今回はそれにも乗ってしまえるチャンス!でありました。



↑けれど、今回のブログでの報告は、そろそろお別れの時間のようだ
 実は、このE129系電車に揺られるうちに、デジカメのバッテリー(充電)が残量ゼロになってしまいました。
 これ以上、写すことができなくなってしまった なので、これ以上の画像はありません
 この日、朝、古川のルートインを出てから、ここまで、約300枚写しました。
 けっこう写したのは確かだけれど、以前はバッテリーも耐えていたんだけどな。バッテリー古くなったのかなぁ。



↑…というわけで、〝締め〟がイマイチですけれども、これにて東北旅行のまとめ終了といたします。
 画像はありませんけれども、新潟駅から上越新幹線に乗って帰りましたので、上越新幹線も「乗車済み」として集計に反映したいと思います。
 それでは、ばいばい


(おわり)



陸羽東線 ・ 陸羽西線

2016年06月12日 18時26分10秒 | 旅のあと
平成28年5月27日(金)の、画像まとめです。

東北(宮城県)から京都へ帰ってきた日です。
宮城から山形・新潟へぐるっと迂回して、乗りテツしながら京都へ帰ってきました



↑当日使用したきっぷ。前日(26日)に、小牛田駅で買っておいたもの。
 小牛田から陸羽東線→陸羽西線を進んで余目、羽越本線で日本海沿いに新潟方面へ、新潟駅から新幹線(東京経由)で京都まで、というコース。




↑5月27日の朝。
 宮城県大崎市のJR古川駅前「ホテルルートイン」10階客室から、おはようございます。 あいにくのお天気やね
 画像の正面に見えているのがJR古川駅です。



↑朝食バイキングをしっかりいただいて、準備万端
 8時15分ごろホテルを出発して、古川駅へ向かいました。



↑古川駅前。 ここは、東北新幹線と陸羽東線(りくう とうせん)の乗換駅です。



↑まずはイコカで改札口を通り、ホームに降りて、きょう1本目の列車に乗り込みます。
 古川8時32分発、陸羽東線上り列車、小牛田(こごた)ゆきです。
 「わざわざ、小牛田まで〝バック〟するのか!? (うすうす感じては いたんだけど…)」
 と気になっていた方もおられるでしょうけれど()、まず、きのう乗ってきた区間をバックして、いったん小牛田へ向かいます。
 小牛田で折り返し発車する段からを〝正式スタート〟として、陸羽東線を新庄方面へ向かうことにします。



↑8時45分ごろに小牛田(こごた)へ着きました。
 イコカの使用はここまでで、いったん改札口から退場して、きのう夕刻に降り立った駅前へ再び出てみました。
 曇り空と濡れた路面を見ると気分は憂鬱ですが、この時刻、小牛田駅前の雨はほとんど止んでいました。



↑記事冒頭で紹介した「小牛田→京都市内」の乗車券で改札口を入り、京都へ向けての乗り継ぎが始まりました。わくわくしますわ
 小牛田駅の跨線橋を、陸羽東線が発車する1番線ホームへ向かいます。




◎参考◎ 小牛田駅について
宮脇俊三著『終着駅へ行ってきます』の中から、「女川(石巻線)」の章より、引用します。

東北本線小牛田駅は、いかにも鉄道の停車場といった風格のある駅だ。
ここで陸羽東線に乗りかえれば鳴子をへて山形県の新庄に達し、東へ向う石巻線に乗れば石巻から女川へと至る。鉄道の十字路、交通の要衝なのである。構内は広く、機関車や転車台の跡があり、長いホームの屋根や跨線橋は煤けて、蒸気機関車時代の面影をとどめている。蒸機のいないのが不自然なような駅である。
交通の要衝ではあっても、小牛田の町は小さい。一般に幹線の主要駅は、はじめは野っ原であっても、しだいに駅を中心に町が形成されて発達するのが明治いらいの人文地理の法則である。けれども、小牛田の場合は、さして発展しないまま今日に至っている。要するに、駅にくらべて町が小さいのだ。
そのためか、東北新幹線は小牛田を見離した。小牛田の西方約九キロ地点にある古川市に新幹線の駅がつくられた。
古川は陸羽街道(国道4号線)の宿場町であり、「ササニシキ」の中心都市であり、古川経由のほうが東北新幹線の経路が若干短縮されるので、この処置に異存はないけれど、明治二三年の日本鉄道(東北本線の前身)の開通いらい九〇余年にわたって煤けながら頑張ってきた小牛田の心中を察すると同情を禁じえない。

引用おわり。

※原文のまま記載。
 宮脇俊三がこれを記したのは、東北新幹線開業直前の昭和57年(1982年)春ごろだったと思われる。

◇          ◇          ◇          ◇          ◇

陸羽東線 (りくうとうせん)




↑小牛田駅1番線、陸羽東線の新庄ゆき。キハ111形+キハ112形の2両編成、という表現でいいのかな。キハ100系シリーズですね。
 先頭車両の運転席の窓下には、葉っぱのようなイラスト。「奥の細道」という文字も見えます。



↑小牛田9時06分発の、新庄ゆきです。
 昨晩を古川駅前で泊まっておいて、今朝再び小牛田まで来たのは、この列車が混雑したらどうしようかと不安に思ったからです。
 古川の駅からこの列車に乗り込んだ場合に、すでに車内が満席だったら嫌だな~って思ったものですから。
 確実に座席を確保するために、始発駅の小牛田まで出向いた-、というのが本当の理由です。
 そういうシナリオを前提に、きのう、この駅で乗車券を買っておいたのです。

「だったら…、ゆうべは小牛田に泊まれば良かったんじゃないの?」
「いや…、宿泊に関しては、ルートイン(ホテル)に泊まりたかったので
「あっそうか ルートインが気に入ってるって書いてたな。それで古川だったのか。しかし、ルートインに何があるんや、いったい」
「お風呂やねん。ルートインには大浴場があって(←決して広くはないけど)、足を伸ばして風呂に入ることができる。それがいいねん



↑が…、通勤通学の人波が過ぎたこの時間帯、陸羽東線の乗客はそんなに多くなく、小牛田の発車時刻が近づいても車内はガラガラでした。
 「この様子なら、古川から乗っても全然大丈夫だったな」 と思ったりしたけれど、それは結果論。
 車両の出入口のところにも〝葉っぱ〟のイラストですね。
 「ゆ、け、む、り、ライン か…」と、思わずつぶやきながら読んでみた私です。
 陸羽東線の愛称名は<奥の細道 ゆけむりライン>というそう。確かに、この線には〝温泉〟が付く駅名が多いです。



↑まもなく発車です。



↑小牛田を定刻9時06分に発車。
 ホームを離れるとすぐに、石巻線のレールが右手のほうへ遠のいていきました。



↑続いて、わが陸羽東線も ぐいっと左へ首を振り、東北本線に別れを告げました。
 小牛田から新庄まで94.1kmの道のり、陸羽東線の旅が始まりました。列車は、新庄まで各駅に停車します。



↑小牛田から約10分で、古川へ戻ってきました~
 画面、左右に横たわっているのが東北新幹線の古川駅。
 陸羽東線は新幹線の下をくぐり抜ける格好です。双方の線路が十字型の立体交差になっている、乗換駅です。



↑駅ホームからも、ルートインが見えました。
 ここから陸羽東線は〝大崎市〟の市域に入ります。
 古川駅から先、新庄方面へは、宮城県内最後の駅・中山平温泉まで、ずうっと大崎市内を走ります。大崎市って、広いんやね。



↑古川を発車したところ。
 貨物駅もくっ付いているのですね。 新幹線が通る以前から、この駅も物流拠点のひとつだったんやね。







↑古川を出ると、塚目(つかめ)、西古川(にしふるかわ)、そして、東大崎の順です。ちなみに、この次の駅は西大崎(にしおおさき)。
 ようやく、「大崎」という言葉が駅名にも出てきたね。この付近が、大崎という地名の起源になる場所なのかな?
 市町合併により、現在この地域は広い範囲にわたって「大崎市」という区分でまとまっているようです。
 私みたいな他所の者には、大崎市という市名がどうもピンとこない …っていうのが正直なところ。
 「宮城県大崎市って、どのへんなん?」って、思っていました。
 これを機に、大崎市の名前を覚えておこうと思います







↑岩出山にて。
 鉄道資料館…? 気になる施設やな。またの機会に訪ねましょう。(←いつだよ



↑乗客は多くないうえに2両編成とあって、車内は空席多数でノンビリなムードでした。





↑有備館(ゆうびかん)にて。



↑自然情緒あふれる風景の中を走ります。



↑とにかく、車窓には田んぼがたくさん見えました。
 田植えが済んでまだ日が浅いようで、水面(水田)に周囲の風景が映り込む様子も 随所で見られました。
 私は、こういう風景が大好きです。地元の京都南部でも見られるけれどね。





↑池月(いけづき)にて。
 この線区、プラットホームに植え込みがある駅が多かったように思います。





↑川渡温泉(かわたびおんせん)にて。





↑走るにつれて谷が狭まってくる印象というか、車窓の景色がだんだん山がちになってきました。
 列車も、登り勾配にさしかかったようです。
 新世代のディーゼルカーなので、エンジン出力には余裕があり 坂道をパワフルに登っていきます





↑鳴子御殿湯(なるこごてんゆ)にて。



↑線路は山肌に張り付いているようで、一段高い目線で町並みを眺めながら列車は走ります。



↑ちょうど10時を回ったころ、鳴子温泉(なるこおんせん)に到着しました。小牛田からここまで、ほぼ1時間。
 温泉地として有名な鳴子です。伝統こけしの産地としてもよく知られていますね。
 陸羽東線にとっても、ここは主要駅であり、この駅が始発・終着となる列車も少なくありません。

 私が乗っているこの列車、ここまで途中駅での乗降が乏しかったですが、鳴子温泉駅からは新たに5~6人が乗ってこられました。
 この列車の状況からすれば〝大量乗車〟と言って良いです。
 乗ってこられたのはご年配の方が多かったです。服装や手荷物の印象から、観光旅行客に間違いなし! 温泉地だものな





↑前方の山々が 車窓に押し迫ってくる感じがあって、「こりゃぁ、トンネルがくるぞ」という予感がしました。
 カメラを構えてじぃーっと待って、トンネル入口の瞬間に〝カシャッ〟と。
 いいタイミングで写せたと思う





↑1両目も2両目も、相変わらず空いています。
 さきほど鳴子温泉から乗ってきた乗客たちも、みんなボックス席を確保して座っていました。



↑中山平温泉(なかやまだいらおんせん)に着くところ。
 道路と駅前広場と線路敷との〝仕切り〟が無いように見えますね。この光景、思わず1枚写してしまった。
 画面中央に小さく写っていますが、蒸気機関車が保存してありました。野ざらしで、けっこう退色しているようでしたけれども。
 ここが宮城県最後の駅です。そして、古川からここまでがずうっと大崎市でした。大崎市、ホンマに広いわ





↑山あいを駆け抜けています。
 先ほどまで車窓の大部分を占めていた「水田の風景」が、ちょっと控えめになりましたね 



↑堺田(さかいだ)にて。 宮城県に別れを告げて、この駅から山形県に入りました。
 「山形日和。」というステッカーが貼ってありますね。



↑県境を越えた列車は、こんどは下り勾配を駆けおりていきます。





↑最上(もがみ)にて。 山形県最上町(もがみまち)という町。周囲を山々に囲まれたのどかな土地みたいです。
 ここで、対向の小牛田ゆき列車と行き違い。



↑車窓風景に田んぼが復活!したけれど、行く手には また山が迫ってきました。
 地図を見ると、最上町から先へ、もうひとつ山を越えたら新庄にたどり着くようです。
 田んぼが多いとはいうものの、決して広大な平坦地というわけではないのです。陸羽東線の車窓は、けっこう山がちな印象です。



↑鵜杉(うすぎ)にて。なんか、変わった駅名だなぁと思いました。
 




↑南新庄にて。次が、終着の新庄です。





↑山形新幹線の車両を横目に見ながら、新庄駅のホームに滑り込んでいきます。



↑11時10分、終点の新庄に到着。
 小牛田から2時間ちょっとの長旅でした。
 キハ111形+112形、お疲れさまー。乗客は少なめだったけれど、快適な列車旅でした。



陸羽西線 (りくうさいせん)


↑新庄で乗り換えて、途中下車など休憩は一切無しで()、陸羽西線に進みます。
 陸羽西線は、新庄から余目までを結ぶ43.0kmの線です。陸羽東線よりはうんと距離が短いです。
 最上川(もがみがわ)に沿って走り、日本海側の庄内平野へ至る路線です。
 『おしん』の少女時代の物語の舞台が、この地域でしたね。



↑新庄にて。
 山形新幹線E3系電車。 いつのまにか、山形新幹線(車体)はこんな色に変わったんやね。
 この画像、同じ車両がふたつ並んでいるように見えますが、よく見たらテールライト(赤灯)のポジションが違うでしょう?
 左の車両がE3系2000番台、右の車両がE3系1000番台、です。(細かいわ
 


↑新庄にて。
 左が、今から私が乗り継ぐ陸羽西線の列車。 右は、奥羽本線(横手・大曲方面)の秋田ゆき普通電車701系。
 新庄駅は、各方面からの線路が集まる交通の要衝です。





↑新庄での乗り継ぎ時間は5分。 新庄11時15分発、陸羽西線回り酒田ゆき。
 これもキハ111形+キハ112形の2両編成でした。 ただし、車体塗装はノーマル。





↑ホームをうろうろして写真撮っていたので、列車に乗り込んだらロングシートしか空いていなかった
 まあ、いいや



↑定刻に新庄を発車して、陸羽西線の旅がスタート。
 しばらく奥羽本線のレールと横並びで進んで、おもむろに左へ首を振りました。ぐいぐい、左へカーブしていきます。
 奥羽本線、ばいばいき~ん



↑ここでも、窓の外には田んぼが広がります。
 田んぼの1枚1枚も、京都南部のそれよりは はるかに広い(大きい)ように見えます。間違いなく、田んぼがデカい。









↑羽前前波。
 駅名標越しに見える風景も、田んぼです。









↑写すタイミングが遅れましたけれども、前方に鉄橋が見えてきたので、撮ってみました。
 青い鉄橋、みえますか。



↑その鉄橋を渡っています。 これが、最上川。
 いよいよ、最上川が姿を見せてくれました





↑古口(ふるくち)にて。
 名所案内に「最上峡」の文字が見えます。舟下り観光はこの駅で下車するのが便利ということかな。



↑古口では、まとまった下車がありました。
 地元の方たちとともに、旅行カバンらしき大きな荷物を手にした方々も何人か降りていきました。
 だからと言って、即、舟下りの観光客だと決めつけるわけにもいかないけれど…



↑車窓に、最上川が見えています。
 周囲の山々が次第に川沿いに迫ってきました。





↑最上川の流れは、いたって穏やかです。(穏やかに見えます)



↑こういう風景も〝峡谷〟のうちに入るのかもしれないけれど、断崖・激流みたいな 急峻な印象はまったくありません。
 しばらく、ぼんやり眺めていたいような、そんな車窓風景です



↑…と思ったら、トンネルに入ってしまったり
 「つれないなぁ」







↑遠目ですが、川面に何か浮かんでいますね
 あれが、舟下りか。きっと、そうやわ。



↑やがて、車窓から山々が遠ざかっていきました。
 最上川も、向こうのほうへ離れていきました。
 山あいの区間を抜けて、庄内平野へ出てきたのです。





↑今朝はイマイチな天気でしたが、だんだん回復しているようで、時折、日差しも出てきました。



↑南野(みなみの)にて。 次が、余目です。





↑電化の羽越本線のレールが見えてきました。
 陸羽西線は、そこへぐぐーっと寄せていく感じで接近し、余目に到着しました。



↑余目に到着。 ちょうどお昼、12時02分に到着。確か、定刻着だったと思います。
 ここで下車したのは、私と、ほかに1人だけでした。
 列車は羽越本線直通の酒田ゆきです。ほとんどの乗客は酒田まで乗っていくみたいやね。



↑余目にて。
 隣りに見えている列車は、ここで行き違う、陸羽西線上り・新庄ゆき。



↑乗ってきた列車が、酒田へ向けて出ていきます。 一応、見送る私。
 陸羽西線も無事に乗ることができました。ありがとう~


(つづく)



◎おまけ◎ 余目駅のようす










↑ホームの柱に、「おくりびと ロケ地」というプレートが付いていますね。
 映画『おくりびと』のなかで、広末涼子さんが出てくるシーンのひとつが、この駅のホームで撮影されたそう。



仙石線 (仙台~あおば通)

2016年06月06日 22時36分40秒 | 旅のあと


去る5月25日~26日の二日間、青年部会の研修旅行で宮城県南三陸町を訪ねてきました。
以前にボラ活動で訪れたことがある南三陸へ、再びお邪魔してみよう、という研修行事(旅行)でした。
参加された皆様、お疲れさまでした。お世話になりました。m(__)m

なお、当ブログの性格上(?)、その研修旅行の内容(行動)についての記述は、カッツ・アイ 

というわけで…、以下、5月26日の夕方に仙台空港で〝一同解散〟して以降の、私個人の行動についてまとめておきます。
要するに、いつもの〝テツ日記〟と同じですわ。 (それが『ダンポポの種』というブログだ

◇          ◇          ◇

平成28年5月26日(木)、午後4時すぎ。
仙台空港ロビーで一同解散となりました。
伊丹ゆきの搭乗手続きへ向かおうとする仲間たちを見送り、その輪から離脱した私は、空港に隣接する電車のりば(仙台空港駅)へ進みました。
二年前に北海道を訪ねたときと同じで、今回も私は「現地まで往復JR利用」の道を選び、飛行機には乗りませんっ!

午後4時過ぎだし、今から仙台駅へ出て、東北新幹線で東京へ向かい、東海道新幹線に乗り継げば、京都へは今日じゅうに悠々到達できます。
が…、私は旅行日程を1日余計に確保しており、今夜も宮城県内で一泊する予定です。
明日JRを乗り継いで京都へ帰ります。すみませんね、自分勝手なことをして
今夜の宿泊は、仙台駅から新幹線で北へひと駅、古川駅のそばにある「ホテルルートイン古川駅前」です。ネットで予約済。
一人で泊まるときは、なんとなく「ホテルルートイン」が気に入っているということもあり、そこにルートインがあるならば泊まっていくか、という思いも。

道路事情など、当日の状況によっては仙台空港での解散時刻がずれ込む可能性も想定していたけれど、実際には遅延なく、予定通りの解散となりました。

夕方4時すぎということで、まだ日没まで時間があります。
急がなくても、仙台から古川への移動は在来線利用で十分行けそうです。
それでもまだ時間がありそうなので、私は仙台駅で乗り換えて、あおば通までの一駅区間だけ仙石線に乗ってきました。





↑仙台駅地下ホーム。仙石線のりば。



↑仙台の次駅が、あおば通。あおば通が、仙石線の終着。
 駅間距離は大変短くて、仙台~あおば通は0.5km。



↑仙台駅の仙石線ホームの柱に大きく書かれている注意事項。



↑あおば通ゆきの電車が入ってきました。
 仙台を発車すると、地下区間をゴーッと走って、あっというまに終着・あおば通に着きました。



↑これは、あおば通駅。
 夕方5時になろうとする頃でしたが、この時点では、まだ、あおば通駅の整列乗車はシビアな状況ではありませんでした。
 このあと5時を過ぎたら、どどどっ!と混雑してくるのかも。





↑あおば通駅の改札口。
 第一印象というか、パッと見、分かりやすくて使いやすそうな改札口ですね。
 頭上には「地下鉄」のサインも見えますが、これは別の案内であり、この駅(改札)はJR線のものです。





↑地上の出入り口。


仙台~あおば通の一駅区間だけ乗ってみたことに、何の意味があったのか? と問われたら返事に困るねんけれど。
仙台の街の雰囲気を、ちょっとだけ感じることができました。
ちなみに私は、仙石線には乗ったことがないのです。
いま、仙台~あおば通間だけ乗ったけれど、仙台~石巻間は未乗のまま残して、きょうは仙台を去ります





↑あおば通駅から仙台駅まで、ぷらぷらと歩いて戻りました。





↑仙台駅へ戻った私は、それ以上の寄り道はせず、小牛田までのきっぷを買って、東北本線の普通電車に乗りました。



↑小牛田でいったん下車。仙台からのきっぷ、回収。
 乗り換え待ちのひとときを使い、窓口で明日使うきっぷ(小牛田から京都までの乗車券)を買っておきました。
 明日の朝に買ってもいいんだけど、朝は何かと慌ただしいからな…。
 購入した「京都までの乗車券」は大事に財布に仕舞っておいて、ここからはイコカで改札を入って、陸羽東線で古川まで移動しました。

 よる7時すぎに古川駅に到着。
 ホテルルートイン、駅前から見えていました。駅から歩いて5分かからないぐらいでした。


(つづく)



箱根・鎌倉の旅、画像まとめ

2016年03月13日 18時43分20秒 | 旅のあと

去る3月3日~4日に、青年部会のみなさんと箱根・鎌倉方面へ旅行してきました。
今回は、JR新幹線・在来線、箱根登山鉄道・江ノ島電鉄・一般路線バスなど、公共交通を利用しての旅行でした。
マイカーやレンタカー、貸し切りバスの使用は無く、内容的には〝テツ好み〟な旅でした

私のことですから、電車や駅の写真しか撮っていませんが… 以下、旅行中に記録してきた画像を貼っておきます。
画像はすべて、3月3日または4日に写したものです。


箱根 (旅行1日目)


↑箱根湯本駅にて。
 旅行1日目(3月3日)は、朝8時半に京都駅を発ち、新幹線「ひかり号」で小田原まで行って、箱根登山鉄道に乗り換えました。
 小田原から乗った電車は箱根湯本止まり。この駅から先、強羅へ向けて本格的な登山電車の道のりが始まります。
 私が箱根登山鉄道に乗るのは、機会としてはこれが2度目。前回の乗車は20年ぐらい前のことなので、かなり久しぶり



↑箱根湯本にて。 箱根登山鉄道のモハ2形・110号車。
 古めかしい印象の車両ですが、外観を眺めるぶんには、これが一番落ち着く塗装色のように思います。
 今回の旅行では、1日目の午後、箱根エリア観光のひとときに、彫刻の森→強羅にて(1駅区間のみ)この電車に乗りました。



↑箱根湯本にて。 箱根登山鉄道2000系「サン・モリッツ号」車両。3両編成です。
 同鉄道と姉妹鉄道提携を結んでいる、スイス・レーティッシュ鉄道の「氷河急行」にちなんだ塗装色なのだそう。
 今回の旅行では、2日目の朝(復路・下山するとき)に、強羅→箱根湯本にてこの電車に乗りました。



↑箱根湯本にて。 箱根登山鉄道3000形「アレグラ号」車両。
 2014年にデビューしたばかりという、箱根登山鉄道の最新鋭モデルです。窓がめっちゃ大きかったですわ。
 この形式は2両しか在籍していないようで、短い〝2両編成〟での運行でした。私たちが乗った時は乗客が多く、車内が混雑しました。
 今回の旅行では、1日目(往路)に、箱根湯本→強羅にてこの電車に乗りました。



↑箱根湯本駅の構内にある「箱根カフェ」にて。



↑「箱根カフェ」からの眺め。 店内の窓から、眼下にプラットホームの様子がちょこっと見えます。
 小田急の特急ロマンスカー(7000形<LSE>)「はこね号」(新宿ゆき)が、発車の時を待っています。
 ※LSE(エルエスイー)…Luxury Super Express [ラグジュアリー スーパー エクスプレス]のこと。



↑箱根湯本にて。 これも小田急の特急ロマンスカー。
 新宿から走ってきた、30000形<EXE>(エクセ)による「はこね号」が箱根湯本終点に到着するところです。
 ※EXE(エクセ)…Excellent Express [エクセレント エクスプレス]のこと。



↑小田原~箱根湯本間の各停電車。
 赤色デザインの車体ですが、車両自体は小田急の1000系電車。



↑ホームは 上屋根にすっぽり覆われている箱根湯本駅です。
 〝アーチ型〟のデザインは、この駅の特徴やね。



↑登山電車の終点、強羅(ごうら)駅。



↑強羅駅そばの踏切にて。
 折り返して、箱根湯本へと〝下山〟していくアレグラ号を一枚カシャッと


私たちは、強羅の旅館で一泊お世話になりました。
1日目の昼ごろに強羅へ着いた私たちは、旅館に荷物(大きいカバン)を預けて身軽になり、午後は箱根見物を楽しみました。



↑強羅から〝さらに上へ〟と、早雲山駅まで登っていくケーブルカー。私たちも乗り込んで、〝上〟を目指しました。
 2両連結タイプのケーブルカーでした。


ケーブルカーの終点・早雲山駅から先は、箱根ロープウェイに乗り継いで〝もっと上へ〟行ける… はずだったんだけど、
只今、箱根山の噴火警戒の面から大涌谷付近への立ち入りが制限されているとのことで、ロープウェイは一部区間が運休中~

今回は、その区間は迂回路経由の代行バスに乗って移動しました。
もっとも、箱根ロープウェイの大涌谷付近は、眼下の地面から相当な高さ(高度)のところを行くらしいので、超高所があまり好きではない私には…、
代行バスで良かったかも



↑箱根ロープウェイの姥子駅(うばこ駅)そばで撮影。
 姥子から桃源台まで、1駅区間だけロープウェイが運行されていましたので、乗りました。
 この画像は、絡み合った木の枝の向こうに青い空と、白い雲…じゃなくて、白く見えているのは、これ、富士山なんです。



↑マウント・フジサン。
 ほんまにきれいに見えました。これを見ただけでも、値打ちがあった



↑姥子から桃源台へ、ロープウェイのひととき。
 芦ノ湖が見えてきました。





↑桃源台でロープウェイを降りて、そこからは芦ノ湖の遊覧船に乗りました。
 いろんな乗り物がリンクして、箱根全体で周遊コースみたいになっているんやね。



↑箱根町で遊覧船を降りて、遅めの昼食タイム。 さらに、土産店や周辺の散策など。
 「関所」の見学は、外から眺めただけ~。



↑箱根町から路線バスで小涌谷駅まで移動し、小涌谷から登山電車で強羅へ戻りました。
 小涌谷にて、箱根登山鉄道1000形「ベルニナ号」車両。



江ノ島・鎌倉 (旅行2日目)


↑2日目(3月4日)は、朝9時に強羅を発ち、箱根登山鉄道で小田原、JR東海道線で藤沢、そこから江ノ電に乗り換えて移動しました。
 電車に乗りまくり な旅です。
 昼ごろに江ノ島付近に到着し、新鮮なお魚にて昼ごはんをいただきました。
 今回、江ノ島は遠くに眺めただけで、現地までは行っていません。



↑通りの向こうにちらっと見える、江ノ電の電車。腰越付近にて。
 江ノ電の正式な名前は「江ノ島電鉄」。



↑2000形電車。



↑鎌倉高校前(駅)のそば。 道路を隔てて目の前は海
 テレビドラマとかで、しばしば出てくる駅やね。



↑20形電車。
 江ノ島をバックにして電車が走ってくる、こういう写真! 鉄道雑誌とかでもよく見たことがありますわ。
 実際にこの場所に立つと、やっぱり写したくなる風景やわ。



↑鎌倉高校前にて。1100形電車。




↑ふと、私は、このテレビドラマを思い出しました。もう20年以上前のドラマですが。



◎江ノ電、極楽寺駅でも降りてみた

↑極楽寺駅で、わし、勝手に降りてみました



↑駅前に出てみました。



↑素朴な、こじんまりした駅舎やね。
 じっと眺めていると、なんか、いい感じです。



↑「関東の駅百選」に認定されているのですね。



↑この駅も、昔からテレビドラマなどのロケ地になっていたそうです。その面からも、結構有名な駅らしい。
 レトロな郵便ポストの存在感 絶大



↑駅前の木は、サクラでしょうか。
 桜が満開のときだったら、これまたいい雰囲気の駅前なのでしょうね。



↑極楽寺駅のごみ箱。



↑長谷(駅)の近くで撮影。 1000形電車。
 ヘッドマークには「嵐電号」とあります。京都の〝らんでん〟のことやねぇ。
 江ノ島電鉄と京福電気鉄道(嵐電)は、姉妹提携をしているそう。それにちなんだヘッドマーク。
 この車体塗装も京都をイメージした〝京紫色〟だそう。嵐電の車両にも、これと同じの色のやつが走っている、…よね。



↑長谷にて、列車の行き違い。
 江ノ電は単線運行です。



↑JR鎌倉駅。



↑鶴岡八幡宮。きちんとお参りしてきました。


鎌倉では鶴岡八幡宮にお参りをしたりして過ごし、夕方、鎌倉駅からJRに乗って、大船乗り換え、小田原まで移動し、
小田原から「ひかり号」で京都へ帰りました。

旅行中、みなさまにはお世話になりました。
ありがとうございました。



九州新幹線 (博多~新八代間。 27.11.30乗車)

2016年01月30日 19時51分00秒 | 旅のあと
ずいぶん前のことですが、平成27年11月30日(月)に、九州新幹線の博多~新八代間に乗ってきました。

遅くなりましたが、そのときに写してきた画像を貼っておきます。

ホンマに遅いわー。2ヵ月前の話やん…) (すまん


◆          ◆          ◆          ◆          ◆

平成27年11月30日(月)。
当日は、朝のうちに地元で〝通常業務1件〟を済ませてから出発しました。
支度を整えて自宅を出発したのは、午前10時半ごろでした。

今回は、未乗線区が新幹線そのものなので、長距離を出かけるわりに 時間は掛かりません。遅めのスタートでも新八代への日帰りは容易です。



↑今回のきっぷ。当日の乗車直前に、京都駅窓口で買いました。 (画像は、乗車中に新幹線車内で撮影)
 京都から博多までは「のぞみ」指定席に乗り、博多から新八代までは自由席に乗る-、というきっぷです。

 「案外、高いんやな…」というのが正直な感想。 (券面記載の金額は、乗車券+特急券の合計額です)

 東海道新幹線の駅と 九州新幹線の駅 との間を移動する場合、特急料金は〝通し〟で計算されないんやね
 博多で区切られてしまうねん
 今回のケースなら、「京都~博多間」と「博多~新八代間」とで特急料金が分割され、それらを合算した金額になるのです。
 そらぁ…、このやり方だったら、料金が割高になってしまうわ
 東海道新幹線~九州新幹線の直通列車が走っていないから、こんな料金体系になっているのか(?) つまらん!



↑京都11時27分発の「のぞみ19号」でスタートしました。



↑京都から博多へ向かう「のぞみ」車内にて。
 14号車の自分の座席からの眺め。指定席なんだけど、久しぶりに最前列の座席に当たりました。目の前が、壁だ!

 「でも、この席は、14号車の〝いちばんいい席〟なんやで

 「1番E席、ね…




↑山陽新幹線区間を走行中。
 山陽-九州直通用のN700系「さくら」とすれ違い。
 このタイプの車両は、京都駅では目にすることができません。
 「さくら号は、新大阪止まりではなく、京都まで乗り入れたらいいのに…」と、京都府民の私は思います。
 さっき書いた、京都から九州新幹線方面へは 特急料金が〝通し〟で計算されない件と、ダイヤ面では「みずほ・さくら」が新大阪発着になっている件と…。
 京都駅発着で利用する立場からすると、九州新幹線の利便性を素直に喜べない、みたいなところがあります。些細なことですが。



↑山口県内を突っ走る。 のぞみ19号は、広島から小倉まで止まらないタイプです。



↑新下関を通過。
 私が学生時代を過ごした、大変思い出深い町です。またゆっくりと訪れたいと思います



↑定刻14時11分、博多へ着きました。
 再確認ですが、新大阪から博多までは「山陽新幹線」、そして、博多から鹿児島中央までが「九州新幹線」です。
 九州新幹線のうち、私の未乗区間は博多~新八代間なので、きょうはこの先、新八代まで乗り継いでいきます。
 (きょうは鹿児島中央へは行きません)



↑博多では、およそ半時間の待ち合わせ。
 九州新幹線の車両をゆっくり見物したいし、時間に余裕を持たせた乗り継ぎにしました。
 博多からは14時45分発、つばめ329号熊本ゆきに乗ります。


ここからが、九州新幹線 (未乗区間は、博多~新八代間)

↑博多を出ると、新鳥栖(しんとす)・久留米(くるめ)・筑後船小屋(ちくごふなごや)・新大牟田(しんおおむた)・
 新玉名(しんたまな)・熊本(くまもと)・新八代(しんやつしろ)、の順で各駅です。



↑博多駅ホーム。
 頭上の駅名標は、私には見慣れたJR西日本スタイル。新幹線 博多駅はJR西日本が管理しています。
 次駅表示には「しんとす/はかたみなみ」と2つの駅名が記されています。
 博多南は、博多総合車両所(新幹線の車両基地)のそばに以前から存在している駅。
 車両基地へ出入りする回送列車を活用して、JR西日本が旅客輸送を行っています。私は学生時代に博多南まで乗ったことがあります





↑ホーム頭上にある、乗降ドア位置を示す案内装置。
 これから乗る「つばめ号」は編成が短いので、ホームの中ほどに停車するのですね。
 『右側に停車します』という文字表示の意味が、私も最初はピンときませんでした

「ああっ… この位置には乗降ドアは〝来ない〟わけやな。
  もっと右手方向(ホームの中ほど)へ移動して、号車案内が表示されている乗降位置で待っていないと、乗られへんのやな



↑ホームで待つことしばし。九州新幹線の電車が入ってきました。
 これが博多14時45分発の熊本ゆき「つばめ」号。



↑〝九州オリジナル〟の新幹線車両、800系です。6両編成で走ります。
 車体には、つばめをイメージしたマークが付いています。
 私は以前に、鹿児島中央から新八代まで新幹線に乗ったことがあるので、800系には一度乗車済みです。









↑博多を発車。
 街並みを眺めながら、まずは、ゆっくりした感じの出だし。



↑博多総合車両所(車両基地)のそばを駆け抜けると、次第にスピードにのっていき、新幹線らしい走りになりました。
 九州新幹線の最高速度は260km/h。



↑スピードが出てきたところでトンネルに突入。真っ暗け~
 これこそが「新幹線の車窓」ですわなぁ
 わりと長いトンネルでした。トンネル内で次駅到着の予告アナウンスが流れました。



↑トンネルを出ると、博多から最初の駅、新鳥栖(しんとす)に停車。
 上下線とも島式ホームの構造でした。
 長崎本線との接続(乗り換え)駅として、新幹線開通にあわせて新しく造られた駅のひとつです。
 将来に九州新幹線「長崎ルート」の分岐駅として機能することを想定した、構造・設備のようです。





↑筑後川。



↑新鳥栖を出てからアッというまに()、久留米へ到着しました。
 加速もそこそこに、〝流す〟ような走り方であっさり久留米に着いた、という感じ。
 新鳥栖~久留米間は、新幹線の駅間距離としてはかなり短い部類やね。
 駅間距離が短い両駅だけど、新鳥栖と久留米には「つばめ」のほか「さくら」も全列車が停車します。
 九州新幹線の各駅には、ホームドア・仕切り柵が設置されています。





↑筑後船小屋(ちくごふなごや)に停車。
 全体的に、このあたり、駅間距離が短いですなぁ 
 京都~新大阪間(新幹線)も駅間が〝短い〟ほうですが、福岡県内の九州新幹線はそれよりもさらに駅間距離が短いです
 なお、正直言うと、この800系電車…、窓の汚れがひどかったです
 景色が見づらかったなぁ。ちょっと、気になった点でした。



↑矢部川。
 「つばめ」はぐんぐん加速して、心地よく走りました。



↑新大牟田に到着。
 路線ルートの線引きの都合だったのか、新幹線は大牟田の市街地(中心部)には乗り入れていません。
 この駅は鹿児島本線(在来線)とは接続しない単独駅です。



↑木製フレームの、独特なスタイルの座席です。座り心地は良かったです。
 なお、私も全然知らなかったけれど、この800系の座席は、京都府K田辺市にある 住江工業というメーカーが製造しているのだそう
 「スゴイ うちの近所に、そんなメーカーがあるなんて、知らなかった





↑新玉名(しんたまな)。
 玉名の市街地からも近い場所にある駅だけど、ここも新大牟田と同様、在来線との接続は無い「単独駅」です。



↑トンネルを走る区間がかなり多かったです。
 博多を発車したときから乗客は少なく、途中の駅で数人ずつパラッパラッと降りていく感じでした。
 この列車については、途中駅から乗ってくる人は、ほとんど無かったです。
 ひっそりした、静かな「つばめ号」車内でした。



↑もうすぐ熊本に着きます。





↑熊本に到着。
 800系がヘッドライトを点けると、こんな感じ
 九州新幹線の区間しか走らない車両なので、現地へ来なければ見られない〝顔〟です。



↑熊本駅のホームも、転落防止用のホームドア・柵で囲まれています。



↑私はこのままホームに残って、後続の「さくら号」鹿児島中央ゆきに乗り継ぎます。
 熊本の次駅が、新八代です。







↑熊本駅ホームから、線路を眺める。
 高架式の駅なんだけど、下り線路と上り線路の間が〝深い溝〟みたいになっている、独特な構造でした。
 なんで、こんな構造なんだろう。



↑熊本15時56分発「さくら413号」鹿児島中央ゆきに乗り継いで、新八代までの一駅区間を行きます。
 これも800系運用の列車でした。
 自由席車両はなかなかの乗り具合でした。私は通路側席の空いていたところにちょこっとお邪魔して、新八代までのひとときを過ごしました。
 800系なんだけど、さきほどの「つばめ」とは違っていて、この車両は壁(妻面)が金色 金箔か??



↑まもなく、新八代です。



↑16時08分ごろ、新八代へ着きました。
 ホームに降り立って、博多方を向いて写した一枚です。



↑列車は短く停車して、すぐに発車していきました。
 新八代へ着いたので、これで私の目的は達成!  JR九州の全線乗車、奪還 …の瞬間です、一応。







↑駅前に出て、少しだけウロウロしてみました。
 …と言っても、別に訪ねるべき所も無いので、さっさと帰ることにします。



↑新八代駅、在来線(鹿児島本線)ホームにて。
 頭上の高架線が、新幹線です。
 新八代からは鹿児島本線の普通電車に乗って、熊本まで戻りました。



↑熊本駅へ到着後に撮影。夕方5時ごろです。
 JR九州の815系電車です。
 シンプルできれいな通勤電車ですが、なんだか面白い〝顔つき〟やね









↑熊本駅前に乗り入れている市電。 熊本市交通局の路面電車。
 今回は電車を眺めるだけで帰ります
 また、こんど熊本を訪ねたときに乗ってみたいと思います。



↑晩ごはんには時間が早かったのだけれど、熊本駅建物内のお食事フロアにて「火の国茶屋」というお店に入り、火の国定食というのをいただきました。(+
 お腹満ちて、あとは京都へ帰るだけ。 みどりの窓口で京都までのきっぷを買い求め、再び新幹線ホームへ上がりました。



↑熊本18時01分発「さくら568号」新大阪ゆきに乗り込みました。
 これで博多まで行き、博多で「のぞみ」に乗り換えて京都へ帰りました。
 もし、「さくら」が京都まで直通してくれるのなら、少々停車駅が多くても、私はそれで帰ってもいいと思うんだけどな…。残念だ。







↑久留米に停車中。
 対向の「さくら563号」とすれ違い。



↑熊本駅の窓口でもらった、切符ぶくろ。 (チケット袋って呼ぶのかな



↑博多で「さくら」を降りて、20分弱の待ち合わせで「のぞみ64号」東京ゆきに乗り継ぎました。(博多18時58分発→京都21時36分着)
 車体に描かれた大きな〝A〟マーク。 N700A、久しぶりに乗りました。
 乗り心地の違いとか、私にはよう分かりませんけれども