だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

たまにはうんちく話でも

2005-12-01 02:01:24 | Weblog

 ずっと重いテーマが続いているので、今日はちょっと肩の力を抜いてうんちく話でも。私のほとんど唯一の趣味は楽器を演奏することである。トロンボーンというラッパの中でも一番単純な形の楽器で、管を伸び縮みさせながら音程を変えて演奏する。音を出すにはどこかが振動しなくてはいけないが、金管楽器の場合、それは唇である。マウスピースという吹き込み口を唇にあてがい、口の周りの筋肉を特異な風に緊張させ、複式呼吸で息をふぅっとはきだせば、ノズル状の息の通り口で主に上唇が振動する。これが楽器の管に共鳴して大きな音となってベルの部分から外にでていく。
 金管楽器以外で、人間の身体の一部を振動体として音を出す楽器はない。そういう意味で金管楽器の演奏は歌に通じるものがある。トロンボーンは金管楽器の中でも一番人間の声に近い、と言われている。そして、トロンボーンを使えば、声で歌うよりもはるかに大きな音で、はるかに広い音域で歌うことができる。ffで吹けば広いグランドの向こう側にも届く。私は声では1オクターブがせいぜいであるが、トロンボーンなら3オクターブ半くらいはだせる。生身の人間の延長でありながら生身の人間の限界を超える道具だ。

 お好みの高さの音を出すには、倍音とスライドワークという二つの要素がある。伸び縮み管のことをスライドというが、これを動かさなくても、いろんな高さの音をだすことができる。これを倍音といい、音の波長が管の長さの1倍、1/2倍、1/3倍・・・という音がでる。これには唇まわりの筋肉の緊張を変える。緊張が高まると、唇がより固くなり高い音がでる。しかしながら、倍音はとびとびの音なのでこれだけで音階を演奏することはできない。ひとつの倍音について、スライドを伸ばしていくと、音が連続的に低くなる。スライドには7つのポジションというのが一応決められており、一つポジションを伸ばすごとに半音低くなる。こうして唇による倍音のコントロールとスライドの抜き差しによって、どんな高さの音でもだすことができる。
 スライドは二重構造になっていて、内部の管の上を外側の管が滑らかにすべるようなしくみになっている。内管と外管の隙間は一番狭いところで0.1mm程度で、精密に加工されたものである。狭すぎると動きが滑らかにいかないし、広すぎると息が抜けて圧力が保てない。内管の表面には潤滑油をぬっておく。滑らかでスピーディなスライドワークはトロンボーンを音だけでなく、視覚的にも楽しませる要素だ。

 よく質問されることが、スライドをどこで止めるのか、目印でも描いてあるのか?というものだ。目印の線が描いてあるわけではないが、一応の目安はある。外管の支柱がベルのところにくるとか、外管の端がベルのところにくる、とかである。ただ、最初から機械のように再現性よく止められるわけではない。楽譜を初めて渡されて演奏するときは、必ずオンチになる。何度も何度も練習するうちに、その曲にあった音程が自然に身に付く。ここの音はちょっと高いなと感じられれば、スライドを少し伸ばす。ちょっと低いなと感じられれば少し縮める。練習をつづけると、こういうのが無意識にできるようになって、譜面を見ないでも演奏できるようになるころには、オンチを脱して気持ちよい音程で演奏することができるようになる。
 楽器というのはどんなものでも音程に関してかならず限界を持っている。しかも曲ごとに、フレーズごとに、美しい旋律というのは、譜面上では同じ高さの音でも微妙に音程を変えなくてはならない。人間の声はそれが可能であるし、無意識のうちにそうしている。そういう意味でも、トロンボーンは声の歌に近い。ピアノやハープのようにいちいち音程の微調整ができない楽器以外は、それぞれに苦労して微調整をやっているのだが、トロンボーンはスライドの抜き差しでそれが可能なので、その意味ではもっとも有利な楽器でもある。

 人間の声にソプラノ、アルト、テナー、バスとあるように、トロンボーンにもこの四つにコントラバスを加えた五つがある。しかし普通に使われるのは、テナー、テナーバス、バスの3種類だ。このどれも基本的には同じ管の長さ、つまり同じ音の高さだ。バスは、低い音域が楽にでるように管の太さが太い。また低い音域にいくと、スライドの7つのポジションだけではすべての音階をだすことができないため、補助的にスライドとベルの間にバルブとそれを操作するキーを設けて、キー操作によって管の長さを長くするようになっている。標準的なバスはバルブが二つついている。
 テナーバスは、テナーに補助的なバルブを一つつけたもので、6とか7ポジションという遠くのポジションを近くのポジションで吹くことができるので、早いフレーズの場合に演奏が楽になる。
 テナーには管の太さの違いで、細管と太管がある。ジャズやポップスで使われるのは細い管のものである。音色が軽やかで、高音が出しやすく、つやのある音がでる。一方クラシックで使われるのは太管である。重厚であたたかな音色がだせ、音量が大きい。オーケストラのトロンボーンパートはたいてい3人で、一番、二番奏者がテナーバス、三番目の奏者はバスを吹く。
 トロンボーンの最大の魅力はその音色である。あたたかくつつみこむような音色、ffでは野太くほえるような音色、ppではせつなくささやくような音色。ベルの金属の材質も音色を決める重要な要素である。というのは、楽器の音色は管の中の空気の振動だけでなく、楽器自体の振動も足し合わさって音となるからだ。金管楽器は銅と亜鉛の合金でできている。銅と亜鉛が半々だと、黄色い輝きの色となる。銅が多くなると赤っぽくなる。黄色いベルは明るくクリアで野太い音色になり、赤っぽいベルはややくらく重厚でつやのある音色になる。

 さて、演奏はというと、クラシック系では、オーケストラのトロンボーンパートの他にソロもあるし、アンサンブルもある。大きなCDショップに行けば、トロンボーンのソロやトロンボーンアンサンブルのCDが棚にずらっと並んでいる。もっぱらソリストとして演奏しているのは、スウェーデン人のクリスチャン・リンドベルイとカナダ人のアラン・トルゥーデルの二人。あとは有名オーケストラの奏者がソロCDを出している。現在もっとも有力なトロンボーン演奏家はニューヨークフィル主席のジョセフ・アレシであろうか。私のおすすめは、アメリカ、ミルウォーキー交響楽団の主席奏者の神田めぐみである。たいてい金管楽器奏者というのは体格がよく、細めの私では力不足なのかなと思ったことがあるが、女性奏者が活躍するようになって、体格の問題ではないということがよくわかった。
 トロンボーンアンサンブルというこゆい世界もある。標準的なパターンはテナー(テナーバス)3人とバス1人という四重奏である。基本的に同じ音域の楽器でアンサンブルをするというのは、他にあまり例がない。これはトロンボーンが他の管楽器にくらべて音域が広いということに由来する。第1パートはきびしい高音がつづく。バスパートは頭がくらくらするくらい体力を消耗する。それでも私がもっとも演奏するのが好きなのはトロンボーン四重奏である。オーケストラや吹奏楽のトロンボーンパートというのは、ごく一瞬をのぞけば、もっぱら脇役、引き立て役である。それが四重奏ではそれぞれが主役となって思う存分演奏できる、というのがいい。またトロンボーンだけの和音の美しさがまた格別である。これは音色のあたたかさのせいでもあり、また、美しくハモるには相互に微妙な音程調整が必要なのであるが、トロンボーンのスライドというしくみだけがそれを可能にするからなのだ。

 もっとも、私はひさしくアンサンブルをやっていない。仕事と子育てに忙しく、バンドなどに所属するひまがないからだ。かといって家で吹くと近所迷惑どころか家庭内迷惑になる。ところが日本を代表する管楽器メーカー、ヤマハはそういう日本のアマチュア奏者の悩みを知り尽くしていて、サイレントブラスという装置を開発した。これをベルにつっこむとほとんど音がもれない。その中に小さなマイクがしかけてあって、自分の音はアンプを通してイヤホンで聴く、というものだ。これだとアパートであっても夜中に練習できる。しかもアンプにはエコー機能などがついていて、気持ちよく吹けるというすぐれものである。これでたまに夜中にひとりでソロ曲を吹いては、悦にいったり幻滅したりしている。

 さて、ここまでながながと書いてきたのには実は訳がある。これはトロンボーンという、この世の中全体からすればごくごくささいな領域の話である。しかもアマチュアであっても、これぐらいのうんちくが並べられるほどの、深さとこゆさをもっている。やってみたことのない人には想像を絶するほどであろう。ということは、この世界は、このような深くこゆい領域が、これまた無数に重なり合って構成されている、ということに気づく。
 そう思うと、私は世の中のことなどなにもわかっていないと、めまいがするような気になる。たいてのモノはお店で買ってくる。それを製造するのにどれほどの物語があるだろう、と思う。きっとどんな小さなモノであっても、誇りをもってうんちく話をしたがるような人がいるだろう。また、たいていのモノは使い終われば、ゴミ袋に入れて家の前にだして終わる。その後にどのような世界があるのか想像もつかない。そこにもたくさんの興味深い物語があるにちがいない。
 そして、誰もその全体像をみることはできない、というある種の絶望感を感じる。みな目が見えずに大きな象をなでているだけなのだ。でも絶望していてもしかたないので、あらっぽくでもよいから、全体をながめてみる努力を私はしたい。それぞれの業界にはそれぞれの常識というものがある。それはその業界からちょっとでもはずれた人間にはもう非常識なのだ。そういう常識を聞き出し、勉強し、体験することでその一覧表をつくるだけでも、たくさんのことが見えてくるだろう。そうしておぼろげながらでも世の中の全体像がみえてこなければ、これをどうつくりかえたらよいかなど、かいもく分からないはずなのだ。

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1 コメント

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暗黙知へのアクセス (井筒耕平)
2005-12-18 22:07:26
最近、ペレットボイラー導入を図るべく、

老人ホームやら温水プールやらに行ってます。



そこには必ず石油系ボイラーがあり、

私たちは本当に大量の石油によって、

生きているんだなと感じます。



そして、ボイラー導入にあたり、

ボイラー界に足を踏み入れたところです。



そんな中、私の同僚が面白い言葉を発しました。

「暗黙知へのアクセス」です。



これは、備前市民にとって当然のことを、

外から来た我々は何も知らず、それを知ることが、

地域住民とのプロジェクト成功の一つの鍵だと

表現するために出た言葉です。



この言葉は、地域づくりにも当てはまりますし、

知らない世界(ボイラー界)での常識を知ること

にも当てはまります。



だいずせんせいのトロンボーン秘話を聞き、

トロンボーン界の暗黙知へアクセスできた

気がします。



今年の私の流行語大賞の1つです(笑)
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