だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

誰がバスの運転手か?(1)「がん難民」問題を考える

2008-12-20 22:24:54 | Weblog
 先日、NHKでいわゆる「がん難民」についての特集番組をやっていた。脳や心臓の血管系疾患の救急医療技術が高度に発達した結果、これらの発作で「ぽっくり」死ぬことは少なくなり、かわりにがんが日本人の死因のトップとなった。
 がんの治療は3大治療法、すなわち、手術、放射線治療、抗がん剤治療が主流となっている。特に、手術や放射線治療では手に負えなくなった進行したがんで最後の砦となるのが抗がん剤治療である。しかしながら、一般に抗がん剤の効果は限定的なものであるし、深刻な副作用が伴うことが多い。同じがんで同じような進行状況でも、ある患者には劇的な効果があっても、他の患者には何も効果がないことがある。したがって、考えられる抗がん剤を試してみた結果、効果がみられなければ、もう治療の方法がないということになる。
 こういう状況になると入院して治療を受けている患者ならば、医師からは退院して自宅療養で様子をみましょう、と伝えられる。病院にしてみれば、次々に新しいがん患者が来院するので、積極的な治療をしない患者に病床を占めてもらうわけにはいかない。しかしながら、患者にしてみれば、これは死を宣告されるにも等しく、その精神的なダメージははかりしれない。
 いわゆる「がん難民」という言葉はこのような状況になって、あきらめきれない患者や家族が、次々に病院を変えてなんとか治療を継続しようとするようすからつけられた。また、在宅医療の環境が整っていないため、退院を強いられて困惑する患者と家族を指す言葉でもある。

 最近では3大治療法以外の治療法がいろいろと登場している。NK細胞免疫療法もその一つである。がんというのは、さまざまな側面があるが、ひとつのとらえ方は、細胞分裂の異常で生じたがん細胞が免疫系の攻撃を逃れて発病するというものだ。白血球による免疫作用は体外から侵入した細菌やウイルスなどを攻撃するだけでなく、自分自身の細胞でも細胞分裂の際にある確率でうまれてしまう異常な細胞を処分する役目も果たす。したがって、免疫細胞の数が少なくなっていたりその活性が弱っているとがん細胞が増殖して発病にいたることになる。ということは、がんを治療する一つの方向は、自らの免疫力を高めてがん細胞を攻撃させるということだ。

 このような考え方に基づく免疫療法もさまざまなものがあるが、活性NK細胞を用いた免疫療法というのは、がん細胞を攻撃する主力ともいえるNK細胞という免疫細胞を患者の血液から抽出し、これを体外で培養し増やしてまた患者の体内に戻すという方法である。この療法で実績をあげているのが、名古屋の内藤メディカルクリニックの内藤康弘医師である。手の施しようがないと余命宣告を受け、「がん難民」の状態でやってくる多くの患者を回復、生還させている。
 私は、この成果をもたらしているのは、方法自体の有効性もさることながら、内藤医師の治療方針に大きなポイントがあると思う。普通の病院では治療法がないと「見捨てられた」患者が、傷ついた心をかかえてクリニックを訪れる。内藤医師は時間をかけて患者の話を聞き、その思いをはき出させるという。そして、その後、治療にすすむための心構えを話すという。
 それは、とてもわかりやすいたとえ話だ。(内藤康弘『今日から、あなたの考え方、生き方を変えてください』ルネッサンスアイ2007年)これまではバスに乗りさえすれば、優秀な運転手(医師)が運転して、すばらしいところに連れていってくれると思っていた。ところが現実には、どこともしれない山の中で突然バスを降ろされてしまった。途方に暮れていると後ろからもう一台のバスが来て、それに乗り込んだ。しかし、今度はバスの運転手は患者自身である。内藤医師は運転手の横に乗り込んでどちらに行けばよいかしっかりと案内をする。でもあくまで運転するのは患者自身だ。
 内藤医師は、患者ががんは自分で治すものだということをよく理解し覚悟を決めないかぎり、治療に入らないという。この心構えができていなければ、免疫療法は効果がないからだという。

 つまり、心と身体はつながっている。例えば、不安な時には心臓がどきどきして、手足が冷たくなり、顔が青ざめる。逆にリラックスしている時は鼓動はゆっくりとなり、手足先が暖かくなる。これらは心の変化に自律神経系が反応した結果として生じる身体現象である。免疫系も自律神経系の統括の下にあり、心が免疫力を弱めることもあれば強めることもできるということだ。心が不安とストレスに支配されていると免疫力は低下する。安心しておちついて前向きな気持ちが免疫力を高める。そのような心の助けなしにどのような治療法も効果を上げることはできないということだ。

 心が身体を治癒するということは代替医療では常識であるだけでなく、プラシーボ反応という概念で西洋医学においても相当に解明されている。むしろ、日本の普通の病院で3大治療法を受ける際に、まったく考慮されていないのが不可解という他ない。
 その結果として「がん難民」の状況に陥った患者は二重の困難の下にあることになる。すなわち、具体的な治療が行われないということだけでなく、心が不安に支配されてしまうために、自らの免疫力を決定的に低下させてしまっているはずだからだ。
 一方、そもそもがんは自分で治すもの、治療の道を行くバスの運転手は自分自身と思っていれば、どのような状況になっても「難民」となることはない。たとえ3大治療法が行き詰まったとしても、自らの免疫力を高める方法はいくらでもあるからだ。

 つまり、「難民」の発生は医療や医療行政の側の問題だけではなく、患者の心構えの問題とも言える。そのことを不問にしたまま、「がん難民」問題に政策的に対処しようとしても、社会的コストが途方もなくかかるだけで実際には効果があがらないだろう。不安な患者や家族がちまたにあふれ、患者は苦しみ抜いて死んでいくことなる。それに対処しようとする現場の医師や看護師は誠実であろうとすればするほどへとへとになり、自らが心身の病に倒れることになる。
 がんとわかったその時から、普通の病院の治療のプロセスの中で、「自分が運転手」であるという自覚を促すことが必要だろう。それは自分ががんと知って動揺する患者には難しいことであるのも確かだ。患者の不安定な心の動きに十分な配慮を払うメンタルケアとして行うことが不可欠と思う。

 ではなぜ、普通の医療の現場でバスの運転手を患者自身とすることができないのであろうか。以下は私見であるが、私はこれは成長型社会のひとつの「型」であるからだと思う。成長型社会とは、それまで家庭や地域で無償の行為として行われていたさまざまな行為や労働を、専門の事業体が営利事業として担うことで、その労働分を売り上げとしてGDPに繰り込み、経済成長をすることを自己目的化する社会である。
 「私は運転手、あなたはお客さん」という関係をつくることで、運転手は専門職業として成立する。お客さんの方もオカネさえ払えばサービスとして行きたいところに連れて行ってもらえると期待する。本来どこかに安全に行くという自らの責任をオカネで買いとるわけである。一方では、その責任をお客さんから委任されたということが運転手の働きがい、生きがいともなる。成長型社会とは、そのようにしてどこまでも分業化、専門分化がすすみ、それは同じことだが、すべてのモノやコトがオカネで取引されるようになる社会である。

 今日、医療は超巨大産業である。直接医療に携わる部分だけでなく、それを支える医薬品や医療機器の産業も巨大だ。その成長は、患者から病気を治す責任をオカネと引き換えに引き受けつづけてきたプロセスである。
 そしてそれは、救急的・外科的医療や感染症の克服という大成功をもたらした。この成功体験からは誰も容易には抜け出せない。その結果、心と身体は切り離されてとらえられるようになった。身体も個々の臓器や器官ごとにパーツとして切り離されてとらえられ、それぞれ専門の診療科で治療されるようになった。心さえもひとつのパーツとして専門の診療科が対応することになった。
 しかしその一方で、がんやアレルギー、認知症など、自分の身体そのものに原因がある病気は根本的には治せないままに「難病」というレッテルを貼られることになった。

 「私が自分のバスの運転手」というのは、成長型社会を成立させている根本原理を覆そうとする発想だ。しかし成長型社会の医療が果たせなかったがんの治癒は、そこを覆すことによってしか達成できないだろう。その意味でがんというのは成長型社会をつきくずす力をもった病ともいえるのではないだろうか。

 その先にあるのは、死のとらえ方の転換である。成長型社会では死は遠ざけるべきものであり、病院にオカネを払うことで実際に遠ざけられると考えられるものであった。そうしてあたかも自分は死なないかのような錯覚をして生きるようになったのが我々である。もっとマイルドに言えば自らの死を現実感をもって考えることができなくなっているということだ。
 しかし、死は誰にもいつかはやってくる。つまり死を遠ざけ続けることは不可能とすれば、どのような死を受け入れるのか、ということを真剣に考えるべきではないだろうか。

 ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』には不死の人々がいる国の話がある。そこでは人々は意外にも死なないことを楽しんでいるのではなく、死ねないことを恨みながら暮らしている。ある部分だけに注目すれば、著者の空想は、寿命が極限まで延びた現代の日本において実現しているとも言えるのではないだろうか。

 死を見ないようにするのではなく、どのような死を受け入れるのかを考えることが、持続可能な社会の心を育てるもっとも根本の部分だと私は考えている。それはがんのような病気を治癒する力を持つだけでなく、心と身体のつながりを回復させることによって、死を迎えるその時まで、豊かな生をもたらすものだと思う。
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2 コメント

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負けないで! (スノーマン)
2008-12-28 22:10:11
余命6ヶ月を家族にのみ告知されました、が現在元気にもとの生活をしていることに感謝します。内藤先生にもお世話になっておりこの治療法を紹介してくださった高野先生にも感謝します。高濃度ビタミンcの点滴治療も内藤メディカルであつかっていらっしゃいます。何がプラスに働いたのか自分でもわからないのですが自分が死ぬなんて思っていなくて親戚縁者が次々に見舞いに来たのも最後の別れかもしれないからとは気づかずいた脳天気さが私を病から救ってくれたのかもしれません。転移してからでも助かる道はあると思います。負けないで!
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おめでとうございます! (daizusensei)
2008-12-29 16:30:00
スノーマンさま>私は必ず復活されると信じておりました。余命宣告というのは本当に無責任なものですね。(「がん難民」状態にある人にのみあてはまるもので、その場合には本当に宣告されたとおりになってしまいます。)真に受けられなくて本当によかったです。内藤先生との出会いはラッキーでしたね。これからも元気いっぱいおすごしください。
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