だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

地球に住む仲間たちの声を聞き続ける(1)

2007-02-24 21:22:32 | Weblog

 先日、愛知県刈谷市の平成小学校に招待された。5年生66人のこどもたちが半年あまり環境問題について学んだ成果を発表する会があった。これは刈谷市に本社があるアイシン精機株式会社が資金をサポートし、NPO法人アスクネットがマネージメントをして、こどもたちに環境学習の機会を提供しようという「愛・シンパシープログラム」である。その企画に私も専門家として参加していた。
 プログラムの実施はすべて市民講師が担った。最初は浅野智恵美さん(最近環境学習への取り組みを評価されて環境省大臣賞を受賞された)のエコ・パーティやエコ・すごろくのプログラム。これでゴミの行方に興味をもったこどもたちは、ペットボトルの再処理工場に見学に行き、さらにゴミで埋め立てられかかった藤前干潟に行った。そこでは干潟の生き物の大切さと、それを守った市民の取り組みを知った。エコプラットフォーム東海の鈴木さん、岩上さん、今井さんらが行った「スナメリ君を救え」というプログラムでは、藤前干潟は守られてもそれ以外の膨大な干潟が埋め立てられ、その結果水質汚濁・汚染がひどくなった三河湾に住むスナメリの気持ちになってみた。安城市環境アドバイザーの亀田さんらが行った「シンパシーワークショップ」ではカードゲームを通して、森の動物たちになってみると人間の暮らしがいかに自分勝手なものであるかを実感した。

 父母も見守るなか学んだ成果を発表する会で、こどもたちは身近なエコ活動を自分たちで考えて実践した報告を行ったあと、さまざまな動物になって人間たちに訴えた。ペンギンになった子は、温暖化で氷がなくなるとどこに住めばいいの?と訴えた。アザラシになった子は海に重油を流さないでと訴えた。
 そして、最後にこどもたちは声をあわせて自分たちの「エコ宣言」を行った。それが「わたしたちは、地球に住む仲間たちの声を聞き続けます」というものだった。

 「愛・シンパシープログラム」の目標は、環境問題についての知識を身につけることもさることながら、環境問題でこまっている自然や人に共感する力をつけてほしい、というものだった。私はこどもたちの「エコ宣言」が本当にこどもたちのなかからでてきたものだと聞いて、当初の目論見が実現されたことに感銘を受けた。こどもたちにとてもすばらしい学びの機会を与えてくださったアイシン精機、それをたいへんな苦労をしながら実現に導いたアスクネットの毛受さん、白上さん、それに市民講師のみなさんに本当に感謝したい。

 発表会の最後にコメントを求められた私は、こどもたちを讃え、関係者のみなさんに感謝の意を伝えたあと、私がアフリカのナミビアで見かけたこどもたちの話をした。私たちの車に駆け寄って洗車をさせてほしいという、働くこどもたち。目の前に行儀良く並んでいる日本のこどもたちと同じ年代だ。市場で食事をしているところを見かけた一人の男の子の姿が忘れられない。その食事はほんとうに粗末なもので、一口にも足らない固いパンのようなものをいとおしそうに食べていた。彼はこちらに気づくと、ぎろっとにらんだ。
 目の前に並んでいる日本のこどもたちは地球でもっとも豊かな暮らしをしている。そして、歴史的にみても、前にも後ろにもこのような豊かな暮らしはできないだろう。温暖化でペンギンやホッキョクグマも困るのであるが、ナミビアも乾燥地でありながら、さらに降水量が減ると<予測>されている地である。同じ時代を生きるこどもたち。豊かな日本でこどもたちが気にすることもなくその暮らしから排出される二酸化炭素が、貧困に悩むナミビアのこどもたちの暮らしをますます困難にするとしたら。私は、地球に住む仲間としてその子たちの声も聞けるようになって欲しい、とこどもたちを励ました。

 持続性教育(ESD, Education for Sustainable Development)というのはどういうものか、なかなか一言で言うのは難しく、私たちは日々頭を悩ませていたのであるが、それを平成小学校のこどもたちはずばりと言ってのけた。「地球に住む仲間たちの声を聞き続ける」ことができるようになること。その声はしばしば抑えつけられ、分断され、聞くことができない。声にならない声を聞く力を身につけること。こどもたちだけでなく大人こそがその力をつけなければならない。

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