だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

トヨネ

2006-07-19 16:06:50 | Weblog

 草いきれ、という日本語がある。「草熱れ」と書き、草地からあふれる熱気という意味だ。今回、私が名古屋大学で担当しているセミナー「地球環境塾」の学生たちと行った愛知県北設楽郡豊根村は草いきれでむんむんしていた。豊根村は愛知県の北東の角、長野県、静岡県と県境を接する山間の村である。中部山岳地帯の深く刻まれた谷筋に沿って集落が点在する。
 豊根村に入る峠を下ると、植物のパワーに圧倒される。山の木は人間が植えたスギがほとんどで、植えられて半世紀が過ぎ、見上げるような森林になっている。道ばたも川縁も田畑のあぜも草がもうもうと生い茂り、道路には蔓性の植物が覆いかかる。山には容易に近づけない雰囲気である。高台から見下ろせばはるかかなたまで緑のうねりが蕩々と続いている。すべてが植物の海に飲み込まれているようだ。

 以前、アフリカから帰ってくる飛行機の上で気がついたことがある。窓から見下ろす大地はアフリカでは延々と赤茶色だった。中継地のアジアにたどり着くと、木は生えているがスカスカの山並みが見えた。そして日本が見えた時、べったりと緑のペンキを流したような大地が見えた。これほど植物が繁栄している大地は世界で見てもめずらしいと思う。夏の気温がこれほど高く、一年を通じて雨が降る場所はそうはないのだ。
 今日の地球で森林が大規模に広がっている場所は限られている。熱帯雨林とシベリア、カナダ、スカンジナビアのような北方林。温帯に存在する大規模な森林は限られている。もちろんかつては温帯にも森林が広がっていた。中国、インド、ヨーロッパ、アメリカ。いずれも人間によって伐採された後に回復しなかった。

 日本も江戸時代後期から明治にかけて西日本を中心にそうとうはげ山が広がっていた。ところが日本では森林が回復した。これには各地で志に篤い地域指導者が植林を指導し、それに人々が応えてたいへんな労力を払ったことと、それを受け入れた自然の豊かさがあったことによる。戦後も戦争中の乱伐によって広がったはげ山に人々は木を植えた。
 その延長に拡大造林もある。拡大造林の功罪はいろいろ議論があるけれども、はげ山や草地をみごとな森林に変えた人々のエネルギーは、例えば中国の万里の長城にも匹敵する偉業だったと私は思う。黙々と苗をかついで山に入った人々の努力の総和は歴史のエネルギーと言ってもよいだろう。そしてそうとう無理な場所に植えた苗も立派に活着して見上げるようなスギの大木になっているのは、自然の豊かさというほかはない。

 その森林が清流を育む。豊根村の南部、もっとも標高の低いところを流れる大入川(おおにゅうがわ)は底まで透けて見える清流だ。橋の上からも水の中にきらきらと泳ぐ川魚の姿が見える。あたりはせせらぎの音に加えて何種類もの鳥の声、セミの声、虫の声でにぎやかだ。こんなに生命の気配にあふれた空間は世界にそうざらにはない。その中にじっとしていると自分もまわりの草むらに溶け込んでいきそうな気がする。
 学生たちは大入の郷(おおにゅうのさと)という宿泊施設のかまどでお米を炊き、村の木で焼かれた炭をおこして夕食の準備をする。時間がゆっくり流れる。その準備をする姿や夜が更けて楽しそうにおしゃべりしたり歌を歌ったり、黙って夜空を見上げたりしている姿が、とても個性にあふれていると感じた。大学の教室の中ではついぞ見せたことのないリラックスしてゆったりとした姿だ。彼らから「人間一般」のようなものが溶け出していって、その人の一番本質のようなものがあらわれているようだ。これはまわりを取り囲むたくさんの生命の気配がそうさせているのだと、私は勝手に思いこんでいる。

 次の日、帰りがけにどーんごろごろごろと大きな雷がなった。雷もここではたいへんな迫力だ。大粒の雨がざーと落ちてくる。施設でお世話になった村のみなさんに別れを告げて帰る道すがらの風景はまた一段と幽遠だ。山の斜面からもうもうと立ち上る蒸気が風景をモノクロームの世界に落ち着かせていく。そして雨があがって夏の日差しが照りつければ、その水のしずくが再び草いきれとしてよみがえり、圧倒的な植物のパワーの源となるのだ。
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