だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

蜂ぼい

2006-11-19 13:02:35 | Weblog

 豊根村を地球環境塾の学生達と訪問した。宿泊体験施設「大入の郷」(おおにゅうのさと)の体験プログラムの一つである「蜂ぼい」を地元の方に指導していただいた。蜂ぼいとは、スズメバチを山中に追い(ぼい)巣を発見してこれを掘り出し幼虫を食するという、奥三河から岐阜県美濃地方にみられる伝統の技である。さすがにオオスズメバチ相手では初心者には危険なので、クロスズメバチというハエを一回り大きくしたような小さな蜂で行った。

 山中で木の枝に鳥肉や魚の切り身をさしておくと、においに誘われて蜂がやってくる。これに小さな肉団子にテッシュでつくったこよりをつけたものを抱えさせて巣に戻させる。その蜂をこよりを頼りに追いかけて巣を見つけるのだ。ひらひらと空中を漂うこよりは山中で小さくはかなく、なにかジーンとくる。
 今回は残念ながら蜂がひんぱんには飛んでこず、こよりを持たせたものも途中で切っていってしまうということで、蜂を「ぼう」ことはできなかった。それで指導してくださった地元のおじさんたちがあらかじめ見つけておいてくれた巣をゲットすることになった。
 巣のまわりでは蜂たちが出たり入ったりで忙しい。巣穴に親蜂を気絶させる煙を発生させる花火のようなものをつっこむ。それっ、ということで、さされないように頭にはネットをかぶりゴム手袋をして地面の中の巣を掘り出す。これを体験した学生(女性)のレポートを引用しよう。

「蜂の巣を掘り出す瞬間は印象的でした。今まで生きてきてあんなにたくさんの蜂に囲まれたのは初めてです。といっても掘り出しているときはハエが周りに飛んでいるようにしか感じなかったのですが。またもうもうと煙が立ち、生きた蜂は飛んでくる、死んだ蜂がうじゃうじゃ転がり、まだ生きている蜂の子たちは身を捩じらせて苦しがっている(ように見えた)中、やや興奮状態で巣を掘り起こす気分はまさにハンターでした。捕食者って本当に残酷でした。私たちが食べ物を食べるということは、そのもの(動物、植物)の命を奪っている、ということをリアルに感じた瞬間でした。」(まる)

 親蜂が手塩にかけて育てた幼虫がたくさん入っている巣を奪い取るというなんとも残酷な行為の瞬間、現代人も狩猟民族に先祖返りしてエキサイトすることがわかる。30cm大の丸い巣が掘り出された。中を開けてみると4~5層にびっしりと幼虫やさなぎが含まれた巣があった。大収穫である。指導してくださったおじさんたちは生でも食べれられるから食べてみな、とおっしゃる。それではということで、一匹食べてみた。ほんのりした甘みがある濃厚な味だ。学生達もおそるおそる試食している(女の子たちの方が積極的だ)。
 それを宿に持ち帰り、巣から幼虫やさなぎをボールにとりだす。割り箸の先端を細く削ってつまんでとりだす。こいつらを今から食べると思うとこれがまたなんともいえず残酷である。さなぎの巣には繭のようなふたがある。それほどまでにデリケートに大事にされている理由が、取り出している時にわかった。変態途中の身体は肌がとても薄くて弱いのだ。箸でつまむのをよほど上手にしないと簡単につぶしてしまう。つぶすと白い体液がぐじゅっとでてくる。
 ともかく中くらいのボールに一杯の幼虫やさなぎがとりだされた。これまでのいきさつを知らない人がこれが台所に置いてあるのを見たら息をのむだろう。最初からここまで経験したものにとっては、つやつやとしてやわらかそうな乳白色のつぶつぶはなかなかおいしそうに見える。これを砂糖と醤油で甘辛く煮る。また塩で炒める(写真)。
そうして蜂の子料理のできあがりである。ごはんの上に乗せて食べると絶品である。とろっとしたチーズに通じるものを感じた。脂肪分が豊富に含まれるのだろう。脂肪やタンパク源に乏しい山中では昔も今も貴重なごちそうだ。
 
 蜂ぼいの体験はさまざまなことを私たちに教えてくれる。まず私たちは他の生き物の命をいただいて生きているという当たり前の事実を確認させてくれる。当たり前なのに実感できないのが現代の生活である。学生たちはスーパーで切り身になってパックに入った肉しか目にしない。動物たちを殺すようすを目にすることはない。今の暮らしは別にゲームにのめりこまなくても十分バーチャルなのだ。それが生きる手応えを奪っているといえないだろうか。
 場所によっては動物やにわとりをつぶす体験をするプログラムも用意されているが、これはやはり刺激が強すぎる面がある。日常の風景の中に家畜たちを弔う機会のないところでいきなりそういう体験をすると、マイナスの気持ちが尾を引いてしまうこともあろう。蜂ぼいはそういう意味ではちょうどよいようだ。

 生きる手応えといえば、今回私が強く印象を受けたのは、蜂の巣を取り出す時にエキサイトするあの感覚である。そういう攻撃性と残忍さはおそらく人間のDNAに書いてあるのだと思う。ところが食べ物の循環がバーチャルになったおかげでそういう攻撃性を発揮する場面が普通の暮らしの中から失われてしまった。これも生きる手応えを失わせているし、今はあらぬところに攻撃性のはけ口が向いてしまっているのではなかろうか。
 今回は1cmにも満たないクロスズメバチの幼虫を食べたが、オオスズメバチの幼虫は陸のトロとも言われる最高級の食材とされる。良質の脂肪が最高のうまみをかもしだすのだろう。村のおじさんたちは蜂ぼいと言えばオオスズメバチである。宿に帰ってくる途中、蜂をおびきよせている場所に案内してもらった。砂糖水を入り口を開けたペットボトルに入れて木にくくりつけてある。そこに数匹のオオスズメバチがやってきていた。迫力満点である。おじさんたちはこいつらにビニールでつくったこよりをそっとくくりつけ(!)て追うのだそうだ。巣を掘り出す時は完全装備・・といっても雨合羽だそうだ。蜂がのっかっても滑り落ちる(!)から都合良いとのこと。手にはバトミントンラケット。攻撃してくる蜂をはたき落とす(!)という。
 おじさんたちは幼虫の味もさることながら、蜂とたたかうことそのものがたまらないようである。そのスリルはクロスズメバチの比ではないだろう。当然その瞬間の興奮度も。私もいつかオオスズメバチの蜂ぼいに参加して、生のほとばしりを回復する経験をしてみたいものである。


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