だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

手のウチを少しだけ

2006-03-07 23:35:51 | Weblog

 このブログを読んでくださっている方から、いつもどうやって文章を書いているのか、詳細にメモをとっているのか、というご質問を受けた。結論から言うと、メモはほとんどとっていない。というか、人相手の取材や調査の場合は、その人とおしゃべりするのにいそがしくてメモをとることができない。たいていはこちらからお願いして話をお聞きするので、できるだけギブアンドテイクというか、その方にとっても私と話をして何か発見があったとか、今まで気づいていなかったことに気づいてよかったとか、何よりもおしゃべりをして楽しかったと思ってもらえるように努力している。もちろんいつもその釣り合いはとれておらず、私が一方的に学ぶことの方が多いのであるが。

 心の中にとったメモはしばらく寝かせておく。もちろんそのまま記憶のかなたに過ぎ去ってしまうものも多い。ところがある時、忽然と言葉になってもどってくることがある。これを私は発酵法と呼んでいる。米がもろみになりお酒になるように、よい香りが漂ってくればしめたものだ。あとはパソコンに向かい一気に書き上げる。このときもメモをつくることはしない。自分でも不思議だが、書き始めることさえできれば、あとは自然に文章ができていく。

 学生のころはレポートや論文を書くときなど詳細にメモをつくって書いていた。私の時代にはもうかなりの古典となっていた梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書を読んでまずは感銘を受け、さっそく「京大式カード」なるB6くらいの大きさの厚紙のカードを購入。でもうまくない。ちょっと狭すぎるのだ。そこで私は糸で綴られたノートを買ってきてほどいてB4の大きさのカードとして使っていた。左半分に書き付け、右半分は空けておく。あとで見直した時にいろいろと気づいたことを書く余白を空けておくためだ。
 文章を書くときは、一枚目のカードにはにはタイトルと章立ての目次だけ書く。二枚目からは第一章のさらに細かい目次を書く。次のステップでは、第一章の第1節の段落ごとのメモをつくる、というようにやる。最後には、すべての段落についてのメモができる。そしておもむろにそれらのカードを床にばらまいて、構成を検討する。カードができあがれば、あとは順番に一枚ずつとりだして、段落のメモをふくらませていけば自然に文章ができていく。この方法の利点は、構成はすでにできあがっているので、文章を書くときはその一段落に集中して前後のことはアタマの中から排除していてもよい、ということだ。
 しばらくこういうやり方をしていたが、ある時からカードを作れなくなってきた。なぜだかわからないが、切れ切れの断片的な言葉しか書けないのだ。一方では、具体的な文章がアタマに浮かんでくるようになって、端から書き付けていかないと消えていってしまうので、どんどん書いていくというやり方に変わっていった。
 
 その行き着いた先が発酵法だ。向こうから文章がやってくるのを待つやり方で、ある意味では楽だが、一方で、締め切りがあるような場合には具合が悪い。いつまでも香ってこないといつまでも書けないことになる。そういうときは、編集者に電話してあれこれおしゃべりする。プロの編集者というのはそういうとき「急いで書いてくださいよ」とはけっして言わない。とりとめのないおしゃべりしていると自然に何を書けばよいか、ある瞬間にすーとわかるようなおしゃべりをしてくれる。「あーわかりました。そう書きます。」と言って電話を切ると、なにごとにもプロというのはいるのだなとうれしくなる。

 いったい言葉はどこからやってくるのか。自分の中からであろうが、でも、自分ではないところからやってくるような気もする。また、このブログの文章はどれもかなり長く、気づくと書き始めてから相当な時間が経っている。その間すごく集中しているのは確からしい。らしい、というのは我に返ると、自分にこんな集中力があるなんて、かなりびっくりなのだ。
 こういうのって、豊根村の花祭の舞に通じるものがあるのではないか、とふと考えた。花祭の舞は延々と続く。二時間続くものもある。普通ならば体力・気力の限界を超えている。ところが、舞っている方は、あるところまでは非常にきついのであるが、そこを過ぎると一段高い境地にいたって苦にならなくなるそうだ。今年の花祭に舞ったけんた君は日記の中でその貴重な体験を伝えてくれている。
 花祭では、舞手にカミさまがのりうつる。ひょっとして私が文章を書いているときもカミさまが下りてきてくれているのか?カミさまが書いてくれているのか?

 発酵法は、しかし、リスクの高いやり方で決しておすすめできない。酒を造るときもっとも恐ろしいのは、雑菌によって素材が腐敗してしまうことだ。心の中にためたモノは出さないで溜めておくと、腐敗して悪臭を漂わせることもありうる。そうすると一種の自己中毒症状になって、精神的なエネルギーを消耗してしまう。悪いものを溜めていると新しいものを容れることができない。何か吸収しようとしても拒絶してしまう。こういう時は悪いカミさまが下りてきているのか?

 それにしても、各地で持続可能な地域をつくるいろいろな取り組みについてお話しを聞いていてつくづく思い知ることがある。それは学問というのは現実にしか学べない、という当たり前の事実だ。けっして現実を作り出すことはできない。かならず現実が先に行っている。学問は後追いだ。
 以前、地球物理学の新しい実験手法の開発に取り組んでいた頃、新技術情報誌を毎月くまなく眺めるのが楽しみだった。こういうセンサーや装置があればいいなぁ、と思った時には、たいていはすでにそういう製品が存在した。つくづく世界というのは豊富だと思った。今思うのは、持続可能な社会をつくるためにこういうことをやればよいなぁと思いついた時には、どこかにすでにそれを実行に移している人たちがいる、ということだ。

 それでも学問に意味があるとすれば、それはこっちで聞いた話をあっちで話して聞かせる、という役目なのではないだろうか。宮本常一によれば、昔はそういう人間のことを人々は「世間師」と呼んでいたという。『忘れられた日本人』には旅の易者の話がでてくる。いく方々で易をたてる。そのかなりの部分は農民や漁民が豊凶を占ってほしい、というものだ。易者というのは「これからこうなる」と予言するだけではなく、「ではこうすればよい」という具体的なアドバイスを与えなければならない。この易者は方々で聞いた話を子細にメモにとっており、それを活用してアドバイスをする。評判のたつほどの易者ならば自然や農法漁法についての知識は相当なものとなる。今で言えば農業普及指導員のような役回りだったのだろう。
 易者に限らず、旅好きで各地の事情に明るい人間は旅先で丁重にもてなされた。もてなす方もそういう人間のよもやま話を聞くことによって各地の新しい情報を仕入れることができるからだ。そういう人間に注目し物語として記録した宮本常一自身が世間師に他ならず、常一が訪ねてくれることを心待ちにしていた人々がたくさんいたのだ。

 現場の最前線で現実をつくりだしている人々はそれだけで精一杯で、他の地域でどのようなことが行われているかを系統だって調べたりしている余裕がない。マスメディアは耳目に新しいもののみをとりあげるが、新しすぎるものは視聴者が理解できないのでとりあげない。今日ではインターネットがメディアではとりあげられないような情報の流通に大きな役割を果たしているが、これはこれで情報が膨大すぎて結局本当に必要な情報を手に入れるには相当な時間とエネルギーが必要だ。これほどメディアやネットが巨大に発達した現代においても、最前線まで行くと、生身の人間のふれあいによるコミュニケーション、つまり「縁」に勝るものはないのではないか、と思う。そこに学問が意義ある存在になれる余地が残されている、と思う。今では「プロの世間師」となることが私の学者としての目標だ。
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめて (長州人♀)
2006-03-09 22:32:19
いつも興味深く、楽しく拝見しています。



 でも今回初めて心の声を聞いた印象を受けました。

 
返信する
THANKS! (だいずせんせい)
2006-03-11 02:28:43
う~ん、言われてみればそうかも・・・
返信する
教育改革問題 (みなみな)
2006-03-16 09:47:49
daizysensei様



発酵法へと到り

今なお漂泊している

不確かな生態のような

偶有性が独自の

知的生産の技術へと変幻自在
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