半谷範一の「オレは大したことない奴」日記

B級自動車ライターのカオスな日常

初めて世界選手権でメダルを獲ったときの話。2004年MLAIC世界選手権 ベイツビル大会

2024-07-10 18:00:00 | 前装銃射撃、古式銃
私にとって3回目の世界選手権である2004年大会は、アメリカ合衆国、インディアナ州のベイツビルで開催されることになりました。その大会での私の目標はズバリ入賞。つまり6位以内に入ることです。過去2回の世界選手権参戦で世界と日本とのあまりに大きなレベルの差を痛感していたこともあり、まだまだ選手層が薄く、上位に入れる可能性が最も高いと思われる新採用種目、Tanzutsu のみに焦点を絞りひたすら練習して大会に臨みました。




自分としては、恐らくこの大会が最初で最後の入賞のチャンスだと思っていたこともあり、ずっと競技に集中していたため、大会中はほとんど写真すら撮る余裕がありませんでした。この写真は友人が撮ってくれたKuchenrauter(単発パーカッション・ピストル,25m競技)に参加中の私です。で、肝心の結果はどうだったかというと・・・




Tanzutsuで3位に入賞!。期待以上の結果で銅メダルが転がり込んできました。ちなみに他の種目はごいうと、Cominazzoが23位、Kuchenrauterが57位、Tanegashimaが12位、Hizadaiが9位でした。




Tanegashimaの優勝者は昔からか仲良くして頂いていたU.S.A.チームのジョン・マリアーニ選手。我々のイメージでは競技には使おうとは到底思わない銃・・・銃身が非常に短く、口径が大きい・・・を使用しての堂々たる優勝でした。日本国内で語られている良く当たる銃を選ぶ時の基準なんか、世界的には全然通用しないという現実を見せつけられた大会でもありました。




この大会では競技のスケジュールだタイトだったので、あまり観光をするほどの余裕はなかったけれど、それでもインディアナポリス・モーター・スピードウェイとミュージアムだけは訪問しましたよ。





私にとって "世界選手権の公式戦でメダルを獲る" は前装銃射撃の最終目標でもあったので、いつの日にかその目標を達成出来たら、前装銃射撃は卒業して再びISSF種目に戻るつもりでした。しかし・・・人間は(私は、かな?)欲張りなもので、一つ目標を叶えてしまうとさらにその上が欲しくなるものなのですね。そこでその2年後、フランスで開催される世界選手権でさらに上のメダルに挑戦することにしたのでした。

( つづく )

■参考
1999年 環太平洋選手権 アメリカ ハワイ州 ヒロ

2000年 世界選手権 オーストラリア 南オーストラリア州 アデレード

2001年 環太平洋選手権 アメリカ オハイオ州 キャンプペリー

2002年 世界選手権 イタリア トスカーナ州 ルッカ

2003年 環太平洋選手権 アメリカ合衆国 インディアナ州 ブリストル

2009年 環太平洋選手権 カナダ オンタリオ州 バリー その0その1その2その3その4その5

2011年 環太平洋選手権 アメリカ バージニア州 ウィンチェスター その1、 その2、 その3、 その4、 その5、 その6、 その7、 その8

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