
私が初めてMLAICの世界選手権に参加したのは、2000年のアデレード大会のときのことでした。その前年、1999年にハワイのヒロで行われた環太平洋選手権で、TUDA (ツダ) と呼ばれるエキシビジョン競技で銅メダルを取ったので、連れて行っていただけることになったのです。
とはいっても、当時もまだまだ前装銃射撃は片手間という感じだったので、メインは観光でしたけどね。
野生のコアラを見たり……

カンガルー島に行ったり……


この8年後、カミさんと子供達だけでカンガルー島に遊びに行ったときの写真を見せてもらったら、この石の所で同じような写真を撮っていたので笑ってしまいました。

肝心な?射撃の方は、このときも別に団体のレギュラーでもないし、 「参加できればいいや」 程度のつもりでした。ところが……

……再び、エキシビジョン競技のTUDA (ツダ) で4位入賞。

正直な話、このときに使った “國友彦左衛門” がセンター照準に近い狙点だったので、通常より小さいFP標的に対応し易かっただけ。別に実力じゃありません。その証拠?に、TANEGASHIMA (タネガシマ) では17位、HIZADAI (ヒザダイ) では18位という全然大したことない成績でした。
この世界選手権では、初めて短筒も撃ってみることにしました。で、この画像がそのときに使用した銃。最初に手に入れた長筒と同じ、 “籃谷権右衛門” という堺筒でした。ご覧のように中々良い銃で、口径も10mmと射撃用にも適していたにもかかわらず、残念ながら当時の私にはこの銃を使いこなすだけの技はありませんでした。

このように、装備などは現在とほぼ変わらないのですが、肝心の結果はというと……


……公式競技のCOMINAZZO (コミナッツォ) はもちろん、エキシビジョンで行われたTANZUTSU (タンヅツ) でも最下位という惨敗に終わったのでした。
しかし、この大会に参加したことが契機になって海外にも友人ができましたし、ただの旅行ではなくて、射撃の試合で海外に行くのも悪くないなぁと思うようになりました。そして、その翌年の環太平洋選手権に向けて、初めて本格的に前装銃射撃の練習を開始することにしたのでした。
(続く)
とはいっても、当時もまだまだ前装銃射撃は片手間という感じだったので、メインは観光でしたけどね。
野生のコアラを見たり……

カンガルー島に行ったり……


この8年後、カミさんと子供達だけでカンガルー島に遊びに行ったときの写真を見せてもらったら、この石の所で同じような写真を撮っていたので笑ってしまいました。

肝心な?射撃の方は、このときも別に団体のレギュラーでもないし、 「参加できればいいや」 程度のつもりでした。ところが……

……再び、エキシビジョン競技のTUDA (ツダ) で4位入賞。

正直な話、このときに使った “國友彦左衛門” がセンター照準に近い狙点だったので、通常より小さいFP標的に対応し易かっただけ。別に実力じゃありません。その証拠?に、TANEGASHIMA (タネガシマ) では17位、HIZADAI (ヒザダイ) では18位という全然大したことない成績でした。
この世界選手権では、初めて短筒も撃ってみることにしました。で、この画像がそのときに使用した銃。最初に手に入れた長筒と同じ、 “籃谷権右衛門” という堺筒でした。ご覧のように中々良い銃で、口径も10mmと射撃用にも適していたにもかかわらず、残念ながら当時の私にはこの銃を使いこなすだけの技はありませんでした。

このように、装備などは現在とほぼ変わらないのですが、肝心の結果はというと……


……公式競技のCOMINAZZO (コミナッツォ) はもちろん、エキシビジョンで行われたTANZUTSU (タンヅツ) でも最下位という惨敗に終わったのでした。
しかし、この大会に参加したことが契機になって海外にも友人ができましたし、ただの旅行ではなくて、射撃の試合で海外に行くのも悪くないなぁと思うようになりました。そして、その翌年の環太平洋選手権に向けて、初めて本格的に前装銃射撃の練習を開始することにしたのでした。
(続く)











