半谷範一の「オレは大したことない奴」日記

B級自動車ライターのカオスな日常

初めて国際大会で銀メダルを獲ったときのお話。

2012-06-27 12:29:57 | 前装銃射撃、古式銃
完全にまぐれとはいうものの、1999年のハワイで銅メダル、2000年のアデレードで4位入賞を果たした私は、次第に前装銃の射撃競技にのめり込んで行くようになりました。ちょうどSBが当たらなくなり始めていた時期(もちろん、今よりは遥かにましでしたが……)だったんで、どこかに逃げ道を探していたのかもしれません。そして翌2001年、アメリカで開催される環太平洋選手権にも参戦することにしました。




このときの会場は、アメリカにおける射撃の聖地でもあるオハイオ州のキャンプペリー。飛行機からも見えるという巨大な射撃場です。全景を撮影するのは無理。敷地内で移動するにもクルマが必要不可欠でした。




この年の私の目標はMLAICの正式種目でのメダル獲得。ハワイで獲った銅メダルは、エキシビジョン競技だったので、公式の価値があるものではなかったからです。そこで、この年は前装銃射撃競技をやるようになってから初めて、本格的なトレーニングを積んで競技に臨むことにしました。ちゃんとISSF仕様のライフル射撃用のコートも着てるし、今よりずっと本気な感じが出てるでしょ(笑)。で、肝心の結果はどうだったかというと……





銀メダル4個を含む5種目で入賞!。目的は果たしました……というより、当時の私の実力からすれば出来過ぎの結果です。一番嬉しかったのは、正式種目であるHIZADAIで自己新を撃って銀メダルをもらったことかな。余談ですが、私は短筒を除くすべての射撃競技(もちろんAR、SB、AP等のISSF種目を含む) において、試合で自己新を撃っています。






海外の一流選手と交流できたのも楽しかった。それまでは何となく “お客さん” みたいな扱いだったのに、この時以来、テクニカルな面に関しても色々と具体的なアドバイスを頂けるようになりました。「パッチは○○より××の方がいいぞ」とか、「○○○の火薬を使う時は、×××の火薬を使う時より△△%減装すると同じくらいの弾速になるよ」とかね。恐らく、このときの結果を見て、ちゃんと対等に競うことが出来る射手だと認めてくれたんでしょうね。




ところで話は変わりますが、ライフル射撃選手の皆さんに問題です。この写真、一番左側の黒いシャツの方はどなたか分かりますか?。実はこの方、東京オリンピックの300FRで金メダルを獲得したゲイリー・アンダーソン選手なんですよ。残念ながらこの日は選手としてではなく、プレゼンテーターとしての参加だったんですけどね。確かこの当時はアメリカの上院議員だったはずで、シークレット・サービスの護衛付きで登場したので驚きました。




これは当時のゼッケン。今でも大切に取ってあります。



このときの結果に気を良くした私は、その翌年にイタリアで開催される世界選手権にも参加することにしたのですが……その時の話はいずれまた。

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