国鉄の華やかな時代の代名詞
昭和43年10月のダイヤ大改正
ファンには「よんさんとお」と呼ばれている
当時、私は大阪空港勤務一年生
低賃金の労働者で毎日の生活に追われていた
年末ボーナスまで飲まず食わずの生活だった
今でもこの「よんさんとお」時代を思うと
いくつかの記憶が蘇える
一つ目は出張帰りの母方の伯父から新大阪に呼ばれ
普段食べられない食事と酒をご馳走になった
食後、新大阪から博多行の特急寝台電車「月光」
乗車の伯父を見送った、散在させてしまった
二つ目は数年後結婚して家人と岡山からの帰路
電車急行「鷲羽」赤穂線経由に乗車した
滅多に通らない珍しい赤穂線の旅だった
まだ、新幹線は走っていない時期だった
三つ目は大阪から家人と特急「雷鳥」で金沢へ
観光の後、駅前のホテルに宿泊
翌日、急行「のりくら」で富山経由高山へ
富山で方向転換した記憶がある
高山の街は寒かったが宿は暖かった
翌日、同じ「のりくら」で名古屋経由新幹線で帰阪
この本を見ると懐かしい列車の姿が蘇える
昭和43年10月のダイヤ大改正
ファンには「よんさんとお」と呼ばれている
当時、私は大阪空港勤務一年生
低賃金の労働者で毎日の生活に追われていた
年末ボーナスまで飲まず食わずの生活だった
今でもこの「よんさんとお」時代を思うと
いくつかの記憶が蘇える
一つ目は出張帰りの母方の伯父から新大阪に呼ばれ
普段食べられない食事と酒をご馳走になった
食後、新大阪から博多行の特急寝台電車「月光」
乗車の伯父を見送った、散在させてしまった
二つ目は数年後結婚して家人と岡山からの帰路
電車急行「鷲羽」赤穂線経由に乗車した
滅多に通らない珍しい赤穂線の旅だった
まだ、新幹線は走っていない時期だった
三つ目は大阪から家人と特急「雷鳥」で金沢へ
観光の後、駅前のホテルに宿泊
翌日、急行「のりくら」で富山経由高山へ
富山で方向転換した記憶がある
高山の街は寒かったが宿は暖かった
翌日、同じ「のりくら」で名古屋経由新幹線で帰阪
この本を見ると懐かしい列車の姿が蘇える
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます