私にとっては、本当に盛りだくさんな一年でした。
特にロードレースに戻れたことは、本当に奇跡だ。
そして何より、ロードレースへ復帰しても、立ち向かう気持ちも体も以前とは比べものにならないくらい落ち込んでいた自分を励ましてくれる仲間に出会えた事が、一番良い思い出です。
2月に、株式会社エジソンのO田 本部長よりT中社長の支援を頂ける事になったという知らせを受け、ようやくレースに戻れる、とその時は大いにはしゃぎました。
3月に予算が決まってからの自転車選び。
そこで、Hi-Bike という素晴らしい自転車店と出会い、今でも整備・部品調達はここしかないと。
3月末に整備してもらったロードが、大きなトラブルもなく、いまもバシバシ変速も決まるし、文句なし。
気になる事があれば、持っていけば直ぐに整備してくれ、また元通り快調な機材となって戻ってくる。
4月にJCRC群馬に出ようと思ったが、体重超過により山コースを走れる自信がなく、ここでのレース復帰は諦めた。
雪が直前まで降っていて、交通手段がなかったのも理由の一つとしたが、実は走れる自信がなかった事が大きかった。
それでも、そんな自分を見捨てず、レースを予定していた日に、しばたさんとかとーちゃんと3人で、登山をした。
その時、仲間っていいな~と思った事をふと思い出している。
5月にもてぎエンデューロ春 4時間にエントリーしたけれど、3時間くらいでリタイヤした。
トレーニング不足、太りすぎで、どうにもならないくらいの体の痛みに耐えきれず、かつレースに出るための忍耐力が身についていなかった。本当に情けなかった。
6月のJCRC下総も2時間エンデューロに出たが、太りすぎにより暑さに負けて、集団についていけずにまたリタイヤ。
2戦連続のリタイヤは、さすがに情けなく、この頃からもっとがむしゃらに練習しようと思いなおした。
2012年にMTBのレースに出ていた時のように、ただ自転車に乗っていれば、だんだんと昔の感覚が戻ってきて、また以前のように走れると思っていたが、そうでもなかった。4年間もまともにトレーニングしていなかったんだから、戻るわけがない。またきつい思いをたくさんしてトレーニングしないとダメだと思い直す良いきっかけとなった。
7月のJCRC下総も、2時間エンデューロへ出場。ここで何とか集団にくらいつき、無事8位くらいで完走したと思う。
雨が降って、気温が上がらなかった事が良かった。この時、完走したという達成感は、それまでレースを辞めてから味わう事のなかった達成感だった。これだと思った。情けない自分に対する劣等感から必死に練習して、目的を果たした時の達成感。この達成感こそが、心を豊かにしてくれる。
8月はレースがなく、9月の最初に出たのが、富士チャレンジ200
無謀にも、200kmの部にエントリー。
富士スピードウェイのコースは初めてだったけれど、走りごたえのあるコースだった。
200kmという距離は、あの時の自分には本当に苛酷だった。
何度も諦めかけたけれど、応援にきてくれた、しばたさん、かとーちゃん、H本さんがいたから、ゴールできた。
ピットに戻る度に掛けてくれる言葉が嬉しくて、もしあの時の音声があれば、落ち込んだ時にまた聞きたいと思うくらい。
特に「たとえ一人になっても、私たちは最後まで応援します。完走しましょう!!」という応援は、今でも刻まれています。
写真もたくさん撮ってくれた。H本さんの絶妙な構図の写真もたくさん貰えて、本当に良い記念になりました。
無事完走し、車へ戻り、開錠したが鍵を無くすという失態を犯してしまった。何とか見つけだせたけれど、あれ以来、レース中の車のカギは、しばたさんが持ってくれるようになった。
9月のもう一つのレースは、幕張で行われたバイクナビグランプリ。キングの部に申し込んだ。
台風が迫りくる、暴風雨の中、当時訓練でとても忙しかったT橋さんが、ポンチョを来て何時間も応援してくれたことは、今でも鮮明に覚えている。でも、バイクの異音がすさまじく、3時間終わってレースを辞めて、結果は最下位を取ってしまった。
普通なら、帰りの車中で落ち込むものだが、T橋さんのキャラとトーク力もあって、落ち込む暇もなく、帰れました。
10月は、川崎で行われたバイクナビ。このレースも雨でした。しかも2日前に飲み会があり、帰宅が夜明け前になるという楽しい飲み会だった。レース当日には、体の疲れも取れていて、何も懸念は無かった。
そういえば、この日は しばたさんがわざわざ電車で来てくれたレース。来なくても大丈夫と伝えていたのに、来てくれた時の嬉しさといったら。
私はツンデレかもしれないとも思った。いや、あまのじゃく、か。
レースは先頭集団について行けれなかったけれど、気持ちを切らさずに3時間走り切れたのは◎。
高岡選手と走れた事も、良い経験となった。
11月。ツールドおきなわ
悔しさがかなりありました。サポートは万全。レース前の体調管理のために、深夜勤務シフトを変わってくれた、A達くん。そしてツアーの調整をすべて、あべちゃんが実施してくれて、バイクパッキングは、Hi-BikeのN村店長よりたくさんの情報を頂き、配送も問題なく実施できた。そんな手厚いサポートを受けながら、210kmを走りきれなかった自分の情けなさといったら。。。何より20km地点で先頭から遅れた事が、なんとも情けない。前日の沖縄入りの時から、気持ちで負けていた。レーススタート直後の落車頻発で更にビビッてしまい、結果、なんて事のない坂でアップアップになって、ちぎれるという。。。。レース後半、気持ちが吹っ切れたらいつも通り走れたので、やはり最初から気持ちで負けるというお粗末な結果。かなり落ち込みました。しかし、レース後はO田本部長を始め、T社長、あべちゃん、そして沖縄まで来てくれたしばたさん、おくださんが居てくれたおかげで、レース後は楽しく過ごす事ができた。
11月には、もてぎエンデューロ4時間の部にリベンジ。無事、完走する事ができた。M崎さんが応援に参加。写真をお願いしたら、プロ級の腕前でビックリした。
この頃から完走が当たり前になってきて、そこで満足していたら、しばたさんに「そろそろ勝ちにいきましょう」と言って頂いて、本来自分が目指したかった目的を思い出す事ができた。
12月にJCRC最終戦へエントリー。2時間エンデューロに出たけれど、先頭について行けず、頑張って負荷あげて練習して終わっただけだった。完走はしたけれど、苦しいと思ってから10回は踏ん張れる、というのをレース後に思い出した。
2017最終戦の、袖ケ浦サイクルマラソンは、恐怖の落車を経験し、腰痛によりレースを降りた。
腰痛はその後、体調を大幅に崩した際、風邪薬を飲んで、長時間寝ていたら、治った。たいした事がなくて何よりでした。
レース後に行った、海鮮焼きのお店も、赤い橋も、しばたさん、N野さん、かとーちゃんとで、ものすごく楽しかった。赤い橋では終始笑いっぱなしだった。N野さんがいると、いつも楽しい。
そして、年末になって、U田さんが戻ってきた。久しぶりの焼き鳥も、チーム錬も経て思うのが、あの頃とちっとも変ってない。キャラも乗り方も。時の流れは無いんじゃないかと思うくらい。でもおかげで、あの時走っていた時にどういう風に考えて走っていたのかを思い出せた。「誰にも負けたくない」。練習中、アタックがあればそれを対処し、先頭を取らせなかった(取られたけど)。でも次のアタックポイントでは絶対に勝ってやるという、負けん気だけで練習していた事を、先日思い出せました。
この気持ちが、この1年で自分に最も欠けていた部分。おかげで、2018年が楽しみになりました。
こうして、多くの仲間たちのおかげで、2017年を色濃く過ごす事ができました。
中でも、いつも激励してくれた、しばたさんには本当に感謝です。
いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。