振り絞れ❗

自転車(ロード、MTB XCO)と里山登山について書いています。

2017年とは

2017年12月31日 | 日記

私にとっては、本当に盛りだくさんな一年でした。
特にロードレースに戻れたことは、本当に奇跡だ。


そして何より、ロードレースへ復帰しても、立ち向かう気持ちも体も以前とは比べものにならないくらい落ち込んでいた自分を励ましてくれる仲間に出会えた事が、一番良い思い出です。


2月に、株式会社エジソンのO田 本部長よりT中社長の支援を頂ける事になったという知らせを受け、ようやくレースに戻れる、とその時は大いにはしゃぎました。


3月に予算が決まってからの自転車選び。
そこで、Hi-Bike という素晴らしい自転車店と出会い、今でも整備・部品調達はここしかないと。
3月末に整備してもらったロードが、大きなトラブルもなく、いまもバシバシ変速も決まるし、文句なし。
気になる事があれば、持っていけば直ぐに整備してくれ、また元通り快調な機材となって戻ってくる。


4月にJCRC群馬に出ようと思ったが、体重超過により山コースを走れる自信がなく、ここでのレース復帰は諦めた。
雪が直前まで降っていて、交通手段がなかったのも理由の一つとしたが、実は走れる自信がなかった事が大きかった。
それでも、そんな自分を見捨てず、レースを予定していた日に、しばたさんとかとーちゃんと3人で、登山をした。
その時、仲間っていいな~と思った事をふと思い出している。

5月にもてぎエンデューロ春 4時間にエントリーしたけれど、3時間くらいでリタイヤした。
トレーニング不足、太りすぎで、どうにもならないくらいの体の痛みに耐えきれず、かつレースに出るための忍耐力が身についていなかった。本当に情けなかった。

6月のJCRC下総も2時間エンデューロに出たが、太りすぎにより暑さに負けて、集団についていけずにまたリタイヤ。
2戦連続のリタイヤは、さすがに情けなく、この頃からもっとがむしゃらに練習しようと思いなおした。
2012年にMTBのレースに出ていた時のように、ただ自転車に乗っていれば、だんだんと昔の感覚が戻ってきて、また以前のように走れると思っていたが、そうでもなかった。4年間もまともにトレーニングしていなかったんだから、戻るわけがない。またきつい思いをたくさんしてトレーニングしないとダメだと思い直す良いきっかけとなった。


7月のJCRC下総も、2時間エンデューロへ出場。ここで何とか集団にくらいつき、無事8位くらいで完走したと思う。
雨が降って、気温が上がらなかった事が良かった。この時、完走したという達成感は、それまでレースを辞めてから味わう事のなかった達成感だった。これだと思った。情けない自分に対する劣等感から必死に練習して、目的を果たした時の達成感。この達成感こそが、心を豊かにしてくれる。


8月はレースがなく、9月の最初に出たのが、富士チャレンジ200
無謀にも、200kmの部にエントリー。
富士スピードウェイのコースは初めてだったけれど、走りごたえのあるコースだった。
200kmという距離は、あの時の自分には本当に苛酷だった。
何度も諦めかけたけれど、応援にきてくれた、しばたさん、かとーちゃん、H本さんがいたから、ゴールできた。
ピットに戻る度に掛けてくれる言葉が嬉しくて、もしあの時の音声があれば、落ち込んだ時にまた聞きたいと思うくらい。
特に「たとえ一人になっても、私たちは最後まで応援します。完走しましょう!!」という応援は、今でも刻まれています。
写真もたくさん撮ってくれた。H本さんの絶妙な構図の写真もたくさん貰えて、本当に良い記念になりました。

無事完走し、車へ戻り、開錠したが鍵を無くすという失態を犯してしまった。何とか見つけだせたけれど、あれ以来、レース中の車のカギは、しばたさんが持ってくれるようになった。


9月のもう一つのレースは、幕張で行われたバイクナビグランプリ。キングの部に申し込んだ。
台風が迫りくる、暴風雨の中、当時訓練でとても忙しかったT橋さんが、ポンチョを来て何時間も応援してくれたことは、今でも鮮明に覚えている。でも、バイクの異音がすさまじく、3時間終わってレースを辞めて、結果は最下位を取ってしまった。
普通なら、帰りの車中で落ち込むものだが、T橋さんのキャラとトーク力もあって、落ち込む暇もなく、帰れました。


10月は、川崎で行われたバイクナビ。このレースも雨でした。しかも2日前に飲み会があり、帰宅が夜明け前になるという楽しい飲み会だった。レース当日には、体の疲れも取れていて、何も懸念は無かった。

そういえば、この日は しばたさんがわざわざ電車で来てくれたレース。来なくても大丈夫と伝えていたのに、来てくれた時の嬉しさといったら。
私はツンデレかもしれないとも思った。いや、あまのじゃく、か。

レースは先頭集団について行けれなかったけれど、気持ちを切らさずに3時間走り切れたのは◎。
高岡選手と走れた事も、良い経験となった。


11月。ツールドおきなわ
悔しさがかなりありました。サポートは万全。レース前の体調管理のために、深夜勤務シフトを変わってくれた、A達くん。そしてツアーの調整をすべて、あべちゃんが実施してくれて、バイクパッキングは、Hi-BikeのN村店長よりたくさんの情報を頂き、配送も問題なく実施できた。そんな手厚いサポートを受けながら、210kmを走りきれなかった自分の情けなさといったら。。。何より20km地点で先頭から遅れた事が、なんとも情けない。前日の沖縄入りの時から、気持ちで負けていた。レーススタート直後の落車頻発で更にビビッてしまい、結果、なんて事のない坂でアップアップになって、ちぎれるという。。。。レース後半、気持ちが吹っ切れたらいつも通り走れたので、やはり最初から気持ちで負けるというお粗末な結果。かなり落ち込みました。しかし、レース後はO田本部長を始め、T社長、あべちゃん、そして沖縄まで来てくれたしばたさん、おくださんが居てくれたおかげで、レース後は楽しく過ごす事ができた。


11月には、もてぎエンデューロ4時間の部にリベンジ。無事、完走する事ができた。M崎さんが応援に参加。写真をお願いしたら、プロ級の腕前でビックリした。
この頃から完走が当たり前になってきて、そこで満足していたら、しばたさんに「そろそろ勝ちにいきましょう」と言って頂いて、本来自分が目指したかった目的を思い出す事ができた。


12月にJCRC最終戦へエントリー。2時間エンデューロに出たけれど、先頭について行けず、頑張って負荷あげて練習して終わっただけだった。完走はしたけれど、苦しいと思ってから10回は踏ん張れる、というのをレース後に思い出した。


2017最終戦の、袖ケ浦サイクルマラソンは、恐怖の落車を経験し、腰痛によりレースを降りた。
腰痛はその後、体調を大幅に崩した際、風邪薬を飲んで、長時間寝ていたら、治った。たいした事がなくて何よりでした。
レース後に行った、海鮮焼きのお店も、赤い橋も、しばたさん、N野さん、かとーちゃんとで、ものすごく楽しかった。赤い橋では終始笑いっぱなしだった。N野さんがいると、いつも楽しい。


そして、年末になって、U田さんが戻ってきた。久しぶりの焼き鳥も、チーム錬も経て思うのが、あの頃とちっとも変ってない。キャラも乗り方も。時の流れは無いんじゃないかと思うくらい。でもおかげで、あの時走っていた時にどういう風に考えて走っていたのかを思い出せた。「誰にも負けたくない」。練習中、アタックがあればそれを対処し、先頭を取らせなかった(取られたけど)。でも次のアタックポイントでは絶対に勝ってやるという、負けん気だけで練習していた事を、先日思い出せました。
この気持ちが、この1年で自分に最も欠けていた部分。おかげで、2018年が楽しみになりました。


こうして、多くの仲間たちのおかげで、2017年を色濃く過ごす事ができました。
中でも、いつも激励してくれた、しばたさんには本当に感謝です。
いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。



171230 久しぶりのチーム練

2017年12月30日 | 日記
5:40起床
朝ごはん食べるか悩んだが、走りながら食べようと思い、ボトル2本にCCD, 補給食として、Powerbar Gel梅味×2, チョコレート羊羹×2

6:30 自宅発。

まだ薄暗い中走りだしたが、まぁ寒い。
長袖インナー+長袖ジャージ+ウィンドブレーカ、下はレーパン+コンプレッションタイツ、靴下は冬用の厚手タイプ。

膝部分が特に寒く、こりゃ冬用のタイツを買わないとだめだと思った。


7:00前に集合場所の二ノ宮公園へ到着し、ほっとミルクティーを飲んで待つ。
無事、チーム員である、U田さんと合流。期間限定ではあるものの、久し振りのチーム錬。


出だしはゆっくりと走ったつもりだが、U田さんが前へ出ると、ゴリゴリ踏んでいくので、ついていくのがやっと。パワーは未だに健在のようだ。

程よい感覚で先頭交代を繰り返し、朝日峠迂回コースの小町アップダウンの登りで、危うくちぎられそうになってしまった。
登りでもゴリゴリ踏んでいくので、こりゃ今日はやばいぞと思っていた。
何とかくらいついて、先頭交代しつつ、昔懐かしのコースを走った。

余りにも長くゴリゴリ踏んで進んでいくので、フルーツラインに入ったら本当に千切れそうだと思っていたら、U田さんも疲れたようで、フツールラインに入ってから落ち着いた。というか、お互い疲れ果ててしまっていた。

前日までの予定は、100kmコースを走る予定だったが、私が前日に実施した大掃除で埃をたくさん吸い込んでから体調が悪くなってしまい、今日は湯袋峠ショートコースに変更させてもらった。

フルーツラインを少し走って、湯袋峠へ。
ここはアウター固定で筋トレ。
ゴリゴリ踏みつつも、アウターでもケイデンス高めで走れれば良いのだが、今の自分にはまだそれはできないので、アウター固定で何とか踏み切る練習。
あまりやりすぎると、膝を壊すので、程度を見ながら。
だいたい、前半260W維持で何とか走れていたけれど、ひつじの郷の当たりから200W前半まで垂れてしまったのは、×

U田さんもゴリゴリ登っていた。


そこから風返し。
麓は傾斜がきついので、一旦インナーに落としてから、キャンプ場を超えたあたりでアウターに入れなおして、そこからゴリゴリ踏んだ。
ここは得意なコースではあるが、まだまだパワーが足りない。それでも、出来る限り昔のイメージに近づくように。

登り切って、U田さんを迎えに少し下り、ふと麓の景色を見てみたら綺麗だった。


普段、登っている時は前しか見てないから、こういう景色を堪能する事はなかったけれど、なかなか良いもんでした。


風返峠を登りきってから、表筑波スカイラインを安全第一で下り、不動峠も安全第一で。
今日はサイクリストが少なかったな。いつもよりも快適に下る事ができた。


筑波総合体育館で補給して、しばし歓談した後、リンリンロード経由で、新しい橋を渡って、裏道使って東大通りが3車線になる所から東大通りの車道を快調に飛ばして、練習終わり。

二の宮公園で解散後、自走で自宅まで。
追い風だったので、楽チンでした。

しかし、不動を下った後に休憩した際、メータを止めたのを忘れていて、記録はしっかり摂り切れなかったのは、×。次回に持ち越しかな。
走行距離:90kmくらい



次は年明け。それまでに、平坦で遅れないようにしっかり乗り込んでおこう。

171225 インフルエンザ

2017年12月25日 | 日記
私以外の家族全員、インフルエンザを罹患した。

私だけ、大丈夫。


それでも、先日少し頭がクラクラし始めた。
ずーっとマスクを着けているから、酸欠なのか。もしくは私も。。。

近所のスーパーに買い出しにすると、やはり少しフラフラする。

これはやばい。


そういえば、最近自転車に乗っていなかった。
汗を掻いていないので、そういったことも影響しているかもしれない。

そう思い、30分ローラーに乗ってみたところ、フラフラ感は解消し、いつも通り元気になった。



そんな最近の悩みの種は、新ジャージのデザイン。

多方面に意見を求め、今日になって具体的にまとまり始めた。


それでも、デザインセンスの無い私が最後にまとめると、今シーズンのジャージみたいにあまりよろしくないデザインになっては困るので、チームのデザイン担当に相談してみたところ、やはりバッチリ決まった。

頼りになる仲間がいるって良いもんだ。
早速メーカーへ連絡し、改定案の製作に取り掛かって頂いた。


このチームは、一緒にいて楽しい人たちで集まったら、結果的に良いチームになった。
そして何より、このチームのみんなの良い所は、何か課題ができると、まず最初に考えるのが

「どうすれば出来るのか」

を真っ先に考え、行動する事ができる。


私は時に、課題に対し、出来ない理由や言い訳を考えてしまう事がある。過去の自分はまさにそういう人間だったからかもしれない。

でも、どうすれば出来るか、を真っ先に考えるようになって、仕事も楽しくなって、課題に取り掛かるのも楽しくなった。

たまに忘れてしまう時は、仲間の行動を見ていれば、自ずと思い出し修正する事ができる。

仕事をする上でも、レースに出るうえでも、彼らの存在は本当に大事だと、毎回気付かされるので、本当に良い仲間に恵まれています。

171221 10年、他

2017年12月21日 | 日記
久しぶりに、上ちゃんに会った。

全然変わっていなくて、ビックリする間もなく、過去に行きつけだった、炭がま で焼き鳥ともつ煮を食べながら。
そして懐かしいおばあちゃん。10年前、毎日のように通ったのに、覚えていないというけれど、愛嬌のあるキャラはそのままだった。

上ちゃんとの会話も弾み、10年 積もりに積もった話で、一体何時間話していたんだろうか。
10年ぶりという感じもなく、つい昨日まで一緒にいたような感じで、話していた。

会話の中で、先週末のレースが人生初の落車だと思っていたが、実は2008年の実業団石川ロードBR-2のレースで、ゴールスプリントで落車していた事を思い出した。2回目の落車でした。。。


その後も話は続き、つくばを離れてからも、ずーっと自転車に乗っていたということもうれしく、何気に八ヶ岳を走っていたりと、僕よりも自転車に乗っていた。驚きだ。今後も時間が合えば共に走れる事もまた素晴らしい。けれど、4月まで。
冬季トレーニングで鍛えなおそうと思っていたので、これも良い機会だ。

上ちゃんにご馳走になり、つくば駅まで上ちゃんを送った後、手袋を落としてしまい、そのまま自宅まで。
寒かった。。。今の季節、手袋がないときっつい。



☆☆☆


長引いていた風邪も大分よくなってきた。それでも今朝は少しだるかった。
でもそんな私以上にダルそうにしている長男がいた。

午前中は妻に託して、仕事へ行き、明日キャッチアップできるように業務をある程度片付けて、午後から休みを取った。
すると、娘まで体調不良で学校を早退してきた。

家族みんなで病院へ行ったら、小児科も患者がたくさん。
結構待った。
インフルエンザが流行中のようで。。。

私はインフルエンザに罹った事がないので、一応大丈夫か先生に聞いてみたら、風邪のような症状の後に悪化せずに治る人もいるらしい。おそらく私はそれではないか、と。

診断後、薬を貰って帰宅。
その後、妻まで体調不良に陥るという。。。


波乱なクリスマスになりそうな予感。。。

171217 袖ヶ浦サイクルマラソン 参加レポート

2017年12月17日 | レース参戦
2017/12/17(日) 晴れ 強風
参加クラス:100km ソロ
結果:DNF (人生初 レース中の落車を経験。)


4:00起床
餅3個+わかめご飯を食べて、炭水化物を多めに摂取。
準備は前日にしていたので、一通り準備を終え、5:30自宅発。
しかし、朝早い時間にのんびりしようとすると、直ぐに時間が経ってしまう気がして、5:30まで忙しなく過ごしていた。

ガソリン満タンにして、応援メンバーである、N野さん、しばたくんをピックアップして、6:00過ぎに出発。一路、袖ヶ浦フォレストレースウェイへ。

圏央道→京葉道→館山道を経由し、7:30前には会場に到着。
そそくさ準備を開始。
気温は思っていたよりは寒くなかった。風もこの時点では強風とは思わなかった。

受付、トイレ渋滞、自転車組立と過ごしたら、あっという間に試走終了時刻の8:00の5分前。
急いで試走へ。
走った感じ、茂木や富士スピードウェイのようにきつい登りがないので、これはいけるかもと思った。
風も気にならず、感触は悪くない。調子が良い時はほとんどないので、気にせず。
コースを1週半したところで、試走終了。

そして、8:15招集時刻になり、集合場所へ。



コースオープンとなり整列したところ、結構前の方に陣取る事に成功した。
サーキットレースではとても珍しく、好位置に並べたのは嬉しい限り。今日はレースができる。そんな予感がしていた。


後にサポートメンバーのお二人に聞いたところによると、スタッフの方が、コースに入って写真を撮っても良いを気を利かせて頂いたようで、かなり近くまできて写真を撮れたことを聞いた。こうしたレース参加者以外にも気を利かせて頂ける大会スタッフの方に感謝です。


8:30レーススタート。ペダルキャッチは失敗気味。でも慌てずに。



最初の3~4周は、前々で走れた。
久しぶりに感じる、集団先頭付近での走行。そして懐かしい、このレースをしている感じ。
周りの人の足を見ながら、今日はどういった展開があるのか、何だかワクワクしながら走っていた。
周回を重ねる毎に風が強くなっていき、横風を受ける区間では、50mmのボーラOneでは風に持っていかれる事が多くなってきた。
私がディープリムに慣れていない事があり、操作に苦労した。横風が来るとバイクがブレるので、戻すのに大変で、周りからしたら危ない人に見えたと思う。
とはいえ、今更機材交換は無理なので、冷静に慣れること、横風区間を頭に入れて対策して、何とは集団についていった4周目くらいだった。

ホームストレートを終えた後の登り。坂で絶え絶えになって走っていた選手がふらつき、それに巻き込まれた人数名が、自分の目の前で落車。ちょうど下りに入る直前の登りで、踏みなおしてスピードを上げ始めた後だったので、避けきれなかった。

ありえないと思っていた事が、目の前で起きてしまった。
レース中の落車は人生初。
良い位置で走っていたのに、一瞬でレースが終わった。


倒れた人を気遣いつつ、見えなくなった集団を追いかけるべく、直ぐにバイクを直して、幸いチェーン落ちだけで済んでいたように思え、行けるとおもった。

急いで自転車にまたいだら、異変に気付いた。


腰が痛いぞ。


しかし、とにかく集団に追いつかなくては、と思って単独で踏む。
先ほどまでは集団内にいたので気付かなかったが、結構風が強い。そんな中300Wで踏むと、腰がピキピキいいはじめ、嫌な予感。
それでも集団に追いつきたくて、何とかしてレースをしたいという思いで必死に追いました。



直ぐに追いつけると思っていたが、そうでも無かった。自分にはまだ、強風の中単独で集団を追えるだけの脚はなかった。


次第に先頭からこぼれてきた人たちと走るという、いつもと同じスタイルになってしまった。情けない。そして、腰が痛い。


レース自体もだんだんと落ち着いてきて、強風に慣れた事もあり、以降は安全に進んでいたように思える。


せっかく集団が落ち着いてきたのに、自分は腰をかばいながら走っていた。痛みが取れない。
そして、後輪も振れてしまったようで、ブレーキを掛けるとフレームが震えるので、明らかにおかしかった。


痛みをこらえて走っていると、余計な所に力が入ってしまっていたようで、いつもとは違う感覚の脚パンに陥った。



次第に痛みに堪えなくなり、これ以上完走を目指して走っても、長い療養期間というおまけがついてきそうだったので、60km過ぎに無理せずレースを降りる事にした。



☆☆☆

レース後、サポートメンバーと合流し、かとーちゃんとも合流し、リタイヤする事を告げ、せっかく応援に来てくれたのに申し訳ないと謝りました。

しかし、サポートメンバー皆が直ぐに気持ちを切り替えてくれました。この後を楽しもうと。
直ぐに着替えて機材を積んで、木更津市内の、活き活き亭へ向かいました。

【活き活き亭備忘録】
・扉を開ける前の受付で、席の番号札を貰わないと、お会計できないシステム。
・海鮮焼きは、会計前に、セルフで商品棚から取ってくる必要あり。
・定食メニューだけ、レジで注文。
・お会計は、前会計。
・下記は上下交互に4分

何も知らずにお店へ行き、レジと入口、商品、等 3往復したので、レジのおばさまと少し仲良くなれた気がします。

今回の食材は、はまぐりとカキ


このカキは上下交互に4分という時間制約があるにも関わらず10分も焼いてしまいました。(教えてもらったのは、焼き開始後10分後)
カキは焼いている時に、殻が散弾銃のように飛び散るので、網をかけておく必要があり、2個ずつしか焼けなかったので、残りの2個は時間を守って焼いた結果、いい感じでした。


そして活き活き海鮮丼
ネタが新鮮で美味かったです。


お店の直ぐ近くに、2000年代に放映されていた「木更津キャッツアイ」に出ていた、赤い橋があったので、みんなで登りました。
強風だったけれど、景色が最高でした。
しかし、富士山は雲に隠れていて、凛とした姿を拝むことができなかった。
朝は高速からは見えたんだけどな~



そして記念撮影。
このピンボケ具合が最高だと、皆意見が一致したので、ブログにはこちらを掲載することに。




2017年最後のレース。
結果は散々でした。

でも、大切な仲間が応援そして傍に居てくれたおかげで、本当に楽しく、時間を忘れて笑う事ができました。

本当にありがとうございました。


2018年は、1月末まで、今自分に足りない部分を重点的に鍛える練習をする事にしました。
今のままレースに出続けても、レースにはなりません。

幸い、チーム員が戻ってきたので、一緒に頑張れたらと思ってます。

今後ともよろしくお願い致します。


また、今回第二回となった袖ヶ浦サイクルマラソンですが、もてぎエンデューロとはまた違った面白さがありました。
駐車場からピットまでが近いのも良い所です。

小さいサーキットだからこそ、だと思います。
マトリックスの土井選手が初心者講習をしてくれたり、改めて聞くと、あぁ気を付けなくてはと思える事もあるので、お勧めです。