子供の頃からικμτはικμτであってはならないなどと言うおかしな考えを持っていた。
はっきり言って自己否定の心理である。
自己否定した自我の持ち主は、たやすく他者に自己をハイジャックされる。
自己否定自我と、所有否定自我とは仲がいい。
自己を否定しているから、所有の願望が起きず、所有を否定しているから、自我が自己を所有しようとしない。
自我が自己を所有していないのだから、
いわゆるジャイアニズムの持ち主。
おまえのものは俺のもの、俺のものは俺のもの。
その人の自我や持ち物がこんなやつの餌食になる。
このように紙に書けばこういう人たちの苦しみは共感できるだろうが、その人の周りにいる人は、たいがいが自己肯定自我、所有肯定自我の持ち主である。
苦しみは理解されず、それどころか相談された側が、自分が糾弾されているように感じて、話を聞こうとしないであろう。
それで加藤諦三先生あたりは、こんなタイプを苦しめる人を、「ずるくて図々しい人」と言う表現を用いて紙上で糾弾するのだろう。
閑話休題。
さて、その所有否定、自己否定(存在否定)の傾向がある人を、ソンディ博士は訓練自我と呼んでいる。
話は変わるが、ソンディ博士の理論には治療のための方法論もある。
それにハンマーシュラーク法のみが彼の治療の方法論ではないであろう。
無理に訓練自我を換えろとは言わないが、何かの縁で私のブログに縁があったのである。
記憶にとどめておくといいかもしれない。
以上である。