<中国ブログ>中国サイコウ 元/上海駐在日本人が綴る日中経済の状況など

中国駐在時代の経験・知識をもとに、
最高(サイコウ)の日中関係の再構築を目指し、
日本と中国を再考(サイコウ)する

息子の中国上海留学(残留)物語 パート5

2018-09-09 | 息子の中国上海留学(残留)物語

中学3年の5月、夕食時に進路の話に。
当然ながら、1学期が終わって帰国して地元の中学を受験するのか、中国に残って現地の高校に進学するのか、そろそろ決断しないといけない。
前述のとおり、帰国したとしても、頑張れば2~3番手の学校に合格できるかも・・・といったレベルで、1番の進学校は望むべくもないといった学力。
もうちょっと自分で頑張ってくれよ、、、と言っても、時すでに遅し。。。

で、前回記事の中学校長の「せっかくだったら、ウチの学校に入学したら?」とのお誘いを披露したところ・・・

嫁は「いや、中国語できないんだから、授業受けるとか無理でしょ?」と。
うん、常識で考えると、たしかにそのとおりです、ハイ。
仮に入学したとしても、日本人は独りなんで、特別扱いとかナシ。
加えて、社会の授業で共産主義教育とか反日教育とか受けるんでは・・・との懸念も。

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折しも、時は2011年。
2008年の北京五輪に続き、前年に上海万博を成功裡に開催し、ついに「中国の時代が到来」と日本のメディアで連日のように報じられていた頃。
データの面でも、GDPで中国が日本を抜いて世界第二位になるという時期で、日本企業がこぞって中国市場を目指していた頃でもあります。

それだけに、「将来を考えたら、日本に戻るよりも本人にとってプラスかも?」と頭では思うものの、
「いやいや、成績も人並みだし、中国語もロクに出来ないんだから、いきなり現地校なんて現実的ではない」という気持ちも強く・・・(当たり前ですよね)、堂々巡りですね。

ただ、仕事上の付き合いもあるので、せっかくのお誘いだから家族で見学には行こうという話になり、翌週に中国人スタッフ同行のもと、学校を訪問。
そこでの嫁と息子の反応は・・・

端的に言うと、目からウロコ、百聞は一見に如かず、でしたね。
まず、この学校、スゴく清潔感があるんです。
とりわけ学生寮は、寮生の教育が行き届いていて、例えばコップに立てた歯ブラシの向きはコッチとか、掛布団のたたみ方はこうとか、細かく決まっていたんです。
で、4人部屋ごとに点数が付けられる仕組みになっているので、もう片付けしないワケにはいきませんよね。

授業の内容についても説明を受け、英語教育にも力を入れていることが伝わってきた。
ちなみに、この学校、中学部は結構レベルが高いようで、成績上位の生徒は上海トップクラスの学校に進学する子もいるとのこと。
中国、日本よりも受験戦争が厳しいですからね。
特に上海は、中学生の学力が世界一なので。。。

そんなこともあり、仮に息子が転入するとしても、いきなり中学3年生では教員も他の生徒も余裕がないということで、中学2年に学年を落とすことになる、との提案。
まあ、コチラも偉そうなことも言えないので、その条件で検討することに。
内心、いきなり中学浪人みたいになっちゃうなぁ・・・と考えつつ、帰路に。

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で、筆者から息子に一言。
「ここでどうしたいかは、自分の人生を左右することになるから、後悔しないように自分で決めること。客観的にみると、日本に帰国すれば不自由もなく普通の高校生活が送れるが、中国での生活が自分の人生に影響を与えることは少ないだろう。対して、いまの中国の発展ぶりと将来予測を考えると、中国の現地校に入って死に物狂いで頑張りきれれば、野球で言うところの逆転満塁ホームランになるかもな」と。

すると、息子が少し考えて・・・
「それもいいかもね。中国、キライじゃないし」と。

え、マジで、、、ホントに行くの?
てか、帰国して受験勉強するのも大変だけど、中国語で全部の授業受けるほうが百倍大変だと思うんだけど・・・(偉そうに言ったものの、オレだったらゼッタイ帰国するよ)。もしかして、夏休みに受験勉強しなくていいからハッピーとか思ってるんでは、と疑心暗鬼になったり。。。

でも、息子が自分で決めたことなんで、最終的には尊重しようということに。
そのかわり、夏休みにしっかり現地校に入る準備をするようにとキツくお達しをして・・・

次回に続く

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息子の中国上海留学(残留)物語 パート4

2018-09-07 | 息子の中国上海留学(残留)物語

いよいよ息子が中学3年生になった話へ突入。

中国に入国した中学1年の10月から1年半が経過。
2年目の住居は、上海日本人学校の隣の敷地にあるマンション。
登下校は歩きだったので、筆者が朝の送りを担当することも。

息子本人は受験イヤーを控えても、勉強に熱が入るワケでもなく・・・
成績のほうも、相変わらずド真ん中。
いや、少し良くなったかな、ってトコ。

中学3年を迎えるに先立って、日本人学校では実力テストが実施された。
日本でも実施されているテストなので、高校入試の合否判定も出ることに。
地元の高校に当てはめると、偏差値としては、3番手は当確、2番手はビミョー。
このテストの結果を踏まえ、高校受験に向けた進路指導が行われた。
色々と聞いてみるものの、当時の担任の返答は、
「うーん、そうですねぇ、頑張ればもっと上のレベルの学校に行けるかなぁ」
といった中途半端なものばかり。
ん・・・、これって進路指導なのか?
上海在住の家族の親は駐在員が多いから、関東圏の生徒が多いので、九州の学校事情に知見がないのは分かるが、これじゃあ進路相談じゃないか。。。
(ここで感じた違和感を含め、シリーズ最後に番外編で言及します)

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ちなみに、当時、日本人学校には高等部がなく(現在は設立済み)、ほとんどの生徒は日本に帰国することに。
現地の高等部に進学する生徒は、ごくわずかでしたね。この場合、英語or中国語で授業を受けることになるので、そこまで気合を入れて勉強するなら、最初から日本人学校に入りません。中学生でいうと、上海中学国際部やインターナショナルスクールが複数ありますので。

しかも、帰国して高校受験をする場合、中学2年修了時、又は遅くとも中学3年の1学期終業時に帰国する生徒がほとんど。
何故って、これ以降に転入した場合、転入先の学校が内申書の特記欄に何も記入しない恐れがあるから、とのこと。
ただ、十分な期間、在学していないから記入しにくいというのは理解できますが、日本人学校に派遣されている教員は文科省で募集したフツーの教員なんだから、連携すれば解決するのでは・・・と思ったのを覚えています。
ま、それは余談ということで。

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ちょうどその時、筆者は地元の高校と上海の学校の提携を仲立ちする仕事に携わっていた。
この上海の学校、日本で言うところの中高一貫校で、私立。
ん・・・、社会主義の中国に「私立」の学校があるの・・・?
というのが、筆者の第一印象。

で、この学校のもう一つの特徴は韓国部があること。
日本の場合、日本人学校があるけど、韓国には無いのかも知れませんね。
もっとも、中国の学生とは全く別のカリキュラムで一緒に勉強することはないらしい。
あんまりマジメに勉強してくれないと、校長が嘆いていたような記憶が。。。

ある時、校長先生と話をしていると、
「せっかく息子が中学生で上海に住んでいるのに、日本人学校なんて勿体ない。よかったら、ウチの学校で受け入れるよ。」とのお言葉。
有り難い話だけど、ウチの息子、「ニーハオ」「謝謝」くらいしか喋れないもんで。。。
そりゃあ荷が重いですわ。

それでも、「家族を連れて学校見学に来てみたら?」と熱心に誘ってくれるので・・・

次回に続く。。。

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息子の中国上海留学(残留)物語 パート3

2018-09-06 | 息子の中国上海留学(残留)物語

引き続き、息子の日本人学校在学時の話に。

息子本人は、小学校時代にソフトボールをやっていたこともあり、中学に入ったら野球部に入る気満々だったのですが、中1の秋から中国行きが決まり、落胆という感じでしたね。
もっとも、日本人学校中学部にも野球クラブがあり、大人の軟式野球連盟のBリーグで試合も出来ると聞いて、ホッとひと安心。秋までは自分で練習しておこうということに。
ちなみに、日本人学校中学部の野球クラブ、以下のとおり。

https://ameblo.jp/shanghaitwins/

一般的に考えると、日本人学校に通う子ども達は不遇ですよね。
あくまで親の都合であって、自分たちが望んで中国に来ているワケではないので。。。
なので、この野球クラブも父兄を中心に運営されています。
筆者の場合、ちょうどタイミング悪く指導者的立場だった方が帰国したり、同級生が少ない上に野球経験が全くない父兄ばかりだったりで・・・、最後の年は監督まで務めることに。
まあ結果的には大変良い経験でしたが。。。

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で、日本人学校の中学生、どのような生活を送っているかというと・・・
平日は、専ら学校ですね、当たり前ですが。
ただ、以前の記事でも書いたとおり、バスでの通学に時間を要するため放課後が短い。
しかも、渋滞にハマったりしようものなら、家に着く頃には真っ暗なんてことも。

それから塾に通ってる子も多かったですね、週2~3日とか。
ちなみに、我が家、「塾には通わせない」のがモットー。
何故って・・・
学校の勉強は、教科書中心なんだから、それくらい自分で出来るでしょって感じ。
(自分で更なる高みを目指したいということであれば、大いに応援しますが)
よく「学校で習ったことなんて、大人になったらほとんど覚えてないから、あんな勉強は意味がない」といった発言を耳にしますが、それは本質的な勉強をやっていないからではないか・・・と筆者は思っています。

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端的に言うと、「勉強って、自分で工夫しながら進めるから、将来の役に立つんだ」ということです。
テストだって、どこが出るか分からない中で、自分なりに一生懸命考える。
ノートのまとめ方を真剣に考えて、覚えることを整理する。
そんなことの積み重ねが、大人になったときに役に立つんだと思うんです。
だから、塾に行って解き方を丁寧に教えてもらって、テストに出そうなところを練習問題として出題してもらって・・・というのだと、最終的に社会に出たときに困ることに。

実際の社会では、ハッキリした正解なんてないし、自分で選択しなければならないこと、時には勇気をもって「NO」と言わなければいけない場面も多いですから。
なので、子どもにはいつも「塾に行って95点取るよりも、自分で頑張って75点取るほうが、よっぽどスゴイんだ」と言っていましたね。
まあ、100点取るのに越したことはないんですが(笑)

こんな風に言ってたのが悪かったのか、日本人学校時代は75点くらいの答案が多かったような・・・(私のせいなのか?)

もっとも、こんな育て方が後々の人生に影響したのかも。。。
次回、いよいよ中学3年生編へ。

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息子の中国上海留学(残留)物語 パート2

2018-09-05 | 息子の中国上海留学(残留)物語

前回に続き、今回は初年度の上海での暮らしについて。

筆者の場合、4月から日本と中国を行ったり来たりの生活を始め、ビザの取得などを経て、盆明けから一人でマンションに入居、10月の国慶節に家族が合流という流れでした。

中国駐在に当たって、いきなり家族帯同で来る方もいるようですが、個人的にはあまりおススメできませんね。
海外生活は、思っている以上にストレスが多く、それゆえ疲れも溜まりやすい。
勿論、家族がいなくて寂しいというのは当然ありますが。。。

そして、何と言っても「言葉が通じない」というストレスは、言葉では言い表せないほど苦痛なものです。
筆者の場合、一応それなりに勉強して赴任したつもりでしたが、まあタクシーでは運転手にキレ気味に何度も聞き返されるなど、もどかしい思いを何度もしたことを覚えています。
中国語の場合、発音がうまいとか下手とかよりも、ハッキリ大きな声で喋るってことが重要なんです。こういったことは身をもって体験して学ぶしかないですからねぇ。

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そんなこんなで、家族を落ち着いた段階で迎え入れたのは、よい選択だったと今でも思っています。
当時の家族の中国語レベルは・・・というと、
ほぼ全く分からないという状況。

よって、初年度限定で、日本人向けのサービスメントアパートに入居することに。
上海在住の日本人家庭でいうと、ほとんどの家族が浦西地区を選択しますが、我が家の場合、日本人が少ない浦東地区を選択。
なぜって、ただ単に日本人学校の中等部が浦東にしかないからです。
浦西地区から通学すると、渋滞がなくても片道1時間かかるのは相当なロスですからね。
でも、圧倒的多数が浦西地区を選択します。
このあたりは「大人の事情」ってヤツですかね。

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で、最初にやらないといけないのは、家族の語学力アップ。
嫁、息子とも近くの中国語教室でマンツーマン指導を受けることに。
元々、嫁のほうが勉強熱心なので、日常生活レベルまで身につけるのは早かったですね。
それに比べて、息子の上達の遅いこと、遅いこと・・・。
まさに、ため息ものでした。。。
このときは、まさか中国の学校に進学するなんて、全く想定してなかったですから。

しかも、日本人学校での成績のほうも、思いっきり「中の中」。
ど真ん中ってヤツですね。
こんなことで、帰国した時にまともな高校に入れるのやら・・・って感じでした。

ってなことで、また次回に続きます。

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息子の中国上海留学(残留)物語 パート1

2018-09-03 | 息子の中国上海留学(残留)物語

またしても間隔が空いてしまいました。。。
で、自分なりにどうして更新が進まないのか・・・自問してみました。
たどり着いた結論は、「中国在住時と違って、本当に伝えたい内容が少ない」ってコト。
現地に居れば色んな刺激があって、日本と違う視点で書けるネタがゴロゴロ転がってますからね。

そこで、今回からシリーズで「息子の中国留学(残留)物語」を書いて行くことにしようかと。
正直なところ、あまり身内のことを書くのは・・・と常々思っていたのですが、ウチの事例は極めて変わっていると言われることが多いし、たしかに特異な例だとも思うので。
まあ、どちらかと言うと、留学というより残留のほうが正しいのかも。。。

てなことで、久しぶりにシリーズものとして書き綴っていきますね。

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まず、パート1では、中国生活スタートを回顧。

時は、2009年10月。
上海万博を翌年に控えた中国・上海で、我が家の中国生活がスタート。
当時、ウチの息子は中学1年生。
他の日本人駐在員一家と同じく、当たり前のように日本人学校に転入しました。

転入した当時、たしか1学年に200人以上の生徒が在籍していたと思います。
加えて、上海の日本人学校中等部は、日本人があまり住んでいない浦東地区にしかなく、しかも小学部と併設。
そのわりに、校舎・校庭とも、とても狭い!!
こんなので授業できるのか??ってのが、正直な第一印象でしたね。
まあ、数年前に出来た学校だったので、施設は立派でキレイでした。

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しかも、日本人学校への登下校に当たっては、必ず送迎が必要。
そのため、歩いて行ける距離でもバスで登下校する生徒がほとんど。。。
ごくわずかに徒歩で通って来る生徒がいますが、その場合もお手伝いさんが送り迎えという家庭も多かったような。。。

我が家としては「こんなバカらしいことはない!」との考えのもと、中学2年の7月に校舎の隣の敷地にあるマンションに引っ越して、自ら送り迎えすることに(お手伝いさんなんて雇っていませんでしたし)。
そのほうが、余計な出費も抑えられますしね(笑)
といっても、そこは日本人家庭ばかりが住むマンションではないですよ。
当時の見た感じでは、日本人は1割も住んでなかったんじゃないかな・・・。

それにしても、海外において、法人の安全確保が最優先されるということは十分理解しますが、ここまで発展した中国、しかも最も国際的な都市である上海で、未来を担う若者たちをこんなに過保護にする必要があるのか・・・と感じたのを、今でも覚えています。
若い人材にこそ、発展する中国のいまを肌で感じてもらいたい、と今でも切に思っています。

ただ、ここで感じた違和感のようなものが、後に別の形で妙な納得に変わるのですが。。。

次回につづく

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