光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

南房総国定公園・富津岬はまだ夏の佇まい

2024年09月30日 | 日記

 江戸前オイスターの養殖作業を見学した後、新富津漁港から富津岬に移動しました。9/13(金)ですが、気温が30度を超えてまだ真夏のようです。富津岬は東京湾に突き出た半島状の岬。明治から第二次世界大戦まで要塞地帯として立入禁止地区だったため、手つかずの自然が残されています。

 また岬の先端沖には要塞として使用された第一海堡と第二海堡があり、この二つとも人工島です。

 また岬の湿地帯にはマガモやカルガモが飛来する海浜植物の群落もあり、富津洲海浜植物群落地として千葉県の天然記念物にもなっています。

 さらに海岸ではウインドサーフィンやパラグライダーを楽しむ人たちの姿を年間を通じてみることが出来ます。この日も結構年配のおじさんたちがウインドサーフィンを楽しんでいました。

 ウインドサーフィンの写真を撮影していると駐車場に大型観光バスが入ってきました。乗用車は何台も来ていますが、大型バスの進入は初めて見ました。

 乗客がぞろぞろ降り、トイレにいく組と「明治百年記念展望塔」に行く組に別れ行動していました。この展望塔は明治100年を記念して作られた、五葉松の形をした展望台。昭和46年(1971年)完成しました。

 塔の高さは21.8m、とても眺望が良く東京湾や対岸の景色、房総丘陵を一望できるパノラマビューを楽しむことが出来ます。そして関東の富士見百景にも選定されています。

 暫く明治百年記念展望塔の写真を撮っていると、上空から聞き慣れた爆音がしてきました。ツレと一緒に見上げると、V-22オスプレイが飛行していました。木更津だけでなくこの辺にも飛行してくるのですね。驚きました。


新富津漁港の陸上採苗と江戸前オイスターの養殖

2024年09月27日 | 日記

 木更津の金田漁港の陸上採苗は9/20頃から始まります。しかし富津の採苗はいつから行われるのかわからないので、ツレと9/13(金)調べに新富津漁港に行ってきました。

 何時も海苔の種付け(陸上採苗)が行われる場所に行ってみると、親子と思われる2人が採苗の準備をしていました。そこで種付けはいつから始めるの聞いてみました。今年は気温が一向に下がらないので、10月5日から始める予定とのことでした。この異常気象はいろいろなところに影響しています。

 そこで新富津漁港(下洲漁港)に行ってみました。そこには丸いブイを積んだ舟がいっぱい停船していました。何の為のブイなのでしょう、不思議な光景です。

 そして中央突堤付近ではコンプレッサーが発する音がしていました。行ってみると三角形をした長いケースが積み上げられていました。その付近の音のようです。

 そこで作業をしている人がいたので聞いてみました。三角形のケースはカキの養殖をするケースでした。海に沈めておくので貝殻等が付いてしまうのでそれを洗浄しているとのことでした。良かったら見学していったらと言っていただいたので近くで撮影させてもらいました。

 側で作業をしていたのはカキの稚貝の選別でした。

 選別の隣では海からあげたカゴを海水の噴射で洗っていました。一概にカキの養殖と言っても大変な作業があるのです。

 暫く作業を撮影させてもらいました。その後最初に三角カゴの所で言葉をかけていただいた方にお礼を言って、次の目的地・富津岬に向かいました。


古民家に週末ステイする人との出会い-木更津市下郡

2024年09月25日 | 日記

 築90年という下郡郵便局旧局舎の写真を撮影し、後方も撮ろうと建物に沿って続いている細い道に入りました。そこで局舎の後ろ側のカット(上の写真)を撮影出来たのですが、その道の草刈りをしている方がいたので、話しを聞いてみました。

その方によるとこの草刈りをしている道は以前は街道だったとの由。少し先の県道長浦上総線はまだなくて、この細い道が主要地方街道だったようです。この道は途中で右に折れて小櫃川に至ります。この川には現在下郡橋という昭和40年(1965年)3月竣工のレトロな橋が架かっています。

 しかし昔は橋はなく、渡し船だったそうです。小櫃川は明治の初めまで、渡し船によって住民の往来、物資の運搬が行われ不便に悩まされていました。

 さらにこの方はこの道の突き当たりの古民家に週末だけ杉並区から来て田舎暮らしを楽しんでいるうらやましい人です。ここは以前御両親が生活していた古民家で江戸時代のものだそうです。今は御両親も亡くなって空き家になっているのですが、この方が管理と田舎暮らしを満喫しているようです。

 「せっかく来たのだから家の中も見て行きなさい」と言う言葉に甘えて家の中を見せていただきました。

 玄関の前には名前はわからないのですが、綺麗な植物がありました。

 レトロな家の中を案内していただきました。

 広くて重厚な居間や客間です。昔は屋根が茅葺きだったので、部屋で囲炉裏(いろり)を使っていたそうです。その為全体的に煤で黒ずんでいました。また屋根裏でお蚕様(おかいこさま)も飼っていたそうです。

 暫く家の中を見学して帰りました。「週末は大抵ここで生活をしているのから、また来てください」言ってもらったので、本日撮影した写真をもって来訪しようと思います。


国登録有形文化財・下郡郵便局旧局舎-木更津市

2024年09月20日 | 日記

 9/8(日)袖ケ浦市の春日神社で9月に行われる鹿島人形の神事を見に行ったのですが、行われていませんでした。通常は9月の第二日曜日に行われるので、期待して行ったのですが残念です。仕方がないので近くの木更津市下郡にある国指定有形文化財の下郡郵便局旧局舎を撮影に行きました。

 この郵便局旧局舎は昭和9年(1934年)に地元下郡の職人によって上棟(じょうとう)され、昭和55年(1980年)まで使用された貴重な郵便局舎です。

 県道145号線長浦上総線と166号馬来田停車場富岡線が交差する付近に立地しています。このような純農村地区にありながらモダンな外観を持ち、昭和初期に建造された郵便局が、完成当時のまま保存されている貴重な建物です。

 建物は寄棟造りの平屋建局舎です。玄関部分は銅板葺きの起くり破風造りの構えで、上部の板蟇股(いたかえるまた)、棹縁天井(さおぶちてんじょう)が張られています。

 全体は和風のデザインで纏められていますが、ペンキ塗装を施した下見板張りの外壁や縦長の窓が使われ、外観は洋風建築の雰囲気を持っています。(千葉県庁ホームページより)

 専門的な建築用語が使われわかりにくいですが、農村地帯に和と洋を装うモダンな郵便局舎が存在していたこと事態大変なことです。

 ここに郵便局が開設されたのは明治10年(1877年)、千葉県で28番目の郵便局として開局しました。当初は同じ敷地内の長屋門の一部を郵便局として営業していたのですが、昭和9年(1934年)にこの局舎が建築され昭和10年開局したのです。


木更津の漁港②-オスプレイが飛ぶ金田漁港

2024年09月18日 | 日記

 畔戸漁港と金田漁港は直線距離にして約2.2km。車で10分ほどの距離にあります。まず金田漁協に行き焼き海苔を購入しました。その後漁港に行ってみると1台の軽トラが止まって、1人の漁師さんが海苔の種付けの準備をしていました。

 金田漁港に行ったら種付けはいつ頃から始まるのか聞いてみようと思っていたので、タイミング良く聞くことが出来ました。台風が来なければ9/20(金)か21日(土)に開始するとのことでした。種付け場にはかなりの数でテントを張る骨組みが立てられています。

 その後ツレと漁師さんが昔の漁港の話をしていたので、私は,底引き網漁船の写真を撮影しました。すると漁船の上空から少し甲高い爆音がしてきました。陸上自衛隊木更津駐屯地のV-22オスプレイの登場です。

 V-22オスプレイはあっと言う間にアクアライン上空を移動していきました。オスプレイの最高速度は通常のヘリコプターの約2倍の565km、巡航速度も446kmもあり、早いわけです。

 オスプレイを撮った後は、底引き網漁船の撮影。この船は右奥にクレーンが立ったような物があります。そして10年ほど前は底引き網漁船の体験ツアーというのがあったようです。

 それによると漁場はアクアラインの下あたり。漁港を出て暫くしてから網を投入。水深は14m~22m位、網の口には大きなブームが着いて,泥には潜らないようになっていて、海底を滑ってひくタイプだそうです。網を引きながら時速6kmで船を走らせ30分位航行。そして網を引き上げる漁法です。参加費は1人5000円、捕れた魚はお土産に持ち帰りが出来たようです。

 ツレと漁師さんの話も終わったようなので、車に戻りました。その時沖から小型の漁舟が戻ってきました。今頃は何が捕れるのでしょう。聞いてみたかったのですが、船着き場に行ってみるともう帰った後でした。


木更津の漁港①-畔戸漁港(くろとぎょこう)

2024年09月13日 | 日記

 9月に入っても一向に気温が下がらない今日この頃。ツレと9/5(木)焼き海苔を購入するために、市内の金田漁港を訪問しました。そして途中最近ご無沙汰の畔戸漁港にも寄ってきました。この漁港付近は上空を旅客機がよく飛んでいます。今日もかなりの低空をJAL(日本航空)の旅客機が通過していきました。よく見ると車輪が引き出されていました。しかし脚を出すのが、早いのには驚かされます。

 ここからはアクアラインが良く見えます。また空気が澄んでいるせいか海ほたるや、風の塔、さらに対岸のビルも良く見えました。

 また海岸付近には青い海草か藻のようなものが、集まっていました。そこにシラサギが何羽か来ており、餌をついばんでいました。

 また爆音がするので上空を見ると陸上自衛隊木更津駐屯地のヘリコプターが飛んでいました。ユーロコプターEC-225LPのようです。

 やはり使われていない漁港は活気がないですね。雑草が茂り廃船が沢山置かれて寂れた漁港を絵に描いたような佇まいです。しかし横のホテル三日月は夏のかき入れ時が続いているようで、車の出入りが頻繁です。暫く撮影した後金田漁港に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


不思議な変化朝顔の世界②-2018年のくらしの植物苑

2024年09月11日 | 日記

 くらしの植物苑は国立歴史民俗博物館に所属し、歴博を少し離れて旧佐倉城の一部に位置しています。入場料は大学生以上100円、高校生以下は無料です。私たちはJR木更津駅を午前8時頃出発、JR佐倉駅には9時半頃着きここからタクシーに乗り換え、植物苑には午前10時頃到着しました。

 クラッシックな佇まいの入り口を入ると、一般的な朝顔が出迎えてくれました。上がヒルガオ科さつまいも属、曜白大輪-富士の青-下が富士の峰です。

 園内に入ると変化朝顔のオンパレード。じっくり観賞しました。上は黄/桔梗渦葉/水色/桔梗咲/八重。

 上下とも 黄色/抱/蜻蛉葉/紺/腹輪/丸咲。

 この日は快晴で気温がだんだん上昇して来ました。園内には熱中症予防のためか霧を発生させる装置が稼働し、東屋の屋根の部分からも霧が出ていました。さすがに国立の植物苑です。

上が黄/斑入/蝉葉/紫紺/丸咲/大輪/牡丹。下は黄/渦葉/栗皮茶/丸咲。

上が青/打込/弱渦葉/青/丸咲/牡丹。下が青/打込/桔梗/渦葉/短毛/淡藤/切咲/牡丹。

 下は青/縮緬/立田/蜻蛉/雨龍葉/納戸鼠/車咲。

 全部見終わったのが12時過ぎ、おなかも減ったので植物苑を出て佐倉市内に向かいました。途中江戸時代から営業しているという、お蕎麦屋さんに入りました。ツレと冷たいお蕎麦を頼みましたが、凄いボリュームにビックリ。値段は失念しましたが、コスパの高いお蕎麦だったことは覚えています。江戸時代から続く変化朝顔を見て、江戸時代から営業している店舗でお蕎麦を食べるという有意義な一日になりました。


不思議な変化朝顔の世界①-6年前のくらしの植物苑

2024年09月09日 | 日記

 新聞に佐倉市の国立歴史民俗博物館くらしの植物苑が台風10号の影響で、8/30正午から8/31、9/1は臨時休苑するという記事がありました。そういえば2018年8月に、この植物苑で変化朝顔を見学したのを思い出しました。また今年も植物苑では8/7~9/8まで伝統の朝顔展が開催されています。

 早速ハードデスクを調べて見ました。すると2018年8/31くらしの植物苑撮影に行き、変わった朝顔を撮影していました。上の写真はその時撮影した、変化朝顔の花と葉を浮かべた朝顔水盤です。そして6年前に撮影した変化朝顔を2回にわけてUPします。

 江戸時代に育まれた変化朝顔には特異な名称が付けられています。嘉永、安政期に付けられたものですが、葉の色、模様、質、形、茎の形、花の色、模様、花弁、咲き方、花弁の重ね、を順番に記述し必要に応じて加えてゆくという合理的なものです。(くらしの植物苑ホームページによる)上の朝顔の名称を記しておきます。 黄/弱化/柳葉/白/撫子/菜咲これが名称です。

 青/打込/弱過/柳葉

 上が青/渦/柳葉/江戸紫/菜咲。 下は黄/抱/鶏足/柳葉/紅/菜咲。

上が青/渦/柳葉/江戸紫/菜咲。下は青/桔梗渦葉/青/筒白/桔梗咲。 

 可愛らしいルコウソウも展示してありました。朝顔を小さくしたような花で、花径が約3cm、ヒルガオ系の植物です。

 これがアサガオか?というような花が沢山展示してあり、驚いたことを覚えています。この時も今年のように暑くて、汗を垂らしながら撮影しました。一緒に行ったツレも途中で東屋に入って暫く休憩していました。


木更津市郊外の野鳥たち③-木更津港の野鳥

2024年09月06日 | 日記

 木更津市長須賀でシラサギとセイタカシギを撮影した後、何時ものように木更津内港北公園に移動しました。ここでも多くの野鳥を見ることが出来ました。北公園は木更津内港の端にある駐車場だけの公園です。いつも市内や他府県のナンバーを付けた車が停まり、多くの釣り人の姿があります。

 ただ今日は大潮のせいか釣り人が居ません。代わりに野鳥がたくさん集まっていました。

  突堤にシラサギ、アオサギ、カワウ、が勢揃い。何時もはカモメが沢山とまっているのですが、姿が見えません。調べてみるとカモメは渡り鳥、夏の間は、ユーラシア大陸の北部やカナダ、アラスカなどに生息していて冬になると日本にやって来ます。

 港内のカキ養殖筏を望遠レンズで覗くとカワウの大群が居ました。ここからかなり離れているので800mmの望遠でもハッキリ写りません。拡大もしてみたのですが上の2枚が限界です。しかしこれでもカワウの大群が居るのがわかります。

 漁港の方を見てみるとアオサギとシラサギが居ました。今日はこの2種類の鳥に縁があるようです。

 陸上自衛隊の木更津駐屯地方向にも、大きなアオサギが海を見ていました。何を見ているのでしょう。アオサギが見ている方向で魚が1匹跳ね、また海に入りました。やはりこの鳥は餌の事を考えているようです。


木更津市郊外の野鳥たち②-移動前のセイタカシギ

2024年09月04日 | 日記

 食用蓮の花が大きな葉っぱの陰で、ポツンポツンと咲いていました。大賀蓮のような華やかさはないですが、ひたむきで清楚な美しい花です。

 シラサギを撮影していると群れとは別にすこし小さな鳥が目に付きました。セイタカシギです。

 7/20の早朝ここに来たときセイタカシギは、全然居なかったのに不思議です。先に来ていた鳥屋(鳥専門のアマチュアカメラマン)の人に聞いてみると、この鳥は渡り鳥で、南の方に移動する様なことを言っていました。まだ8月だからもう少ししたら旅立つのではとの由。

 セイタカシギは全長約37cmオオサギの3分の一、チュウサギの約半分。嘴も細長く黒色です。翼の上面は黒色、腹側は白色、セイタカシギの名のごとくピンクの長い足を持っており英語名はスティルト(stilt)、竹馬のことです。

 セイタカシギは2羽居たのですが別々に行動していて、並んでいる姿は撮れませんでした。代わりにアオサギと一緒の写真は撮影出来ました。

  嘴の黒いコサギのグループ近くにセイタカシギの姿が見えました。そして小さなコチドリも1羽居たのですが、鳥屋さんによるともっと奥の蓮田にはコチドリの20羽位の群れが、餌をあさっていたと教えてくれました。

 そして車に戻ろうと農道を歩いていると、近くの電線に大きなアオサギが停まりました。早速カメラを向けるともう1羽が後を追うようにやって来たのです。暫く争っていましたが1羽が離脱していきました。アオサギって結構獰猛ですね。