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自然災害と違って、原発事故の被害は時間の経過と共に減少していく代わりに増大していくーードイツTAZ紙

2013-08-15 10:15:08 | 主張

ドイツTAZ紙:デルテ・ジーデントプフ医学博士インタビュー

Canard Plus  Tomos und Entelchens Blog からの転載です。
http://vogelgarten.blogspot.com.es/search?updated-min=2011-01-01T00:00:00-08:00&updated-max=2012-01-01T00:00:00-08:00&max-results=50

mardi 27 decembre 2011

ドイツTAZ紙:デルテ・ジーデントプフ医学博士インタビュー

ソース:TAZ:Artztin mit sozialer Verantwortung (社会的使命感を負った女医)


女医デルテ・ジーデントプフは、20年来、チェルノブイリの子供達を療養滞在のためドイツに招聘し続けて来た。彼女は、福島事故に対する措置に、ただただ唖然としている。(ガブリエレ・ゲートレ取材)

***

12月初旬、ジーデントプフ博士は私達取材班を、ベルリン・パンコフの市民公園沿いにある彼女の小さな屋根裏のアパートに迎え入れてくれた。 お茶とクッキーをはさんで、今までの救援活動や経験について語ってくれる。

「一番ひどいのは、責任者達がチェルノブイリから何一つ学んでいないことです。チェルノブイリ事故よりもさらに規模の大きい福島原発事故に対する対応ぶりには、私は茫然自失としています。日本政府が避難地区を事故に見合った範囲に拡大しなかったこと、女性や子供達を即座に安全な南部に避難させなかったことに対しては、ただただやり場のない怒りを感じるだけです。そうした適切な措置を取る代わりに、国民はシステマティックに騙されてきました。実際の危険に関する情報は伝えられない、あるいは伝えられても誤った情報である。なんという無責任でしょう。これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します。しかも政治と原子力産業はそのことを黙認しているのです! 世界中で!

チェルノブイリの先例を見れば、事故の規模についてはある程度想像が出来るでしょう。多くの人々がチェルノブイリははるか昔のことだ、ウィキペディアで調べられるような過去の事故だと考えています。しかし汚染地域の住民達は1986年から現在までチェルノブイリ事故と共に生活してきているのです。事故による被害は収束するということを知りません。自然災害と違って、原発事故の被害は時間の経過と共に減少していく代わりに増大していくのです。しかもその期間は今後少なくとも300年間にも及びます。このことに関しては後ほどもっと詳しくお話しましょう。(Gesundheitliche Folgen von Tschernobyl, 20 Jahre nach der Reaktor- Katastrophe )」



【人々は何十年にも渡って汚染地域で生活してきた】

「その前にまず 何故私達が援助活動をベラルーシーで始めるようになったのか、手短にお話しましょう。チェルノブイリ事故による汚染地域の大部分はベラルーシーにあるのです。当時のソ連邦に降下した放射性物質の70%が当時の旧ソ連ベラルーシー共和国に降り注ぎ国土のおよそ四分の一が放射能汚染されました。ベラルーシーの国境は原子炉から約15キロの距離にあります。

それだけではありません。事故後、風向きが変わって放射能雲がモスクワに向かい始めたとき、ヨウ化銀を用いた人工雨によって、大急ぎで放射性物質のベラルーシー領域への降下が促進されたのでした。もちろん住民には何も知らされませんでした。五月初旬のよく晴れた日、突然空からべとべとした黄色い雨が落ちて来たと人々は語ります。 このことは長年の間住民に明らかにされず、ただ移住が行われ、指令が出され、人々をなだめすかせるようなことが行われただけでした。計測器は厳重に禁止されていました。

特に汚染がひどかったのがゴメルとモギリョフでした。このモギリョフ地方にあるのが、私が20年来足を運び続けている小都市コスジュコヴィッチなのです。ゴメルとモギリョフ両地方は大きな面積が放射能汚染され、約百万人が移住させられましたが、移住を実行するためにはまず大きな都市や区域に家々を建設しなければなりませんでした。ミンスク(ベラルーシー首都)周辺には大きな街が建てられました。新しい住居に移住できるようになるまで、多くの人々は十年間も汚染地域に住み続けなければなりませんでした。そして今でも多くの人々が汚染された土の上に住み、農業に従事しています。

ソ連邦が崩壊した後にはこうした措置の責任はすべてベラルーシーが負うことになりました。私達の「区域」だけでも8000人の住民が移住させられました。26の村が取り壊され、土に埋められました。放射能汚染地域の村々の多くは、空っぽのまま取り残されています。そこには老人達が帰郷したり、町で生活していけないアフガニスタンやチェチェン戦争の旧軍人達が住み着いたりしています。

チェルノブイリ周辺の閉鎖区域でも似たような光景が見られます。古い村に人々は電気も水道もないまま住み続け、自分達の手でなんとか生き延びています。この地域の地面は砂地です。ベルリンと同じで、白樺の森はベルリンからモスクワまで続いています。この土地では地下水は浅く、放射性物質が年に2センチずつ沈下していくと考えると、現在では地下50センチまで達していることになり、地下水まであとわずかです。



【国家予算の半分】

そういうわけですから、彼の地では大々的な変革が起こりました。ベラルーシーは莫大な医療費を負担しなければいけませんでした。チェルノブイリ事故後十年、十五年に渡って行われてきた国土に対する対策、校庭の除染ですとか、取り壊しなど。いったいその汚染土がどこに運ばれていったのか私は知りません。こうした費用はすべてベラルーシーが負担しなければなりませんでした。おそらく国家予算の半分はチェルノブイリ事故処理のために消えていったと思われます。

とうとうある時期、ソ連時代のような比較的気前の良い措置を実施し続けることは望まれなくなり、また続けることも不可能になったのです。ルカシェンコ大統領がチェルノブイリ事故は収束したものであり、博物館に収めるべき過去の出来事であると発表したのはそのためです。放射能汚染されていたベラルーシーの地域はすべて安全になったと公式表明されました。

旧リキダートア達(事故処理作業員)で証明書を保持する者には、事故後20年間、「石棺費」と呼ばれる補償が支払われてきました。また移住をさせられた人々も請求権を所持していました。こう言った手当てが広範囲に中止されてしまったのです。決して多額ではありませんでしたが、その他に無料に施されていた医療手当ても廃止されてしまいました。またチェルノブイリ事故の影響と認められてきた幾つかの病気も、現在では容易には認められなくなりました。
事故を起こしたチェルノブイリ原発とその周辺地域には、およそ百万人の「事故処理作業員」 が送られました。ほとんどが若者です。そして多くがベラルーシー出身でした。今日こうした作業員のほとんどが身障者です。肺癌、甲状腺癌、心臓疾患、腎臓や胃腸の障害、白血病のほか、精神病を病んでいる者もあります。すでに約十万人が40~50代で亡くなっています。自殺をした者も数多くあります。それなのにあっさりと「チェルノブイリは過去のものだ」といわれるのです。ミンスクでは抗議運動が起こりました。そして現在キエフでも旧リキダートア達が、ウクライナ政府が目論んでいる年金や手当て打ち切りに対してハンガーストライキを行ったところです。

例えばベラルーシーでは、被害者達は幼稚園や学校給食が無料だったり、子供達は特別のヴィタミン剤や保養を受けることも出来ました。保養こそ今でも年に一度受けることが出来ますが、その他の措置はすべて打ち切られてしまいました。ヴィタミンたっぷりの給食もです。被害者達は今でも証明書を所持していて私達に見せてくれますが、実際には価値がなくなってしまったわけです。事故当時の請求権はすべて廃止されてしまったのです。

そもそも収入が少ない上に体も壊している人々にとって、こうした廃止や短縮はすぐに響きます。今もちょうど毎年恒例の地方税増税を行ったところです。つまり水道代と暖房費。例えばこの暖房ですが、田園地帯を通って耐寒措置の施されていない配管から都市や大きな住宅、団地に送られるので、途中で多くの熱が失われてしまいます。そして人々は失われた暖房分も支払わなければなりませんから村に住んだ方が安くあがることになります。

国民の生活を圧迫する国家巨大赤字は確かにチェルノブイリ事故処理を原因とする面もありますが、ずさん極まりない経済体制によるところも大きいのです。ベラルーシーのハイパー・インフレは目下113パーセントにも昇ります。国民の平均所得は月々150~300ユーロ(約1万5千円~3万円)です。外国での就労は認められていません。



【反対運動はまったく存在を許されない】

ベラルーシと新たなEU参加国であるポーランドやラトヴィア、リトアニアへの国境は非常に近いです。しかし問題はお金や国家破綻の脅威だけではありません。20年間この国はどうにも民主主義を樹立させられずにいるのです。政権に対する反抗はまったく許されません。それでもなお抗議運動が起こるのです。新しい原発建設と言うとんでもない政治決定に対する抗議です。

ベラルーシーは原発を所持しません。しかし福島原発事故後間もなくルカシェンコは、ロシアの支援を受けて、リトアニアとの国境から20キロの場所にあるオストロヴェッツに原発を建設すると発表しました。その後ルカシェンコとプーチンの間で契約も締結されました。建設費用は50億ユーロ以上掛かると言われていますが、この新型でまったく安全な原発により、クリーンで安価なエネルギーの供給が可能になり、雇用も増加するというお決まりのプロパガンダが行われています。東でも西でも原発産業はまったく変わりません。

(中略:デルテさんのベラルーシー訪問や支援活動について語られますが長いのでいったん略させていただきます)

さて、現地の人々の健康状態についてお話しましょう。ドイツでは耳にすることのない内容です。次のことをよく念頭に入れておくことが重要です:事故から時間が経過するとともに、人々の健康と生物学上の被害は甚大になっていくのです。ドイツ政府もマスコミも、ルカシェンコ大統領と同じ様にこの事実から目を逸らそうとしています。事故は過去のもの、博物館入りしたものと言う政治決定がなされたからです。



【身を隠す母親たち】

チェルノブイリ事故後、様々な異なる被害の波が発生しました。最初の波はまず成人に襲いかかりました。リキダートア達、放射能汚染した村を訪れた医者やその他の人々、そしてそう言う場所に住んでいた人々の多くが間もなく癌で亡くなったのです。またもう一方で、間もなく子供達も被害を受け始めました。ベラルーシーではヨード不足が蔓延しています。ベラルーシーには海岸がありませんから。その点日本は幸運でした。蔓延するヨード不足のため、ベラルーシーの子供達は甲状腺に大量の放射性ヨウ素を取り込んでしまいました。放射性ヨウ素は半減期が短いので、最初の十日間で取り込まれたことになります。

またチェルノブイリ事故後、被害を受けた妊婦を全員堕胎させる試みが行われました
。しかし一部の妊婦達は身を隠してしまったのです。そしてその翌年生まれてきた子供達の間にも、甲状腺癌が現われたのでした。甲状腺癌はチェルノブイリ事故以前には子供にはまったく見られなかったのに、今では4000人の子供の甲状腺癌がベラルーシーでは公的に認められています。この子供達は手術を受け、放射性治療を受けました。それでも一生ホルモン投与を続けなければ、クレチン病 (甲状腺機能低下による先天性の病気; 体の奇形・白痴症状を伴う)を患ってしまいます。こうした一連の治療は、後年発症した機能障害のケースも含めて、事故から25年が経過した今日でも無料で行われるべきです。

続く世代には血液の病気が増発しました。ですから私達は「チェルノブイリは遺伝子の中で荒れ狂っている」と表現するのです。そしてこの現象はあと300年間続くことになるでしょう。これはストロンチウムとセシウムの半減期30年を十倍して計算した大まかな期間です。そして少なくとも7から8世代を意味します。半減期が2万4千年のプルトニウムには言及しません。糖尿病も問題の一つで、成人のみならず子供や特に新生児に見られます。かつてはありえなかったことです。

糖尿病に対して、ベラルーシーは二種類のインシュリンを購入してすべての患者に対応しようとしています。しかし子供には少なくとも三種類のインシュリンが必要です。これはNGOが面倒を見なければ、手に入らない状態です。NGOはまた、不足している知識を人々に広める役割も果たしています。さらなる問題としては子供の視力障害、白内障が挙げられます。また女性の間では乳癌が増加し、患者の多くは5年以内に命を落としてしまいました。もしかしたら被曝によって引き起こされる癌は、通常の生活の中で発生する癌よりもタチが悪いのでしょうか?

奇形の数も増えました。堕胎は大きなテーマです。ベラルーシーには避妊費用を負担できる人がほとんどいないのです。ですからこれは大きな問題です。また逆に不妊に悩む夫婦の問題も発生しています。コスチュコヴィッチでは30%の夫婦が、望まない不妊に悩んでいます。また現在6,7,8,9歳の子供達の間で悪性腫瘍が増加し、新たな問題となっています。脳腫瘍や骨の腫瘍です。

まだまだ問題はあります。放射能汚染した地域では、傷口がなかなか癒えないのです。これはドラマチックでした。原因は免疫力の低下。骨に取り込まれたストロンチウムのせいです。骨の中では血液が製造されますが、それが常に被曝を続ける状態になるわけです。ちょうどエイズと同じような状況で、抗体が製造されなくなるために予防接種が効かないのです。そのために予防接種にも関わらず急性灰白髄炎(ポリオ)が増加しました。予防接種が効かなくなったせいと栄養状態が悪いせいで結核も増加しました。その上人々は自家菜園に雨水を撒き、秋になると今でも汚染度の極めて高いキノコや野いちごを収穫します。



【傷ついた細胞】

被曝が直接引き起こす健康被害にはまた、身体又は精神に障害を持つ子供の増加があります。女性の卵巣は胎児の状態ですでに形成されることをよく知っておかなければなりません。そして細胞の多くは約8百万個の卵胞に発達します。母体が受けている傷はすべてこうした細胞に伝達されます。胎盤という保護膜がありますが、よりによって放射性物質はこの部分に凝縮しやすいのです。傷ついた卵子は修復されることができません。誕生時に1~2百万個が傷ついていることになります。思春期では約40万個がまだ残っています。依然傷ついたままの卵子を持った母体が妊娠すると、それに応じた障害が引き起こされるのです。もう一つ知っておかなければならない大事なことがあります。こうした遺伝子の障害や癌と言った症状の原因はすべて低線量被曝 だということです。これはリキダートア達を襲った被曝症状とは別物なのです。そして責任者達はこのことを頑なに認めようとしていません。

身体に取り込まれた人工放射性物質が内臓器官を傷つけるのは、波長の短い放射線を発するためです。放射性物質が細胞を傷けた場合起こりえる現象は四通りあります:

1)細胞は死亡する 
2)細胞の機能が障害を受ける
3)細胞は劣化し癌に変わっていく
4)細胞は修復される

4)が可能なのは成長した細胞だけです。胎児には修復機能は全く備わっていませんし、子供の細胞も修復はできません。子供の細胞は成長と分裂を行うように出来ているだけで、修復機能は徐々に取得されていくものなのです。そのため、子供達はひときわ被曝の脅威にさらされています。福島の妊婦と子供達が即座に避難させられなければいけなかったのもそのためなのです!

原子力産業の規模というものは、私達などにはまるで想像も及ばないほど巨大なものです。あまりに多くの経済的利権、お金が背景に絡んでいます。そして原子力産業とそのロビイスト達(これに含まれるのは政治家や関連組織ですが)は、徹底して冷笑的な存在であり、それに見合った行動を取ることだけは私達にもわかります。まずは被曝許容基準量が一番の例です。ベラルーシーとウクライナでさえ、被曝許容基準は私達(ヨーロッパ)よりも低いのです。とにかく世界には完全に中立の機関が一つとして存在しないのです。WHOには、放射線防護の専門家はたった1人しかいません。 それにどっちみちWHOは発言なんてできないのです。放射線問題に関しては完全に口を封じられてしまっているからです。1957年にIAEA(世界原子力機構)との間に結んだ協定によって、WHOは、本当の放射能危機に関するいかなる報告を行うことも阻止されているのです。私達はこの口封じの協定を断固として弾劾しなければなりません。IPPNWはこの協定の破棄を求めています!この協定を破棄することで、WHOはようやく自らの憲章前文を正当に実施することが出来るようになるかもしれません:「最高水準の健康に恵まれることは、 あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです。」

IPPNWは、2011年8月に公表したFoodwatch リポートにおいて明白な表現を行っています:「許容基準の設定とは、結局のところ社会が許容する死亡者数を意味するのである。」

***

医学博士デルテ・ジーデントプフ。1942年オルデンブルグ(北ドイツ)生まれ。同地でアビトゥア(大学入学資格)まで学び、1961年からヴュルツブルグ、ベルリン、ゲッティンゲンで人間医学を学ぶ。1966年学位取得試験、1968年博士号取得。1967年結婚し、子供二人を持つ。1970年からはヘッセン州ディーツェンバッハの共同診療所に一般医・心理セラピストとして常勤。2003年現役引退。

ジーデントプフ博士は1981年の創設当時からIPPNW (核戦争防止国際医師の会)に所属する。
90年代はじめ「ディーツェンバッハ・コスチュコヴィッチ友の会財団」を設立。年二回、ベラルーシに医療器具、衣服、自転車、ミシン、コンピューターなどの支援物資を送付するなどしている。

ドイツでは20年来、チェルノブイリの子供達のための療養滞在が組織されて来ている。ディーツェンバッハ市ではホストファミリーが毎年夏にベラルーシーの子供達を迎える。今では「友の会」はメンバーの数も増え、コスチュコヴィッチ市との間に数々の交友を実現させてきた。何人かの実行グループのメンバーが世話を一手に引き受け、寄付金や物資支援も募集している。2009年チェルノブイリ事故から23周年の日には、両市は姉妹都市となった。ジーデントプフ博士は医師の夫を持ち、子供が二人いる。父親は地方医、母親は教師で主婦だった。


長崎原爆の日:被爆者、痛烈に批判

2013-08-10 11:43:57 | ヒロシマ

平和への誓い 被爆者代表・築城昭平さん

今年もまた、暑い夏がやってきました。あの日のことは、私の脳裏から消えることはありません。

 当時、私は18歳、師範学校の2年生でした。毎日、動員学徒として三菱兵器住吉トンネル工場に通っていました。1945年8月9日、夜勤を終え、爆心地から北1・8キロのところにある寮に戻ったのが午前7時ごろでした。主食のカボチャを食べた後、すぐに寝ました。

 バリバリバリという音で目が覚め、その瞬間、爆風で吹き飛ばされ、気がついた時には部屋の壁に打ちつけられていました。隣に寝ていた友人は血だるまになっていました。私自身も左手首と左足が焼けただれ、飛び散ったガラスの破片で体中から血が流れ、赤鬼のような姿になっていましたが、はだしのまま20メートルほど先の防空壕(ごう)まで逃げました。

 防空壕の中はすでに人でいっぱいでした。その前には黒焦げになっている人、皮がペロリと垂れ下がっている人、鼻や耳がなくなっている人、息絶えたわが子を抱きしめ放心状態で座り込んでいる母親、全身焼けただれ茫然(ぼうぜん)と立っている人々の姿がありました。まさに地獄絵図でした。

 やがて起こった火事に追われ、長与の臨時治療所にたどり着きました。その翌日から疎開先の自宅で療養しましたが、2カ月もの間、高熱と血便が続き、立つこともできず、脱毛と傷の痛みに悩まされました。近くに避難をしている人が次々と亡くなっていく話を聞くと、次は私の番かと恐怖の中で死を覚悟したものでした。私はそのときまだ、放射能の怖さを知りませんでした。

 幸いにして、私はこうして生き延びることができました。今、強く願うことは、この大量破壊・大量殺人の核兵器を一日も早く、この地球上からなくすことです。しかし、いまだに核実験が行われ、核兵器の開発は進んでいます。もし核兵器が使用されたら、放射能から身を守る方法はありません。人類は滅亡するでしょう。

 わが国は世界で唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ義務があります。私たち被爆者も「長崎を最後の被爆地に」をスローガンに核兵器廃絶を訴え続けてきました。それなのに、先に開かれたNPT再検討会議準備委員会で「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に賛同署名をしませんでした。私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません。

 その一方で、世界を震撼(しんかん)させた東京電力福島第一原子力発電所の事故で、新たに多くの放射線被曝(ひばく)者がつくりだされ、平和的に利用されてきた原発が決して安全ではないことが改めて示されました。それにもかかわらず、事故の収束もみえないのに原発再稼働の動きがあるとともに、原発を他国に輸出しようとしています。

 ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマの教訓として「核と人類は共存できない」ことは明らかです。政府は誠実かつ積極的に、核兵器廃絶さらには原発廃止に向けて行動してください。

 そして今、平和憲法が変えられようとしています。わが国が再び戦争の時代へ逆戻りをしないように、二度とあのような悲惨な体験をすることがないように、被爆者のみなさん、戦争を体験した世代のみなさん、あなたの体験をまわりの人たちに伝えてください。長崎では核兵器の廃絶と平和な世界の実現を願って活動を続けている高校生、若者がいます。彼らが集めた署名は100万筆になろうとしています。

 この高校生たちに励まされながら、私はこれからも被爆の実相を次の世代に伝えていきます。核兵器も戦争もない、平和な世界をつくることは、私たちすべての大人の責任です。

 ここに、私の願いと決意を述べて、平和への誓いといたします。

 平成25年8月9日被爆者代表 築城昭平
 

長崎原爆の日:被爆者、痛烈に批判

毎日新聞2013年8月9日(金)12:07

長崎原爆の日:被爆者、痛烈に批判
(毎日新聞)

 ◇核兵器不使用の共同声明に賛同しなかった政府を

 9日、68回目の「原爆の日」を迎えた長崎は、原爆犠牲者への鎮魂の祈りに包まれ、一瞬にしてすべてを奪った原爆への怒りを新たにした。「私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません」。平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた築城(ついき)昭平さん(86)=長崎市ダイヤランド2。核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委で、非人道性の面から核兵器の不使用を訴える共同声明に賛同しなかった日本政府を痛烈に批判した。

 68年前、長崎師範学校2年の18歳だった。動員学徒として長崎市内の三菱兵器住吉トンネル工場での夜勤を終え、爆心から約1・8キロの寮で就寝中に爆風に吹き飛ばされた。厚手の布団を頭からかぶって寝ていたため左手足のやけどですんだが、体中から血が流れ、赤鬼のような姿で近くの防空壕(ごう)まで逃げた。

 戦後、中学校教師として平和教育に尽力した。「幸いにして生き延びた」と言い、米国などで核実験が繰り返されるたびに座り込みに参加。「長崎を最後の被爆地に」と訴え続けた。それだけに「唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つ義務がある」はずの政府が共同声明に賛同しなかったことに憤りを隠さない。

 安倍晋三首相らを前に訴えた「平和への誓い」。築城さんは「ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマの教訓として、『核と人類は共存できない』ことは明らかです」と主張した。さらに被爆者、戦争体験世代に向かって「今、平和憲法が変えられようとしています。再び戦争の時代へ逆戻りしないよう、あなたの体験をまわりの人たちに伝えてください」と呼びかけた。戦争を知らない世代に継承しなければいけないとの思いを込めて。【梅田啓祐】
 

長崎市長平和宣言〈全文〉 長崎原爆の日

2013年8月9日(金)11:35
 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄(すさ)まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃虚となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。

 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。

 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。

 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。

 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。

 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。

 非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。

 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。

 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。

 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起(おこ)ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウオー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。

 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。

 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未(いま)だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。

 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。

 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

 2013年(平成25年)8月9日長崎市長 田上富久
 

 


「安倍首相の式典出席弾劾!」 ちばアクション 8.6ヒロシマへ

2013-08-09 12:54:16 | ちばアクションの活動

大間原発反対を闘う小笠原厚子さんアピール

アメリカのの社会派反戦シンガー、デビット・ロビックス (8.5ヒロシマ世界大会)

 


ドイツからはゴアレーベン核燃料廃棄物中間貯蔵場反対闘争をともに闘う青年

 

8時15分に。一瞬にして15万人、その後30万人ともいわれる人びとの命が奪われた。

安部首相式典主席抗議デモhttp://www.youtube.com/watch?v=TPMsRr_NnsQ

8.6ヒロシマ大行動集会 

市内デモ


“国境もない!ただ地球があるだけ!放射能~いらない!被曝もいらない!”8.6ヒロシマ  吉川晃司

2013-08-07 16:23:08 | ヒロシマ

被爆2世吉川晃司さん平和へ入魂 初の原爆の日ナイター

「一球入魂で平和を祈願して投げた。ノーモア被爆。広島で生まれた身としてやれることはやりたい」

20130806 広島x阪神 吉川晃司の歌うimagine



天国はない ただ空があるだけ
国境もない ただ地球があるだけ
みんながそう思えば簡単なことさ

放射能はいらない
もう被曝もいらない
偉い人も 貧しい人も
みんなが同じならば
簡単なことさ

夢かもしれない
でも その夢を見てるのは
一人だけじゃない
世界中にいるのさ

忘れてはならない 3度目の被爆

あの夏を忘れない [広島県府中町立府中小学校&吉川晃司]


原爆...
原発...

吉川晃司:Vo&Gtr
夢配達人プロジェクト広島県府中町立府中小学校の子どもたち

「 あの日 お日さまが割れて 青空が消えて 残った影

あの日 ともだちの声も 家族の笑顔も さらった爆風(かぜ)


あの夏を 忘れない 未来がまだ続くように

幸せって なんだろう その答えはこの手から きっとはじまる

悲しみは 忘れない 未来がまだ続くように

愛するって なんだろう その答えはこの胸に きっとあるんだ

(朗読)
家族がいる ともだちがいる あたりまえの笑い声 
あたりまえの幸せ
生まれてくることができたから 叶えられる未来がある
助け合うことができるなら 叶えられる未来がある
だから約束しよう 平和を守っていくことを
だから約束しよう 君を大切にすることを

皆で手をつなごう 笑顔で手をつなごう

(僕と) みんなで 手をつなごう (君と)

(いつも) 世界で 手をつなごう (いつまでも)

(僕と) みんなで 手をつなごう (君と)

(いつも) 世界で 手をつなごう (いつまでも) 」


吉川晃司

「このまま何も策を講じることなく死んじゃったら、僕ら、恥ずかしい世代ですよね。

放射能のことも、僕らは本当のことを知らず、知識がないゆえに傍観してきた。それは悔いても悔やみきれない。

(忌野)清志郎さんからいろいろ話を聞いたりもしてたんですけど、何でそんなにムキになっているんだろうと不思議に思うだけで」。

そ「次代を担う子どもたちに負の遺産を押しつけて、

あとは頼むよじゃ死んでも死にきれないから、

やれることはやらなきゃと思っています。

子どもに、墓に向かって『父ちゃん、何もしなかったじゃないか』と言われたくない。

言われても、せめて『いや、俺なりに頑張ったんだ」と言い返したい」


「ホンネを言えば、平和憲法を変えようとする安倍晋三首相には、原爆慰霊碑の前に立ってほしくありません」

2013-08-07 15:28:26 | ヒロシマ

安倍首相は、被爆者との面談で、「原発を廃止してほしい」との被爆者の要請に対して、原発の再稼働と海外輸出を積極的に進めるとの政権の方針を繰り返した。
 福島原発事故は収束どころか、今にも大量の放射能汚染水が海にあふれようとし、福島の子どもには甲状腺癌の発症が明らかになっている。この状況で、それも8.6ヒロシマの被爆者の前で、原発推進発言をおこなった安倍首相を、我々は絶対に許さない!

広島市の平和記念式典に参列した安倍晋三首相は六日午前、市内で被爆者の代表七人と面談した。代表の一人が脱原発を求めたのに対し、首相は「原発の今後の位置付けについては安全性確保が最優先という方針を原則とする」と指摘。その上で「エネルギーの安定供給とコスト低減という観点も含め責任あるエネルギー政策を構築していく」と、再稼働など原発を維持・推進する考えを強調した。

 首相は原発の再稼働や海外輸出を積極的に進める姿勢を明確にしてきたが被爆者の要請に対し言及するのは異例だ。広島県労働組合会議被爆者団体連絡協議会の中谷悦子さんが二〇一一年の東京電力福島第一原発事故に関して「危険性にかんがみ、すべての原発を廃止してほしい」と要請したのに対し答えた。

 面談に先立ち、首相は平和記念式典であいさつしたが、原発政策には言及しなかった。


安倍晋三首相が六日、被爆地・広島での被爆者との面談で、原発政策を推進する考えを表明した。世論の反対が強い原発再稼働や原発輸出だが、首相には前提条件である安全性を、日本の技術は満たすことができるとの過信がある。被爆地での表明は信頼を得るどころか、不信感を増幅させたといえる。 (城島建治、宮尾幹成)

 東京電力福島第一原発事故の教訓は、原発を完全にコントロールできないということ。事故が起きれば、放射能が拡散し、甚大な被害が出る。事故から二年半たった今も、十五万人が避難生活を余儀なくされている現実が物語っている。

 民主党政権の菅直人、野田佳彦の両首相(いずれも当時)は原発事故後、広島の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」で「脱原発依存」を目指す考えをそれぞれ表明した。福島の原発事故の反省があったからだ。

 だが、安倍首相はその広島で、原発を推進する姿勢を重ねて鮮明にした。被災地では除染も進んでいないのに、首相の言葉をうのみにする人はいないだろう。

 広島は、同じ核の後遺症に苦しみ続けている。安倍首相は式典で原爆症の未認定患者を早期に救済する考えを表明し、被爆者に寄り添う姿勢は示している。

 ただ、原発を再稼働することは、事故のリスクと表裏一体。首相は原発について「安全性を確保する」と強調しつつ、国会などでは「絶対安全はない」と認めるという自己矛盾から目を背けている。

 福島原発事故後の一一年の式典で、民主党の菅直人首相(当時)は「『原発に依存しない社会』を目指す」と宣言。一二年の式典でも野田佳彦首相(同)は脱原発の方針を維持する考えを示した。


 

ホンネを言えば、平和憲法を変えようとする安倍晋三首相には、原爆慰霊碑の前に立ってほしくありません」

8月6日に寄せて 問われる「被爆国」の立場 田城 明(ヒロシマ平和メディアセンター長兼特別編集委員)

中国新聞 13年8月 6日

 広島・長崎への原爆投下から68年。被爆地広島では「原爆の日」を前に、海外からの参加者を含め、例年にも増して核なき平和な世界の実現を願って多彩な催しが行われた。

 いくつもの平和コンサート、アート展、シンポジウム、平和市長会議、原水禁大会、体験継承の集い、草の根市民による反核集会…。多くの人々によるこうした取り組みに私は希望を見いだしながらも、重い気分をぬぐえないで6日を迎えた。というのも、病気や老いにむち打ちながら、人々に体験を語り続ける何人もの被爆者から、日本政府に対する不信や怒り、諦めにも似た嘆きを頻繁に耳にするようになったからだ。

 「生き残った者の務めとして、核兵器廃絶に少しでも役立てばと思って被爆証言を続けてきました。でも、私らの思いは政府に届かないのでしょうか…」「事故原因を含めフクシマの問題は何も解決していないのに、海外に原発を売り込むなんて信じられない」

 「ホンネを言えば、平和憲法を変えようとする安倍晋三首相には、原爆慰霊碑の前に立ってほしくありません」。原爆で姉を亡くした広島市東区の女性被爆者(76)は、率直にこう言った。彼女の姉をはじめ、平和記念公園内の原爆慰霊碑に納められた原爆死没者名簿には、これまでに亡くなった28万人以上の被爆者の名前が記帳されている。同じ公園内の原爆供養塔には、身元の確認さえできない約7万体の遺骨が、今も地下の納骨室で眠っているのだ。

安らかに眠って下さい
   過ちは
繰返しませぬから

 原爆慰霊碑に刻まれた碑文には、核兵器廃絶や戦争否定だけでなく、地球上のどこにおいても「新たなヒバクシャを生まない」という誓いが込められている。

 東京電力福島第1原子力発電所で炉心溶融事故が起きて3カ月後の2011年6月。作家の村上春樹さんは、スペイン・バルセロナであった文学賞授賞式の受賞スピーチで、この碑文を紹介して言った。「我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません」と。

 広島・長崎の原爆体験によって日本人に植え付けられた核アレルギー。村上さんは、その核アレルギーを「妥協することなく持ち続ける」ことで、「核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだった」とも述べた。

 しかし、日本が原発導入に乗り出した1950年代の日本人の「核」意識は、軍事利用である核兵器にのみアレルギー反応を示した。平和利用という名の原発については、物理学者ら専門家の多くも、そして私たちメディアも、人類の未来に平和と繁栄をもたらす「夢のエネルギー」として肯定的にとらえた。放射線の人体への影響を身をもって知る被爆者も例外ではなかった。

 福島原発事故が起きるまで、一部の被爆者を除き、証言活動の中で原発について触れることはなかった。「地球被曝(ひばく)」と形容された1986年のチェルノブイリ原発事故でさえ、あまりに遠い出来事で危険についての実感が伴わなかったという。

 だが、福島の原発事故は違った。原子炉建屋の爆発をテレビで目撃した被爆者は、「日本人は、広島・長崎に次いで三つ目の原爆を体験しているように感じた」と言う。

 「核兵器にだけ関心を向けてきて、原発のことはあまり考えてこなかった」「事故が起きるまで、原子炉になぜ水を入れるのかさえ知らなかった」

 反省の言葉を口にした多くの被爆者。彼らは原発の危険性についてあらためて学び、証言の在り方を模索した。自らの被爆体験を伝えることが、証言の中心であることは今も変わらない。が、「3・11」以後は、原発についての自身の考えも述べるようになった。

 それだけに、昨年末の安倍晋三内閣誕生後の原発政策に強い違和感を覚えているのだ。原子力産業界の意を受けた安倍首相は、原発輸出を「成長戦略」に位置づけ、サウジアラビアやアラブ首長国連邦、トルコなど地政学的に不安定で、核技術も人材もそろっていない国々にトップセールスをかける。特に、核拡散防止条約(核不拡散条約、NPT)に加盟していない核保有国インドとの原子力協定調印に向けての交渉は、核拡散を一層助長することになり、被爆国としてあるまじき行為と言わざるを得ない。

 安倍首相には原発輸出よりも、全力を挙げて取り組むべき喫緊の課題があろう。

 炉心の底に溶融して塊となった核燃料、冷却のために増え続ける高レベル放射性廃液、海洋へ流出する汚染水、不安定な状態のままの使用済み核燃料、進まぬ汚染除去や被災者への補償、最前線で働く労働者の被曝による健康影響…。挙げれば切りがないほど問題が山積している。

 「アベノミクス」のために、原発輸出に奔走するのは、命よりも経済を優先した政策とみられても仕方あるまい。

 福島原発から流出する放射能汚染水は、沿岸部だけでなく、広く海洋汚染につながる可能性が高い。そうなれば、被爆国日本は福島や茨城の漁民らに対してだけでなく、世界に対して核汚染の加害国となってしまうだろう。こうした難題を抱えた中での原発輸出セールスである。

 「フクシマで過ちを犯しながら、被爆国が率先して新たなヒバクシャを生み出すのか」。倫理にもとるその行為に、被爆者は失望し、怒っているのだ。

 被爆地が大きな失望と憤りを覚えたことは、ほかにもある。4月にジュネーブであった2015年のNPT再検討会議に向けた準備委員会。そこで提案された「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に、日本政府が賛同しなかったことだ。その姿勢に、核廃絶を求める非核兵器国や国際NGO、市民も批判の声を上げた。

 共同声明は南アフリカ政府などが提案。スイス、ノルウェー、マレーシア、メキシコなど最終的には80カ国が賛成した。が、日本政府は「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類生存に寄与する」とのくだりに引っかかった。

 核兵器廃絶決議案を毎年、国連総会に提出している日本政府。被爆国の立場からすれば、賛成して当然の内容である。にもかかわらず、賛成すれば、米国の「核の傘」の抑止力が損なわれるとの理由で支持を見送った。

 惨禍を生き延び、「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」「ノーモア・ウォー」の願いを込めて体験を語り続けてきた被爆者にとって、政府の決定はこれまでの努力に冷水を浴びせられるようなものであった。

 ある状況下では、米国に要請して核による先制攻撃をしてもらう。そう言っているようなものである。核の傘の下にいるだけで、核廃絶を希求するヒロシマ・ナガサキの訴えは、国際社会ですでに大きく損なわれているのだ。

 確かに、中国の軍事増強や北朝鮮の核・ミサイル開発が進められているのは、紛れもない事実である。だが、その状況に軍事力で対抗して、東アジアにさらなる緊張を高めても問題の解決にはつながらない。歴史を踏まえて対話を重ね、知恵を出し合い、互いに信頼を築くための外交努力をする。それこそが、東アジアのみならず、周辺地域や世界をより安定した平和な道へと導くに違いない。

 「核抑止論」は、神話にすぎない。もし、それが戦争を抑止し、国民の平和と安全を保障するのであれば、すべての国が核武装すればよいことになる。

 しかし、現実は逆である。核保有国が増えれば各国間の相互不信は募り、世界はより不安定になる。核物質は地球上に広がり、放射能汚染地帯やヒバクシャは増え、核テロの危険性は高まる。核兵器はテロやサイバー攻撃の防止にも役立たない。

 米国、ロシアをはじめ、核保有国の為政者に使用をちゅうちょさせてきたのは、核兵器ではなく、ヒロシマ・ナガサキの想像を絶する惨状であり、「同じ過ちを繰り返させてはならない」という被爆者ら多くの市民の訴えである。

 核兵器禁止条約を求める国際社会の足を引っ張り、フクシマが投げかける問題解決よりも原発輸出や再稼働、憲法改正に熱心な安倍政権。これが戦後68年を経た被爆国の姿なのか。被爆者の無念さ、怒りに触れ、原爆犠牲者に思いをはせるとき、政府が唱える「被爆国」という言葉が空疎に聞こえてならない。

 核兵器を「威力」としてではなく「悲惨」「絶対悪」とみなす人々の数は、確実に世界中で増えている。長年にわたる被爆者らの訴えの成果であろう。危険な核エネルギーではなく、持続可能な再生可能エネルギーへの転換を求める声も強まっている。それだけに、被爆者は逆方向に向かおうとする安倍政権に深い懸念を抱いているのだ。

 被爆国にふさわしい非核政策をいかに政府に取らせるか。何よりもまず、被爆地から、そしてヒロシマ・ナガサキの持つ意味を自覚した人々や自治体などから、政府への働きかけを強めることだ。と同時に、さまざまなルートを通じて国際社会にも訴えかけることである。それこそが、あまたの原爆犠牲者に、そして平均年齢78歳を超えてなお次世代に語り続ける被爆者に応える道であろう。

 私たちメディアの責任も重い。


たしろ・あきら
 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター長兼特別編集委員。1972年入社。販売局発送部、編集局報道部、編集委員、特別編集委員など歴任。2008年から現職。主な著書に「核時代 昨日・今日・明日」(中国新聞社)、「知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態」(大学教育出版)、「核超大国を歩く―アメリカ、ロシア、旧ソ連」(岩波書店)、「戦争格差社会アメリカ」(同)。共著に「世界のヒバクシャ」(講談社)。ボーン・上田記念国際記者賞、日本記者クラブ賞など受賞。

 

沖縄 米軍ヘリ墜落 ストロンチウム90が 水源地=ダム汚染か?!米軍、ダム調査を制限

2013-08-07 15:17:58 | 放射能汚染

墜落ヘリ同種機に放射性物質 06年米軍HP明記 2013年8月7日 沖縄タイムズ

 
 米軍キャンプ・ハンセンに5日墜落したHH60救難ヘリコプターの同種機の部品に、放射性物質のストロンチウム90が使われていた。現在閉鎖されている米空軍のホームページに、2006年時点で明記されていた。04年の沖国大ヘリ墜落事故でも同じ物質が焼失し、住民の健康不安を招いている。
 
事故機に使われていたかは不明だが、宜野座村は6日、現場近くのダムで放射性物質の有無も調査した。

 事故機はHH60ペイブホーク。米空軍ライトパターソン基地(オハイオ州)のホームページにあった「航空機放射性物質データベース」には、同種のH60ブラックホークの主回転翼に、ストロンチウム90が使われていると記載されていた。飛行中の回転翼のひび割れを調べるセンサー用で、量は不明。

嘉手納基地報道部は6日時点で事故機にストロンチウム90が使われていたかは明らかにしていない。

 本紙は06年、ホームページを基に米軍に取材し、劣化ウランなど多くの放射性物質が米軍機に使われていたことを報じた。

 ストロンチウム90は半減期が約29年。体内に入ると骨に蓄積、放射線を出し続けて骨のがんや白血病などの原因になるとされる。

 沖国大の事故では、墜落したCH53Dに使われていたストロンチウム90の一部約1850万ベクレルが燃えたが、米軍は「放射能汚染はない」と主張した。

 当時、事故を調査した京都大原子炉実験所の小出裕章助教は

沖国大事故のように機体が激しく燃えていれば、環境中にまき散らされている。現場写真を見る限り、周辺の森林に付着している可能性が高いのではないか」と指摘。


「ストロンチウム90は水溶性であり、万が一水を介して人体に入れば一生消えない。ダムの水は定期的に調査すべきだ」と話した。

 一方、原子力規制委員会のホームページで公開している沖縄本島3カ所の空間線量測定結果では、米軍ヘリ墜落後の5日午後5時から6日午後7時までの数値に、日ごろに比べて目立った変化はない。

 名護市の北部福祉保健所では0・026~0・027マイクロシーベルト、うるま市の原子力艦放射能調査施設では0・020~0・021マイクロシーベルト、那覇市の県庁では0・045~0・046マイクロシーベルトだった。

 

ヘリ墜落事故:米軍、ダム調査を制限

ヘリ墜落地点と水採取地点

 【宜野座】HH60救難ヘリの墜落事故から一夜明けた6日午前、宜野座村役場の職員5人が村民の飲料水を取る大川ダムの水質調査に入った。放射性物質で汚染される可能性もあるだけに、墜落現場の地形やダムとの距離など詳しく調べる予定だったが、米兵が理由も告げず拒否。職員の推測では墜落現場とダムの北端は20メートルほどしか離れておらず、今後、汚染物質の流入が判明すれば、長期の取水制限も懸念される。(山城響)全文


ハッピーさん(@happy11311)による原発汚染水に関する東電の対策経緯をまとめた一連のツイート

2013-08-04 12:57:27 | 原発

汚染水処理の東電シナリオが崩れてしまった

 

コンチヮ(^O^)今週コツコツと書いてた、つぶやきを一気に連投するね。汚染水の問題を中心に書いたんだけど、かなりの長文になってしまったでし。

初:今日は東電の考えてた崩れてしまった汚染水処理のシナリオについて、オイラの勝手な見解でつぶやくでし。汚染水処理の問題は冷却を始めた事故当初から懸念されてた。だけど一気に一般世間に不安が広がったのは、近隣各国や各関係方面に伝える前に汚染水を放出してしまった件からなんだよね。
2013-08-04 11:18:44

・1:あの時も今回の件と同じように現場と本店、東電広報、政府のコミュニケーションが悪くて、あんな結果になってしまったんだ。現場は今にも汚染水溢れてしまいそうで緊迫してて、すぐに海に流したかったけど結構待たされたんだ。
2013-08-04 11:18:56

・2:ようやく本店から放出許可出て現場は海に放出したんだけど、結果的には放出タイミングのフライングで各方面から物凄い非難をあびてしまった。オイラは、この時から現在まで海洋放出や流出の話は東電内でも安易に口に出す事が出来なくなっちゃって、タブー視されちゃった感じがするんだ。
2013-08-04 11:19:20

・3:いま現在も、トラブル対策に時間がかかり稼働の遅れてる多核種除去装置(アルプス)の計画や基本設計は2011年の夏から秋にかけて出来上がってた。アルプスを作るきっかけになったのも、地下水が建屋内に流入してるのがわかって、どんどん増えて行く汚染水の対策だったんだ。
2013-08-04 11:20:11

・4:地下水が建屋に流入して汚染水が増えてるってわかったのは、応急対策の循環冷却ラインが突貫工事でやっと出来上がって回し始めて、一週間か二週間位経ってからだったかなぁ…。タービン地下に溜まった汚染水を汲み上げて移送するんだけどタービン地下の水位ちっともが下がらなかった。
2013-08-04 11:20:51

・5:本来ならば注入量より多く汲み上げれば水位が下がるはずなんだけど、むしろ上がってきてたんだ。「なんか変だぞって」って事で検討した結果が地下水流入だった。東電は建屋は壊れてないと思い込んでたから、地下水が建屋に流入してるって見解に達するまで時間がかかったんだよね。
2013-08-04 11:21:23

・6:そこで、このままだと汚染水はどんどん増えてしまうって事でアルプスの計画が持ち上がったんだ。アルプスが出来上がり、稼働するまで(当初予定は2011年9月目標)の間は、毎日400t増える汚染水を貯めるタンクを造って対応する事にしたんだ。
2013-08-04 11:22:55

・7:遮水壁の話もちょうど、この時期だったかなぁ…。遮水壁は、馬渕議員が陸側も提案したんだけど、東電は陸側遮水壁を造るには他の工事との干渉も大きいしコストもかかる、また埋設物の調査にも時間がかかるという理由から東電は陸側は却下して作業干渉がない海側だけを選択したんだ。
2013-08-04 11:23:54

・8:東電は、アルプスが稼働して高濃度の汚染水を処理するようになったら、陸側の遮水壁は無駄なコストになってしまうと考えてたんだと思う。まさかアルプス稼働がこんなに遅れると思ってなかったはずなんだ。この時期から陸側遮水壁を造ってれば、もう少し違った現状だったかもしれない。
2013-08-04 11:27:25

・9:オイラが考える東電シナリオが崩れた最大の要因はアルプスだと思うんだ。当時の東電は、アルプス稼働日を基準にして常に汚染水タンクの計画と工事発注をしてた。アルプスが稼働すると汚染水タンクは沢山造っても余って無駄になるからね。
2013-08-04 11:28:22

・10:だからアルプス稼働が遅れる度に、次の稼働予定日までの分まで汚染水タンクの増設発注が出て、現場は急いでタンクと配管を布設してたんだ。あと東電はアルプスが稼働した処理水はトリチウムが除去出来ないのは計画段階からわかってた。
2013-08-04 11:28:56

・11:でも、世間が騒ぐほど東電にとってトリチウムはさほど大きな問題と思ってなくて、希釈して告知濃度未満にすれば海に流す計画だった。通常の原発でも普通に流してるからね。もし東電がトリチウム放出を気にしてたら、アルプス稼働後の処理水タンクが最初からもっとあったはずだしね。
2013-08-04 11:29:55

・12:最初のアルプス処理水の貯留はタンクじゃなくて、あの漏れた地下貯水槽だからね。1日1200t処理するはのに、地下貯水槽は処理水を一時的に貯めるだけの計画だったから数も少ないし、スペックも山の汚染瓦礫保管用の仕様にちょっと手を加えて造ったんだ。
2013-08-04 11:31:53

・13:タンクじゃなく地下貯水槽にする事によって電線の下のデッドスペースだった敷地も有効に使えるし、コストも安かったんだと思う。2012年9月のアルプス稼働に向けて、現場は突貫工事で頑張り、なんとか形は出来上がったんだけど、ここからシナリオがどんどん崩れていくんだ。
2013-08-04 11:33:11

・14:アルプス稼働準備は間に合ったんだけど、タイミングが悪かった。ちょうどその時期、保安院から規制委員会に変わるタイミングだった。それまで東電は保安院と認可手・きを進めてたんだけど、規制委員会に替わる事になり、これまでの手続きは白紙に戻され…、
2013-08-04 11:33:41

・15:継続ではなく、新たに最初から規制委員会に認可手続きを行わなければならなくなったんだ。ようやく始まった規制委員会の審査もスンナリとはいかず色んなコメントが付き、キャスク改造や建屋建設を余儀なくやる事になってしまい、アルプス稼働は更に半年以上遅れる結果となってしまった。
2013-08-04 11:35:07

・16:この半年以上のアルプス稼働の遅れは、東電にとっては大打撃だった。シナリオが根本から崩れてしまったからね。そこで東電は、日々増えて行く汚染水の対策を新たに打たなければならなくなり、シナリオを書き換えたんだ。最初の書き換えは濃縮汚染水のタンク増設。
2013-08-04 11:37:12

・17:ところが、そのシナリオはすぐに崩れてしまう。タンク増設だけで対応出来ると思ってたんだけど、数ヶ月後のシュミレーションでタンク増設エリアの地盤改良や増設工事が予想以上に時間がかかり、このままだと対応出来ないという結果が出てきた。
2013-08-04 11:37:48

・18:またまたシナリオを替えるんだけど、その対策で浮かび上がったのが地下水バイパス。タンクが間に合わないなら増える汚染水の原因である地下水を汚染水になる前に汲み上げ少しでも減らす考えだね。これも現場は突貫工事でやらなくちゃならなくなり、地下水バイパス工事が休みなく始まったんだ。
2013-08-04 11:40:16

・19:この時期の東電は、とにかく一刻も早く地下水バイパスをやる為に色々な事を考えてたと思う。漁業関係者や自治体はじめ、水面下での根回しは必死にやってたはずだし、現場も元々汚染水貯留用で増設したタンクの内の9基を地下水バイパス用に切り替えた。その為にタンクの改造もやったしね。
2013-08-04 11:40:54

・20:現場は必死に頑張って、なんとか工期内に完了し地下水バイパスのサンプリング試験も始まった。ところが、悪夢というか、行き当たりばったりは許さないぞというお告げか、再びシナリオは崩れてしまう。この時は流石に、オイラもだけど突貫工事で頑張った作業員はガッカリしたと思う。
2013-08-04 11:41:43

・21:福島漁連トップにも地下水バイパスの必要性を納得してもらい、致し方ないと言うことで、なんとか地下水バイパスの話は事前承諾を得、サンプリング結果を持って漁業関係者に説明してる最中に地下貯水槽の漏えいが起きてしまった。汲み上げる地下水の上流での汚染水漏えい。
2013-08-04 11:43:00

・22:元々、地下貯水槽はトリチウムだけが残存するアルプス処理水を入れる予定だった。しかしタンク増設が思うように進まず、地下水バイパス貯留に汚染水タンクを9基持っていかれ、否応なく地下貯水槽に汚染水を貯めるほかなかったんだ。
2013-08-04 11:43:48

・23:このトラブルにより、稼働直前まで現場工事も関連部署との調整も進んだ地下水バイパスの話は白紙に戻され、未だに目処が立たない。これまで、行き当たりばったりではありながら、なんとか打つ手はあったけど、この時点で現場は遂にお手上げ状態となってしまった。
2013-08-04 11:45:43
Content from Twitter

・24:なぜ東電のお手上げ状態がわかるのかと言うと、このトラブルの後に汚染水対策本部が作られた。その本部長が東電トップの社長だからなんだ。社長自らが乗り出す事自体がいかに今の東電が切羽詰まった状態かが見て取れるんだよね。
2013-08-04 11:48:10

・25:これ以降は、最近の出来事だから多くの人が内容知ってると思うけど、オイラがもう一つ気になるのはサブドレンピットの工事が進んでないこと。サブドレンピットに入った瓦礫撤去はやってるはずだし、当初の予定では6月位から工事が始まるはずだったと思うんだ。
2013-08-04 11:48:56

・26:ところが未だに工事は始まらないし、稼働は来年度って噂もある。遅れてる理由は何なんだろって気になるんだよね。確かにサブドレンピットから汲み上げた汚染水を貯めるタンクが無いっていう理由もあるけど、それだけの理由じゃないのかもしれないって最近思うんだ。
2013-08-04 11:49:43

・27:水ガラスの遮水壁で海側を固めたら地下水の水位は上がるし、当然汲み上げないと今みたいな状況になるってわかってたはずでサブドレンからの汲み上げも必要なはずなのに…。先日もつぶやいたけど、今すぐ再度、色んなパターンのシュミレーションを考察して検討、対策工事しなきゃって思うんだ。
2013-08-04 11:52:21

・28:将棋ならば、考察時間の持ち時間なんか、とっくになくなって、いつ投了してもおかしくないところまで来てしまってる状況だし…。先日の参院選挙の時、自民党総裁は国主導で責任を持って全力で収束作業に取り組むって言ってたけど、具体的になにもしてないし…。
2013-08-04 11:53:26

・29:たとえ無駄な工事になったとしても、全てのシュミレーションパターンに於いて、今すぐに対策しないとって…。東電はいつも、調査する場所を検討し調査し、しっかり把握し、調査内容を考察し、対策内容を検討し、対策工事って流れだけど、今回はそんな時間ないはずなんだよね。
2013-08-04 11:54:35

・30:この前もつぶやいたけど、東電が収束作業にかける予算だって案件毎に目を光らせチェックされ、コストカットでかなり圧縮されてる。本当に無駄な部分のカットなら仕方ないけど品質面や人件費はじめ、リスクが低いだけの理由でカットするのは間違いだと思うんだ。
2013-08-04 11:55:27

・31:オイラは先日発表された東電の4500億円以上の経費削減の中身が凄く知りたいんだけどね。東電が1F収束作業を含めて、単年毎の収支決算をしている間は今のコストカット状況はずっと・くし、収束作業に悪い影響がでるのは間違いないと思うよ。
2013-08-04 11:56:00

・33:やっぱり1日でも早く、1F収束作業は東電から切り離し、国主体で「1F収束作業で少しでもリスクのあるものには予算をかけてでも最高の対策をしろ」ってならないとダメだと思う。東電責任問題もあるけど、今の東電体質じゃ収束は無理だし現場はそんな余裕のある状況じゃないしね。
2013-08-04 12:01:16

・34:この二年半を振り返ると収束作業は最初が肝心で、もっと予算をかけ様々な対策機器やシステムを品質を落とさず造るべきだったと思うんだ。一万円の最新のゲームが今欲しいのに千円づつちょこちょこお小遣い貰って買えるのは同じ一万円でも、すぐ壊れてしまう中古ゲームが10個並ぶだけだもん。
2013-08-04 12:03:24

・35:もう一つ振り返って見えるのは、1F収束作業が進む中で色んな影響を受ける政治家、官僚、自治体、多くの企業、様々な機関、様々な団体、マスコミ、そして原子力ムラの人達の思惑。みんな自分達にとって、都合の悪い情報や事実には決して正面から見ずに、目をそらそうとする。
2013-08-04 12:04:30

・36:一度の原発事故の影響はあらゆる方面に計り知れないくらい損害を生み、また関連を含め多くの被害者が生まれる。その収束作業の過程で事実に真っ向から向き合わない様々な思惑が飛び交う現実が今の日本には沢山あるんだよね。このままの日本でいいのかなぁ…?
2013-08-04 12:06:04

・37:色々つぶやき過ぎて話がかなり逸れちゃったけど、汚染水処理の東電シナリオが崩れてしまった最大の要因はアルプス稼働が遅れたために、そのあと色んな問題が次々と出てきちゃって、汚染水問題がどんどん大きくなってしまったんだって言いたかったんだ。
2013-08-04 12:07:21

・38:まぁオイラの見解は、現場作業の経験と想像で勝手につぶやいてしまったから真実はわからないけどね。でもいつか、何故いまのような1F収束現場状況になってしまったのか?何がそうさせてしまったのか?オイラは真実を知りたい。まだまだ長い収束作業で、また同じように繰り返さない為にもね。
2013-08-04 12:09:37

・39:1F収束作業はオイラが死んだ後も何十年と・くでし。今なら仕切り直しも出来るはず。いや、いま仕切り直さなければ、この先どうなるかわからない。予算、工程、環境、作業員確保、技術者養成、将来起こり得る作業員の健康障害、補償問題などなど、今考えなきゃならない懸案は山ほどあるでし。
2013-08-04 12:11:14

終:でも今は、アルプス稼働はまだまだ先になるし、規制委員会指示の海側ピットから汲み上げなきゃならない汚染水の行き場も決まってないし、切迫した現場状況を一日でも早く何とかしないとでし。つぶやき始めて今までで一番長いつぶやきになってしまった、指が痛い(>_<)でわでわ。よい休日を。

小出裕章:高濃度汚染水漏れについて:遮水壁=地下ダム

2013,07,11 ハッピー@Happy11311氏 放射能汚染地下水を危惧


フクイチ 放射能汚染水、もはや危機的状況  原子力規制委員会は、“夏休み入り”を宣言=避難?

2013-08-04 12:11:43 | ニュース

暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~

から転載

 

【福島第1原発】 放射能汚染水の地下水位上昇・海洋流出が止まらない ~もはや危機的状況~

2013年08月04日 | 

「これはもうアカンかも知れへんね。。」

フクシマ原発における放射能汚染水問題については、抜本的解決・対応よりも情報隠蔽を優先する政府・東電による緩慢極まりない対応により、今年5月以降、後手後手の状態が続いているが、今回、以下の朝日新聞記事にて報じられている内容をみれば、まさに危機的状況であろう。

汚染水の海洋流出を防ぐための遮水壁により堰き止められた汚染水の水位が急上昇し、このまま行けば、3週間後にも汚染水が地面にあふれ出す計算だというのであるからトンでもない話である。

朝日新聞記事にて指摘されているように、事故から2年半たった今も八方ふさがりで、汚染の拡大を防げない危機的な状態が続いているというのは尋常な話ではなく、このままの状態が続けば廃炉計画自体が破綻すると断じて然るべき話である。

福1の廃炉計画が破綻するということは、即ち、この先もずっと事故が収束しないということであり、そうなれば福島第1原発を中心として、放射能汚染のため誰も立ち入れない「立ち入り禁止区域」が広範囲に渡ることとなるであろう。

そんな中、以下のゲンダイ記事にあるように、原子力規制委はと言えば、能天気にも“夏休み入り”を宣言したというのであるから、ふざけているにも程がある話である。

元々が”原発利権ムラ”の面々で構成された規制委のこと、休暇はキッチリ取るという”お役所根性”丸出しとはこのことであり、ハナから本気で原発問題を解決しようなどとは考えていないことが如実にわかろうという話である。

東電といい、これを第3者的立場から監視・指導すべき原子力規制委といい、今回の一連の対応についてはあまりにも緊張感・危機意識が欠落しており、「こんな連中にこのまま福1の収束を任せておくこと自体どうなのか?」という点について議論されて然るべきであろうというのが個人的見解である。

こんな一般常識もなく、感覚のズレた連中に、ただでさえ困難を極めるフクシマ原発の収束へ向けた対応を任せておけば、今後も重篤な事態を多々引き起こすことは明らかであり、「ハインリッヒの法則」よろしく、やがては取り返しのつかない大事故へと発展することは自明であろう。

そしてもう一つ忘れてはならないのが、今回の汚染水漏れ問題への対応が遅れた背景に、先の参院選への悪影響を懸念した自民党が、投開票後まで汚染水の漏えいの有無自体を有耶無耶にするよう、東電に強く働きかけていたという事実である。

即ち、今回の汚染水問題が深刻化した点については、ある意味、安部政権も”共犯者”だということである。

今後、予測される展開としては、万一、地上に汚染水が噴出するような事態となれば福1の収束に向けた作業が完全に頓挫することとなる故、高濃度汚染水の海洋投棄が粛々と実行されることとなるであろう。

セシウムのみならず、トリチウム・プルトニウム・ストロンチウムといった極めて毒性の強い放射性物質を大量に含む高濃度汚染水がダダ漏れとなれば、福島近海の海洋汚染は極めて深刻なものとなることは明らかであり、福島近海をはじめとする広大な海がまさに”死の海”と化すであろう。
(実はもう既にダダ漏れ状態というのが現実であろう)

かくして原発が一度(ひとたび)大事故を引き起こせば、「海」「大気」「大地」といった自然の原風景が失われ、そこに住む人間は無論、動植物をはじめとする生命あるものすべてが甚大な被害を受けるわけであるが、一体全体、原子力政策を推進してきた日本政府(歴代の自民党政権)は、この責任をどう取れるというのであろうか?

一度壊された自然の原風景を元の状態に戻すことなど実質不可能であるという点で、誰もその責任など取れようはずはなく、かくも凄惨な状況を引き起こす「原発」について、改めて早期での全廃の必要性を強く感じる次第である。

 

(転載開始)

◆原子力規制委、汚染水「切迫」でもリフレッシュ休暇宣言
 2013年08月01日 22:08 ゲンダイネット

「かなり深刻で、切迫している」――。福島第1原発の汚染水問題について、31日の定例会見でこう懸念を示した原子力規制委員会の田中俊一委員長(68)。

汚染水をこれ以上増やさないよう、「処理した水と汚染されていない水を捨てる了解をいただかないと」と海洋への放出も口にしたが、そんな田中委員長ら原子力規制委のメンバーが、のんきに“夏休み入り”を宣言したからア然だ。

「この会見で田中委員長は『来週はお休みしたいと思う。みんなで少し休みをとって、リフレッシュしようと』などと言ったのです。
汚染水問題を『切迫している』と言いながら、どういう神経をしているのか。
それでなくても、原子力規制委は海洋放出について、早く地元民を説得するよう東電の尻を叩いている。
もちろん、福島の漁業関係者は猛反発していますが、田中委員長は『(東電は)必死になって頼む姿勢が足りない』なんて平然と言う始末。
で、地元民の苦痛をよそに、自分たちは“リフレッシュ休暇”だから、とことんふざけています」
(福島県関係者)

原発の新規制基準に関して再三説明を求めている新潟県の泉田裕彦知事は、面会に応じようとしない田中委員長について、「説明責任を果たさなければ不適格だ」と厳しく非難している。

が、田中委員長は会見で「とくにお会いしなきゃいけないとは思っていない」と冷たく言うばかり。
こうしたデタラメを一切報じず、批判もしようとしないこの国のメディアもどうかしている。

 

◆福島第一、汚染水封じ込めピンチ 地中の壁で地下水急増
 朝日新聞デジタル 8月3日(土)5時39分配信


福島第一原発2号機取水口近くの汚染状況
 

東京電力福島第一原発の放射能汚染水が海に流出し続けている問題で、原子力規制委員会は2日、初めての検討作業部会を開いた。しかし、抜本的な対策は示されず、東電が進めている対策では海への流出が止められない。事故から2年半たった今も八方ふさがりで、汚染の拡大を防げない危機的な状態が続いている。このままの状態が続けば、廃炉計画は破綻(はたん)しかねない。


○3週間で地表に到達の可能性

問題になっているのは、1~3号機の海側の敷地と港湾。地中に汚染水がしみ出し、海に漏れていると見られる。

東電は岸壁近くの土を薬剤で固めて遮水壁を造り、汚染水が海へ流出するのを防ぐ工事を進めている。遮水壁ができあがっていくにつれ、観測井戸の水位が地表から1メートルほどまでに急上昇した。遮水壁で地下水がせき止められ、行き場がなくなったためとみられる。

遮水壁は工法の制約で地下1・8メートルより深い部分しか造れない。すでに、観測井戸の水位が遮水壁の上端を上回っており、完成しても海への流出が止められないのではと懸念されている。このままのペースで上昇すれば3週間で、水が地面にあふれ出す計算だ。


 

 



(転載終了)


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小出裕章 (京大) 非公式まとめ