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人間になるために (ジュネーブ報告記) ふくしま集団疎開裁判 弁護団 柳原敏夫

2012-11-18 19:43:21 | フクシマの怒り

しかし、いったい日本の医師たちのどの団体から、これと同様の避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
「教え子を再び戦場に送るな」から戦後をスタートにした日本の教師たちと教育者たちのいったいどの団体から、同様の、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
これまで、憲法9条を守れと叫ぶ平和主義者や文化人たちのいったいどの団体から、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
この異常極まりない事態はいったい何に由来するのか。
それは、いま、日本が再び、ある種の戦争状態に突入したからで、日本全体が見えない戒厳令状態にあり、多くの専門家、知識人、文化人たちが、「命を守る」のではなく「祖国防衛」(経済復興)の側に回ってしまったからにほかならない。


以下 ふくしま集団疎開裁判HPより転載


ジュネーブ報告記 人間になるために(弁護団 柳原敏夫)
以下は、10月28日~11月1日、ジュネーブの国連人権理事会に、福島の惨状を伝えに行った疎開裁判の弁護団の柳原敏夫の報告

   ***************************

人間になるために
(ジュネーブ報告記)
ふくしま集団疎開裁判 弁護団 柳原敏夫

世界中の皆さんへ
私達を守ってください。助けてください。
子どもの健康を守ってください
これ以上、放射能被ばくをさせないで下さい
日本政府がやらない移住を助けて下さい
世界の常識で我々を救って下さい
私達を直接調査して下さい、本当の姿を見るために
子供達は我慢の限界です
                 井戸川克隆 双葉町長

1、はじめに
なぜ国連に行ったのか。3.11以来、福島の人々、とりわけ子どもたちは前代未聞の危険な状態に置かれ、なおかつ愚劣極まりない非人間的な扱いを受け、このままでは奴隷か生きる屍(しかばね)と変わらない存在に貶められてしまうから。そこから抜け出し、人間となるために。


今回、スイス・ジュネーブの国連人権理事会に福島の惨状を訴えることを決めたものの、双葉町長の井戸川さんと共に行くメンバーが最後まで決まらなかった。「あなたが行くべきだ」という妻の声に背中を押されて私が行くことになった。パスポートのなかった井戸川さんが途中で迷子になったり、誘拐されないためにもボディーガードが必要だった。
5日外泊したのは親父の介護以来初めてのことで、家族のおかげで彼の命はつながった。帰国して、彼を「ベンジャミン・バトン」のラストシーンのように、2度目の育児を30年ぶりにするような気持ちで、命に対する感情に襲われながら接することができる気がした。
1917年、新潟県佐渡島に生まれた今年95歳の親父は、戦前、生来の人柄と大陸での生活のおかげでお人好しの極限形態みたいだったのが終戦前夜の1ヶ月余りで突然変異を起こし人格が豹変した。それまで特に何も考えない極楽トンボが、1ヶ月で、誰が何と言うとぜったい撤回しない不動の確信を持った反戦平和主義者に変貌してしまった。それまで、満州鉄道の下っ端職員とはいえ、植民地生活の特権の端くれを享受していた彼は、終戦前夜に至っても、大本営発表をうのみにして避難もしなかったふつうの市民だった。しかし、8月9日、ソ連参戦の報と同時に現地招集されて事態が一変した。ろくな装備もないズサンな軍隊としてソ連兵と向かい合う羽目となり、偶然にも命を落とさず終戦1週間後に武装解除を迎えたが、今度はソ連兵に捕まってシベリア抑留になるまいと、ドブネズミのように満州平野を逃げ回る羽目となった。昼間は草原に身を隠し、夜間に行動して、1ヶ月後に中国撫順市に辿り着いた。彼は自分が奇跡的に生き延びたことを、この1ヶ月の体験で知った、そこで見た、未だ語ることもできない、満州開拓民の家族たちの命が無惨に奪われていく光景と共にまざまざと知った。さらに、彼は次の真実を知った――自分は、戦争推進者たちが逃げのびるための「盾(たて)」として召集され、ソ連兵との戦闘の最前線に立たされたのだ。自分はただの兵士ではないのだ、いけにえにされたのだ!
おそらくこのとき、彼はそれまでの自分の無知を恥じ、「無知の涙」を流した。それまで行儀よくしつけられ、学校で社会で大本営発表をうのみにする羊のようにマインドコントロールされた自分のタガが外れて、満州の荒野でドブネズミになってみて、初めて見えてきたものがあった。このとき彼は人間になったのだ。それが、戦争と平和に対する彼のその後の態度を決した。彼は終生この認識を手放そうとしなかった。

今回、スイス・ジュネーブの国連に行くときに思い出されたのがこのことだった。つまり、福島に生まれた人たちもこれと同じ目に遭っているのではないのか。

3.11の原発事故は、私にとって自分があと百年どころか、千年生き永らえたとしても二度と体験できないと思えた未曾有の事故だった。しかし、当時、この認識を回りの人々と共有することは困難だった。というのは、この惨害は原発周辺以外は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、要するに私たちの日常感覚に頼る限りぜったい理解できないものだから。ひとたび日常感覚に頼ってしまったら、3.11以後の光景も3.11以前と何も変わらない、つまり事故はなかったも同然に見えるから。

しかし、たとえ放射能の異常を日常感覚で理解することが困難でも、日常感覚で理解可能な異常事態が1つだけあった――政府・原子力ムラ・御用学者・御用マスコミの対応ぶりである。それまで羊のように大人しく飼いなされていた私たち市民もさすがに「福島県の学校の安全基準を20倍にアップする」「健康に直ちに影響はない」「国の定めた基準値以下だから心配ない」‥‥に天と地がひっくり返る位思い切り翻弄された。天と地がひっくり返る極限形態が戦争である。普段なら殺人という凶悪犯罪が戦争では英雄行為と賛美される。普段なら不登校、辞職といった離脱(逃走)行為が戦争では死刑に処せられる重大犯罪とされる。この意味で、3.11以後、私たちは戦争状態にある、福島原発から放出された大量の放射性物質から発射される放射線の絶え間のない攻撃という意味での核戦争の中に。

ふくしま集団疎開裁判が起こされた郡山市に何度か通ううちに、郡山市が事実上戒厳令状態にあることを知った。ここに住む以上、人々は、正直に、思ったままのことを言うことはできない。
それは福島県の殆どの市町村も同様である。
のみならず、日本全体も、事実上、戒厳令状態にあることが判明した。世界では、いま、福島の子どもたちの救済を求める様々な声が上げられている。ノーベル平和賞を受賞した医師の国際的団体「核戦争防止国際医師会議」は、昨年と本年の8月に、くり返し、以下のように述べ、年間1ミリシーベルトを超える地域に住む子どもたちの避難の必要性を表明した。
「国際的に最善といえる水準の放射線防護策を実施するには、いっそうの避難が必要です。私たちはそれ以外に方法はないと考えます。」(11.8.23原文)
「一般公衆の医療行為以外での付加的な被ばくの許容線量は、すべての放射性核種に対する外部被ばくと内部被ばくの両方を含めて、合計年間1ミリシーベルトに戻されるべきです。これは特に子どもと妊婦にとって重要であり、一刻も早く実施されるべきです。」(11.8.23原文)
「子どもや子どもを出産できる年齢の女性の場合には1ミリシーベルトを超えることが予想されるときには、彼らが移住を選択する場合に健康ケア、住居、雇用、教育支援および補償が公正かつ一貫した形で受けられるようにしなければならない。」(12.8.29原文)
しかし、いったい日本の医師たちのどの団体から、これと同様の避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
「教え子を再び戦場に送るな」から戦後をスタートにした日本の教師たちと教育者たちのいったいどの団体から、同様の、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
これまで、憲法9条を守れと叫ぶ平和主義者や文化人たちのいったいどの団体から、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
山本太郎さんはいつも言う--なんで、疎開裁判なんて起こさなければいけなかったのか。おかしいじゃないか。裁判なんかするまでもなく、子どもを救うために、国も大人も率先して動くのが当然じゃないか。なんで動かないのか。
この異常極まりない事態はいったい何に由来するのか。
それは、いま、日本が再び、ある種の戦争状態に突入したからで、日本全体が見えない戒厳令状態にあり、多くの専門家、知識人、文化人たちが、「命を守る」のではなく「祖国防衛」(経済復興)の側に回ってしまったからにほかならない。

であれば、戒厳令のない場所で、福島の惨状を訴えよう。これを試みない理由はない。それ以後、この認識を共有できる人をひそかに求めていた。そこで出会ったのが双葉町長の井戸川さんだった。10月30日の本番2週間前、それまで一度しか会ったことのない私に、彼は「ジュネーブに行きたい」と言い出した。福島の惨状、福島の真実を世界に伝えるという伝道者としての決意がそれを言わせたのだ。それは冒頭に紹介した彼の原稿に現れていた。

これまでに何度も述べた通り(8.24官邸前スピーチ「なぜ福島の子ども達の集団疎開は検討すらされないのか」など)、日本政府くらいチェルノブイリ事故から学び尽くした者はいない。彼らのSPEEDIの情報隠しも、避難地域拡大防止のためにソ連政府が行なった情報隠しから学んだ成果の実行にすぎない。
チェルノブイリ事故でソ連政府がタブーにした最大のものが2つあって、その1つが子どもたちの被ばくデータである(「ネットワークでつくる放射能汚染地図」のプロデューサー七沢潔「原発事故を問う――チェルノブイリからもんじゅへ」137頁)。日本政府もソ連政府の忠実な教え子として、子どもたちの集団避難をタブーと決めた。
なぜ、そのような決断をしたのか――ベトナム戦争の米軍による枯葉剤散布で最も深刻な被害が出たのは子どもだったように、長期にわたる低線量被ばくによる最大の被害は子どもに出るから。子どもたちの被ばくに関するデータが明らかになると、原発事故で子どもたちがどれほど深刻な、どれほど悲惨な被害を受けるか、これが人々の前に明らかになる(チュルノブイリ事故で多重先天障害を負った子どもたちの写真参照)。なおかつ、深刻な被ばくから子どもたちを救うために集団避難を実施するとどれくらい大規模なプロジェクトになるか、これも人々の前に明らかになる。その結果、誰もが、二度と、決して、原発事故はあってはならないと、深く確信するようになる。そして、二度とこのような悲惨な事故を起こさないために、二度と、決して、原発は稼動してはならない、廃炉にするしかないと、深く確信するようになる。多くの人々がこの不動の確信を持つに至ること、それをソ連政府も日本政府も最も怖れた。だから、必死になって子どもたちの被ばくデータを隠すことを決めた。
真実は――ふくしまの子どもたちは、原発推進者たちが今後とも原発推進をやり続けるために、「原発事故が起きてもたいしたことはない、問題ない。」と言い続けるための「盾(たて)」として使われたのだ。子どもたちは福島県立医大のただの患者ではない、原発推進者たちの最大の犠牲者、否、彼らが生きのびるためのいけにえにされたのだ!

これ以上考えられないほど理不尽極まりない不正義に対して、はっきりノー!という声を上げる者がいるぞを世界に示すのが今回のスイス・ジュネーブの国連行きの目的だった。
だが、国連はIAEAのような国際原子力ムラの牙城ではないのか?しかし、我々が行ったのは国連の人権理事会である。それは人類普遍の原理である人権を鏡として問題を明らかにする場である。
人権を定めた憲法の基本書(例えば宮沢俊義「憲法Ⅱ」(法律学全集))を一度でも手にしたことがある人なら、もともと近代憲法の出現が世界史の奇跡であることを知るはずである。なぜなら、それまでの法律は我々市民に対し「~してはならない」と命じるものであったのに対し、近代憲法において初めて、市民ではなく、国家に対し、お前は「~してはならない」と命じ、しかも、我々市民の生命・自由・人権を奪ってはならないと命じたからである。このとき天と地がひっくり返ったのである。それは世界史の奇跡と呼ぶほかない(国家主義者たちはこの事実を隠そう、隠そうと必死だが)。
その近代憲法が定めた人権の本質が「抵抗権」である。それは「個人の尊厳から出発する限り、どうしても抵抗権を認めない訳にはいかない。抵抗権を認めないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすること」(宮沢俊義「憲法Ⅱ」173頁)だからである。
しかし「抵抗権」とはさかのぼれば、生命そのものを鏡にして得られた理念である。なぜなら、自然界では生命体も含めてすべての物理現象に押し寄せるエントロピー増大の法則が存在するが、生命とは、この「無秩序に向かうエントロピー増大の法則にたえず抵抗して、生命体の秩序を維持するあり方」(福岡伸一氏が命名した「動的平衡」〔生物と無生物のあいだ〕164頁~)のことであり、この意味で抵抗とは生命そのものの営みである。私たちの「生きたい!」という渇望と行動が「抵抗」そのものなのである。「生きたい!」という渇望・行動が止まない限り、「抵抗」が止むこともない。逆に「抵抗」をやめたとき、それは生きる屍である。生きる屍はなく、生きた人間となるために抵抗が不可欠なのである。「命を守る」私たちの取組みこそ人権理事会で取り上げる議題として最もふさわしい。

18世紀に世界史の奇跡として出現した近代憲法(ヴァージニア憲法3条やフランス人権宣言など、これらは改めて声に出して読みあげる価値がある)は、人類普遍の原理として300年後の「命を守る」私たちの取組みに尽きることのない勇気と激励を鼓舞してくれる。その人権宣言を詩(うた)にしたのが、同じ18世紀の詩人ウィリアム・ブレイクである。彼の預言詩『ミルトン』(Milton)の序もまた世界史の奇跡のように、私たちに無限の勇気と激励を与えてくれる。以下はその21世紀版である。

And did those feet in ancient time,
Walk upon Fukushimas mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Fukushima pleasant pastures seen!

古代 あの足が
ふくしまの山の草地を歩いたというのか
神の聖なる子羊が
ふくしまの心地よい牧草地にいたなどと

And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?

神々しい顔が
雲に覆われた丘の上で輝き
ここに エルサレムが 建っていたというのか
こんな闇のサタンの工場のあいだに

Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!

ぼくに燃える黄金の弓を
希望の矢を
槍を  ああ 立ちこめる雲よ 消えろ
ぼくに炎の戦車を 

I will not cease from Mental Fight,
Nor shall my Sword sleep in my hand,

精神の闘いから ぼくは一歩も退かない
この手のなかでぼくの剣を決して眠らせておかない

Till we have built Jerusalem,
In Japanese green and pleasant Land.

心地よいみどりのニホンの大地に
エルサレムを打ち建てる日まで

(12.11.15 柳原敏夫)
   



福島のこども 直ちに2次検査必要、甲状腺がんの疑い 初めて1人判定

2012-11-18 11:18:55 | 放射能汚染

今日の河北新報2012年11月18日日曜日

甲状腺がんの疑い 福島県直ちに2次検査、初めて1人判定

 東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べるため、福島県が18歳以下の約36万人を対象に行っている甲状腺検査の1次検査で、がんの疑いがあり「直ちに2次検査が必要」と初めて判定された子どもが1人いることが17日、関係者への取材で分かった。
 18日に開かれる「県民健康管理調査」検討委員会で報告される。
 調査を進めている福島県立医大は「チェルノブイリ原発事故でも甲状腺がんの発見に最短で4年かかった」として、放射線との因果関係は低いとみているが、血液や細胞を調べ、がんかどうか判断する。
 1次検査による判定は、しこりの大きさなどを基に、軽い方から「A」「B」「C」があり、今回の1人は「C判定」。
 9月の検討委では、緊急性は低いが念のため2次検査が必要という「B判定」だった1人が、甲状腺がんと判明したと報告された。だが、がんの状態から「震災以前に発症していた疑いがある」として、原発事故の放射線との因果関係を否定している。
 県立医大は「県内全ての子どもの検査という前例のない調査なので、早期発見の子は少なからず出る。放射線との関係を丁寧に調べていく」としている。

この間の検査では「C判定」は0だった

 

 

「事故無関係」危うい即断 チェルノブイリ翌年から増加
医師の菅谷松本市長が警鐘


「このデータをまさか日本で必要とするとは思わなかった」そう語りつつ、
菅谷市長はベラルーシ国立甲状腺がんセンターから入手した
小児がん患者数(15歳未満)の推移のデータを示した。

2102092912

チェルノブイリ(ウクライナ)は国境近くにあり、ベラルーシは深刻な汚染にさらされた。
同センターは急増した小児甲状腺がんの治療などのため、90年に創立された。
菅谷市長は甲状腺がん専門医として96年から5年半、同センターの活動に携わった。

菅谷市長が注目するのは、ベラルーシの場合、
86年には2例だった小児甲状腺がんが、翌年には新たに4例、
88年には5例、89年には7例と増加している点だ。

今回の福島県での結果(検査対象は18歳以下)について、
検査を担当する県立医大の鈴木眞一教授
チェルノブイリ事故でも、甲状腺がんが見つかったのは最短4年」と説明したが、
同市長は
事故後、早い時期に甲状腺がんが発症する可能性は否定できない。
現段階では『わからない』としか言えないはずだ
」と即断をいさめる。

菅谷市長が入手した同センターの資料によると、
86年~97年の小児甲状腺がんの患者570人のうち、
半数以上の385人にリンパ節転移が見られ、
16.5%に当たる94人が肺に転移していた。

甲状腺がんは進行も遅く早期に治療すれば完治するとされている。
ただ、菅谷市長は
「ベラルーシでは、転移していたケースが非常に多い。
将来にわたって、注意深く経過を追わなければならない」と指摘する。

診察よりも調査を優先している検査体制にも疑問を投げかける。
「しこりがあると言われたら、親は心配するに決まっている。
でも、同じしこりでも水のたまったのう胞はがんにはならない。
心配なのは肉のかたまりである結節。
一人一人への丁寧な説明を怠ってはならない」

県側は一定の大きさのしこりが見つかり、二次検査した子どもたちについては
「個別の経過観察をする」とし、
他の子どもたちは2年に一回検査するとしている。

だが、菅谷市長は
「心配な保護者には、むしろ他の機関でも調べることを勧めるべきだ。
データをまとめるには県立医大に送るよう指導すればよい。保護者の不安解消が大切だ」と語る。

ちなみにベラルーシの子供らの甲状腺がん検査は半年に一回。
同市長は
「子どもが甲状腺がんになった場合、何年も治療や検査を続けねばならない家族の苦しみは深い。
現地の往診で、そんな姿を見てきた。
チェルノブイリの先例に真摯に学ぶべきだ」と話した。


 

以下も参照↓

 

甲状腺がん1人確認 福島医大「放射線の影響ない」
福島民報 (2012/09/12 10:57)

都民の甲状腺エコー検査と血液検査Add Star

 先日、都内のある病院で、うちの子どもたちの「甲状腺エコー検査」と「血液検査」を行いました。


そこで、甲状腺検査が今年5月以降保険適応外になっている説明をうけて驚きました。
厚生労働省「過剰診療」と理由を付けて、東京での甲状腺エコー検査を保険適用外にしました。

甲状腺エコー検査では、大きいもので1.2ミリ~1.8ミリの嚢胞が見られましたが、問題は無い範囲と医師に言われました。

血液検査では、気になる点がありました。

ひとりは、好中球が基準値より大きく下回り、リンパ球も若干下回りました。 
もうひとりは、好中球が基準値より若干下回り、好酸球の値が590まで上昇しています。

医師の話によると現在、好酸球が多く好中球が少ない子がとても多く、問題を感じているそうです。
年齢が10才以下の子ども、そして年齢が低いほど変化が多くみられるようです。


◎好酸球について、この病院の検査では、昨年の12月頃までは「200」ぐらいの値の子どもが多かったが、その後数値が徐々に上がってきていて、最近では「500」ぐらいの値の子が多くなってきた。

◎好中球の数値が下がってきている。以前は検査した子どもの95%が基準値に収まっていたが、最近は25%~30%しか基準値に収まらなくなっている。


普通の小児科医で診察してもらうと、基準値外とはいえ微妙な数値なので「問題ない」で済まされるかもしれませんが、基準値外の割合を見ると、異常に感じてしまいます。

どのぐらいの人数の子どものデータかは確認しませんでしたが、今回の検査を今年7月に予約した時に最短で11月と言われました。
現在は来年の4月まで予約が埋まっている状況ですので、そのことからも多くの子どもたちの受診データと思われます。

放射能健康被害を心配して受診される子どもの家庭では、飲食にも気を使っている方が多い。
原因について、医師は、吸っている東京の空気に疑いを持っていました。

2011年3月15日、東京都民は呼吸だけで3600ベクレル内部被ばくをしています。
その後も、降下した放射性同位体の舞い上がりを吸入し被ばくを重ねています。

東京電力福島第一原子力発電所事故に係る大気浮遊塵中放射性物質の調査報告http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2011/12/60lcq100.htm

東京の話です。

 

未公表データが存在 放射線量が急上昇

11月17日 19時13分 NHK
未公表データが存在 放射線量が急上昇
 

去年3月の原発事故で放射性物質がどのように放出したかを調べるのに重要な原発周辺の放射線量について、公表されていないデータが存在することが分かりました。東京電力は未公表の理由について「調査中」としていますが、この中には、事故から5日後の去年3月16日午前に一時的に急上昇しているデータもあり、専門家は「原発で何かが起きた可能性を示しており、詳しく調べる必要がある」と指摘しています。
           

福島第一原発の事故で放出された放射性物質については、東京電力がことし5月に最新の解析結果を公表し、去年3月15日に2号機から翌16日には3号機から、大量に放出されたとしていますが、具体的な放出経路などは明らかになっていません。
この未解明の謎に迫ろうと、NHKが原発周辺で観測された放射線量について改めて調べたところ、第一原発から南に12キロにある第二原発の値に不自然な点があり、問い合わせた結果、未公表のデータの存在が分かりました。
東京電力によりますと、未公表は去年3月15日午前から4月3日にかけてのデータで、このうち確認できたとして東京電力が明らかにした3月16日のデータを見ると、午前9時40分ごろ、それまで1時間当たり20マイクロシーベルト前後で推移していた放射線量が突然80マイクロシーベルトに跳ね上がり、10分後には87.7マイクロシーベルトまで上昇していました。
線量が上昇する1時間余り前の午前8時半ごろに、3号機の建屋から白煙が大量に噴き出ているのが確認されていて、放射性物質の放出との関連が疑われていますが、何が起きたのか詳しいことは分かっていません。
これについて、事故のあと、原発周辺の放射線量などを調べている東京大学の門信一郎准教授は「事故から1年8か月がたつのに、いまだに未公表があるのは分析を行ってきた立場として大変残念だ。今回のように大きく値が変化するデータは、福島第一原発で何かが起きた可能性を示しており、3号機の白煙との関連を含め、詳しく調べる必要がある」と指摘しています。
東京電力は「なぜ公表されていないのか調査中だ。確認ができしだい公表を検討したい」と話しています。




リンク

小出裕章 (京大) 非公式まとめ