3月24日午後、東京都庁第一庁舎前で、「避難の協同センター」などの主催による「原発事故避難者を生活困窮に追い込まないで!緊急アピール行動」が行われました。たくさんの避難者が発言しましたが、以下は、急きょ参加できなくなった埼玉に避難している方の手紙で、この行動で代読されたものです。
福島県いわき市から埼玉県で避難生活を続けている者です。
このたび福島県の政策により、3月いっぱいで「自主避難区域」の避難の住宅提供の打ち切りが決まっています。
東京都には約717世帯の方たちが「自主避難」と言われて避難しています。
この方たちは、3月からの生活をどうしていいか分からず、不安な生活をいまだに送っています。 私も「自主避難者」です。「原発事故から6年あったのに、何やっていたんだ」と思われるかもしれません。
しかしこの6年、私たちは1年ごとの住宅提供打ち切りに脅え、まともな生活をすることができませんでした。
仮住まいで1年後どうなるか分からない私たちは、就職さえままなりません。
面接を受けても「1年後やめるかもしれない」と、雇ってくれる企業はなかなかありません。いつか引っ越しせざるをえない日に備え、がまんして最低限の家具で生活しています。
最初から「5、6年後に出ていって下さい」というのなら、いくらでも策がありました。
しかし私たちは1年後が分からない、想像できない6年、対策のしようがありませんでした。
どうにか東京に自主避難した仲間が避難を継続できるように、対策をしてもらえないでしょうか。
私は避難先である埼玉県に助けを求めました。埼玉県は話しを聞いて下さり、できるかぎりの対策を立てて下さいました。おかげで避難継続したまま生活設計が描けました。避難を継続したい人の思いはみんな一緒です。
健康被害への不安がぬぐえないこと、土壌汚染がなくならないこと、だから避難を継続したいのです。
帰りたい我が家、しかし汚染されている事実。いつかは戻りたいと思っても、今はその時期ではないと避難生活を送っています。
どうかそういう思いを受け取って、東京都としてできる対策をしてもらえませんでしょうか。豊洲の汚染問題も、福島の問題と近いところがあります。さまざまな思い・意見のなか、ほんろうされているのは当事者である住民です。
誰が、何が、悪いのか、みな口に出さずともわかっているはずです。
私たちは原発事故の避難者です。仲間が苦しんでいます。
病気になって困るなら死んじゃえ、一家心中しちゃえと思っている方もおられるぐらいです。
私も数年前、そう思いながら苦しんでいました。
気持ちが痛いほど分かります。生き抜いてほしいんです。 本来、この問題は国がどうにかしてくれなきゃならない、というのはみな分かっています。
しかし、国の方針が変わらず、避難先自治体にお願いするしかなくなっています。
各都道府県の独自の支援策で、どうにか問題が解決できた者もいます。それで、新たな分断も生まれつつあります。避難場所によって幸、不幸が起きるのは不条理なことです。国が動けばなんの問題もないのですが、どうか力を貸して下さい。