「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

街場のメディア論

2010-09-07 | 
内田樹先生の「街場のメディア論」。相変わらず、視点が面白い。著作権に対する考え方が独特ですが、うなずけます。著作そのものに価値があるのではなく、他者がそこに価値を見出し、価値あるものとして受け止めてくれることによって初めて、著作物は価値をもちうる。それを人類学的に考察していくところは壮大です。ま、そこまでいかなくても自分が訴えたいことがあるから書いたり、音楽を作ったりする。多くの人に読んでもらい、自身の考えや作品を愛でてもらうだけでも感謝できるという感覚はわかる気がします。「それではもうからない」という当然の反論にも内田さんは揺るぎません。どんな読者も最初はお金を払うことはない。そこで自身でお金を出して本やを買うようになる、つまり「読書人」が誕生する。そうした読書人を増やし、裾野を広げていかないでどうするのか、と。

この本で一番共感できたのは、本棚についてでした。電子書籍の普及で紙媒体がウンヌンという論議で欠けているのは本棚の視点だ、という主張です。本棚に並ぶ本はその持ち主そのものというか、その人が望んでいる「こう見られたい自分」「あらまほしき未来の自分」といったものの表現場所であるという。本棚に並ぶ未読の本の無言の語り掛けこそが、過去の自身が「未来にこうなりたい」という自分を描いて、現在の自分にいわば縛りというか、励ましのようなものを行っている。ちょっと読み方がちがうかもしれませんが、そんなふうに思えました。これ、まったくその通りかと。本棚に本のない人の部屋って、ちょっと長居をする気がしませんもの。ヒントがないんですよね、その人を読み解くための。だから電子書籍で紙媒体の本がなくなるとかいう論議自体、視点がずれているのではないかと内田先生は分析します。

と、本の話はここまで。ご存知の方も多いと思いますが、いま書籍の世界で話題になっているブログの話題があります。「池上バブル」「茂木バブル」といった言葉で語られる、集中豪雨的に人気の売れ筋作家の本ばかりがいろいろな出版社からぞくぞくと出て、内容が劣化していくという提起です。

ここには名前があがっていなかったのですが、内田先生は自身を省みて、「これはまさに自分のこと」と自省し、今後は出版ペースを落としていくとご自身のブログで書かれています。ちなみに勝間さんや茂木さんは反論していますね。このクラスの人たちになると、様々な出版社の人とつながりがあり、しがらみもあるでしょう。それぞれの編集者と作家は一所懸命に作品を紡いでいても、印象としては確かに類似作品が同時期に多く出ているようにしかみえないですものね。たしかに同じような本ばかりが並ぶと私などは閉口しますけどね。内田さんの作品は一作一作に発見があり、全然バブルとは思わないのですが…

まあ、書籍の世界で論争があり、活気付くことは悪いことではないと思います。いろいろな立場の人がいろいろに意見をぶつけ合い、豊かな出版文化が実る方向にもっていければいいなあ、と思いますよ。