瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

#23

2012-12-24 22:55:46 | 考える日々
人は誰でも孤独なんだけど、それでも生きていかれるのは様々な慰めが救いになっているからだよね。慰めてくれるのは人ばかりではなく動物だったり植物だったりもするんだけど、ともかくも何かしらの存在に救われているんだよね。
で、想像してみるんだけど、世界のすべてに拒絶されたらその孤独はいったいどうなるのかしら。救いようがないように思うんだけど、どうかしら。救われない孤独ってどんな存在なのかしら。ちょっと想像が追っつかない。追っつかないからって想像するの放棄してしまっては一歩たりとも近づけないから、近づく努力ぐらいはしなきゃね。っても、近づこうとしたら、お前なんかに理解されたくないと拒絶されそう。その絶望的な孤独感は怒りで自分を含めた全存在を業火で焼き尽くさんばかりのような気がするんだけど、どうかしらねえ。やっぱり、あたしの拙い想像力じゃ手に負えないね。
人が抱えている孤独はそれぞれ質も量も違うから解りかねるんだけど、こんなふうにすべての存在から拒絶される孤独なんていう極端な想像をしてみることで、他人の孤独に少しは近づけないかしらと思ってやってみたんだけど、根本的に想像力が貧困じゃ、どうにもしようがないか。

世界のすべてに拒絶される孤独を想像していたら、拒絶されるのではないけど世界とどう関わりを持っていいのか分からないような種類の孤独が思い浮かんだのよ。それは最初の生命。生命体は私だけって、もう何をどうしていいんだか分かんないんじゃないかしら。孤独ということすら理解できない状況よね。
もちろん最初の生命がそんな複雑な心理や思考をもってるはずないんだけどね。ま、持っていたとしたらさ、孤独がどうのって前に、私って何?って考えるかしらね。ここに在るってことがわけわかんないんじゃないかと思うのよね。私だけだ生命だってことに戸惑うんじゃないかしら。私という現象はいったい何なのよ。
でも別に最初の生命でなくともこう考えるか。人は誰だって気が付いたら生命やってるんだから。ただ現在は生命に満ち満ちているから、それが当たり前になっちゃって生命が在るという不思議に鈍感になってるかもしれないけどね。
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