旧・フレアバーテンダーCATMANの今日の一杯

全日本フレアバーテンダー協会会長の旧ブログです。新ブログはcatman.bar-nemanja.com です。

本日のカクテル紹介「BLOODY BONITO」!!

2013年03月21日 | カクテル紹介

本日は、「ブラッディ・ボニート(BLOODY BONITO)」を紹介致します

このカクテルは、2013年2月25日に行われた日本・タイシェフズ協会の設立記念パーティーのウエルカム・ドリンクとして、私が2012年12月にパーティーに向けて考案したものです。

日本とタイランドのシェフの友好パーティーという事で、"日本とタイの食材を使用したカクテル創作して頂きたい!"とのご依頼でした。

写真下が「ブラッディ・ボニート(血まみれ鰹)」です!

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かつお節インフュージョン・ウオッカをベースに、ホール・トマト、リーペリンソース、唐辛子、柑橘類を加えて作ったブラッディー・メアリーです!

カクテルの上には、鰹だしと胡椒のヌーべ(雲の様な泡)にタイ産のバジルを飾ります!

新しいブラッディ・メアリーのバリエーションです

写真下は、カクテルに使用したタイの食材です!

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ブラディー・メアリーは1921年に、フランス・パリにある「Harry's New York Bar(ハリーズ・ニューヨーク・バー)」のバーテンダーFerdinand Pete Petiot(フェルナンド・ピート・プティオ)氏が考案したものです!

ハリーズは、パリのオペラ・ガルニエの近くにあり、初代オーナー・バーテンダーのHarry MacElhone(ハリー・マッケルホーン)氏が、アメリカの旅行客のためにパリに開いたバーと言われています!

数々のカクテルの発祥地としても知られますね

写真下はハリーズのブラッディ・メアリーで、ハリーズ・ニューヨーク・バーのポストカードにも「1921年ブラッディ・メアリー誕生の地"The Birthplace of the Bloody Mary 1921"」と書かれています。

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カクテル名は、イギリス女王「メアリー・チューダー」が国内の新教徒を迫害し、"血まみれメアリー(Bloody Mary)"と呼ばれた事に由来しています!

フェルナンド・ピート・プティオ氏は、ハリーズでブラディー・メアリーを考案後の1925年に、ニューヨークのセント・レジス・ホテルのバー"King Cole Bar"に勤務(1965年まで勤務して引退)致しました。

移って来た当時はアメリカは禁酒時代で、パリで名物にしていたブラッディ・メアリーを名前を隠して売る必要があると感じ、トマトジュースにこっそりお酒を入れて飲ませるカクテルとして1930年頃「レッド・スナッパー(RED SNAPPER)」と改名し、同時にベースのウオッカをジン・ベース変更したそうです。

レッド・スナッパーとは、"日本の真鯛に似たアメリカのフエダイ"の意味です。

1933年にアメリカ禁酒時代が終わり、レッド・スナッパーは「ブラッディ・サム(BLOODY SAM)」とも呼ばれる様になりました。

ブラッディ・サムの"サム"とは、アメリカ人によくある男性の名前です。

今では多くのバリエーションが登場し、「BLOODY CAESAR」、「BLOODY MARIA」、「CUBANITA」、「COOCH BEHAR」、「TOKYO BLOODY MARY」、「WHAT? ME WORRY MARY」、「VIRGIN MARY」、「DEADLY MARY」、「BLOODY BASTARD」、「BLOODY HAMPTON」、「BLOODY MARIE」、「BLOODY RUSSIAN BASTARD」、「MICHILATA BLOODY MARY」、「BLOODY CAJUN」、「BLOODY BISON」、「BLOODY MOOSE」、「BLOODY NOSE」、「BLOODY JOSEPH」、「MILE HIGH MARY」などが有名で、現在数百種のバリエーションがあるとされています!

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本日紹介の「ブラッディ・ボニート(BLOODY BONITO)」は、3月よりカクテルバー・マルソウ(横浜)のメニュー入りました!

是非お楽しみ下さい!


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