じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

ごめんなさい

2005-08-15 08:41:50 | Weblog
行く前に、
書かないと、行けない。
ひとりでいるうちに。

からだじゅうから液体が流れ出す。
涙も、胃の中身も、汗も。


…添い寝ひとつ、かなわないなんて、いやだ。
ばあたんに頬ずりできない毎日なんて、いやだ。

あんな本格的な精神科病院に入れるなんていやだ。
面会もかなわないような。
ましてや入れっぱなしなんて。

…泣くな。考えろ、私。
泣いてるひまなんかない。

何かいい方法があるはずなの。


だって、ばあたんは、まだ、生きているんだもの。

いつでも待っていたのは、私。

2005-08-15 08:08:26 | じいたんばあたん
いろんなことがあったので、何から書いたらいいのか解らない…

夕べ久しぶりに自宅へ帰って休んだ。
昨日突然来てくれた、伯父夫婦が、一晩介護を交代してくれたから。

でも、主治医の宣告で頭が一杯で
なにも手につかなくて

今、もうすぐ、祖父母宅へ行くという時間になって
ここにアクセスしたのです。


*************************


先週、紹介された病院に、入院を断られた後、
(脱水症状など内科的な部分での治療が優先というのがその理由)

別の病院は、まるで棺おけみたいで、とても入院させる気になれず

内心ほっとしながら
訪問看護を導入しヘルパーさんも増やし、
ここ数日がんばってきた、ばあたんと私たち。


だけど、昨夜、
往診にきた主治医が勧めたのは

とてもとても遠いところにある精神科病院への、入院だった。


「たまさんと私二人で頑張るのは限界ですし、
 ここはとても良い病院ですので、いちど見てこられたら」

と伯父に言う先生。
そして帰り際

「入れたほうがいいよ。決断苦しいだろうけど」

と私に耳打ちしてくれた、先生。


…昨日から来ている伯父と二人、今日、
その病院に行ってみる予定。

伯父は、入院させるという判断をしている様子。
じいたんも、同じ。

わたしはただ、黙っているしかできない。
在宅では無理ということも、うすうすわかっている。
それに、わたしは口出しを出来る立場ではない。


でもあたしは

いきなりこんな現実。
どうやって受け入れていいのかわからない。

入院費用のことも考えたら、今までのように
働かず過ごすというわけにはいかないだろう。

じいたんの介護を続けながら(それは、精神的な部分が大きいが)
働いて、片道一時間半かかる病院に毎日、通えるかどうか。

多分無理だ。


そしたら
ばあたんと毎日、会えない。

そんな毎日、想像もできない。

ばあたんが生きていて
私を呼んでいるのに

どこかに置き去りにするなんて。
あたしには無理だよ。
無理なのに。



「待っているわ」ってばあたんは、
私が帰るとき、電話したとき、いつも優しく言ってくれた。

だけど本当は、ちがう。
待っていたのは、わたしの方。

ばあたんが笑ってくれるのを
ばあたんがぐずってくれるのを
ばあたんが眠ってくれるのを
ばあたんが泣いてくれるのを
ばあたんがひどいせん妄で、苦しむときでさえ

生きているばあたんを五感で確認出来る
そんな瞬間を
待ち望んでいたのは、
いつでも、わたしのほうだったの。

神さま、本当にばあたんはもう、治らないの?
あたしのことはわかってるんだよ。
どんなひどい症状の中でも、わかっているもの。
おねがいよ。
おねがいよ。
いや。とりあげないで。


「たまちゃん、たまちゃんがいれば、おばあちゃん大丈夫」

「たまちゃん、おばあちゃんの犠牲になって、…ごめんね」

「たまちゃん、おかげでわたし、生きているって気がする」

「たまちゃん、怖いの、怖いよう。何もわからないの。」

「たまちゃん、おばあちゃんと仲良し、うれしい」

「たまちゃん、わたしの、おかあちゃん」


まるで子供を奪われるみたいな気持ち。

入院で、改善していくのなら、
ばあたんのためになると断言できるならいい。

でも違う。今回の入院は。


…こんなにも、ばあたんといたい
わたしが、ここにいる。
生きているかぎりは、共にありたい
そんなわたしが、ここにいる。

どうしたらいいのかわからない。
たすけてくださいかみさま、おねがい。おねがいです。

寝たい!寝たいよう!!

2005-08-10 03:17:44 | 介護の周辺
あかん~…orz

寝たいの。
めっちゃ寝たいの。

仕事残ってるけど、
とりあえず寝たいの。
おふとんと、たわむれたいの。

でも頭がびしびしっと冴えちゃって眠れないの。
寝転がってみたけど、だめなの。
せっかくばあたんが、熟睡してくれた夜なのに。

うおーーー(ToT)
コメント返信はおろか、巡回なんて夢のまた夢だ…(ToT)

あせるうちに夜が更けていく。
明日は紹介状もって、ばあたんを病院に連れて行く。
嵐のような一日だ、と今のうちからわかっているのに。

そうして、部屋の中とネットを徘徊している私の姿は
まるで、
ばあたんが夜間せん妄で、おろおろしている姿と
何も、違わないのだ。

ばあたんに心細い思いをさせたくないと思う。

夕食の介助をしていて
(彼女はいま、嚥下に問題がでてきている。
 あるいは、食べる・飲むという動作を忘れ始めている感じがする)
ひとさじひとさじ、2時間かけて
食べていただいていたわたしに、声をかけてくれたばあたん。

「たまちゃん、おんぶにだっこで、本当にごめんね。
 とても、疲れているんでしょう?
 おばあちゃん、心配よ」

といった内容を、たどたどしく伝えてくれた
ばあたんの、心は、生きている。確実に。

眠れないくらいのことでいらいらしてたまるか。
ばあたんは、もっともっと不安で、淋しくて、辛いはずなのだ。

猫かぶっていられないかも。

2005-08-09 08:17:23 | ブラックたまの毒吐き
今日あたり、主治医から
ばあたんのための、紹介状をいただくことになるだろう。

精神科病院への入院のための。

じいたんは説得した。
というか、納得するまで追い込んだ。
(鬼だな)

それでも、この人の我侭についていくのには
限界がある。
ばあたんが入院した後、
わたしはこの人と、かかわっていけるのだろうか。
自信がない。


だって、わたしはこの人の妻じゃない。
妻の役割までは背負いきれない。
演じることだってぞっとする。

夫であるひとのためならば、
いくらでも我慢ができるものだが、
あるいは「仕事」であるならば、
いくらでも耐えてもみるのだが。

(なぜならそれが契約であり
 責任を負うということだから。)

猫になりきるのだって、あやういというのに

このままでは
猫を脱ぎ捨ててしまわなければならなくなる。


でもやっぱり猫でいるしかないのだけど。

猫でいられなくなったら、広がるのは
天と地のはざま

ある
あまねく修羅だ。

先週土曜のデートで。

2005-08-08 01:24:28 | きゅうけい
介助犬ばうに付き添ってもらっての、病院の帰り道、
(一週間ちょい前のことです。旧いネタですみません…)
立ち寄ったゲームセンターで、上の写真の扇子をみつけました。

今ちょうどクールビズで、社内が暑いはずの
彼氏=介助犬ばうに
プレゼントしてあげようと思い…。

「でも絶対無理そうだよ。だって、箱をアームで掴むんだよ?」

というばうばうを尻目に、奮闘。
怖ろしいことに、1500円くらい使ってしまいましたが、
アームの使い方など色々工夫して(掴むだけが能じゃないのだ)

ついにゲット!

特に意味はないんだけど、うれしかった。

「一見無理そうに見えるものに、ちゃんと筋道立ててトライして、
 目標物をゲットするという体験」をしたことが、

うっかりするとすぐ張り詰めてしまう神経を、
自然にやわらげてくれたような気がした。

そしてそれを、ばうばうが貰ってくれたのが嬉しかった。
つまらないことだけど、うれしかった。


追伸:「リラックマを被ったプーさん」
   うっかり6つも取ってしまいました(単価100円)。
   どなたか欲しい方いらしたらメールくださいませ。
   先着4名さまということで…

ばあたん、眠りながら話し続ける。

2005-08-05 05:50:27 | じいたんばあたん
夕べから、寝る前の薬が変更になったばあたん。
今度の薬は、セロクエル。メジャートランキライザーの一種である。
高齢なので、25mg錠を半分に割ったものから開始。
(脳に作用する薬は特に、少量から、高齢者には投与するのだ。
 せん妄などを起こしやすいからである)

今まで飲んでいたレンドルミンを中止して丸二日。身体から抜けたころだ。

さて結果は。

とりあえず、手は全然握ったりしなかったけれど、
寝息をたてていたのは一時間半程度。
あとはずっと、空に向かって、目を閉じたまま延々
離し続けていた。

整合性があるようなないような、
ものすごくはっきりした寝言のような感じなのだが、
身振り手振りがある。
そして、私が話を促すとちゃんと、答えらしきことを言おうとする。

意識があるかないかのギリギリのレベルで、
やはり眠れてはいないような気がする。
たぶん昨日、昼に結構な時間、じいたんが眠らせたのだろう。
昼夜逆転はあまりよくないのだが、仕方がない。

一方で、リラックスしているようにも見える。
本当に、話したいことを思いつくまま、
誰かに向かって話し続けているような感じで、
ひとりで話し続けていても、なんだか楽しそうな印象である。

とりあえず、今日主治医に報告しておいたほうが良いかもしれない。


先ほど、5時ごろ、ばあたんは起き上がったので、
りんごジュースで水分補給をして
(飲むという動作を忘れているような印象。
 声がけも慎重にやらないと、混乱して飲まなくなってしまう)

童謡のCDを掛けて、もう少し横になっているよう促し
傍にいながらこの記事を書いている。


ばあたんは、歌を口ずさみながらも、目は、閉じている。
疲れがたまってしまわないかしら…


追伸:
コメント返信、もう少しお待ちくださいませ。
もう少し集中できる環境で
(つまり自宅に戻ったときか、祖母が眠っているとき)
書きたいので…

じいたん、介護人デビュー。

2005-08-05 04:43:49 | じいたんばあたん
水曜夜、祖父母宅に私はいなかった。
ずいぶん前から入れていた約束があり、渋谷へと出たのだ。
ヘルパーを臨時に入れたのだが、正直気が気じゃなかった。

いくら「夜の食事・着替え・服薬介助」と、
「夜間の巡回(ばあたんの様子見とトイレ介助・水分補給)」を
お願いしていたところで、もしばあたんが不穏だったら、
じいたんが参ってしまうからだ。



夜中、最終電車で帰宅し、タクシーで祖父母宅を覗く。
とりあえず、落ち着いた様子なので自宅へ戻って休むことに。
(徹夜は、二日間が限界。30代に入ってから…orz)

翌朝、電話で起こされた。用事をしながらだが、立て続けに7本。
介護関係・事故関係・身内関係。
どれも「重要」かつ「時間のかかる」用件ばかりで、
なかなか自宅から出れなくて、ハラハラ。

整形外科への通院はあっさりあきらめ、
じいたんに、大体90分おきに電話を入れながら
(相手を待たせて、使っていない電話機で掛けるのだ)

「今日はおばあさん、だいぶ落ち着いていなさるから、
 お前さん、ゆっくりおいで」
という言葉に甘え、

何とか祖父母宅にいけたのが、夕方だった。


じいたんは、うたたねしているばあたんを見守りながら
わたしを待っていた。
少し疲れた表情。でも何か満足そうな様子。


聞くと、初めて、
ばあたんの紙おむつを、じいたんみずから替えてあげたとのこと。
おしもも、拭いてあげたのだそうだ。

しつこいようだが、じいたんは、90を超えた男性である。
看護師を呼ばなかったの?と驚愕して尋ねたら、

「だってお前さん、おしもが汚れたままでは、
 おばあさんがあまりに気の毒じゃあないか。
 それに、孫のお前さんができるんなら、わしだってやらなくちゃ。
 おじいさんは、おばあさんと、一心同体なんだよ。」

…かっこいい。かっこいいよ!じいたん!
90超えて、それまでまったく未経験で
妻のおしもの世話が出来る夫なんて、いないよ。

嬉しくなってじいたんに抱きつくわたし。
じいたんも、本当に嬉しそうに笑って抱きしめてくれた。

じいたんはさらに続ける。

「おばあさんにご飯を食べていただくのも、
 今夜はおじいさんがやるよ。
 お前さんに言われたとおり、
 決しておばあさんを急かさないように、気をつけてな、
 お匙で少しずつ、食べさせて差し上げると、
 おばあさん、とっても喜んで下さるんだ」




夕食のとき、そういうわけで、
食事の介助をじいたんに任せて、そっと見守る。

ばあたんが、汁物の器を持ったまま目を閉じていても、
じいたんは、そっとしておいている。
いい感じだ。それが大切なのだ。

ばあたんが目を覚ましたころを見計らって、
おかずのほかに、ちょっと食べやすいものをと思い
桃のゼリーを包丁でくだいたものを、用意する。

じいたんが、一匙一匙、少しずつ、ばあたんに食べさせる。

しっかりと、ばあたんの表情を確かめ
ゆっくりゆっくり、声がけをしながら、食べさせている。
スプーンの扱い方をわたしに、尋ねてくるので、
「ここで、くるっとまわしてあげるの」など教える。


ばあたんの食事介助をしているじいたんは、なんだか楽しそうだ。
自らも認知の低下を抱えているにもかかわらず、
立派に、介護者になっている。

穏やかな表情でおとなしく、一匙一匙食べさせてもらっている
ばあたんの顔も、どこか幸せそうだ。


こんなふうに、年老いても、時をわかちあえるカップルが
いったいどれだけ、いるだろう。

物音を立てないように気をつけながら、
この風景をずっと、見ていたいと思った。
見たのは、わたしだけ。
わたしの中にしか記録されない風景。
絶対に、忘れない。

労わりあいながら生きている老夫婦の、日常のひとこま。



八月四日、じいたん介護人デビューの日。

大好きな、叔母のこと

2005-08-04 14:18:05 | 介護の周辺
「たまちゃん、好きなだけ食べていいのよ
 …お乳を飲むのが下手な子供みたいよ、あんた。
 大丈夫よ。好きなだけ、欲しいといって」
いつも、そういって、笑っていてくれた叔母。

週に一回、彼女が通っていてくれた頃、よくそういっては
美味しいお菓子を二人で食べたものでした。

今、彼女は病の床に伏しています。
更年期障害によるうつ病が長引いています。


彼女と先ほど、電話しました。

「たまちゃんに、兄に、うらまれていると思うとつらい。
 でも、わたし、多分餓死するから赦してね。
 たまちゃん、うれしいでしょう?
 恨みが晴れるのですもの」

明らかに、うつ病でよく見られる(他の精神疾患の可能性も否定しないけれど)
訂正がきかない「認知のゆがみ」がみられます。


言葉だけを見てしまうと、怒るべき内容だけれど
違うのです。これは、病気のなせるわざで…
自分を責めているから、こんな言葉が出るのです。


だから、叔母のその言葉では全然動じはしないけれど、

ただ、ひたすら
「自分を責める、分厚い水の塊の中に詰め込まれて
その中で苦しんでいる」彼女を思うと、
胸が痛くて、辛いです。

ゆっくりでいい。介護に戻ってこれなくたっていい。
とにかく、養生して、よくなって欲しい。


だって彼女は

親の言うことを厳守して心を閉ざしていた、
怯えた7歳の子供だった、わたしに、

「大丈夫よ、好きなだけ食べていいのよ」

と、クリームソーダを、笑顔で与えてくれた人なのです。
幼少期に、鮮やかに残る、ハイライトのような思い出をくれた、
そんな人なのです。

どうか、彼女の苦しみが、彼女のペースで、
取り除かれていきますように…

実生活へフィードバック。

2005-08-03 16:45:12 | あの一言。
このブログを始めたときは、何故始めたのか自分でわからなかった。

でも、今その答えが見えた気がした。



そうだ。

これから「厳しい季節」に入っていくんだ。

その予兆を捉えてたから
このブログを始めたんだな、と。

そして、始めてみてよかったな、と、心から、思います。


助けられている
見えないあなたに助けられている。

たくさんのあなたに
コメントくださる皆様、
出入りさせていただいているブロガーさま各位。
そして
ただロムしてくださっているあなた。

あなたに支えられて、わたしはここにある。

厳しい旅に踏み出してしまったことに
時々、怯えます。
(多分、介護なんかしてなくても、そう。
 わたしは、怖がり)

でも
ここに書き残したスケッチがあれば

そして
スケッチしている地点からは見えない、
励ましのメッセージを空(くう)からフィードバックしてくださる
見えない雨のような、優しいお心遣いを思い出せば

わたしは歩いていける。
大丈夫。やれる。

こうやって、現実に確実にフィードバックされていく
あたたかい心の反射を感じるとき、

現実から逃れるためじゃない。
現実を生きるために、

現実を受けとめ、わかち合い、共に乗り越えるために

私は書き続けたい。

そう、思う。


追伸;
「現実」という表現を使っていますが、ネットの上も勿論、現実です。
ここでは「肉体のある場所での実生活」というような意味だと捉えていただければと思います。

未明に思ったことを今

2005-08-03 10:24:48 | Weblog
ふと思い出したから、不完全でも、書き留めておこうと思います。
先ほどデイケアに何とか 行かせたので。
少しは 書けるかな。
いつでも不完全だ、私の言葉は。
だから、いいか。


\


夜中、意識があるかないか
ギリギリのレベルで、午前五時まで、私の手を掴みつづけた
ばあたん。

眠ったと思って、握られていた手を離したら
とたんに強く握りなおした、ばあたん。

頬ずりしたら ほほに口付けたら
やんわり微笑んだ ばあたん。

闇の中で 私をキープしておこうとする 
彼女の手の すさまじい力は

「もうあたし 死神に つれていかれそうなの
 怖いの でも それだけじゃないの
 あなたに まだ 伝えていないことがあるの
 まだ 連れて行かれたくないの」

と叫んでいるかのようで

必ず、必ず
お別れの朝は来る
という当たり前の事実を、
わたしの身体に 染み込ませようとするかの ようだった。



\


一方で、こんなことも感じたのだ。


「お願い、手を離して」と頼んでも
決して離してくれることはなく
それでも
わたしを労わるように そっと
そっと わたしの腕を撫でてくれたりした
ばあたん。

わたしの たましいのありかを
確かめようとするかのように
滑らかな二の腕の内側を なぞり

「たまちゃん…ちょっと待って…
 かわいそうに…」

次の瞬間には、わたしの手を離すまい と うなるのに、
その合間に こんなことをつぶやいて
わたしの頬に 触れた ばあたん。


そんな ばあたんの 
寝顔を 眺めながら わたしは


もし
年老いた聖母マリアに会えるなら
きっと
彼女のような顔をしているのだ
と思ったのでした。

だって マリアは ただの人間
神じゃない

神じゃないのに

不完全でありながら美しい
そんな生き物だったはずなのに

不幸にも
いろんな誤解を後世に受け
美化され 崇め奉られてしまった

そんな 孤独で美しいごく普通の女だった
という気がするから。


\


「おばあちゃん、大きい声出してごめん
 オムツ、ごめん
 昔は たまちゃんが してもらってたんやで
 せやから
 今は ばば孝行 させてな
 許してな 許してな お願いや
 絶対に独りにせえへんから」

夜明け前の洗面所で ほとんど怒鳴りながら
ばあたんを押さえつけるようにして
おしものお世話をする わたしに

「たまちゃん 犠牲 生きる 情けない」

と、つぶやいて 抵抗を止め 涙をこぼし
それでも

「ありがとう」

震える声で 伝えてくれた ばあたん。


彼女の病気の症状は 確かに
わたしに 半端ではない負担をかける

でも
わたしは 希望をもらっている
彼女のような 老女になりたいと
そんな風に 生きられるかもしれないという希望を

病んだ身の彼女から 受け取っているのだ。



ねえ
ほんとうに きれいなんですよ
醜いように一瞬 思えるところも含めて
ほんとうは きれいなんですよ

たとえば
彼女の おしもの世話をするときに

そっと 彼女の 大切なところをお手入れしていると
こころを 揺さぶられるのですよ
ふかく ふかく ふかく

あたたかくて やさしい手ざわりなんですよ

ひとの たましいって
きっとみんな そうなんですよ。

誰もが同じ姿になって 還っていくの


そんなことを ふと

言葉ではない言葉で伝えられた気がした
八月、盛夏の未明。