じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

夫婦の妙。

2005-08-01 02:06:15 | じいたんばあたん
土曜の事件の時、伯父への電話を切ったところで、
ばあたんがもそもそ起きて来た。
ほどなく私をつかまえる。

「今の電話、わたし、寝たふりをして聞いていましたよ」
「わたし、そんなに悪いこと、したかしら」
「たまちゃんを困らせようと思って、しているのではないのよ」
「どうして、怒るの?」

しまった、と思った。

「ばあたん。ごめん。ばあたん」
「ばあたんは何も、悪いことなんてしていないよ」
「たまちゃんにだって、いつでも、よくしてくれてるよ」
「よその人の話なの、心配しなくていいのよ」

ずっとずっと、抱きしめて、声かけを続けた。


ばあたんは、私が帰れないよう、ぎゅっと腕を握る。
(あるいは祖父の書斎にいかないように、かもしれない)
変な話で恐縮なのだが、
わたしが用を足す時でさえ、左手はばあたんに掴まれたまま。


不意に、「夫婦の妙」を感じた。

夫のフォローをしなければ。そう、無意識に思って、多分
ばあたんは起き上がってきたのだ。
そして一生懸命になって私に、詫びるのだ。
意固地になっている夫のかわりに…。

結婚63年の夫婦の連携プレイなのかもしれないな。
なんとなく、そう思った。

「おばあちゃん、たまちゃんのことが好きよ。
 もし、たまちゃんがいなくなってしまったら、
 私、生きていけないわ…」

べそをかく、ばあたん。

再び床に就き、寝息を立てるまでの3時間、
ずっと抱きしめてそばにいた。
いつものように、たくさん頬ずりをして、寝かせた。


それでも。
本当を言うと、誰でも良いのかもしれない。

ばあたんは、今、もう既に、
親しみを感じた女性は誰でも、
「たまちゃん」と呼ぶようになってしまっている。
特にヘルパーさんで、気に入りの人だと、私と全然区別が出来ない。

それでも、こんなときだけ、
「わたし」を「たまちゃん」と認識できるのは、何故なんだろう。
なんかそんな生温いものが原因ではないのは、確かなようだ。