じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

親友からのメール、未明に。

2005-08-22 05:37:25 | 友人
メールボックスを今、ふとみたら、
「にゃぼ」からのメールが。

うわ。うれしい。
読むと、何かのプレゼント?を、送ってくれるとのこと。
さっそく、祖父母宅の住所を知らせる。


・・・でもね、にゃぼ。
何よりあたしがね、うれしかったのは、
アンタのメールの最後の一行。


>キタナイ部屋でも、生きててくれれば私は良いです。


いつも黙って、そっと見守る。
それがどれだけ辛いことか

耐えてくれて、ありがとう。
10年以上になる付き合いの、にゃぼ。

アンタ元気でおってな。生きててな。頼むから。
元気で、そして幸せで、おってな。

それはアタシの「希望」やねん。
アンタが幸せやっていうことが、胸をあたたかくするねんで。
元気でおって。おねがいやから。

ブログよ今夜もありがとう。

2005-08-22 04:29:04 | ブラックたまの毒吐き
「明日の朝、近所の手伝いがあるから、今夜は帰るね」
じいたんにそう言って、なんとか帰宅したわたし。

だが。

冒頭の、わたしの言葉は、じつは事実ではない。
ときおり、「どうしても」というときに使う、
常套句の「嘘も方便」である。

これには、オリジナルがある。
「アパートの、ゴミ捨て場の掃除当番が当たってるから」
今は、子供たちの夏休みだから、ちょっと加工。


じいたんに嘘をついたのは、

本当のことを上手に伝えられないほど、
いっぱいいっぱいになっている自分の状態を、
じいたんに悟られるのが、怖かったからだ。
少なくとも、今の、
ひとりぼっちで夜をすごす、じいたんには。

そして、
睡眠時間そのもの、というよりはむしろ、
この二年間の間に失われた「ひとりになれる時間」を、
いま、この「現在」できっちり
取り返しておかなければ、

これから先の、長い長い道のりをゆくための必須アイテム、
「終わりの見えない闘いを愉しむこころ」が
決定的にスポイルされてしまいそうだと直観したから、

だから、自宅に戻りたかった、というのが真相なのだ。
でも、嘘をついた。
嘘をついて、帰ってきてしまった。



祖父母の家は、祖父母の家であって、わたしの家ではない。

「帰るところ」のうちの一つではあるのだけれど、
 (玄関をくぐるとき、
   「ただいま」と言うのが癖になってしまった)

祖父母宅には「わたしの部屋」がない。
それがたまらなく息苦しいのだ。

正直なところ、この程度のストレスに
まさか自分が負けるとは、思ってもみなかったのだけれど、

ひとりになれる時間が持てないということが
今のわたしにとっては、厳しい負荷として
ずしり、と、のしかかってくる。

それで今夜、嘘をついて、
じいたんを一人にして
帰ってきてしまった。

この判断は、多分正しいはずなのだ。

もし同じ立場に、友人がおかれていたとしたら、
絶対に「帰れ」ってアドバイスするもの。




でも。


自宅に帰ってきてシャワーを浴びているとき、

ノズルから噴き出す水の音が、
かすかに聞こえてくる携帯の着信音のように聞こえて
何度も、風呂場のドアを開けてしまいそうになる。

(開けたらおしまいだという気がするので、
    耳をすませるのみにとどめ、踏みとどまる)



狂ったようにネットで遊んで、よそさまを巡回して、
こころからいっぱい、笑って、感動してから
寝る支度をし、PCの電源を一旦、落としたのに、

かかりつけ医にリクエストして、せっかく処方してもらった、
ごく軽い睡眠薬(ロクに効かないやつ)さえ、
「何かあったとき起きれなかったらどうしよう」
という思いにとらわれ、飲むのをためらってしまう。

(なんとか、口には入れる。
  けど、半減時間から逆算して1/2錠。
     効く量飲まなきゃ意味がないのに。
          合理的な行動を取れていない。)




大誤算。
ひとりになれさえすれば大丈夫だと思っていたのに。


こんなんだったら、嘘なんてつかなきゃよかった。



でも、そう思う一方で

「これは、嘘をついておいて正解だったのだ」
と判断しているわたしも同時にいる。

優しい嘘は、美徳だ。
「たてまえ」がたいせつな場面だと
もうひとりの自分は、判断しているのだ。

建前というカーテンをうっすらしいて、危機をやりすごすのは、
ある場面では、社会的な智慧であり思いやりだ。
誠実であるということは、嘘をつかないということと
イコールではない。

それに、とりあえず
自分の欲求に対してはなるべく誠実でいなければ
とたんにバランスを崩して、
介護に支障をきたすであろうことは目に見えている。



なにより

「祖父母の家は、祖父母の家であって、わたしの家ではない」
この、あまりに当たり前の事実を、
いまのじいたんには、突きつけたくない。
突きつけたく、ないのだもの。


それでも…、それでも。

何で正直に言わなかったんだろう。
こんな未明になって、後悔するくらいだったら。




嘘をついた代償を背負った分、
明日からまた気持ちを切り替えていこう。

トライ&エラーの連続でしか、わたしは学べない。
これが、今のあたしのキャパの限界なのだ。
ああ、ちいさいわ。ホント悔しいったら。

でも。そうだ。そうじゃん。
現在のわたしの、キャパが把握できただけでも
今夜、嘘ついて帰ってきて、収穫だったよ、わたし。
よしよし。おりこう、おりこう。

なんて、殆どこじつけで自分を励まして(笑)


…ああ、ここまで書いてみて、
やっと、眠れそう。


ありがとう。ありがとう。
嘘ひとつ抱えきれない、ちいさな私を
なんとかコンテインしてくれる

ブログという真っ白な宇宙に、
今夜も、ありがとう。

ツッコミどころ満載。

2005-08-22 00:40:45 | 介護の周辺
※これ、結構お笑いかも。お笑いってカテゴリつくろうかな※

昨夜、10時半過ぎ、割と疲れ果てた状態で
自分の部屋に戻ってきた私。
「ひとりでくつろげる時間」を、満喫する気、満々で…


そんな私を待ち構えていたのは、


…30代女性の部屋とは思えない、荒れ果てた光景でした…orz


思わず、風呂場に逃避(おぃ)


今までなんでこんな部屋で平気だったのか、
我ながら理解できません…^^;


あんまりだよ、わたし。
どうしちゃったのよ、わたし。
何処に何を置き忘れて育ってしまったの?わたし。

と、頭をがしがし洗いながら考える。
どうにかしなきゃこの部屋。
なんでいままでこれが見えてなかったの??



だが。
かといって、

彼氏=「介助犬ばう」に、これを片付けさせるわけにはいかない。


なぜなら、
一応、わたしにだって、(こんなんやけど)
「女性」という性別がついているのだ。
ついうっかり忘れがちだけど。
 (↑じいたんに窘められる、一番のネタだ)


性差とは、生物学的でありながら同時に
非常に文化的なものだ。
人は、先人たち築いた「文化」=「人のための自然」の中で生きる。
自然に逆らった生き方は、しんどい。

なのにこれ以上、
その、なんていうのかしら、

介助犬ばうに、アドバンテージを与えてたまるか(笑)


ブログの記事にすべき事項が
たまりにたまっているというのに、
部屋を片付けたくてしようがありません(汗)
ある意味この記事も、片付けの一種に似ているけれど。

でも、散らかった部屋とブログ、その二つの極を、
順繰りに逃避しながら、自由な夜を過ごすのでしょうが…orz
だって、一週間くらいかけないと片付かないくらい、
荒れ果てているんだもの…

うわーん!!

傘を寄せ集めて、自転車にくっつけて、組み立てた
そんなおうち、道端にあるでしょ?
あれの方がよほど、機能的で美しい…(泣)


追伸:身内一同へ
「何寝言言うてんねん、いつもやん、アンタ(冷笑)」
みたいなツッコミは、今夜だけはせんといてや。
でないと泣くで、うち。ホンマに…・゜・(ノД`)・゜・。