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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

御体(教会)の大切さ

2019年03月13日 | 証し

今更ながら、である。教会の大切さを思った。

聖書では教会はキリストの体(からだ)である。キリストの体に例えられた教会は、目や耳、手や足という各肢体の部分となる教会員で構成されている。

「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です」(1コリ12:27 ©️2017)

体であれば、不要な部分は何一つ無いし、どこか体の一部が怪我をしたり、痛めば、それは即座に全体が痛むのは当然だ。だから教会では互いに助け合うし、祈り合う。(写真は最近訪問した教会)

      

それ以上に大切なのは、教会は聖書を教え、信仰を育てる母体である。罪を教え、悔い改めの洗礼を授け、証と伝道の器と変えられていく。大切なのは、聖霊を宿す自分を、教会という御体の中にはっきりと属させることだ。教会に属し、その体の部分として立っていないクリスチャンは、例外なく信仰を失うか、挫折して行く。

 

それはまるで、植物が発芽しても根を張れず、幹とか茎がふにゃふにゃしてしまい、しっかりと立てないでいるようだ。

また伝道という面からも、個人的に伝道しても、本当に相手を思うなら、必ず教会に誘い、教会で牧師を通してのきちんとした信仰を持つ必要がある。(牧師夫妻です)

      し

教会に属すると言うこと、教会の大切さを知っていることは重要だ。現代ではインターネットが普及し、オンライン会員としての存在も認知されるようになって来た。しかしできるだけ出張や直接行動して、礼拝や集会に機会を捉えて参加する、顔を覚え合うことは必須だと思う。何よりも互いの祈りが異なって来るし、一致が進んでくる。この時代、そのような道具が一般化しているので尚更だ。

 

 

 

ケパ

 

 

 

を離れて

 

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歯医者さん

2019年03月12日 | 生活

毎月一回通院する歯医者さん。

気持ち良い天気のなかを、二人で行ってきた。

予約時間前に到着できて待ち時間は短くスムーズに診察室へ。

診察室の中で私の楽しみな一つ。

       

うがい用の紙コップ。今日はこれ❣️

ポピー🌸とネズミ🐹柄、ありえない組み合わせが和まれる。

ケパさんと隣合わせの診察台で、それぞれ歯茎状態、ブラッシング指導を受け、歯科医によるマウスピースのチェック、クリーニング。治療箇所も無く終了。

       

帰り道で見た

一面に咲いたこの黄色の🌼はカタバミ種かな〜

 

聖書の雅歌は、美しい歌が次々と歌われてます。そのごく一部ですが

ご覧、冬はさり、雨も過ぎていったから。

地に花が咲き乱れ、借り入れの季節が

やって来て、山鳩の声が、

私たちの国々に聞こえる。

雅歌 2章11~12節 新改訳2017

 

春をきざしを楽しみながらの一日〜

 

 

ドルカス

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懸命に頑張った末に・・・虚しくならないように

2019年03月12日 | 健康・スポーツ

昨今はトレーニングセンターとかジム、フィットネスクラブばやりである。皆さん、健康に気をつけられ、一生懸命に頑張っておられる。そんな中、ジムで知り合った一人の80歳代の方、その方は非常に熱心にジムに通い取り組んでおられた方だったが、この方に関しての話を聞いた。

その方は常に自信に満ちて前向きな姿勢であって、知人は感心しながら見守っていたようだ。ところが突然、自分に次のようなことを話し出した、と。

「自分はもうダメだ。メガネをどこに置いたかすら思い出せなくなった。そんな生活に必要なことすら忘れてしまい、思い出せなくなった」と。そして急速にあらゆる事に対しやる気を失い、ボーっとした虚脱状態に落ちいっておられるようだ、と。その激変ぶりに周囲の声では「もう寝たきりになるかも」と心配の声が上がっているようだ。

      

私も半世紀近く、ずっとテニスを愛好しており、ゲームを始める前には、先ず自分自身を信じなければ勝利はおぼつかない事や、次にどんな不利なゲーム展開になっても、最後の1ポイントまで諦めないで全力を尽くすことを心得ている。その諦めない事で、実際、幾度も大逆転を経験して来ている。そんな時ほど格別な喜びが湧いて来るものだ。

話に伺った80歳前半の方は、このセオリーを忠実に生きて来られた方だと私は思う。聖書のあのパウロだって、実は若い頃には競技をしていたスポーツマンだったと思っている。再々そんな言葉が聖書に出て来るからだ。

【競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのです】と。これはやったことのある人の経験談だ。パウロは続いてこれを援用し【が、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです】と巧みに信仰に繋いでいる(1コリ9:25)。

話が脱線したが、どんなに自分を信じたくても、加齢による衰えは容赦なく襲って来る。トレーニングは維持することで精一杯、長期的にはそれも限界がある。そこで分かってくるのは「肉は遅かれ早かれ必ず滅ぶ定め」という肉に頼るものの絶望である。世の人々はこの世のいのちしか希望がなく、鍛錬していた肉体からではなく、意外や脳の方から希望が絶たれると、こんなにももろく、その自信も希望も打ち砕かれて崩れていく。

それに比し、私たちクリスチャンは体が古びて衰えれば衰えるほど、新しくされる御霊の体の希望が溢れて来る。今度は本物で、永遠の素晴らしい体なのだ。

もちろんそうは言っても、今預けられている体も、しっかりカーブスとかに行って、体の良き管理者として、持てる限りその体を健康に維持して行くことが御心であるのは当然だ。この世で受けた使命を果たすために!

 

 

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3月10日主日礼拝

2019年03月10日 | 教会のこと

今日の礼拝会場は。第1音楽室でした。音楽室なので。声高らかに賛美し礼拝できるのですが、

本日もオンライン配信が出来ませんでした。

      

配信を楽しみにしてくださる皆様にはご迷惑をお掛けしましたが、終了後Officeで、Facebookから録画配信しています。

    

主に感謝します。更にYouTubeからは、メッセージのみの録画も、ご覧になれます。

TLEA船橋キリスト教会のホームページから入れます。

      

YouTubeで、船橋キリスト教会が開きましたら、すぐに見れるのは⬆︎の画面です。

その時は青色の↙︎の辺りクリックしてください。そうしますと、⬇︎今日のページが開きます。

      

是非お試して、ご覧になってください。

また今日中には、Facebook「主の十字架船橋」でもメッセージ保存版をアップします。お試し下さい。

 

 

ドルカス

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選ばれた‼️

2019年03月09日 | 自然

昨年暮れに鉢植えしたプリムラが、ようやく綺麗に咲いたと喜んでいた頃    

淡い色だけ全て花びら摘まれてた。いや、食べられた?側には、犯人の証拠が落ちていたから。すぐにわかったよ。

不思議なことに濃い色は突かれてない。シクラメンは花を啄ばんだけど美味しくなかったそうで、そのまま捨て置かれていった。どうやら淡い色が気に入った?美味しかった?らしい

    

ようやく二番手咲き始めたけれど、今度は大丈夫かしら〜

でも冬はグレーな世界の信州では、雪の日には残された木の枝の赤い実を突く鳥の姿は見たけれど、花の色を選んで食するなんてね〜

美食家なのでしょうかね〜、多分ムクドリとか、ヒヨドリなのだろうと思うのですが、現場未だに見たことなしです。

 

ドルカス

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聖職者と独身制を考える

2019年03月08日 | 聖書

キリスト教の聖職者とその独身制度について、ちょうど今、通読で第1コリント7章に差し掛かっており、この機会に読者と認識を深めておきたい。

キリスト教には三つの大きな流れがある。元は一つであったがローマ帝国が東西に分裂したことで、教会もカトリックと東方正教に分かれ、その後1517年にルターが免罪符の欺瞞性を抗議し、信仰のみを訴えてカトリックからの宗教改革=プロテスタントが派生した。「信仰のみ」なので神と人との間に一切の権威も認めない。そのため聖職者という概念もなく、罪を赦す特別な権威も認めていない。(宗教改革者ルターは神学者、聖職者、作家、大学教授だったが率先して結婚した。貴族出身のシスターで、修道院を脱出して結婚。二人は41歳と26歳だった)

  

正教グループは修道院がある。そして主教は修道僧がなるから、一見独身制のように見えるが、ギリシャなどで見た在俗司祭は結婚して、子供づれで信者と食事をしていた。結婚しているのが普通なのである。(ギリシャのメテオラにあるRoussanou[ロウサナオー}修道院)

      

したがって独身制を貫いているのはカトリックだけということになる。しかしそのカトリックの総本山であるバチカンで現在、「聖職者の性的虐待」と題して緊急の大対策会議を開いているのをご存知だろうか。特殊な事例にとどまらず、カトリックを揺るがす多くの事例が次から次へと世界各地で明るみに出て、告発されているのである。独身制の誤りが最高に犯罪的、醜悪な形で明るみに出ている。

カトリックが拠り所としているのがマタイ19章10〜12とパウロが書いた第一コリントの7章である。注意したいことはキリスト教の初期から、独身制はまったく存在しなかったことだ。第1コリント9章5節には「ほかの使徒たち、主の兄弟たちや、ケファのように、信者である妻を連れて歩く」とある通りだ。つまり結婚しないパウロは、例外的存在だったのだ。

それがどうして独身制度が広がり、確定した制度となったのか、は映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」に詳しい。要するに権力化したカトリックが世襲によって腐敗したからだ。世襲が問題なのでなく、権力化し腐敗したことが問題だったはずなのだ。

 

イエス・キリストは「それが許されている人だけができるのです。母の胎から独身者として生まれた人・・」などと、特別な事例として結婚しない者をあげているのであって、現にパウロを除く十二弟子や主の兄弟たちは結婚している。

パウロ自身も「淫らな行いを避けるため」結婚しなさいと勧めている。それは罪を犯すことではない、と。私は思う。「いったい、健康な男で、結婚が必要でない男がはたして存在するだろうか」と。私は考えられない。人が男と女に作られたのは、それが必要で欠くべからざるものだからだ。居てもいなくてもどうでも良いものではない。

自分自身のことを考える。私に妻がいなければ、私はいっそう体の攻撃にさらされて罪深く、かつ孤独で感情的にヒステリックな状況に置かれ続けたことだろう。それは霊的には危険な状況だ。また妻がいることで、人類の半分の人々(教会では多数を占める人々)に対し、妻を通して牧会も進んでいく。なによりも様々なケースに対し、男性と女性では違いがあり、その両方を認識することが必要なのだ。

 

私の知り得た個人的な範囲でも、カトリックの司祭、シスターも性的な過ちを犯している。彼らだって生身の体を持った人間なのだ。性的虐待とは次元が違って、これは許されないことと言いながら、人間として当然あることであろう。しかし大きな違いは、それが神への誓いを裏切り、信者を裏切りつまずかせ、教会を汚す罪になることだ。

 

私も若い頃、結婚を願った女性とかなわなくて、愛せない人と結婚するよりは、とイエズス会の修道院に入ろうと決心したことがある。これは神によって直前にストップされたのだが、もしそんな動機で請願をし、修道院に入っていたら、とそら恐ろしくなる。おそらく、どんなに修道生活を熱心に送ろうと肉に攻められ続け、肉欲に魂が取り憑かれて妄想に狂い、恐ろしい結果になっていたことだろう。

      

かつて修道院に入る決心をしたシスターたちの手記を読んだことがあるが、かなりの数で私のような失恋が上げてあった。今ははっきりわかるのだが、そんな理由で修道院に入るのは、全然間違っている。結婚を神に祈り、みこころの人と結婚すべきだ。あきらめずに祈り続ければ、神は必ず祝福してくださる。神は人の弱さを思いやれないような方では決してない。二度も結婚した私はそう思うのだが。

 

 

 

ケパ

 

 

 

 

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最近ね〜

2019年03月08日 | 食べる

NHK の朝ドラの影響が大いにあって

最近ケパさんは、ラーメンから目が離せないなぁ

やれ、チキンラーメンの味を思い出したとか、開発した日清の元社長は自社のカップヌードルを毎朝食べて、安全を自らの体で証明していたとか、日清食品は錦織などのテニスの大スポンサーで、非常に貢献度大だとか〜で、とにかくカップヌードルを食べたくなったらしい🙀

      
今日は買い物でついに揃えて買ったね。定番と、mini にBIGサイズ。
日清のカップヌードルは、どうやらコンビニの方が品揃えは豊富だけど、スーパーは安いけど品揃えはイマイチ、などと店までチェックしてました。
      
小さいサイズは私用だったようで、私も一緒にいただきま〜す。美味し〜ぃ
      
たまたま、知り合いのFBから情報頂きましたが、
ハワイで食べるカップヌードルは、カップはよく似てるけど、中身は別物❗️お肉がなくて人参の味がやけに〜ですって。所変われば好みも?
兎に角我が家は、暫くカップヌードル話題が続きそうな気配です。
 
 

ドルカス

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映画「グリーンブック」

2019年03月06日 | 映画•映像

この映画は今年のアカデミー賞の作品賞をはじめ、三部門を取った、いわゆる最高の作品である。そして事実にほぼもとづいたものだという。

私は1951年生まれで、多感な時代、この映画の時代1960年代の空気を吸いながら育った。この映画は1962年のアメリカの人種差別を扱った映画である。※人種と書いてはいるが、人類はただ一つの種であって、人種と言うものは存在しない。

               

 物語はニューヨークのブロンクス出身のトニー・リップス(イタリア系)は、コパカバーナという高級店の用心棒をしていたが、店の改装の期間、ある高名な黒人ピアニストの運転手兼マネージャーとして雇われることになった。それがドン・シャーリーで、問題は彼がディープサウスと呼ばれる、最も差別の厳しい南部に向かって演奏旅行をしに行くことだった。

映画は当時としては自覚できない差別者でもあったトニーが、ドンと交流を重ねて行く内に心を通わせ、生涯の友となって差別と戦って行くストーリーである。

ここで忘れてはならないのは、ドンこと実際の人物のドンは、ジャマイカ出身の牧師の息子で、母は教師であったことだろう。牧師家庭ということは、彼が聖書とその信仰の中で育ったということである。そして彼は実際にカーネギーホールに住んでいて、後に銃殺されたケネディの弟ロバート・ケネディの知己であった。トニーが店の前に落ちていた翡翠の石を拾って自分のものにする、それを決して許せなかったのは、信仰からなのだ。

            

そうだった・・・、学生の頃アメリカ帰りの英語の先生が、「バスやレストランでは出入り口が二つ、ホワイトとカラード(有色人種用)があって・・・」と言っていたなぁ。先生はその差別を怒りながら話してくれた。

その時、私にも何とも言えぬ屈辱感が湧いて来たものだった。しかし翻って見ると、我が国の国内でも、法的には解消されていた差別がまだ残っていた。だからその根絶を目指す「同和立法」があった時代である。そう言う点から見れば、アメリカの見た目でもパッと分かる人種差別は、よほど強固であって、その根絶には困難があったことも分かる。

 

映画はディープサウスと呼ばれる、保守的な南部に入るにつれ、差別の激しさが描かれていく。映画の中で、差別の厳しさを象徴的に表しているシーンが忘れられない。

それはある時、ラジエターの故障で一時停車した時だった。その場所は農園の横で、多くの黒人たちが働いていた。彼らの目に映る、白人の運転手を従えた身なりのきちんとした黒人のドンは、まさに目を向くようなことだったのだ。

わざわざ南部の白人の金持ちたち、その前で演奏するドンの目的はいったい何なのだろう、それをずっと考えさせられていた。ギャラも低いわけだし、明らかに金目的ではない。その当時、スポーツの世界では黒人は、かなり力を発揮しつつあった。しかし芸術や学問の世界では、そうではなかった。(実際のドン・シャーリー)

    

おそらく、ドンは差別に立ち向かう意思が彼をそうさせたのだろう、と私は思う。だから彼は差別に耐え、また自らの力を持って立ち向かった。

少しだけ、フロリダのペンサコーラ出身だから、兄との再会を期待して。皆さんは、どう思われるだろうか。

しかし今、目に見える他者への差別より、自分の心にある差別、他者を見下し、他者より上に立ちたい高慢さが問題なのではないだろうか。国同士でも、憎しみや反感を煽ってのナショナリズムで自国民をまとめようとする、そんなサタンの手法に負けてはいけない。

どんなに愚かであっても、神からの愛、互いの謙遜であり続けたい。

 

P.S.

この映画には、マフィアのネットワークやドンが同性愛者であったらしきシーンが挿入されている。聖書的な振る舞いをするドンが、聖書で明確に「罪」とされているそのような性向があったとは信じ難い。彼が離婚した後、二度と結婚することは無かった。それはそもそも離婚が家庭生活と音楽家との板挟みの結果で争議ではなかった事、また第1コリント7章の規定を守ったからであると思いたい。映画が事実と異なるとして、ロンの家族が抗議したようだが、これがその抗議のシーンであり、ハリウッドの今風に迎合する悪霊的な部分だと感じる。

 

 

 

ケパ

 

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3月3日主日礼拝は‥

2019年03月04日 | 教会のこと

土曜日の天気から思えないような、肌寒い主日です。この天気が当たり前でしょうか。

今日はオンラインが電波事情で出来ず残念でした。

        

Wi-Fi 環境が無い建物で、会場は地階なのです。

たまたま隣の大ホールには若者達が集い、多分電波の取り合いだったのですね。感謝します。

さらに2月第4週礼拝後からRolandピアノが修理中の為、なんとこのカシオのおもちゃピアノで代用〜

       

さらに私は、アイパッドmini忘れてきた〜

説教台に使っている(譜面台)の、高さ調整のネジがねじ切れ〜、台がストンと落ちる〜

と、ハプニング続きでした。が、礼拝は白馬キャンプのお証しがそれぞれにあり、恵まれました。

Officeにもどり、Facebookに礼拝をアップし、YouTubeにも牧師メッセージをようやく保存出来、感謝しました。

さらに昨日は東京聖会があり、雨天の移動ですが全員で出席。昨夜は夏の白馬賛美大会の、Youngとkids関東予選会でした。

      
写真は Kids 2チーム。可愛らしく音程もしっかりとしていて、さらにYoungチームは上手になって、臨在もある。
      
冬白馬キャンプが終わったばかりですが、夏白馬キャンプにおこなわれる、賛美大会が楽しみです

 

ドルカス

 

 

 

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寄居で一休み

2019年03月02日 | 生活

同級会で泊まりだった兄が帰宅して、元気な姿を見て、私たちは帰ります。

その前にタイヤのエアチェックと、ガソリンの補給ね。

  

今日も空が青くて、すっかり春かと思うほど。

  

烏帽子岳もかなり雪が少ないね。さあランチしてから帰りますよ。

  

横川で、コーヒータイム。梅林で👓眼も休めて運転交代〜

ドルカスドライバーで、寄居まで来ました。

  

寄居パーキングは、見てみて〜 パンジーがとても美しいです。

さあもうひと頑張り。、隣に寝ているケパさんそろそろ目を覚ましてほしいよ〜と、もう少し運転します。

 

ドルカス

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