この映画は今年のアカデミー賞の作品賞をはじめ、三部門を取った、いわゆる最高の作品である。そして事実にほぼもとづいたものだという。
私は1951年生まれで、多感な時代、この映画の時代1960年代の空気を吸いながら育った。この映画は1962年のアメリカの人種差別を扱った映画である。※人種と書いてはいるが、人類はただ一つの種であって、人種と言うものは存在しない。
物語はニューヨークのブロンクス出身のトニー・リップス(イタリア系)は、コパカバーナという高級店の用心棒をしていたが、店の改装の期間、ある高名な黒人ピアニストの運転手兼マネージャーとして雇われることになった。それがドン・シャーリーで、問題は彼がディープサウスと呼ばれる、最も差別の厳しい南部に向かって演奏旅行をしに行くことだった。
映画は当時としては自覚できない差別者でもあったトニーが、ドンと交流を重ねて行く内に心を通わせ、生涯の友となって差別と戦って行くストーリーである。
ここで忘れてはならないのは、ドンこと実際の人物のドンは、ジャマイカ出身の牧師の息子で、母は教師であったことだろう。牧師家庭ということは、彼が聖書とその信仰の中で育ったということである。そして彼は実際にカーネギーホールに住んでいて、後に銃殺されたケネディの弟ロバート・ケネディの知己であった。トニーが店の前に落ちていた翡翠の石を拾って自分のものにする、それを決して許せなかったのは、信仰からなのだ。
そうだった・・・、学生の頃アメリカ帰りの英語の先生が、「バスやレストランでは出入り口が二つ、ホワイトとカラード(有色人種用)があって・・・」と言っていたなぁ。先生はその差別を怒りながら話してくれた。
その時、私にも何とも言えぬ屈辱感が湧いて来たものだった。しかし翻って見ると、我が国の国内でも、法的には解消されていた差別がまだ残っていた。だからその根絶を目指す「同和立法」があった時代である。そう言う点から見れば、アメリカの見た目でもパッと分かる人種差別は、よほど強固であって、その根絶には困難があったことも分かる。
映画はディープサウスと呼ばれる、保守的な南部に入るにつれ、差別の激しさが描かれていく。映画の中で、差別の厳しさを象徴的に表しているシーンが忘れられない。
それはある時、ラジエターの故障で一時停車した時だった。その場所は農園の横で、多くの黒人たちが働いていた。彼らの目に映る、白人の運転手を従えた身なりのきちんとした黒人のドンは、まさに目を向くようなことだったのだ。
わざわざ南部の白人の金持ちたち、その前で演奏するドンの目的はいったい何なのだろう、それをずっと考えさせられていた。ギャラも低いわけだし、明らかに金目的ではない。その当時、スポーツの世界では黒人は、かなり力を発揮しつつあった。しかし芸術や学問の世界では、そうではなかった。(実際のドン・シャーリー)
おそらく、ドンは差別に立ち向かう意思が彼をそうさせたのだろう、と私は思う。だから彼は差別に耐え、また自らの力を持って立ち向かった。
少しだけ、フロリダのペンサコーラ出身だから、兄との再会を期待して。皆さんは、どう思われるだろうか。
しかし今、目に見える他者への差別より、自分の心にある差別、他者を見下し、他者より上に立ちたい高慢さが問題なのではないだろうか。国同士でも、憎しみや反感を煽ってのナショナリズムで自国民をまとめようとする、そんなサタンの手法に負けてはいけない。
どんなに愚かであっても、神からの愛、互いの謙遜であり続けたい。
P.S.
この映画には、マフィアのネットワークやドンが同性愛者であったらしきシーンが挿入されている。聖書的な振る舞いをするドンが、聖書で明確に「罪」とされているそのような性向があったとは信じ難い。彼が離婚した後、二度と結婚することは無かった。それはそもそも離婚が家庭生活と音楽家との板挟みの結果で争議ではなかった事、また第1コリント7章の規定を守ったからであると思いたい。映画が事実と異なるとして、ロンの家族が抗議したようだが、これがその抗議のシーンであり、ハリウッドの今風に迎合する悪霊的な部分だと感じる。
ケパ