ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

紅葉に思う

2015年12月02日 | 自然
信州はすでに葉を落とし、冬支度を完了していた。が、途中の群馬側は紅葉真っ盛りであった。
緑から黄変し赤くなって行く様は美しく、私は常緑樹より昔から広葉樹、紅葉好きである。
ところで植物はなんで緑でないといけないのか? 光合成をする葉緑素があるから・・・では緑だから緑色なんです、の類で説明にならない。

実は太陽光線の中で緑色は、もっとも強エネルギーの波長域なのである。それなのに緑色を反射すると言うことは、つまり最も高いエネルギーを利用しないという意味で、これは効率の点からいうと不思議な話である。
ひと昔前、初めて新車を買った私は、ダークグリーンを選んだ。ところが何年かすると、他の色に比べ私の車はひどく退色が目立つようになった。後でわかったのだが、グリーンは太陽光から受けるダメージが最も大きく、退色も激しいとのことだった。
私は植物の体にとって緑光線は強過ぎて、生体を損傷されないための保護色だと思っている。だから春先のまだ光が弱い時期には新緑の薄い緑だが、やがて光が強くなるとだんだん濃い緑になって、植物の生体組織へのカバーを強めていく。
そして秋になり、再び日が弱くなると、役目を終えた緑は黄変し、紅葉し、樹下の肥料となるべく落下する。その際の散り際の美しさは、人の心を誘わずにはいられない。落葉は植物の排泄だという味気ない見方をする方もいるが、私は生を終える瞬間にこそ、華々しく彩りを与える造物主の配慮に感動する。そして思う。

人もそのように、散り際こそ花であると。肉の命の終わりにあたってこそ、永遠への希望と喜びが真実なものであることを証しするチャンスである。命の終わりにこそその真価、輝くのだと。 ケパ




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寄居パーキングで | トップ | 珍しい物と、珍しい失敗 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。