ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

レ・ミゼラブル

2013年01月06日 | 随想

Photo  正月に映画「レ・ミゼラブル(ああ無情)」を観に行った。読んだ人は少ないらしいが、十代のころ、あの分厚い原作を全部読んだ。キリスト教会に興味があっても近くには一つもないので、延々20kmも通っていたころだった。しかし神を信じていなかったので、理解に限界があった。この作品には深い宗教的な土台があるからだ。


 そういう意味で今回この映画を観てあらためて感じさせられたことがある。
1:ジャン・バルジャンを回心させたミリエル司教とは、イエス・キリストのご性質そのものであること。
2:ジャン・バルジャンがコゼットと出会った暗い森の水汲み場シーンは、アブラハムのしもべが井戸で水を汲むリベカと出会った場面を彷彿させる。
3:ジャヴェル警部とジャン・バルジャンとの確執は、ユダヤ律法主義VSキリスト教の信仰義認の対決に置き換えられる。

 この映画の中心ははっきりしていて、たった一つのパンを盗んだゆえに「憎しみ」のかたまりと化したまことに救いがたい者が、無条件の真実の愛にふれ、心から悔い改め、生涯を神に従う無名の者として生ききった人間新生のダイナミズムである。伏線としてジャヴェル警部は悔い改めるのではなく、後悔し自殺し頓挫したことからも、テーマは<悔い改めと新生>であると私は思う。

 これほど福音的な、聖書の言葉がふんだんに出てくる映画は、すばらしいとしか言いようがない。ハレルヤ ケパ

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