ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ありのままの自分と心の病

2016年03月25日 | いやし
年齢の話だが、大台をはるかに超えてからというもの、お風呂場の鏡に「あれ、これ、自分じゃない!」と思うケースがある。最近は徐々に増えゆく白髪や顔のシミ以外に、特に体の中央辺りの美しくない曲線を見て思うわけで・・・。
かなり昔、これと似た経験をしたことを思い出す。それは我が家に初めて録音機が入ってきた時のことだった。当時は放送局のような大きなオープンリールテープの機械で、録音できること自体が不思議だった。早速、自分の声を録音して聞いてみた時、「これ、自分の声じゃない」と思ったものだ。いつも一番聞いているはずなのに、ボヤ~っとした、くすぶったような声で、本当にがっかりした。
とまあ、そうは思っても真実は真実、映っており、見えているありのまま、その事実を受け入れるしかない。ところが、見えない自分自身の姿、人格とか人間性とかについては、そう簡単にありのままを受け入れられるものではないようだ。(写真は今日の海老川の菜の花)

聖霊のバプテスマを受けた十数年前から、心を病んだ人たちに接する機会が増えた。それまで私は公立学校の教師として千人ぐらいの子どもを担任し、知的障害、特に発達障害については職務上かなり熱心に取り組んだ。が、心の病についてはついぞ経験したことがなかった。それとも、それまでは子どもたちの中に、その兆候を見る目がなかったのかも知れない。

ところで、心の病というもの、ど素人の私が思うに、患う多くの原因が、先ほど私の話のように、自分像というもの、これが私の見たところ、本人の認識している自分の姿とは相当ズレており、そのための不一致というか、実際の自分とのバランスがとれず、常に不安定で翻弄されているかのように私は見てとれた。
(写真はその横で泳いでいた鴨)

確かにありのままの自分を受け入れらない、したがって全く違う自分を自分だと思うには、いろいろ事情があることだろう。
「・・・こうあらねばならない」という規範にはめ込まれた生い立ちや、「・・・でなければ、自分の存在はない」というような不安など、背景はいろいろだろうと想像する。生真面目な性格とか、期待にこたえなければならないプレッシャーとか、同情すべき点は多い。中には発達障害の二次的障害に起因するかもと見受けられる方もいる。
いずれにしても、苦しむ本人が一番その理由を知らず、ただふりまわされ続けている。それはまことにそばにいても歯がゆい思いがするのであるが、しかしいかんせん、本人が自分の真の姿を見ようとせず、拒否するので、支援は限定的であり、メビウスの輪みたいにいつも同じことの繰り返しに陥る。

聖霊のバプテスマ以前からであるが、霊的にこのような心の病を見、気づくようになって以来、ようやくその原因、真犯人が見え隠れるするようになった。見えることで、やられっ放しだった相手の出方にも対応できるようになった。
その相手とは、あらゆる偽りと騙しに長け、神に反逆し敵対する存在であるサタンと、それに従う数知れぬ悪霊たちのことである。聖霊が(※クリスチャンの)人に住まうことができるように、悪霊もまた人に入り込んで、自分の正体を隠しながら巧みにその人を支配するのである。
クリスチャン以外は、当然ながらこれに対処できない。またクリスチャンはこの悪霊に対し、ただ二つの選択肢だけがある。十字架と聖霊を受け入れているにも関わらず、聖書に明記されている悪魔(サタン)の存在がわからない、かつての私のようなクリスチャンなのか、もしくはサタンに気づき敵対し、神の力によって戦うクリスチャンであるか、だ。(写真は、まだつぼみ状態の海老川の桜)

こういうわけで、クリスチャンは自分のすべての罪を十字架によって神から赦していただけるので、正視できないありのままの自分の姿を「然り、然り、全く弁解の余地はありません。私は一点の良いところはありません。地獄行きが本当に当然です」と罪の底に沈んでいる自分を受け入れることができる。

もちろん罪を認める心からの告白と、その悔い改めによって、一切の罪は赦され、決して思い出されなくなる。救いという。こういうわけで悪霊に対する戦いの勝利=心の病の癒やしという奇跡が起こる。自分自身の受け入れ、和解ができたからだ。神が御子キリストの十字架によって信じる私たちの罪を赦され、このおぞましかった自分の罪こそが、永遠の救いに導いてくれたと、これを喜ぶことができるからだ。なんと罪が私を天国へと連れて行ってくれた鍵になったのだから。いやしの証拠に、私たちの群れには、生涯入院レベルの重度の統合失調症、薬物依存症でも癒やされ、牧師に立っている。担当したドクターから、「私たちの希望だ」とまで言われている。
「ありのままの自分を受け入れる」聖霊の力が注がれる真のキリスト教会にこそ、いやしの希望がある!



ケパ
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