ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ピアノを弾いて

2020年11月06日 | 証し
   私は小学生の時にピアノを習わされ、高校生になって自主的にピアノを習った。けれどもまったくモノにならなかった。


(愛用のヤマハのステージピアノ)

 ところが船橋の地に実質開拓教会として派遣されて来て、礼拝でピアノを弾ける人がいない、さあ困った、どうしようと言うことになって、やむなく多少の経験がある私が受け持つことになった。

 しかし伴奏をやってみると、これが意外と楽しい。練習によって出来なかったことができるようになるからだ。これは半世紀しているテニスとまったく同じだ。出来なかった所ができるようになると、嬉しいし、楽しい。
 はじめは年寄りが苦手なシンコペーションなど苦手なリズムに苦労し、次に右手と左手の動きがまったくバラバラで、これは弾けそうにもないと感じる。しかし練習を続けることである時、パッと出来るようになる時が来る。このように上達が明瞭にわかる、そういうところがピアノの醍醐味なんだろうと思う。
 私はテニスを半世紀やっているけれども、練習とは繰り返し反復運動で体に無意識に反応できるよう覚えさせることである。ピアノはそのような連結の成果がハッキリわかるもので、気がつけばピアノやキーボードを何台も収集するほどになっていた。※腕前とは関係なく、上達は遅々たるもの。

 ピアノを弾いていて感じるのだが、これは指を十本使って弾く。リズムと特に和音はピアノの独壇場だ。音は脳に心地良いもので、ボケ防止に大である。そして何よりも、こんな下手でも弾けば、皆さん喜んで歌ってもらえる、それが天にも登れるほど嬉しい。 
神様とピアノに感謝。

ケパ


 

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