ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

多頭飼いとモンスターペアレンツ

2016年05月20日 | 生活
最近、我が家ネコのコールを天に送った。コールは夫婦だけの家に、一匹だけ、家の中だけで育って生涯を終えた。もしネコが複数いたら、ネコ同士で毎日運動会をして、人とはそれほど濃密にしなくて済む。
ところがコールは、何しろ相手は人間しかいない。だから種の違いを超えて、ケンカしあったり、じゃれあったり、深く関わり合うことになった。コールも私たちもある意味、互いに懸けていた。しかしネコの幸福を第一に考えると、思いはちょっと複雑になる。
ネコだからまだいいものの、これが人間だったら、少しかわいそうである。

少子化の影響で、親が濃密に子どもと関わり合っているようでいて、全然子どもの幸せになっていないことが多過ぎると思う。親から言えば、少ないから「子どもに懸ける」思いが強くなる。何としてでも、この子を成功させ、幸せにしてやらなくては、と出しゃばり過ぎることになる。子どもにはえらい迷惑な話である。親の過大な期待を背負わされて、重荷にヒイヒイ、暗い顔をすることになっている。

八人の子どもがいる牧師が、「ウチには一人の子どもだけに、(希望や財を)懸けるなんてことはできません」と言っておられたが、すごく納得した。だからあれだけ自立した、八人のそれぞれのたくましい生き方ができているんだなあ、と。
話は約30年、私の公立小学校の教師をしていた時代にさかのぼる。その間に保護者、いわゆる親だが、どんどん変化してきたのを見てきた。はっきり言うと重圧に苦しむ子供たち、そうさせているモンスターペアレンツ化である。以下は私が、と言うよりそばでいろいろ聞いたり、また実際に体験したりのことである。

ファミコンが流行り出すと、こんなものを作るニンテンドーがいけないと怒る親が出て来てビックリしたが、それはホンの始まりの号砲のようなものだった。
ファミコンより面白い本や遊びを、どうしてやらせてあげないのだろうか?本来なら、ファミコンよりもっと面白いものを子どもは見つけるものである。

かなり経ってくると「うちの子の(クラス内での)成績が悪いのは教え方が悪い」と言い出す親や、休んだ日の学習内容を家に来て教えて欲しいという親まで現れてきた。
当然教師にも責任はあるのだが、時間外の負担まで堂々と要求されて驚いたものだ。教師とか学校への要求が多い親、その割には、子どもの内面にはあまり関心が無かった。それが原因でしょう、とこちらは言いたいのだが。
いじめとか友達関係で苦しんでいる子については、親に相談できている子は教師にとっても救いだった。一緒に立ち向かえるから。ところが少子化なのに鈍感な親が増えてきて、様子に気づかないのか、子どもが言えないのか、相談に来る親は減少して行った。
つまり、勉強だけにしか関心がない親が増えたということだろう。子どもを自分の、大人の目でしか見ていないのである。

子どもが一人とか二人までなら、親と子の距離が近い、それは親としては濃密に手間暇を懸けて育てられるとお思いであろうが、どっこいそれは子どもの幸せとはなっていない。
逆に出口の見えないストレス(大人の良かれと思う方向)をかけられ、ほとんどの子どもは喘いでいる。カンボジアの孤児院で一ヶ月ボランティアしたことがあるが、壮烈な過去を持つはずの子供たちのあの笑顔に比べ、日本の子どもは本当にかわいそうだと思った。
早期教育、英才教育は、ホンのごく一部の適合する子ども以外、子ども時代を奪う拷問ですらある。
笑顔ある子、そんな子どもは子ども社会で健全に育つ。子どもには友だちが必要だし、仲間意識や上下関係などの社会性は上から教えてやるものではない。
必要な時には必要なだけサポートする、それは注意深く見守り、支えているからこそできることであって、大人の思う通りにする、しゃしゃり出ることではない。遠くから見守ってやる、それが本当の親の仕事なのではないだろうか?

以上のことは、少なくとも複数以上の兄弟がいれば、それはかなり実現している。親は先に別の世界に行くが、子どもに残してあげられるこの世での最大の宝は、兄弟たちである。
ケパ


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