「エア・シティ」は主役が仁川国際空港なので、空港が題材になるエピソードしかできないのでした。
「エア・シティ」を見ていたら、「オンエアー」を連想しました。
「オンエアー」もテレビ局ネタドラマだったので、ドラマに広がりが感じられなかったのでした。
「エア・シティ」は主役が仁川国際空港なので、空港が題材になるエピソードしかできないのでした。
「エア・シティ」を見ていたら、「オンエアー」を連想しました。
「オンエアー」もテレビ局ネタドラマだったので、ドラマに広がりが感じられなかったのでした。
チャン・ノクスと斉安大君の関係が、燕山君によって始まったというこのドラマの設定がいままで見てきたドラマと違いました。
いままで見たドラマだと、斉安大君がチャン・ノクスを燕山君に紹介したことになっていました。
でも、「チャン・ノクス」は1995年の古いドラマなので、このドラマがベースになって、後のドラマが作られたのでしょうか?
このドラマのチャン・ノクスは、口が悪くて、下品で、賢くなくて、パワフルなのが、見ていて気持ちいいです。
いつも、親類からもらう草もちは中にあんこも入ってなくて、砂糖や蜜ときなこで食べるものです。
子どもの頃は草もちって好きじゃなかったのに…。
今ではおいしく感じます。
やっと「王と妃」後半の以前見たところ、世祖の死ぬところまで到達しました。
一日、2コマの2時間放送なので、見続けるのはきつかったです。
後半は、もう見なくてもいいかな。
これで、新しいドラマが見られます。
「王と妃」は、世祖と仁粋大妃、二人の権力への執着・強欲がどれだけ、歴史を動かし、周囲の人々を巻き込み、不幸にしたかを描いたドラマです。
結果的に、世祖も仁粋大妃も地獄の苦しみの中で死んでいきます。
二人が作り出した歴史のひずみが、燕山君の悲劇を生みだしました。
しかし、二人が魂の平安を求めて生きていたら、歴史に名は残らず、「王と妃」というドラマも存在しなかったんですよねー。
なんか不思議に感じられます。
GYAOで見ました。
シン・ミナ、コン・ヒョジン主演なので、見たくなりました。
二人とも、上手いです。
二人が絡むシーンは見ていて、引き込まれます。
異父姉妹が、母の死をきっかけに、妹の父を探しに出かける物語。
紅葉の中で、二人で写真を撮るシーンや木に名前を彫るところなんて、絶対ラストに出てくる伏線なんだろーなーって思っていました。
ところが終盤、どんでん返しがあって、びっくり。
でも、このトリックのために、かえって二人の女優の名演がもったいない感じがしました。
この映画、この上映時間なら、映画の最初に死ぬのは、母ではなく、おばさんであるべきでした。
ラストに港で姉妹を待つのはお母さんの方が、悲しみが深いんじゃないかなー(それじゃありきたりなのかな?)
でも、NHKのハングル講座が貯まっているんですよねー。
ワンゴンとヨンファの関係がこんなにもつれるとは思わなかったです。
クンイェの正室に選ばれたヨンファ。
その婚礼の担当になったワンゴンなのでした。
ヨンファの人生が狂ってしまうという罪悪感を持ったワンゴンでしたが、父の遺言、トソン大師の教えに従って、ヨンファと別れることを選ぶのでした。
ヨンファ役のキム・ヘリさんって、「龍の涙」から、私が見る歴史ドラマによく出てきて、すっかりおなじみになりました。
今回のラストシーンで、怒る姿がこわーいのでした。
久しぶりに肉まん・あんまん食べました。
というのも、ずっと電子レンジが故障していて、チンできなかったのでした。
ようやく、買い換えて、今度はスチーム機能付きの電子レンジを買ったので、スチームしてみました。
肉まん・あんまんの底が固かったけれど、しっとりしていて、おいしかったです。
「にくかわ」もお父さんは倒れて意識不明だし、アメリカ在住の大叔母さんは出てくるし、長いドラマのパターンな展開です。
大叔母さんがいきなり「ペコはポン社長にそっくりだ」と言ったときから、ドラマの方向が大転回したのが、びっくりです。
えー、ペコの本当のお父さんって、ポン社長なのか―?
そんなオチなのか、それともただのフリか、ますます目が離せなくなってきました。
ところで、ナ・ソンジェ氏はすっかり悪役になってしまいました。
オープニングのニコニコ顔とはすっかり別人です。
ふと目が覚めて、眠れない夜。
テレビをつける。
今日の1:30~3:30放送の、NHKBSプレミアムでBSアーカイブスハイビジョン特集「千の風になって」を途中から見ました。
2006年の放送だそうで、当時、気になっていたけれど、見逃していた番組でした。
女優の木村多江さんが、世界中で歌われている「千の風になって」を探して、大切な人を喪失した人たちに会い、自分を振り返るという内容でした。
木村さんもお父さんを失い、傷ついていたのでした。
「幸せになってはいけない」という思いが彼女を支配していたのでした。
最後に、アイルランドのモハーの断崖に到達した木村さんが「ずっと家族をつくるのがこわかった。…でも、そんなのやだ。私も誰かとつながっていると信じたい」ってつぶやくんです。
もちろんテレビだから、木村さんだってテレビカメラに撮られている自分を意識しているし、みんなに見られている自分がいるんです。
モハーの断崖に立つ彼女が、だんだん小さくなって、俯瞰されていくシーンも、テレビでよくある手法ですけれど、このシーンも何度も撮り直したんだろうなーなんて思いました。
でも、このテレビの本当と嘘の境目にこそ、彼女の救いがあるのかもしれません。
「幸せになれない」のは「幸せにならない」自分のせいなのかもしれません。
番組を見終わって、また眠ろうとした時、この番組を見た偶然の必然性を考えていました。
偶然は必然。
必然は偶然。
GYAOで始まりました。
今のところ、「太祖王建」のキョンフォンをしているソ・インソク氏がスーツ姿で出てきたのにびっくりしたのと、宗家って、やっぱりよくわからないなーという感想です。
あと「善徳女王」のソルォン公は現代劇でもやっぱり渋いんですねー。
○公開手術の成功により、ファン・ジョンは、済衆院の研修医の頂点に立った。
と同時に、済衆院に現れた父マダンゲにより、ついに正体が明らかになったのだった。
済衆院を追われたファン・ジョン=ソグンゲは、治療のため片足を切断した父を連れ、生まれた村へ向かうのだった。
頂点(ファン・ジョン)からどん底(ソグンゲ)へ、ドラマだからこそ、これしかない展開ですねー。
父の足の病気を見て、きず薬をあげただけで満足していた自分を責めるファン・ジョン。
父は息子の正体が明らかにならないよう、済衆院を出ていこうとする。
ファン・ジョンは、父を治療するため、自ら、正体を明かす。
なんて、よくできたドラマなんでしょう。
そして、大事なのは、ソンナンの変わらぬ愛なんですねー。
これこそ、ファン・ジョン=ソグンゲの唯一の光、最後の希望なんです。
泣けてきます。