ほとんど、展開がないんですけれど、小さいエピソードの積み重ねでドラマに厚みをもたせています。
登場人物にかなり思い入れができたので、それでも楽しく見ていられます。
ハン・ガンもカン・ミノもソン・イギョンにめろめろなのに、ソン・イギョン自身はそんなこと知らないし、乗り移っているシン・ジヒョンがもてているわけでもないのが、おもしろい構造です。
スーパーにいくたび、ももを買うんですけれど、だんだんなしがくだもの売り場のメインになってきました。
ほとんど、展開がないんですけれど、小さいエピソードの積み重ねでドラマに厚みをもたせています。
登場人物にかなり思い入れができたので、それでも楽しく見ていられます。
ハン・ガンもカン・ミノもソン・イギョンにめろめろなのに、ソン・イギョン自身はそんなこと知らないし、乗り移っているシン・ジヒョンがもてているわけでもないのが、おもしろい構造です。
スーパーにいくたび、ももを買うんですけれど、だんだんなしがくだもの売り場のメインになってきました。
読めない展開がいいです。
見ていて、すぐ終わってしまうということは、おもしろいということです。
ペ・スビンが複雑な悪役をしていて、ドラマに広がりを与えています。
LaLaTV放送。
3話まで、録画して一気に見ました。
どうも、死と生き返りがテーマらしくて、見るのがためらわれていたのですが、見たらおもしろい。
死を扱うにしても、ここまでやってくれると楽しく見ていられます。
出演者も豪華に思えるし…。
第1話で3人娘が出てきたとき、まったく見分けがつかなかったのに、3話になるとすっかり一人一人が分かるようになりました。
49日の期限までに、自分のための涙を3粒集めると生き返ることができる(よくあるパターン)。
イギョンが寝ている間にその体を使うことができる(このルールが斬新で感心しました)。
自分の正体を明かしてはいけない(当然)。
霊体だと物にふれられない(霊がドアを通り抜けできないっていうのもうまい設定です)。
これらのドラマの最初の設定が、ゲームのルールっぽくておもしろい。
これらのルールで、どうドラマを展開させるかが作家の腕の見せ所です。
イ・ヨウォンってうまいなー。
でも、ナム・ギュリを通したイ・ヨウォンを見ているという複雑な構造になっていて、うまいのはイ・ヨウォンなのに、ナム・ギュリの方が目立つのが不思議です。
○ホン・グギョンは失脚し、流刑地で息絶える。34歳。
ラストシーンはウォルレに抱かれ、息絶えるホン・グギョン。
けっこう、美しいシーンでした。
彼の改革の内容がドラマには出てこなかったので、ホン・グギョンを評価しきれないところがあります。
「イ・サン」を見ていれば、そのうちわかるかもしれません。
ドラマ自体は前半の救いのない暗さが、最後まで尾を引いてしまったという感じです。
【今日の発見】
韓国歴史ドラマを見ていると字幕に「ハングクミンゾクチョン」と出てくるのを、ずっと「韓国民俗テレビジョン」の略で「韓国民俗ジョン」と出ていると思い込んでいました。
でも、ジョンではなくチョンなので、辞典で調べると「寸劇」の「寸」の読みと同じでした。
「寸劇」の「韓国民俗寸」かー。
でも、ちょっとへん。
そのうち、チョン=「村」ということが分かり、「韓国民俗村」と書いてあるのではと思って「王道」の字幕を見たら「チャンソヒョプチャン:ハングクミンゾクチョン」と出ていて、直訳すると「場所協賛:韓国民俗村」なのでした。
○正祖即位。かつての政敵は次々と死を賜る。
ホン・グギョンは権力を手にし、妹を正祖の側室にしようとする。
「イ・サン」の予告編を見ているようで、こんなにあっさり、和緩翁主やチョン・フギョムって死ぬのか―。
あれだけ、苦労したホン・グギョンも、権力を手に入れると変わってしまうのね。
終わったー。
なんか、腰が抜けそうなほど、感動しました(させられました)。
これだけ、長いドラマで、こんなにうまい最終回って、あるんでしょうか。
太宗役のユ・ドングンには圧倒されました。
長い対立の果て、太宗は死にゆく大妃に詫びます。
「つらい時 私のそばには いつも大妃がいた」
朝鮮王朝を守るため、太宗は外戚や功臣排除を行ったという太宗の告白がありました。
しかし、太宗は、自分を、苦痛に満ちた王座に着けた大妃への恨みから、大妃に苦痛を与え続けたのかもしれません。
そして、大妃が死の床に伏して、その恨みが、自分の身勝手な思い込みに過ぎなかったことに気づいたのではないでしょうか。
「大妃、私は人であることを捨てたのだ。
私の周りには誰もいなくなった。
人であることをあきらめた私に、近寄る者など誰もいない。
私はずっと孤独に生きてきた。
大妃だけが孤独だったのではない。
私もまた…独りで生きてきた。
私もだ。大妃。許してくれ」
最終回、順調だった世宗の治世で、日照りが続き、原因は王にあると言われるようになりました。
すでに、体調の悪化から死を予感していた太宗は、一人、雨乞いの儀式を行います。
すべての罪を引き受けて自分が死ぬことと引き換えに、雨が降るように天に祈る太宗。
ついに雨が降る。
その雨を「太宗の雨」と言う(そうだ)。
「太宗の雨」=「龍の涙」って、なんかできすぎでしょう。
アン・ジェモはこのドラマで世宗、続く「王と妃」では燕山君とどっちもドラマの締めに出てくるんですねー。
今回は、領議政ハ・リュンの死、イ・スクポンの流刑とめまぐるしい変化のはずなのに、あっさりしていて、意外でした。
太宗と世子の葛藤に、その後、延々と続く朝鮮王朝の原点があるんだと感じました。
それにしても、世子が、他人の側室を略奪するシーンでも、世子の心の中では冷静に自分を見つめているセリフがありましたが、そんなに賢かったんでしょうかねー。
それにしては、周囲の人たちを不幸にしすぎでしょう。
太宗が世子の書いた字を見て、喜ぶシーンは、いいですねー。
親バカっぷりが、よく出ています。
しかし、世子は反省せず、反抗してばかり、回りを巻き込んで大迷惑です。
太宗は、史書編纂にも、口を出します。
臣下は、困惑します。
このドラマの世子と「大王世宗」の世子のキャラが正反対に違うのがおもしろいですねー。
「龍の涙」の世子は、優しそうでいて、無責任なところが、いやです。
「龍の涙」も平和といえば、平和な時期に入り、太宗は若い内人と一夜を過ごす。
それを知った王妃は激怒し、二人の仲は冷めきってしまう。
この内人が、ハ・ジウォンだったので、びっくりしました。
彼女は、太宗に臆せず接して、王妃にお仕置きを受けてしまいます。
この小悪魔的なキャラが、当時のハ・ジウォンのキャラだったんでしょうね。
開京から漢陽への遷都。
王子たちは大人になって「大王世宗」の時代と重なってきました。
これからは、太宗の後継者問題がテーマになってきます。