金甲六具を滞して
其動自在に屈伸骨格を失わず
金甲六具とは金色の鎧、六具は胴・籠手 (こて) ・袖・脇楯 (わいだて) ・脛楯 (はいだて) ・脛当
(すねあて) の6種か。それにしても大和朝廷時代の殿上人が絵のような鎧を滞たものだろうか...歌
川国貞にも同じような絵が。しかもこの時代に「其の動き自在」柔軟な鎧があったとは...はてさて。
神功皇后は、かのヤマトタケルの命の次男・14代仲哀天皇の后にして、15代応神天皇の母と
のこと。神懸かりのできる巫女のような力があった。天皇が熊曽の国を伐とうと、琴をかきな
らし、竹の内の宿祢大臣が浄めた庭に控え、神の言葉をうかがった。すると大后に神懸かりが。
「西のほうに一つの国がある。金や銀をはじめとして、めにまばゆいほどの珍しいさまざまな
宝物が多い。私がその国を従わせてあげよう」。
しかし天皇は「高いところに登って西のほうを見ても、国らしいものは何も見えず、ただ海にな
みのきらめくのが見えるばかりだ。」
神は烈しく怒り「私の教えた国ばかりか、この国とて汝の治めるべき国ではない」と。
しばらくして仲哀天皇は息絶えてしまった。そこで国をあげて大祓いの行事を行い、竹の内の
宿祢大臣が浄めた庭に控え、神の言葉やいかにとうかがった。
「すべてこの国は、汝、大后の胎の中にいます御子の治める国である。」「今まことにかの国を求
めようと思うならば、天つ神、国神、山の神、海河の神々にもれなく幣帛を奉り、我ら三柱の
神の魂を船の上に祭り、木を焼いた灰を瓢に入れ、箸と皿をたくさん用意し、大海の上に散らし
浮かべて海の神に捧げ、そのうえで海原を渡りゆくがよい」と。
皇后は、神の教えにしたがい、軍船を押し並べ海を渡るに、魚という魚は嬉々として集まり、
船を背負い、さらに追い風に扶けられて推し進められ、新羅の国に押し上り、その国の半分ま
で達した。これを見て新羅の国王曰く。
「今からのち、天皇の言葉に違わず、馬飼の職をも辞さず、毎年、船を押し並べて貢を奉り、
とこしえにお仕えいたします」と。
こうして、見事、皇后は、新羅を制し百済、高句麗の三韓を帰服させたという。