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matta

街の散歩…ひとりあるき

20-21北条四郎時政

2025年03月19日 | 絵画・彫刻

北条四郎時政
霊夢によつて蛇がやつに
三つ鱗を得たりとか

北条時政が江の島弁財天で子孫繁栄を祈願したところ、
美女に姿を変えた大蛇が神託を告げ、
鱗を三枚残して消えたという。
その三枚の鱗を北条家の紋とした、と。


「太平記」による。
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19-20秩父の庄司次郞 重忠 悪七兵衛 景清

2025年03月18日 | 絵画・彫刻

秩父の庄司次郞 重忠 :一の谷の戦いでの奇襲「鵯越の坂落とし」では、馬を怪我させて
はならじと、馬を背負って崖を駆け下りたというほどの怪力、強勇。


悪七兵衛 景清:源平の戦いにおける平家方、屋島合戦で源氏方の美尾屋十郎の錣
(しころ)を素手で引きちぎったという強勇。

両者が戦った例はみつからない。怪力、強勇という共通点にてならべたか。
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18-19 猪の脵の小平六

2025年03月17日 | 絵画・彫刻

猪の脵の小平六
越中の前司盛俊を謀計にて
深田へ突落として
これを討とる

越中前司盛俊、いまやこれまでと思うところに、猪俣の小平六則綱来たり。押し並べて
むずとくうでどうど落つ。猪俣は関東八か国に聞こえたるしたたか者。越中前司は二三
十人が力わざをするよし。されば猪俣をとっておさえてはたらかさず。猪俣、伏して刀
を抜こうにも刀の柄にぎるに及ばず、声も出ず。しばらく息をやすめ、さらぬていにて
申しける。「そもそも名のっつるを聞き給いてか。敵を討つというは、我も名のって聞か
せ、敵にも名のらせて頸をとったればこそ大功なれ」と言われて、げにもとや思いけん。
互いに名のり合い...越中前司、猪俣の頸かゝんとすれば、猪俣「不当なことよ、降人の
頸かくようや候」。越中前司「さらばたすけん」とて引き起こす。二人の者ども腰うちか
けて息づきたり。
しばしあって、月毛なる馬に乗ったる武者一騎。「あれは則綱が親しう候」と待つほどに、
越中前司、はたと見守り猪俣を見ぬひまに、ちから足を踏んでつい起ち上がり、えいと
いいて双手をもって、越中前司が鎧のむないたをばくっと突いて、後ろの水田へのけぞ
り倒す。起きあがらんとする所に、猪俣上にむずと乗りかかり、やがて越中前司が腰の
刀を抜き、鎧の草摺ひきあげて、柄もこぶしも通れ通れと、三刀さいて頸をとる。
                       『平治物語』巻第九 越中前司最期
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17-18 那須の与一 宗高

2025年03月16日 | 絵画・彫刻

那須の与市 宗高
扇の的のほまれ

紙中限りあり
兵船は遙に
遠く箭先へ
画くことおもふべし

『平家物語』巻第十一 那須与一
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16-17 渋谷の金王丸正俊 魚猟手柄

2025年03月15日 | 絵画・彫刻

渋谷の
金王丸正俊 
魚猟手柄

「平治二年正月五日、左馬頭義朝が童金王丸、常盤が許に忍び来たり。馬よりくづれ落
ち、しばしは息たえて物もいわず。ほどへておきあがり、『頭殿は、過ぎる三日の暁、
尾張国野間の内海と申す所にて、重代の御家人長田四郎忠宗が手にかゝりて討たれさせ
給い候ぬ』と申せば、常盤をはじめ、家中にあるほどの者共、声々に泣きかなしみける。
まことになげくも理なり。枕をならべ、袖をかさねし名残なれば、身ひとつなりともか
なしかるべし。いかにいわんや、はかなげなる子供三人あり。兄ははち、中は六、末の
子あ二歳也。三人ながら男子なれば、『とり出されて、又、うき目をやみんずらむ』と泣
き、思いあるを悲しむ心、たとへん方ぞなかりける。金王丸、道中の事をぞ語り申しけ
る。」(『平治物語』金王丸尾張より馳せ上り、義朝の最期を語る事)
この金王丸の道中の事に、北斎画く「魚猟手柄」の話は見当たらず。
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