猪の脵の小平六
越中の前司盛俊を謀計にて
深田へ突落として
これを討とる
越中前司盛俊、いまやこれまでと思うところに、猪俣の小平六則綱来たり。押し並べて
むずとくうでどうど落つ。猪俣は関東八か国に聞こえたるしたたか者。越中前司は二三
十人が力わざをするよし。されば猪俣をとっておさえてはたらかさず。猪俣、伏して刀
を抜こうにも刀の柄にぎるに及ばず、声も出ず。しばらく息をやすめ、さらぬていにて
申しける。「そもそも名のっつるを聞き給いてか。敵を討つというは、我も名のって聞か
せ、敵にも名のらせて頸をとったればこそ大功なれ」と言われて、げにもとや思いけん。
互いに名のり合い...越中前司、猪俣の頸かゝんとすれば、猪俣「不当なことよ、降人の
頸かくようや候」。越中前司「さらばたすけん」とて引き起こす。二人の者ども腰うちか
けて息づきたり。
しばしあって、月毛なる馬に乗ったる武者一騎。「あれは則綱が親しう候」と待つほどに、
越中前司、はたと見守り猪俣を見ぬひまに、ちから足を踏んでつい起ち上がり、えいと
いいて双手をもって、越中前司が鎧のむないたをばくっと突いて、後ろの水田へのけぞ
り倒す。起きあがらんとする所に、猪俣上にむずと乗りかかり、やがて越中前司が腰の
刀を抜き、鎧の草摺ひきあげて、柄もこぶしも通れ通れと、三刀さいて頸をとる。
『平治物語』巻第九 越中前司最期