goo blog サービス終了のお知らせ 

命のカウントダウン(健康余命3605日)

トレッキング、カメラ、陶芸、スキー、釣り、カヌー、遊びなら何でも大好き。仕事も好き、時間がない!

予備校を落ちた話

2020-01-18 23:37:02 | 受験

私、18,19、26歳の3シーズン大学受験しています。現役の時、何処にも受かる気配はなかったので受けないで浪人しようと思ったら、父が「どこか受けなかったら浪人はさせん!」と言ったので、無駄だと思いながら家から歩いて行ける大学を受験しました。当然不合格でした。


それで近畿予備校を受けたらそれも不合格 父に「お前は、大学受験の準備をする資格すらないという事ではないのか?」と言われて・・・グーの音も出ませんでした。

それでもお願いして研学キャンパスという当時下賀茂神社の近くにあった出来たばかりの予備校(入学試験ナシ)に入学手続しました。3日ほどは通いましたが・・・・・授業が全く理解できませんでした。それで、予備校に行くと言ってはパチンコ麻雀に明け暮れてました。

夏になって これではあかんがな と思って独学で勉強を始めて、一浪で何とか大学に受かりはしたのですが・・・それも望外に「良い」大学に受かってしまって・・・・・

結局、ついていけなくて、4年で学業不良で放校処分になってしまいました。

それから、いろいろな職業にトライしたのですが・・・・どれも長続きしませんでした。

 

ええっと、娘が センター試験 出来なかった と言ったので・・・

慰めるつもりで

「パパなんかなぁ、大学どころか、予備校にも落ちたんやで!!センター出来んかったぐらいで気を落とすな!!」といった流れで、こんなことを書いてしまいました。

中途なので・・・・また、続きは近日中に書きます。


娘のセンター試験

2020-01-18 23:00:54 | 受験

新年会から帰ってきたら、娘は既に戻っていました。

どうだった?

でけんかった。

英語は?

でけんかった。

ヒアリングは?

分らんかった。

 

予想した通り?の感想でした。

まあ、しょうがないです。勉強してないのだもの!!


3級アマチュア無線技士受験について

2020-01-10 00:35:01 | 受験

3級アマチュア無線技士を受験しようと思ったのですが・・・

1月21日の試験は勿論、2月の試験も申し込みが終わっています。

全国で東京会場だけは当日申し込みが可能なのだそうです。

1月も可能ですが、まだ勉強が足りないので確実に落ちます。

2月の受診を目指すことにしました。

でも・・・・この歳になって・・・・東京まで受験に行って・・・

不合格は・・・・嫌です!!!!!

100%合格しなければ!!!

と、いう事で、合格するつもりですが・・・・・

当日インフルエンザに罹ったとか・・・何だかんだ言い訳するかもしれないので・・・

その時は笑い飛ばしてください

一応、3級アマチュア無線技士は、4級よりは上の資格で・・・・受かっている人は3級に比べると少数なのであります!(受けないだけだろうけれど!)


大学受験のはなし

2019-12-19 10:33:44 | 受験
今朝、娘が学校に遅刻するから送ってくれと言う。

一旦、配偶者が最寄りの駅まで送っりに行ったのだが・・・・

途中で私に電話。

「このまま電車で言ったら遅刻するから、学校まで送ってほしいらしい。私忙しいから無理だけど、行ってくれる?」

反抗期で今朝も挨拶もしなかった娘である。

私の答えは勿論

「ええよ~」

親バカなのである。大いなる オ ヤ バ カ

馬鹿親がわがまま娘の形成を手伝っているようにも思えるが・・・・

送っていきました。

ところで、娘は高校3年生 受験するそうである

受験生なのだ。受験生なのだが・・・・

この年の瀬に遅刻を恐れて学校まで送らせるというのは・・・・

出席日数が足りない恐れがあって、休めない授業がいくつもあるかららしい

かく言う私も高校の時はあきれるほど勉強せず、麻雀パチンコに励み、出席日数では苦労した覚えがある。

私が京都府立洛北高校に在学していたのは1971-1973年

そのころの京都府の高校は、学区制で一学区一校しか受験できなかった。

だから、周囲のメンバーがそのまま、幼稚園、小学校、中学校、高校と進んでいった。

「15の春は泣かせないという」当時の蜷川京都府知事の方針で、京都府には高校受験の洗礼はなかった(私立に行く子を除いて)

その代わり、18の春に多くの仲間が討ち死にした。私も勿論その一人。

高校の時は本当に自由に遊ばせていただいたので(私は勝手に週休3日制として、週に4日出席することに決めていた)、娘の出席日数が足りないと担人の先生から電話をもらった時、遺伝だろうとまず思ってしまった私です。

私は、1973、1974、1981年に受験している。73年が現役、74年が1浪、1浪で大学に入ったのだが4年間在籍したが成績不良で中途退学。その後、名古屋の専門学校に1年通ったあと、サラリーマンを経験したが就職した会社が倒産、その後いろいろな職業を経験するもどれも長続きせず、チリ紙交換業を1年経験した後、再び受験して医科大学を受験し、合格した という経歴を有している。

今日、娘を大阪の学校まで送り届けていく途中で受験に関する 今は亡き父親とのやり取りを思い出した。

あれは1974年 1浪の時だ。 模擬試験の成績では受かりそうもなかったのだが、憧れていた 北海道大学 を受験した。 

北海道に旅立とうとしたのだが、折角北海道まで行くのだからと、スキー道具を携えていくことにした。

いざ、家を出ようとしたときに、背後から 父の声
「おい、ちょっと待て。」

「〇〇(私の名前)。お前は、受かりに行くのか?滑りに行くのか?」

持っていたスキーをバタッと落として・・・・・

滑る道具は、置いていったのですが・・・・・

勿論、見事に滑ったのは言うまでもありません。