茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

売茶口占(ばいさこうせん)十二首

2009年11月03日 | Weblog
『江戸漢詩選』にある売茶翁の詩です。
茶を売りながらの口ずさみとありますが、
61歳で売茶の生活に入って
間もない頃の詩と考えられているそうです。

 「その九

 遠求霊苗入大唐
 持帰西老播扶桑
 宇陽一味天然別
 堪嘆時人論色香

 遠く霊苗を求めて大唐に入り
 持し帰って西老扶桑に播す
 宇陽の一味天然別なり
 嘆ずるに堪えたり
 時人の色香を論ずることを

 遠く、素晴らしい茶の木を求めて中国に渡り
 持ち帰って栄西老師はその種をまき
 日本中に広めた
 宇治に産するものは
 味が純粋で雑味がなく
 他の土地のものとは自ずから異なっている
 それを今の人は
 色とか香りばかり論じているのは
 嘆かわしいことだ」

遠く茶の木を求めては、
禅の教えを求めてということ。

お茶の色や香りばかり論じるとは、
仏教語の六塵(色声香味触法)のうちの2つを挙げて、
感覚的、現象的なことばかりに目を奪われ、
内奥の真理に気づかないことを含意する
とあります。

私にわかるのは、
このころ売茶翁は宇治のお茶を
他のお茶とは異なっていると評している
というところでした。
ん?
でもこれも
宇治の万福寺の思想が良いと言っているのかしら?

栄西禅師のお茶は明恵上人によって、
京都の栂尾で育てられ、
他の地域の抹茶とはひと味違う本茶と評されますが、
その後、
明恵上人は宇治にもお茶を栽培し、
宇治七茗園が生まれ、
宇治の抹茶は品質が高まっていきます。

田中新一先生のお話によると、
売茶翁がこのころ売っていたのは、
碾茶の折れを煎じたお茶のようですね。