茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

茶船の民謡

2009年09月16日 | Weblog
パソコン教室で隣に座っている人が
『川崎の古民謡』なる本を手にしていました
カラオケで童謡を歌うのが大好きですと
自己紹介をしていたけれど
民謡もいけるわけ~とちょっと見せてもらいました
パラパラしていたら
「茶」の文字が!
多摩川に浮かぶ船の写真に
「茶船」の2文字が!
うれぴい~

『茶船の唄』
 一分おくれよ 茶船の船頭さん
 筏乗りさえ二朱くれた
 二朱(西)で高いのは富士の山
 あーこりゃこりゃ
 伊豆の下田じゃ 長居は出来ぬ
 縞の財布が空となる
 あーこりゃこりゃ

明治10年ごろまで
このような茶船が活躍していたそうです
 「新しい木造船ができると、葉茶屋の問屋から頼まれて、
  清水港などから新茶を運ぶ仕事をしたものである。
  この船は長さ50尺、幅12尺くらいあり、
  川では櫓を使い、海では帆をかけた。」
古い船ではお茶に臭いが付くので
新しい船限定だったわけです

当時の船は風まかせ
清水港へは北風を利用してスイスイと到着するものの
清水港で新茶を積み込んだあとが大変
今度は南風が吹くのを待って帰るわけですが
下田まではすんなり帰れても
そこから先は大きな南風がなかなか吹かなくて
それで
下田港に幾日も滞在するため
茶船の船頭さん達は
下田港でお金を使い果たしてしまうという歌です

茶船が伊豆半島で難儀していた19世紀後半というのは
喜望峰ではティークリッパーがぶんぶん飛ばしていた頃ですね
あーこりゃこりゃ

(東京内湾漁撈習俗調査報告書42.3参照)


『川崎の古民謡・上』
角田益信
(株)昭和書院
昭和61年7月1日発行