茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

東京大茶会

2008年10月25日 | Weblog
去る10月2日に「東京大茶会」のご案内をしました。

HPのご案内によると、
  かつて豊臣秀吉は、京都北野天満宮において800以上の茶席をつくり、
  黄金の茶室を持ち込んだり、名茶道具を披露するなど、
  茶に関心のある人ない人、すべての人に茶をふるまったといわれています。
  1587年10月に催された、この「北野大茶会」にヒントを得て、
  420年後の今、伝統ある日本の茶文化を守り伝えるべく開催されるのが、
  「東京大茶会」です。
だそうですから、すっごいではありませぬか。
いかなる場となりますか、
浜離宮を彩る400年の実り、追ってご報告いたします。

と、書きました。
が、報告するに能わず、がつかりです。

芸妓さんの舞いはとてもとてもきれいでした。
平野啓子さんの語りもそれはそれは迫力がありました。
すばらしい芸を入園料だけで垣間見ることができて、
これはよかったです。

が、
お茶は?
茶席で行われていることが、
日本茶喫茶でお茶すること以上の何かを、
伝えることができていたでしょうか。
「伝統ある日本の茶文化を守り伝える」イベントなのに、
全体のはこび、しつらえ、あとさきといったものに、
メッセージが感じられませんでした。
どう見せるか、どう伝えるか、
その工夫こそが、
今回のイベントの見所であるべきであったのだろうにと
思うのです。

個は悪くなかった。
伝統文化は決して廃れていない。
問題なのは、
それを知らしめる手法が貧弱であるのだということを、
今日もまた改めて感じました。

アーティストとパトロンとコーディネーターの間に、
熱い想いが起こらないと、
ダメです。