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茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

ブレンド

2010年12月28日 | Weblog
お寿司屋さんで
美味しいワインをいただいてきました。
白ではなく、赤です。
「ご飯が口にあるうちに、ぐっと飲んで♪」
って、
うれしそーな顔で勧めるワイン好きな面々。

ここの、このお寿司を食べたら
このワインと合わせたくなったなどと
産地とか生産者とか
いろいろな固有名詞が飛び交い
それはそれは楽しげです。

ワイン数寄の人って、
みんなそうなの?
食材に合わせて
「あれ」が飲みたい!ってイメージするの?
それともあなた方がかなり数寄者なの?

つまらぬ質問でした。
みーんな、そうだそうです。
しかも、
「まだ、ひらいていないなあ」
とか言っては
グラスの中のワインが時を迎えるのを
待つのです。

お茶の文化と
全然違う・・・
なんなのかしらこれは・・・と思いました。
いや、中国茶は、
けっこう、この域の楽しみ方をしています。
日本茶も、
このお菓子だったら
○○さんの○○が飲みたい!
と言うような人が何人かはいますが、
ワインの様な裾野がないのは
どうしてでしょう。

インストラクターになった頃に
とても疑問を感じた
ブレンドということを思いました。
いくつかのお茶をブレンドして
いつも、同じ味になるように
する工程があるのです。
合組(ごうぐみ)といいます。
一つの商品名には、
どこで買っても
同じ味のお茶が入ってないといけないからです。

「○○日に摘んだ○○山のお茶」
みたいにいろいろ並んでいた方が
私だったら嬉しいのに、
どうしてブレンドしちゃうのか、
とても
もったいない気がしたものでした。
微妙な違いを楽しむ文化が
ワインにはあって日本茶にはないのです。

どうして?
足利尊氏がいけないんだー。
闘茶禁止令をだしたから、
いろいろを楽しまなくなっちゃった~。
いえいえそれよりも、
どうして今でも「闘茶」のイベントがあるのでしょう。
「このお菓子とここのお茶」みたいな
絶妙な組み合わせ大会とかにすればいいのに。

いろいろ考えさせてくれた赤でした。

臘月(ろうげつ)

2010年12月26日 | Weblog
旧暦12月のことを「臘月」といいます。
『看看臘月尽く(みよみよろうげつつく)』は、
この時期によく使われるお軸の言葉で、
(画像は『無事是貴人』)
 みるみるうちに十二月が終わってしまう。
 忙しい年末は一分一秒が貴重に思えるものであるが、
 時間の貴重さは一年中変わることがないのだから、
 常に一刻一刻を大切にしなさい。
というような意味です。

「臘」という字には、
「つなぎあわせる」という意味があり、
新年と旧年をつなぐからとか、
神と祖先をつなぐ「臘祭」という中国の行事が
この時期にあるからという理由で、
「臘月」ともいわれるようになったそうです。

先日のお稽古では、
蝋梅(「臘梅」とも書く)が入っていました。
お軸と花入れは
お借りしている会場常備のもので、
一瞬お正月が来たようですが、
そうではなく、
クリスマスの趣向の花でした。

その日、
初めて床に花を入れることになったその人は、
山を歩いてみたものの花らしきものは
アオキのみであったので、
他に何かないかとさらに歩くと、
落ちていた桜の枝に大変心惹かれたといいます。
でも、なんだか寂しいようなので、
花屋さんで、
その2種に合う大振りの黄を求め、
画像のような作となったということでした。

「一色を一枝か二枝」とか
「盛り、短い花をよしとする」とか
そんな利休さんの話はやめてしまいました。
だって、
寒い日に花を求めて山を歩いてくれたのですから、
もうこんな素晴らしいお持てなしはありません。
利休さんだって微笑んでくださるでしょう。

あの臘梅はお正月も玄氣に咲いていそうです。
実に臘月なお床となりました。





クリスマスケーキ♪

2010年12月25日 | Weblog
テレビ朝日の『忠臣蔵』を観たため、
なんだか今日は
クリスマスな気がしません。
大石内蔵助は44才で没しているのに
すごい年齢層のキャストでした。
田村正和さんだから許しちゃおう。
山田宗偏の名前、
大高源五の言葉の中に登場していましたね♪

東下りの立花左近の場面では、
祖母のことを思い出しました。
この場面になると、
いつもうれしそうに祖母の解説が始まりました。
そういえば、
何度、忠臣蔵を観させられてきたことでしょう。
そして、もしかしたら
祖母が亡くなって20年以上、
忠臣蔵はみていなかったのかもしれません。

南部坂雪の別れも懐かしい場面でした。
祖母の言葉がそのまま思い出されました。
そして、
それと同じ事を息子に言っていました・・・
大きなケーキをもてあまし、
柿ピーなどを食べながら、
「やべー、立花左近かっけー」なんていう
息子の言葉が
何だかすごくうれしかったです。
祖母もそうだったのかな。

息子もまた、
何十年後かに『忠臣蔵』を観たら、
今日の日のことを思い出したりするでしょうか。
クッキングシートに茶葉の画を描いて切り抜き、
生クリームの台にシートを置いて抹茶を振り、
ギャーギャー叫びながら
クッキングシートをはがしていた母の姿などを
思い出したりするでしょうか。

ケーキの中段には
白ワインで溶いたマーマレードが
たっぷり。
抹茶のほろ苦さとなかなか相性よかったです。
二葉目、もっと鋭角にもってきたかったのだけれど
難しかったのだ・・・。
お茶の葉っぱに見えるかしら?


タイのお茶

2010年12月24日 | Weblog
「タイのお茶よ」と
いただいたお茶です。
友達がお土産にもらったもの、
ということで、
素性がまったくわかりません。

ころころと飛び出してきた茶葉は、
大きさも色もまちまちで
中国のものではないような気がしました。
でも、香りがとてもよくて、
お湯を注ぐと
甘い香りが大いに広がりました。
文山包種茶のような
緑茶に近い低発酵茶な感じです。
大変おいしいです。

タイで買った中国茶?
タイで生産されているお茶?
私が知っている限り、
タイ北部にある茶園では、
ミアンという
食べるお茶がつくられているだけで
こうした青茶も緑茶も
聞いたことがありません。
気になってきました♪

と同時に、
お茶のパッケージに
「タイ」とあると
タイ産のお茶なのかな、
タイのお茶なのかなと思うものだ
ということを感じました。

そして、
オランダのお茶やさんで見た
「Japanese tea」を思い出しました。
それらは、
当たり前に、
ミントなどが入っていました。
飲み方も、
ティーポットに熱湯を注ぐものでした。
でも、
茶葉は緑茶で、
ちゃんと日本の生産地の標記がありました。

ブレンドは
そのお店の人がしたものですが、
それで日本茶として売っているわけです。
南部鉄器で熱々のお湯を注ぐのを見たけど
違うの?
みたいな軽いものでした。
あのお店で買う人は、
それが、
日本茶と思い、
その飲み方が日本茶の飲み方と思うのでしょう。

動画の時代ですから、
もっともっと
飲み方の映像を出すべきだと
タイの発酵茶に教えてもらいました。

『千利休』

2010年12月23日 | Weblog
三軒茶屋の区民センターでのお稽古の帰り
茶沢通りで
素敵な錫の茶盃を見つけ
お店に引き寄せられていきました。
おされさんな古道具屋さんです。
興味深い本もこれまたたくさん並んでいて、
思わぬ至福のひとときとなりました。

昭和15年発行の
西堀一三氏の『千利休』を購入しました。
定価2円とあります。
500円でゲットです。

昭和15年(1940年)といえば、
太平洋戦争勃発の前年、
本書の「緒」には、
 この國家非常の時に當り、
 茶道の精神が顧られる事は、 
 意義深き事に思はれます。
と記されてあります。

 利休は、
 今日では
 茶道の初めの人の様にも
 思はれて居るのでありますが、
 茶の湯の歴史を顧みますと、
 その初めは
 遙かに戦國の當初にあり、
 従って、
 利休の時代は、
 ある意味では、
 その終りであるとも
 云ひうるのであります。

鎌倉時代の喫茶に始まり、
足利義政の時代に創始された茶道、
つまり珠光さんの茶道が、
利休さんの時すでに終焉を迎えていたことは、
 人心浮華に赴かんとする時、
 遊戲としての茶が
 如何に行はれても、
 これは却って、
 道の衰へたるものである
という利休さんの言葉が伝えている
とあります。

「十月こそ侘なれ」といった紹鷗に対して、
 雪の下より、
 青き芽の二つ三つぽつぽつと出る姿に
 侘の真実を感じ
ている利休さんの当時の心に
筆者はゆゆしき心を観て
国家非常の時に本書を上梓されたようです。

わが膝はますます痛みますが、
よい本に出会えてよかったです。
明日のイブは
本を持って温泉三昧!

ゆず茶の「茶」

2010年12月21日 | Weblog
皆既月食の夜だというのに
今にも泣き出しそうな冬空です。
冷えた体で
足をひきずりながら
韓国茶礼のお稽古に行きました。
膝、ごめん、温泉はお預け・・・

先生が
ユルム茶(はと麦を焙煎したもの)を
淹れて下さいました。
香ばしくて暖まりました。
韓国でお茶といえば、
主に3種に分けられます。

コーン茶、はと麦茶、黒豆茶、ゆり根茶、高麗人参茶など
木の根や皮・実などを煮出したもの。

ゆず茶、かりん茶、なつめ茶、しょうが茶、干し柿茶など
果実を蜂蜜に漬け込んでお湯割りにするもの。
 
柿の葉茶、桑の葉茶、ハスの葉茶、たんぽぽ茶、菊花茶など
乾燥させた草木花にお湯を注いで飲むもの。

どうして
お茶でもないのに
なんでもかんでも「~茶」なのか、
いつも気になっていたのでうかがってみると、
それは
「茶」への憧れなのだと
先生はおっしゃいました。
釜山女子大のお茶の研究の書に
その歴史が書かれてあると
見せて下さいました(けど、ハングルで読めません)。

 9世紀、
 金大廉が唐から持ち帰ったお茶の種が
 智異山に植えられて新羅各地へ広がったがものの、
 数は少なく、
 新羅時代、お茶は貴重なもので、
 庶民の口に入る物ではなかった。
 体によいというお茶に憧れて
 庶民が開発したのが
 薬効のある草木果実を利用した飲み物で
 それを
 お茶と同様の効能があるという気持ちで
 「~茶」と称するようになった。

というようなことです。

ほんもののお茶(カメリアシネンシス)は
韓国で仏教が廃れると同時に生産も衰え、
いつしか
お茶への憧れで生まれた果実茶などが
韓国の伝統茶と呼ばれ
定着するようになったのでした。
これで謎が解けました。
やっぱり、お茶は薬だったのですね。

2010年12月20日 | Weblog
膝に激痛が走りました。
テケテケと歩いている途中、
全く突然に痛み、
もう歩けなくなってしまいました。
お茶のお稽古に向かう途中でした。
引っ越しの疲れ、
茶畑の肉体労働、
いや、肉体労働というほどのことは
この季節やっていないのですが、
今までが本当に体を使わなすぎたのです。
膝にしてみれば青天の霹靂、
きいてないよ
とばかりに年末ストライキです。

今日はお正月に備えて
重ね茶碗のお点前のお稽古です。
立ったり座ったりムリッな私のために
ささっと
点前座に小机とイスが用意され
水指と茶入れが整いました。
重ね茶碗を持って
立ったまま自動扉で入室、
イスに座ったまま
蓋置きを定座に置き
柄杓も引きました。
いける。

立礼ではなく、
普通の炉のお点前が
滞りなく進んでいきました。
いろいろなことを考えました。
このまま膝が治らなかったら
どんな形で茶道が成るのだろう。
立礼という方法はありますが、
立礼のセットは果たして必要だろうか。

茶禅一味の茶道を考えるなら
道具なんてなんでもいいはず。
膝が悪かろうが手が悪かろうが
誰でも
お茶ができるはず。
イスでだって
正座楽々イス使ったって
茶道は成るはず。

そう思ったときに、
茶室の総合芸術としての完成度に
目が醒めたような気がしました。
なにもかもが
いちいち美しくて
座している高さが必須で
正座でのお点前の姿も
本当に美しいと感じました。

正座したい。
畑仕事だってあるのだ~。
膝よ、
温泉にいれてあげるから機嫌を直して下さい
と祈る夜でした。

茶ポ1年

2010年12月19日 | Weblog
農業茶ポーター研修も
一年度目が終了し、
今日は
次期プログラム策定のための
集まりがありました。

とりあえず
機械は使えるようになったぞ。
なんとなく
一年間の流れがわかったぞ。
大まかに
季節の作業の緩急が見えたぞ。
なんて
こんな程度なのに、
もうすっかり
茶園経営のための議論なんかしちゃって

でもでも
茶栽培は全く初めての27名ですが、
技術畑のプロ、
経営畑のプロ、
営業戦士、
学者さんなどなど、
様々なバックグラウンドの人が集まって
茶経営の今後について話しているのですから、
なんといっても元気に溢れています。
こわいもの知らずパワーというか
傍目八目ビームというか
もう
じゃんじゃん放置茶園再生して
どんどん放置農園も茶園に転作して
バリバリ稼いじゃおう!な感じです。

抹茶も作りたい!という声が出てきた時は
やった♪
もっと大声で~♪
と嬉しくなりましたが、
品種が違うとかラインが違うとか知らないで言ってるのか-、
それは粉茶だよー
とがっくりきたりもして。

そんなこんなではありますが、
1つはっきり言えることは、
どんどん「はまってきている」
ということです。
お茶も
土も
人も
何もかもが
とっっっっってもおもしろい♪

私の体には
遊牧民の血が流れている
と思っていたのですが
体質が変わった?
すっかり農耕民族になってる気がしたり。
お茶のように深い根が
張っちゃうのかなあ。



あっきーのお茶

2010年12月17日 | Weblog
息子が40度の熱を出しました。
喉がハデに痛いそうです。
「喉の熱だから
 お茶飲んで寝てれば治る!」
と診断をくだし、
お湯を沸かしました。

キッチンには
今、飲みかけのお茶が3種ありましたが、
そのひとつひとつを手にしたものの
違う・・・
そして、奥から迷わず選んできたのが
あっきーさんのお茶でした。
おぶぶさんのお茶です。

太陽の煎茶を熱々に淹れて
「苦いかも、良薬だからな」
と飲ませました。
「苦くない、うまかった」そうです。
あとは、焼いた葱を喉に巻いて
治療終了。
大丈夫だ、問題ない、であります。

お茶を淹れていて
「これってなんだろう」と
思いました。
なぜ、
迷わずあっきーのお茶だったのでしょう。

最近、ますます思うのですが、
(ちょっと怪しい路線かもですが)
お茶は育てている人の心を読む
というより
畑に入る人の波動に添う
(あ、この言葉もいろいろ怪しいそうですが)
というか
ん~
一生懸命で誠実で向上心があるから
いい畑になるわけで
だからいいお茶ができるわけなので
波動とか波長とかいう領域の話では
ないのですが
でもそれだけではないような何か・・・

岡倉天心の、
「茶の作法や製法すべては、
 茶を最もおいしく飲む瞬間のためにうまれた」
という言葉を思い出しました。
私も、おいしく飲む瞬間のために
心を込めて畑に立ちたいと思います。
これは
当たり前のことのようですが、
なかなか当たり前のことではない、
大変なことなのだと
知るようになりました。

山田宗偏と討ち入り

2010年12月14日 | Weblog
今日は義士祭ですが、
討ち入りは旧暦の1月の終わりの頃で、
雪の降る寒い夜でした。
この日に討ち入りを決定した鍵は
茶会でした。
吉良上野介義央が必ず在宅している日を
如何にして知るかが
大変なことだったわけですが、
14日に茶会があるという情報を得て
決行となったのです。
本能寺の変の時も、
茶会の翌日でしたね。

その情報がどこから来たかというと
吉良邸に出入りしていた茶人、
山田宗偏からでした。
四十七士の一人、大高源五忠雄は
脇屋新兵衛という名で
山田宗偏に師事し、
茶会の情報を得ようとしていましたが、
忠臣蔵の物語の中には、
宗偏は大高源五の正体を知りながら
赤穂浪士達の無念を思い
吉良邸茶会の日をリークした
という説もあるようです。

今までいくつも『忠臣蔵』を観てきましたが、
山田宗偏は記憶に残っていません・・・。
あらためてじっくり観てみたいと思ったら、
早速、映画『最後の忠臣蔵』が
18日に封切りになりますね。
クリスマスには、
テレ朝で『忠臣蔵~その男、大石内蔵助』があります。
田村正和さんの内蔵助だそうで
楽しみです♪
宗偏さん、登場するでしょうか。

ちなみに、
吉良上野介の師匠は
利休さんの孫の千宗旦。
上野介が最後に隠れていたのは炭小屋でした。
炉の炭に隠れて震えていたのですね。

今日、
泉岳寺さんで行われた献茶式を行ったのは
東阿部流さんでした。
泉岳寺は、
家康創建の曹洞宗のお寺ですが、
家光の時代に現在の高輪に再建されました。
その時の任に当たったのが、
浅野家だったのです。