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茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

すり鉢茶

2011年01月12日 | Weblog
NHKの『ためしてガッテン』、
今晩のテーマは
「緑茶でがん死亡率激減!?超健康パワーの裏ワザ」
というものでした。

 がん死亡率が日本一低い町、静岡県掛川市。
 国や大学が徹底調査をした結果、
 家庭にある緑茶を掛川流で飲めば、
 脳卒中や心臓病の予防、
 メタボ改善にも効果があると判明!

この「掛川流」とは、
深蒸し茶のことでした。
通常の煎茶よりも蒸しが長いので
お茶の細胞が壊れ、
(茹ですぎたほうれん草をイメージして下さい)
栄養分がお湯に抽出しやすいため、
同じ量のお茶を飲んでいても
それが深蒸し茶なら
体が吸収するお茶の栄養分が多いということです。

「掛川茶がいい!」のではなくて、
「掛川流がいい!」のです。
深蒸しならどこのお茶でもいいのです。
って、
実は、粉茶飲めばいいわけですがな。
いやいや、
足柄の「花里の雫」を飲んで食べていただけば
もっと体にいいわけですがな。

ま、それは置いといて、
今お家にあるお茶で
掛川流がすぐできるというのは、
なかなかよいご提案でした。
NHK開発の名付けて「すり鉢茶」は、
すり鉢に入れた茶葉にお湯を少し注ぎ、
一分間すりこぎでゴリゴリ。
半ペースト状になった茶葉を茶漉しにとって
お湯を注げば、
普通の煎茶もすぐに「掛川流」になる
というもの。
さっそくやってみました。

画像は二つとも同じお茶です。
足柄の100g1000円のお茶です。
右は、80℃くらいでさっと淹れたお茶で、
左はすり鉢茶です。
香りも味も随分変わります。
お好みで楽しんでみて下さい。




888

2011年01月11日 | Weblog
ブログを始めてから
888夜目を迎えました。
葉っぴゃく葉ちじゅう葉ちです♪

外は雪がちらり。
今まででしたら、
大いに歓び庭駆け回るところですが、
今年はさすがに茶畑が心配です。
明日の朝は、雪の茶畑?
なんて想像すると、
ちょっと心配忘れて嬉しかったりして。
雪深い新潟でもお茶は育ちます。
お茶にとってとてもこわいのは、
雪よりも、霜なのです。

今日は、
韓国茶礼の新年会でした。
詳しくをご紹介できないのは残念ですが、
心温まる一日でした。
近しい大切な人と
行く年を愛おしみ、
新たなる一年を共に祝う席。

1月は、
初釜が続きます。
日本のお茶っ8で
韓国のお茶っ8で
中国のお茶っ8で
来し方行く方を思います。
道具も、着る物も、所作も違いますが
ゆったりとお茶をいただくことを
大切にしてきた人々がいるから
今日まで型が続いているのですね。

正装し、
お道具を整え、
心静かにお茶を喫して
正月を迎えるという時間に
人は何を思うのでしょう。
古今東西、
何を思ってきたのでしょう。

888夜は
東洋の心を探る旅であったかもしれません。

仏教とお茶

2011年01月09日 | Weblog
茶友の会の勉強会で
稀少な中国茶をいろいろいただきながら、
孔令敬先生のお話を伺ってきました。
中国の面白い伝説で講義は始まりました。

 昔々、中国で一人の修行僧(達磨)が、
 日夜仏道に励んでいた。
 ある時、座禅をしていて眠気が襲いかかり、
 瞼が重く閉じそうになったので、
 小刀で自分の両眼の瞼を切り捨てた。
 すると、その地に一本の木が生えてきた。
 その葉はちょうど切り捨てた瞼の形をしていた。
 これを煎じて飲むと、
 香りよく、眠気を覚ませた。

禅宗の開祖である達磨大師の瞼から
お茶が生まれたという話です。
実際は、
達磨大師が来た時の中国には
すでに喫茶の習慣がありましたから、
これは物語りに過ぎませんが、
禅とお茶の深い結びつきを感じさせる伝説です。

それにしても、
やっぱりお茶は、
坐禅中の眠気覚ましであり、
惰気を払うためのものでした。

ん~、やっぱり、わかりません。
坐禅中に眠くなって
お茶で覚醒するというのが、
ひっかかってしまいます。
つまらない仕事をしていると
すぐに眠くなるものです。
でも、面白い仕事をしている時は、
時間を忘れます。
読まなくてはならないものを読む時は
すぐに眠くなります。
でも、面白い本を読んでいる時は
気が付けば朝になっているものです。

坐禅というのは、
求道の術。
眠くなった時点で、
もう、「求」が萎えているのだから
それを眠気覚まし薬で目を覚ますって・・・
それはそれで仕切り直し!ってことで
それもありかなと思うことにしたとしても、
禅と茶が
そういう意味で茶禅一味というのは
どうしても違うように思うのですが、
あきらめないという志が大事なのでしょうか。
七転び八起きの心でしょうか。

単一農園茶

2011年01月08日 | Weblog
先日、お茶のブレンドの事を書きましたが、
そんな私に、
はい、どうぞ、と女神様が微笑むように
素敵なお茶屋さんができました。
ネットのお茶屋さんです。
かなざわゆうさんの「お茶うけ屋」さんです。

 地域の個性、作り手の個性、
 年度を越えた味わいに耳を傾け、
 日本茶のおもしろさと自然の奥深さを
 感じていただきたい。
 お茶うけ屋がご紹介するのは、
 全国各地の農家が作った
 個性豊かな生一本のお茶ばかりです。

 単一農園茶とは、
 茶農家が作ったお茶を
 他の農園とブレンドせずに
 仕上げたお茶のことです。

ゆうさんは、
たくさんの茶農家さんと交流し、
たくさんのお茶畑を訪ね歩き、
たくさんのお茶を味わってきた
お茶が大好きなお茶マニアです。

今年はこんな気候だったから、
あの山では
どんなお茶ができるかな、
そのお茶をあの人はどう仕上げるかな、
そのお茶はどんなお茶うけでいただこうかな、
などと
茶の葉の声に耳を澄まし、
農家さんの本気に期待し、
食いしん坊は
たくさんのワクワクに包まれるのでしょう。

茶道の席というのは、
テーマがあって、
それに添ってお道具を揃えていきますが、
お茶も
同様に選んでみたいものです。
今は、銘とかお詰め(製造元)を聞きますが、
お作は?もあったらいいですよね~♪

お茶うけ屋さんのお茶は
農家さんのことがよくわかるメッセージ付きです。
日本茶カフェ巡りの本を書かれたゆうさん、
次は農園カフェ巡りの本に向かわれているとか。
とっても楽しみです!







『茶聖 千利休』

2011年01月07日 | Weblog
大晦日の忙し~時に
東京12チャンネルで
このような歴史番組がありました。

「揺るぎなき先人」として
利休さんの多才な顔を紹介するもので、
 千家茶道の開祖千利休は、
 実は「魚問屋の社長」だった。
といったオープニングでした。

その他の知られざる顔として、
「軍師」
「フィクサー」
「イベントディレクター」
「空間プロデューサー」
「デザイナー」
「料理研究家」
などと紹介されていました。

良かったなと思ったのは、
利休さんってお坊さんでしょ?と
思われている方が結構いらっしゃるので
利休さんを見る目が変わったかな
という点です。

でも、
利休さんラブな私は、
こうした「やりて」なイメージで固められると
とても哀しくなるのです
利休さんは
大きな哀しみを湛えた人で、
でも、その哀しみの深さに負けないで、
花を手向けるように
美しいものをひとつひとつ築いていった人。
そして、
それができたのは、
人の中に
美しいものを美しいと感じる「心」があることを観ていたから、
「人間」を信じていたから。
だから、
茶にたくさんのメッセージを込めて
遠い未来に托したのです。
です・・って、私の感想ですが。

利休さんは
すぐに茶の湯はダメになると言っていましたが、
それは
もう終わりだみたいな諦めではなくて、
ダメになるけれども消えてなくならないことを
信じていたから
茶の湯をきちんと型にしたのでしょう。

400年以上も引き継がれているその型、
その型から
利休さんの願いを受け取る人が
これからも出てくるのでしょう。
どんな時代になっても、
利休さんは、
美しいものを美しいと感じられる人の心を信じよと
そんなメッセージを残してくれた人なのです。
私の感想です。

画像は、利休さん手作りの最後の茶杓「泪」。


ほうち茶

2011年01月06日 | Weblog
画像は立派なお茶の垣根です。
ここ飯山の街には
そこここにお茶垣がありました。
この木は2m50cmくらいはありました。
ツヤのあるよい葉がついていて、
天に向かってすくすくと伸びていました。

茶畑のお茶からは、
お茶の木は背の低い印象がありますが、
それは収穫に適したサイズに
手を入れているからであって、
茶樹じたいは刈らなければ
どんどん背が伸びていきます。

どんどんといっても、
日本の地で育っているやぶきたなど
小葉種の茶樹は灌木で、
伸びても3mくらいなのだそうです。
先日、すずめばちに襲われた放置茶園の木も
2mちょっとくらいでした。
そういえば、
うんと寒くなって蜂がいなくなったら
あの茶園から巣を取り除いて
いっきに刈るといっていましたから、
間もなく
あの放置茶園は
さっぱり普通の茶畑の体になるのでしょう。

なんて話を新年会で友人にしていたら、
背の高い茶畑見た~い、
そのまま伸ばしておけばいいのに~、
茶摘み楽しそ~、
いっそ「放置茶」で売ればいいのに~、
ほうじ茶ではなくて
ほうち茶です、でいけ~、
などなど、
好き勝手な意見がいっぱい。

友よ、無責任な意見をありがとう。
などとお酒の席で盛り上がっていましたが、
おっしゃるとおり!
背の高いお茶の畑、
初めて見た時はとっても嬉しかったものです。
茶花が見上げられて最高ですし。

確かに、いろいろなお茶の姿、残したい。
残すからには、
その方法で稼がなくてはなりません。
「すくすく茶」とか、どうかしら?
収穫の人件費を思えば、
やっぱり体験茶摘み大会かなあ。

名水

2011年01月05日 | Weblog
大山の阿夫利神社の洞窟に湧く名水で
お茶をいただきました。
パワースポットだそうですが、
確かに効きました・・・。
膝が痛くて初詣を断念、
お正月も全く歩けない状態でしたので、
気分だけでも大山詣でということで、
車とケーブルカーとで
神社まで参りましたが、
茅の輪をくぐり、
名水をいただき、
手を合わせて帰ってくると、
あれ?
家で階段を上がる時にびっくり。
手摺りにつかまっていないのです。
2週間ぶりくらい?
足、痛くな~い。
このまま治ることを祈ります

さて、名水ですが、
ウィキでは、
 特に良好な水質と水量を保ち続けて
 古くから土地の財産となってきた
 湧水・地下水・河川などをいう。
とあります。
良く流れているということですね。
水の本質ですね。

お茶に良い水として、
唐の陸羽は『茶経』の中で、
「其水、用山水上、江水中、井水下」
と言っています。
山の水がよく、
次に川の水が中くらいで、
井戸水は良くないということです。

日本の茶の湯では、
逆に、井戸の水を汲むことが基本ですが、
これは、
日本の井戸水は湧き水と同様の水質が期待でき、
唐の時代の井戸水は衛生状態が悪かったので最下位
ということだそうです。

今、美味しい水の基準は以下の通り。
蒸発残留物 30~200mg
硬  度  10~100mg
遊離炭酸   3~30mg
過マンガン酸カリウム消費量 3mg以下
臭気度   3以下
残留塩素  0.4mg以下
水  温  20℃以下

あくまでも基準です。
私は、基準外れ、大好きです


湯島聖堂

2011年01月04日 | Weblog
お茶の水にある湯島聖堂です。
お茶の木を発見しました
ここは、
1690年に将軍綱吉が
儒学の振興を図ろうとして、
上野にあった林羅山の邸内の孔子廟を移した場所で、
後に、幕府直轄学校として、
「昌平坂学問所(『昌平校』)」となり、
日本の近代教育発祥の地といわれています。

孔子廟には
孔子祭の時に祀るお供え物の展示がありましたが、
柿、栗、棗をながめていると、
あ、利休さんの頃の茶席のお菓子だ
という気がしてきました。
玄酒と呼ばれる御神酒は
お酒ではなくてお水のことだそうです。

外に出ると、
参道の両端にお茶の木が植えられてありました。
おお、江戸の名残か♪と
ウキウキしてきましたが、
お茶の木はどうも若そうです。
お尋ねしてみると、
震災後、樹木はほとんどがダメになり、
いろいろ植え替えた中で、
お茶は文化庁からのお達しで植樹した
とのことでした。

どうしてお茶限定だったのでしょう。
お茶の水だけにお茶?
と、みんなで盛り上がってしまいましたが、
文化庁さんに聞いてみたいところです。
今日ご一緒したみんなというのは、
こちらの孔子廟の型となった
水戸黄門さんの孔子廟を設計した
明の儒学者朱舜水さんの追っかけチームです。

皆さんそれぞれのテーマでおっかけていますが、
私はもちろんお茶。
舜水さんは、
隠元さんと同時代の人で、
明から来た博学の人です。
隠元さんは禅宗の世界の方で、
舜水さんは儒学者です。
隠元さんは煎茶の文化を持ち込みましたが
舜水さんも儒学者とはいえ
喫茶の習慣はあったことでしょう。
どこからお茶を調達していたのか、
そのあたりを調べたいと思っています。
この2人の関係、
ご存じでしたら是非!教えて下さい。

初もみ会

2011年01月03日 | Weblog


静岡市で、
新年を祝って、
伝統の手もみのお茶作りを行う
「初もみ会」が開かれました。

と、NHKのニュースが伝えていたそうです。

去年の5月に摘んだ「やぶきた」を
焙炉で2時間かけて製茶していたけれど、
5月に摘んだお茶が今揉めるのですかと
ご質問をいただきました。

Yes, you can. です。
冷凍という技術のお陰で
一年中お茶を揉むことができます。
私も神奈川の小中高で
ホットプレートで手揉み茶を作ろうという
授業をさせていただいていますが、
この時も
この冷凍されたお茶を利用しています。

5月に摘んだお茶は、
1分ほど熱処理をして、
酵素や微生物の働きを止めます。
この加熱の工程をブランチングといいますが、
このことで、
変色や保存中の成分の変化が防げるのです。
そして、
鮮やかな緑の状態で柔らかに蒸された茶葉を
今度は急速冷凍して保存しておくのです。

教科書には、
ブランチングしてフリージングした茶葉は
6ヶ月はビタミンCや葉緑素などの減少も見られず、
栄養価が落ちることはない
とあります。
初もみ茶は、
ちょっと栄養価落ちているのかも?しれませんが、
このイベントの大事なところは
技術の伝承ですから、
お正月の初もみは、
こいつあ春から縁起がいいわい
というところですね。

一番茶だけでなく、
2番茶の新芽も
秋の新芽も十分に柔らかいので
この時期のカテキンたっぷりなお茶も
保存して手揉み用に利用することもあります。
旬からは外れますが、
手揉みは練習が必要な技術ですので、
一年中利用できるのはありがたいことですね。

梅招きつつ

2011年01月02日 | Weblog
今、お花見と言えば桜が主流ですが、
万葉の頃は梅が人気でした。
万葉集には百をを越える梅の歌があります。
奈良の頃は白梅が、
平安になると紅梅が好まれたようです。

           梅        桜      総数
万 葉 集  118(2.6%) 40(0.9%) 4516  
古今和歌集   29(2.6%) 53(4.8%) 1111
新古今和歌集  32(1.6%)121(6.1%) 1979

万葉集から2首、ご紹介します。

 武都紀多知      睦月たち
 波流能吉多良婆    春の来たらば
 可久斯許曽      かくしこそ
 烏梅乎乎岐都々    梅を招きつつ
 多努之岐乎倍米    楽しみ終えめ (大弐紀卿)

 波流佐礼婆      春されば
 麻豆佐久耶登能    まづ咲く屋戸の
 烏梅能波奈      梅の花
 比等利美都々夜    独り観つつや
 波流比久良佐武    春日暮らさむ (山上憶良)

どちらも天平2年(730年)に、
大伴旅人邸での宴の席で詠まれた歌です。
万葉仮名で書かれたこれらの歌には
漢文で書かれた序があります。
美しい自然の中でくつろいで
梅を愛でては漢詩でなく大和歌をつくろう
というようなことが記されていますが、
その中に「促膝飛觴」
「膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす」
という表現がありました
 
730年の太宰府といえば、
唐の喫茶が伝わっていたでしょうから、
さかづきって、お茶かも♪と思ったのですが、
「觴」という字には
「お酒のさかづき」という意味があるようです。
100年あとの『凌雲集』になると
ちゃんとお茶が出てくるのですが・・・。
でもでも、
昨年の天平茶会で美風流さんが表現されたような
お茶の宴もあったことでしょう。
お酒のさかづきでお茶ってことは
ないかしらん。

明けましてお芽出当ございます

2011年01月01日 | Weblog
新しい土地でのお正月です。
大山に詣でるには
まだ膝が心配なので、
紅白が終わると窓を開けて
耳を澄ましてみました。
ご~~~ん
聞こえる聞こえる~
鐘の鳴る方へ車を走らせました。

人も車も見えない厚木の街で
鐘の頼りも虚しく、
結局、飯山観音様に参りました。
鐘は並ばずに衝くことができました。
衝き放題な感じ・・・
闇とかがり火と静寂の世界、
満天の星空に
鐘の音が跳んでいきます。
その響きが続くうちに
流れ星みっけ
心跳ねる~。

今年は卯年ですが、
「卯」という字は「茂る」を意味するそうです。
陰陽五行では「木」性に当たるようですし、
卯月は4月、新芽がウイウイしてくる頃です♪
何かとお茶に縁起がよい年♪

干支は辛卯、
方位は東が恵方、
時刻は5時~7時に気が満ちるそうです。
オリオン座の中に
たくさんの星を数えていると、
もっともっときらめく星空の下で、
宇宙に心を向けて生きていただろう
古代の人達の設けたこれらの仕組みに
ちょっと生活合わせてみようかな
という気持ちになってきます。

今年の課題は朝型の生活。
このふた月、
骨まで染みついた深夜型の習慣から足を洗えず
なにかと体調が整いませんでした。
朝の気を感じて
畑に向かい、
夜は早く寝る、
私には相当難しいことですが、
そうでなくては農業はできません。

体を大事にしよう、
そう強く思えたことも
畑を初めてよかったことです。
健やかであれ♪

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

為果つ(しはつ)

2010年12月31日 | Weblog
「師走」の語源の一つに
「一年の最後に為し終える」があるそうです。
節目は、
いろいろ反省したり、
心を奮い立たせるのに良い機会ですが、
さて、
何を為し終えたのか、
おぶぶさんの抹茶そばをいただきながら
今年の〆です。

茶ポーター制度の発足は、
偶然でしたが、
求めていたものの核心に触れる音連れでした。
「農」の入り口に立てたことが、
今年の何よりも大きな出来事でしたが、
本腰を入れて畑を学ぼうと引っ越したことは
自分で為した大きな決断でした。

土が気になってきました。
水が、風が気になってきました。
お抹茶を点てるときも、
お煎茶を淹れるときも、
今までより、
多くの感覚が拓いてきたように思います。
木火土金水が始終感じられるようになり、
またしても
茶室に込められた願いを一つ
受け留められるようになった気がしました。

といっても、
わかったことより、
わからないことが増えたばかりですが、
なんであれ、
畑に向かうとうきうきしています。
顔が自然ににまにましてくると、
八女のいりえさんを思い出します。
いりえ茶園で有機茶園の土というものに触れた時、
そのあたたかさと柔らかさにびっくりして、
一つの方向性が生まれたように思いました。
その方向に
神奈川で進むことができるかが
たぶん今後の一番の課題のような気がします。

先は見えません。
一年後どうなっているのやら
まーったくわかりません。
とにかく、
茶農家さんをたくさん訪ね、
お知恵をいただきたいと願っています。

いつもお世話になっている皆様、
そして、まだ見ぬ皆様へ、
感謝を込めて
今年もありがとうございました。