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茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

ほうじ茶プリン

2011年01月27日 | Weblog
町田の京橋千疋屋さんで
ほうじ茶プリンアラモードをいただきました。
今までのほうじ茶スイーツは何だったのかと思うほど
ほうじ茶が全面に出たプリンでした。
ほうじ茶の甘みというよりも苦味がどん!と出ていて
それが生クリームととってもあっていました。
おいしかったです♪

ちょうど昨日も
ほうじ茶のクッキーをいただきましたが
香ばしく、さっぱりと甘くて
ほうじ茶、なかなかやるな!と
感動していたところでした。
焙煎強めのほうじ茶がお菓子には良い感じです。

ほうじ茶は
夏の大きくなった葉を焙じるものもあれば、
一番茶や玉露の茎などを焙じるものもあり、
種類によって甘みも香りも幅があります。
火の入れ方も段階があり、
いろいろ試してお気に入りを見つけると楽しいですね。
焙烙でおうちほうじ茶は楽しいです。

900日も続いていたブログに5日も穴をあけてしまうほど
実はただ今相当に落ち込んでおります。
大きなプリンアラモードは
そんな自分への象牙の舟に銀の櫂。
はあ~~~。
あとは月夜の海に浮かんで、
さあ、玄氣をとりもどさねば。
皆様、ご心配をおかけいたしました。
無事であります。
が、葉っぱかけてくださいませ~。

空白の5日間はいろいろに行事もあり
書き留めておきたいこともありますので、
おいおい足していくいもりです。

インターン募集

2011年01月20日 | Weblog
おぶぶさんが、
農で起業したい人を
インターンとして募集しています。
締め切りは今月末です。
え~~~、
一年前に募集してくれたらおしかけたのにい~。
年齢で断られちゃうけども・・・


 正直、キツい。ぬるくない。
 2年間で、あなたの精神と体と脳(知識)を
 飛躍的に変える、魂のインターン。

だそうです。
いいな、いいな。
3月スタートの半農半WEBの2年間。
春夏(上半期)は農作業、
秋冬(下半期)はWEBを駆使した業務経験を
2ターム(2年)繰り返すインターンスタイルとな。

•農業で起業したい方
•国内農業に大きなビジネスチャンスを感じる方
•地に足をつけつつ、グローバルに生きたい方
•素人から新規就農で農業を目指す方
•都会の喧騒から抜け出し、新たなライフスタイルを追い求める方
•農家である実家を継ぐが、新たな視点・方法が必要と感じている方
•インターネットを活用し、農業をしながら田舎から世界や都会とつながりたい方
•情報発信しながら農業するデジタルとアナログのスペシャリストになりたい方
•宮沢賢治の世界観に共感する方     など

素敵な仲間がまた1人おぶぶさんに加わるのですね。
楽しみ楽しみ。

左利き

2011年01月19日 | Weblog
茶道部に
左利きさんがやってきました。
「左で点ててもいいですか」
という質問には、
「ぜーんぜん、問題ないです」
と答えました。

「お客様に美味しいお茶をさしあげること」が
本来なわけなのですから、
利き手に茶筅を持ち替えて、
心を込めて点てることが一番です。
「ただ、少しずつ右手で点てる練習をすれば、
 いつか右でOKになるわよ」と
加えると、
「え~~~ムリ~~~」。

素晴らしいのは、
お菓子をとるときです。
お箸を右で上からとって回転させて
左で持ち直しています。
シュキーンシュキーンと声も出ています。
そして、
「この場合、左手前からですかね」との質問。
すばらし~~~。
後の方のお菓子に手がかからないという意味で
そういうことになります。

お道具組みが右利きでできているわけですから、
左では何かと扱いが悪いです。
お炭手前なんぞ、大変です。
ならば、
左利きの人がお炭をついだり、
お茶を点てるなら
左利きで扱いがよいように
道具を組み直せばよいのではないかしらと
思ったのですが、
混乱してきました。

道具の扱いの右左には
陰陽がありますが、
あれ?
茶碗は陽の道具で、
中に陰のお茶が入っていて、
左手が陽で
右手が陰なら、
右手でお茶碗を押さえて、
茶筅を左で振るというのは
正しいのでは?

逆勝手ならぬ
「左利き勝手」でお点前をすると
なにがどうなるのか、
ちょっと組み直してみたくなりましたが、
その時々の陰陽の意味が
大いに混乱してきました。
う~ん。


『番茶と日本人』

2011年01月18日 | Weblog
昨日から、
ラジオ第1 放送で
中村羊一郎先生のお話が始まりました。
木曜日まで4夜連続です。
午後11:20スタートの番組「ないとエッセー」で                     
「日本の茶、アジアの茶」というタイトルでのお話です。

中村先生は、
静岡産業大学教授で、
「番茶」をめぐり
民俗学的、文化人類学的に研究をされています。
昨日のお話は、
戦国期に庶民の日常茶として
番茶が飲まれていたことが
宣教師の記録にあるということ、
今日は、
ばたばた茶のお話、
明日は雲南・ミャンマーです♪

『番茶と日本人』
吉川弘文館
1998年7月発行
 お茶は、
 日常茶飯事といわれるほど日本人の暮らしに根づいている。
 かつての庶民の茶=番茶を求めて
 国内外を行脚し、
 産地・製法・利用法を比較分析する。
 列島文化の成立ちを
 グローバルな視点から描く日本文化論。
   (Amazonより)


『中村羊一郎のお茶しませんか』
羽衣出版
2010年9月発行
 庶民の番茶文化研究の第一人者が、
 日本とアジアにわたる現地調査の折々に、
 見たこと、感じたことを、
 やわらかい筆致で描いたエッセイ集です。
 そもそも、「お茶しませんか」という言葉は、
 なぜ、生まれたのでしょうか?
 茶・食・酒との関係は?
 番茶の世界にとどまらず、
 手揉み茶の歴史や、茶輸出の実態、酒と茶の戦いなど、
 まさに全方位のお茶談義を展開します。
 お茶の現場と人との関わりを見事にとらえた
 口絵カラー写真は必見です。 

花びら餅

2011年01月17日 | Weblog
「うわあ~、
 餃子ですか~」
中国からの留学生が2人とも
花びら餅を見てそう叫びました。
「中国でも
 お正月は水餃子を食べます~♪」

これは
お正月にいただくお菓子で
花びら餅というのよ。
餡はいつもの小豆でなくて、
味噌餡だけど大丈夫?

「味噌~、
 おいしです~。
 え、これはごぼう~?
 甘くておいしです~。」

むかし天皇陛下とかが食べてたお雑煮を
お菓子にしたものがこれなの。
お雑煮には鮎があったのだけど、
お魚をお菓子に入れるわけに行かないので
代わりにごぼうにしたの。
(すごい説明・・・)

「ごぼうはお魚ですか~。
 中国でも、
 お正月に魚食べます。
 「魚」という字の読みが
 「余」という字と同じなので
 良いことが余るほどあるようにという意味で
 お魚食べます。」

きゃ~、なんか似てる~♪
と面白い盛り上がりになりました。
ちゃんと説明すると、
平安時代以降、宮中の正月儀式に使った
猪・鹿・鮎の塩漬け・大根・瓜などに、
室町時代以降、鏡餅も使われるようになり、
円くのばした白餅に
紅い菱餅や鮎や味噌をのせ、
火にあぶって食べるようになったものが、
宮中雑煮と呼ばれるようになり、
それを京都下鴨の御ちまき司川端道喜がお菓子に表し
正月供物として現在でも使われているのですが、
裏千家十一世玄々斎が、
禁裏より許されて初釜に起用したのが、
お菓子としての、花びら餅の始まり
ということになります。

お菓子屋さんには、
左のように上が輪になるようにありますが、
裏千家の初釜では
手前が輪でごぼうが見えるように
盛られていたそうです。

地の塩

2011年01月16日 | Weblog
中村草田男という俳人は、
死の前日に病床で洗礼を受けて
クリスチャンになったのだそうです。
「地の塩」とは、
新約聖書マタイ伝福音書5章13節に見られる
イエスの山上の垂訓の中に出てくる言葉で、
 あなたがたは、地の塩です。
 もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。
 もう何の役にも立たず、外に捨てられて、
 人々に踏みつけられるだけです。
から、出ているものです。     

当時、塩は、
食品の味付けと保存に使われる貴重なものでしたから、
イエスの言う地の塩は、
人が人としてプライドを持って生きるのに必要なもの、
社会の腐敗を防ぐものであるとし、
それらを草田男は「勇気」である
と詠んだといいます。

今日はお煎茶の初釜
「初煎会」がありました。
お家元による台子のお点前の後、
お弟子さん達の煎茶の花の披露があり
最後に玉露のお点前がありました。

煎茶のお花は、
雅題とともに観賞します。
この花を選ばれた方は、
お庭の白梅に
草田男の詩を思い出したのでしょうか。
クリスチャンの方なのでしょうか。
凍るように寒い朝も、
美しく凛と咲くその柔らかな白さに
どこからともなく元気が湧いて
この歌を添えたいと思われたのでしょうか。
日々忙しく過ぎる日常の中で、
ふと見つけた小さな花の白さに
迷いごとが吹っ切れた経験がおわりなのでしょうか。

そんなことを考えながら
お花を見るのが好きです。
見えたことのない草田男と
この花を入れられた方と
私と
白い梅を介して
ふと繋がったような気がするのです。





歌会始

2011年01月14日 | Weblog
新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」がありました。
今年のお題は「葉」でした。
でも、
どなたも、
「お茶の葉」は詠んでなかった・・・。

最年少14才のお嬢さんの
  「大丈夫」この言葉だけ言ふ君の
    不安を最初に気づいてあげたい
という歌は、お母さんのような視点で感心しました。

東京都の上田真司さんの
  ささやかな悲しみあれば水底に
    木の葉が届くまで待ちゐたり
には、ぐっときたりしました。

記憶のどこかに
同じ気持ちの歌があったような気がして
探しました。
全然違いました。
  春浅み野中の清水氷いて
    底の心を汲む人ぞ無き
こちらは、とても寂しい歌。
井伊直弼の歌です。

激務の中、
手を抜くことなく茶会を催し続けた井伊大老。
客が帰った後の茶室で一人釜に向かい、
独座観念の時を愛した孤独の人。
いくつもの一期一会のその先には
「心を汲む人ぞ無き」
だったのでしょうか。
「無き」と言いつつ、
「待つ」心があったからこそ、
また、茶会を開いたのでしょうか。

井伊さん、
茶室を出て、
茶畑まで来ればよかったのに。
ういういと歌う新芽の中に立てば、
ぐんぐんと心満たされてくるから。
おや、
私の方が実は、
「待つ」を捨てているのかな。

いーえ、

  先人と一緒に待っているのです
       茶の葉の声に耳を澄まして
   

秦野

2011年01月13日 | Weblog
秦野市の
天空の茶畑です。
神奈川県が誇る茶農家さんと
静岡県の茶農家の方々との交流会に
混ぜていただきました。

雪の残る庭で
大きなテーブルを囲み、
「山の息吹」や「香駿」といった品種のお茶を
いただきました。
お茶請けは沢庵でした。
車で山をまわり畑を見学しました。
やさしい時間が流れていきました。

何に「やさしい」と感じたかというと、
神奈川の名人の口から度々出るお言葉だと思います。
静岡の茶農家の皆さんを、
「大先輩」と称され、
ご自分は、まだまだ全く足元にも及ばないと
何度も首を振っておられました。

名人の畑のお茶は、
葉が濃いというか深いというか、
とにかく命が太い!という印象を受けました。
これが園相がよい、ということなのだと思いました。
根を太く深く張らせるためには
収穫を急がないことだとおっしゃいます。
もう6年も大事に大事に育てられているお茶達からは、
よーし!この春はいよいよお茶になるぞ~
みたいな気合いが感じられました。

霜にも夏の暑さにも
あの人達は、決して気を抜かない、手を抜かない、
本当に立派なんだと話して下さいました。
尊敬できる人がいて、
その人を意識しながら仕事をすることが
これほどの名人を謙虚にしているのですね。

青茶や紅茶などは作らないのか伺うと、
緑茶もろくにできてないのに、
発酵の領域に手などだせないと
一喝されました。
名刺交換しちゃったけど、
私のブログ、読まないで~。
畑のいろはも知らないくせに、
あれやりたいこれやりたいばかりで・・・
あほかと思われちゃう~。