数年前に初めて学んだのは地元の福祉協議会が主催する講座だった。今回は電車に乗って少し離れた地域の団体に参加して3回目の講義がおわったところ。
受講者は県内多数の地域から参加していて入門レベルはクリアしているので、すでにそれぞれの表現方法を身につけている。
地域によって異なる表現が多い手話だけに、知っている単語を新たに学ぶ機会が頻繁にある。これは語彙がふえるたのしみでもある。
「さいたま市」という言葉ひとつとっても地元の先生と、今回の先生の表現は異なる。
もう、どれだけあるんだってば!正直なところ大きな声でいいたい・・・ぐっとこえらる。。。
それもひっくるめて手話を学ぶってことなんだしね。
先生が変われば(学ぶ組織も)授業内容も大きくかわる。
以前教えてくださった先生はとにかく単語をたくさん教えてくれた。
「途中」→その手をすこし変えると「中途半端」などといったふうに広げてたっくさん。
聾者である先生ご自身の経験や、こうしたほうが聾者に伝わるなどといったお話も添えて。
毎回たくさんの単語をメモしては、自分メモ解読不能でこまったものだった。
今回の先生は、そうだな、、やさしすぎるかな~と思うのです。
そしてもっと手話を私たちに詰め込んでほしいな。
丁寧に繰り返すことも重要だけど、限られた時間では授業の内容が薄くなるような気がする。
次の授業はどうかな。
手話を使って生活することがないので、まいにち少しでも触れることがだいじ。
YouTube、手話アプリ、いまはいろんな方法があって、手話に限らずひとつの言語を覚える術はいくらでもあるんだよね。
いちばんだいじなのは、気持ちとやる気、、これがたりないか。
手話単語を検索するときいつもYouTubeでさがしている。
(手元の辞書は単語が少なくて使えないのだ・・・)
全国高校生の手話によるスピーチコンテストに出席された紀子様の手話
なんども見てしまった。見入ってしまった。
初心者レベルのわたしが拝見して、紀子様の手話はひとつひとつの言葉がすっとしていて無駄がないように感じた。
背筋が伸びるといいますか、やはり皇室の方のお話は手話という表現でも違うのだなと。
英語、その他の外国語でお話されるときも、やはり違うのだろうとおもうのでした。