社外はおろか、社内との交流もほとんどないでつなぁ~
そんな孤高の集団が変わろうとしている感じ…
130年の歴史を持つ三菱重工業の長崎造船所。
造船を祖業とする三菱重工にあって、最も格上の事業所でつなぁ~
「他の会社も巻き込んだ造船技術の研究所を作ろう」…
長崎造船所の発案で、こんな構想が水面下で進み始めたでつ。
ライバルであるはずの造船各社、顧客の海運会社、そして大学にも参加を促してるでつ。
いわばオープンイノベーションの場をつくろうという試み!
三菱重工の造船の技術は「世界最高峰」と称賛されてるでつ。
造船業界で進んだ再編を尻目に、自前主義にこだわったでつ。
特に難しい船種をこなす長崎造船所は、他の事業所との人事交流もほとんどなく、技術を内部に閉じ込めたまま。
このタイミングでなぜ門戸を開くのか。
その背景には、強い危機感。
「高いプライド、それゆえの閉鎖性があった」
2016年秋、不振が続く造船事業のてこ入れ策を発表し、改革への姿勢を示したでつ。
ターゲットに据えたのが、歴代社長を数多く輩出してきた長崎造船所。
設計ミスから大型クルーズ船の完成が遅れ、建造費が膨張。
今や不振のシンボルでもあるでつ。
トップに指弾された長崎造船所は、交流の拠点となる研究所を設けて外にノウハウを求める道を選んだでつ。
新型船の開発や今までにない建造の手法を結集。
伝統や格にこだわらず、知恵を持つ企業や人に教えを請うでつ。
内にこもったままではいられない…
もはやプライドを捨て、外部の人材や技術から学び、自らの競争力に変えよう。そうでなければ、「負の連鎖」は断ち切れないでつ。
それは、三菱東京UFJ銀行、三菱商事とともに三菱グループの「御三家」と呼ばれる三菱重工だけの問題ではないでつ。
日本最強の企業集団でもある三菱グループの多くが抱える病巣でもあるでつ。
三菱グループは一つ一つの企業に業界トップクラスの実力があるでつ。
結束力も他の財閥系グループより強い。
グループ内で結集すれば、どんな難局でも乗りきれたでつなぁ~
だけど、これからはどうかなぁ~
デジタル革命が進む製造業にせよ、フィンテックが台頭する金融にせよ、変化の波はかつてなく大きい。
「身内の論理で動いていて、対応できるのか。」
新しい世代の経営層からは「グループ頼みなんて、もはやナンセンス」という声も聞くことが増えたでつ。
三菱グループだけでは手に負えない問題は、すでに噴出しているでつ。
2016年春に発覚した燃費不正で、結局日産自動車のカルロス・ゴーン社長に救いの手を求めた三菱自動車であるでつ。
2016年11月下旬、7カ月ぶりに夜間の生産を再開した水島製作所。
「ゴーンさんがやってきて、三菱自動車は変わりますか?」と聞いてみると、
「燃費不正でお客さんの信頼を再び裏切ったんですよ。信頼回復はまだ遠いと思っています」。
厳しい状況は、現場が一番わかってるでつなぁ~
2000年にはダイムラークライスラーから、2005年には三菱グループから、と2度も支援を受けたが、社内の風通しの悪さ、意思疎通の不足という体質は変わっていなかったでつ。
日産にとって、三菱自動車への出資は失敗できない決断。
ゴーン氏自身、三菱自動車の会長に就任。
日産が面倒をみるための布陣はつくったでつ。
まずは「外部の目」から現場改革を進めようとしているでつ。
「皆さんの考えを聞きたい」
2016年12月の臨時株主総会で筆頭株主となる以前から、足を運び、耳を傾けるでつ。
ほんの小さな違和感も、見過ごしていた強みも探し出そうとしているでつ。
瀬戸際にたつ三菱自動車の状況をチャンスと捉えるでつ。
「(部品会社に対して)日産と三菱自動車には長期的な視点で取引してほしい」
日産と信頼が築ければ、三菱自動車の5倍以上の売上高がある日産とも取引する道が開けるでつ。
変化の大波は、うまく乗れば成長の推進力にもなるでつ。
そんな絶好の機会を今度こそ三菱自動車は生かせるかってとこでつなぁ~
三菱重工と同じく御三家企業の三菱商事。
「もう一つの『丸の内』をつくる」。
2017年にとりかかる大規模プロジェクトの一つがミャンマーの開発。
三菱地所や地元資本と組み、ホテルなどが入る複合施設を600億円超かけ、ヤンゴン市内に建設するでつ。
現地駐在事務所で働くマウン・マウン・ティン副所長の勤務歴は36年。「丸の内プロジェクト」の本格始動を前に満面の笑みを浮かべるでつ。
「10年前ならヤンゴンに高層ビル群が出現するとは想像できなかった」。
入社時は社会主義政権。当時としては外資、なかでも車や電気製品で知られる三菱は別格の就職先。
そして、大事な人材として扱ってくれたでつ。
三菱商事の歴代社長のミャンマー訪問が決まると、必ず国内情勢の分析を求められるでつ。
ヤンゴン駐在事務所全体で取り組む「丸の内」をつくる知恵袋の役割も担っているでつ。
アジアの新興市場で「スリーダイヤ」に憧れた現地人が、いまや事業を進めるために欠かせない人材に育っているでつ。
日本人だけに頼らなくていい時代はとっくの昔に到来しているでつ。
外部から再成長へのダイナミズムを取り込み、再生への道を走って行けるか…
その道は、決して平たんではないでつ。
三菱グループの姿は「ニッポン株式会社」の縮図でもあるでつ。
2017年、その再生への苦闘は我々にとっても見逃せないドラマになるでつ。
まさに、ダイナミズムを再びでつなぁ~
そんな孤高の集団が変わろうとしている感じ…
130年の歴史を持つ三菱重工業の長崎造船所。
造船を祖業とする三菱重工にあって、最も格上の事業所でつなぁ~
「他の会社も巻き込んだ造船技術の研究所を作ろう」…
長崎造船所の発案で、こんな構想が水面下で進み始めたでつ。
ライバルであるはずの造船各社、顧客の海運会社、そして大学にも参加を促してるでつ。
いわばオープンイノベーションの場をつくろうという試み!
三菱重工の造船の技術は「世界最高峰」と称賛されてるでつ。
造船業界で進んだ再編を尻目に、自前主義にこだわったでつ。
特に難しい船種をこなす長崎造船所は、他の事業所との人事交流もほとんどなく、技術を内部に閉じ込めたまま。
このタイミングでなぜ門戸を開くのか。
その背景には、強い危機感。
「高いプライド、それゆえの閉鎖性があった」
2016年秋、不振が続く造船事業のてこ入れ策を発表し、改革への姿勢を示したでつ。
ターゲットに据えたのが、歴代社長を数多く輩出してきた長崎造船所。
設計ミスから大型クルーズ船の完成が遅れ、建造費が膨張。
今や不振のシンボルでもあるでつ。
トップに指弾された長崎造船所は、交流の拠点となる研究所を設けて外にノウハウを求める道を選んだでつ。
新型船の開発や今までにない建造の手法を結集。
伝統や格にこだわらず、知恵を持つ企業や人に教えを請うでつ。
内にこもったままではいられない…
もはやプライドを捨て、外部の人材や技術から学び、自らの競争力に変えよう。そうでなければ、「負の連鎖」は断ち切れないでつ。
それは、三菱東京UFJ銀行、三菱商事とともに三菱グループの「御三家」と呼ばれる三菱重工だけの問題ではないでつ。
日本最強の企業集団でもある三菱グループの多くが抱える病巣でもあるでつ。
三菱グループは一つ一つの企業に業界トップクラスの実力があるでつ。
結束力も他の財閥系グループより強い。
グループ内で結集すれば、どんな難局でも乗りきれたでつなぁ~
だけど、これからはどうかなぁ~
デジタル革命が進む製造業にせよ、フィンテックが台頭する金融にせよ、変化の波はかつてなく大きい。
「身内の論理で動いていて、対応できるのか。」
新しい世代の経営層からは「グループ頼みなんて、もはやナンセンス」という声も聞くことが増えたでつ。
三菱グループだけでは手に負えない問題は、すでに噴出しているでつ。
2016年春に発覚した燃費不正で、結局日産自動車のカルロス・ゴーン社長に救いの手を求めた三菱自動車であるでつ。
2016年11月下旬、7カ月ぶりに夜間の生産を再開した水島製作所。
「ゴーンさんがやってきて、三菱自動車は変わりますか?」と聞いてみると、
「燃費不正でお客さんの信頼を再び裏切ったんですよ。信頼回復はまだ遠いと思っています」。
厳しい状況は、現場が一番わかってるでつなぁ~
2000年にはダイムラークライスラーから、2005年には三菱グループから、と2度も支援を受けたが、社内の風通しの悪さ、意思疎通の不足という体質は変わっていなかったでつ。
日産にとって、三菱自動車への出資は失敗できない決断。
ゴーン氏自身、三菱自動車の会長に就任。
日産が面倒をみるための布陣はつくったでつ。
まずは「外部の目」から現場改革を進めようとしているでつ。
「皆さんの考えを聞きたい」
2016年12月の臨時株主総会で筆頭株主となる以前から、足を運び、耳を傾けるでつ。
ほんの小さな違和感も、見過ごしていた強みも探し出そうとしているでつ。
瀬戸際にたつ三菱自動車の状況をチャンスと捉えるでつ。
「(部品会社に対して)日産と三菱自動車には長期的な視点で取引してほしい」
日産と信頼が築ければ、三菱自動車の5倍以上の売上高がある日産とも取引する道が開けるでつ。
変化の大波は、うまく乗れば成長の推進力にもなるでつ。
そんな絶好の機会を今度こそ三菱自動車は生かせるかってとこでつなぁ~
三菱重工と同じく御三家企業の三菱商事。
「もう一つの『丸の内』をつくる」。
2017年にとりかかる大規模プロジェクトの一つがミャンマーの開発。
三菱地所や地元資本と組み、ホテルなどが入る複合施設を600億円超かけ、ヤンゴン市内に建設するでつ。
現地駐在事務所で働くマウン・マウン・ティン副所長の勤務歴は36年。「丸の内プロジェクト」の本格始動を前に満面の笑みを浮かべるでつ。
「10年前ならヤンゴンに高層ビル群が出現するとは想像できなかった」。
入社時は社会主義政権。当時としては外資、なかでも車や電気製品で知られる三菱は別格の就職先。
そして、大事な人材として扱ってくれたでつ。
三菱商事の歴代社長のミャンマー訪問が決まると、必ず国内情勢の分析を求められるでつ。
ヤンゴン駐在事務所全体で取り組む「丸の内」をつくる知恵袋の役割も担っているでつ。
アジアの新興市場で「スリーダイヤ」に憧れた現地人が、いまや事業を進めるために欠かせない人材に育っているでつ。
日本人だけに頼らなくていい時代はとっくの昔に到来しているでつ。
外部から再成長へのダイナミズムを取り込み、再生への道を走って行けるか…
その道は、決して平たんではないでつ。
三菱グループの姿は「ニッポン株式会社」の縮図でもあるでつ。
2017年、その再生への苦闘は我々にとっても見逃せないドラマになるでつ。
まさに、ダイナミズムを再びでつなぁ~