昭和53(1978)年には池袋に「サンシャイン60」が完成しました。
当時はアジアで最も高いビルでした。
日大豊山と池袋は有楽町線で結ばれているため多くの生徒が利用します。
池袋の象徴は「サンシャイン60」といえますが、実は戦争と深いつながりがある場所に建設されているのです。
今の「サンシャイン60」ができる前、戦時中にあったのは「東京拘置所」でした。
「東京拘置所」には処刑場があり、ゾルゲ事件で有名なロシア人リヒャルト・ゾルゲや日本人尾崎秀実の死刑が執行されました。
大戦中、ゾルゲはロシアのスパイであり、尾崎はソ連のスパイでした。
尾崎のスパイ活動は妻にすら知られなかったほどで、近衛文麿の側近として軍の首脳部とも緊密な関係を保ち、日本で共産主義革命を起こすべくゾルゲとともに戦争への道を画策していました。
尾崎はマルクスの思想を完全に理解し実行しようとした日本最大のスパイで、逮捕された後の尾崎の手記を読むと、戦争発生から日本が敗北するまでの過程は尾崎の思惑通りだったということがわかります。
尾崎はアメリカ・イギリス・日本・ドイツなどが第二次世界大戦ですべて倒れ、肉親でも上司でもすべて裏切って自国が敗北することを「正しいこと」であると信じて行動していたのです。
日本はアメリカやイギリスと戦争をしていたわけですが、目に見えない形で共産主義者とも戦っていたわけです。
このような事実を知らずして戦争の本質は見えてきません。
「東京拘置所」は戦争後にGHQに接収され「巣鴨プリズン」となりました。
ここには東条英機ら7名のA級戦犯をはじめGHQからBC級戦犯とされた多数の容疑者が収容されました。
そして東京裁判の結果、A級戦犯は全員が有罪とされ昭和23(1948)年、12月23日(当時の皇太子誕生日)に死刑が執行されました。
「サンシャイン60」はその跡地につくられたものなのです。
死刑場があった場所は現在「東池袋中央公園」となり、慰霊碑が建立されています。
巣鴨プリズンで刑務官を務め、その後サンシャイン60建設の警備を指揮したという人物を描いた『プリズンの満月』(吉村昭著)という本があります。
池袋から有楽町線を使って登校してくる生徒にとって池袋駅は毎日乗り換える駅となります。
池袋の象徴ともいえる「サンシャイン60」の歴史を知ることも必要かと思います。
竹村知洋