日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

部活動=ビジネス

2022-03-18 13:26:34 | トピックス

経済産業省(経産省)の提言です。

部活動について経済産業省が提言するというのは珍しいことですが、その理由はタイトルに示されています。

部活動をビジネスとして展開していこうという発想です。

経産省は文部科学省に対して、学校部活動を地域移行するためには、部活動を「学校教育」ではなく、「社会教育」として明確化すべきであるとしています。

部活動は学習指導要領上で総則のなかに言及されているだけとなりましたが、それをも解消し教育課程からの位置づけを外すことを進言しています。

学校部活動の地域移行に関する「本気度」を明確化するために、地域スポーツクラブを「有償」で学校施設を活用するサービス業として位置付けるという方針です。

そしてスポーツは、「有資格者」が「有償」で指導するものであるという常識を確立するとしています。

資格やスキルを持つ教員は、「兼業」でスポーツに携われるようにするということです。

今後は民活型の「複合型学校施設」の整備と「総合型放課後サービス」を提供するとしています。

スポーツ機会保障を支える資金循環の創出として、スポーツ振興くじ(toto)の収益性向上も検討されています。

これが部活動をビジネスとして展開しようという経産省の考え方です。

文部科学省と経済産業省が連携して、部活動を民営化するという社会システムが構築されようとしています。

私たちがスポーツの「有資格者」として、「無償」で「学校教育」の一環として部活動を担ってきたのとはまったく方向性が異なるものです。

今まで見てきたように、国としての今後の部活動の方向性ははっきりとしてきたようです。

公立学校は国の方針に従っていくことと思いますが、部活動を学校のひとつの特徴として位置付けてきた私立学校の今後の動向はどうなっていくのでしょうか。

 

 

竹村知洋

 

 

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「合理的」=よいこと?

2022-03-16 12:01:11 | トピックス

文部科学省とスポーツ庁の運動部活動の施策は、「合理的」な改革として推進されています。

しかし「合理的」であることは、すべてよいことでしょうか。

私は公民科で倫理・政治経済を担当しておりますが、哲学の学習を通して「合理的」ということに関して疑問を抱いています。

理性的に考えて合っていることが「合理的」ということであると思いますが、それは人間の理性が確かであるという前提があって成り立つものです。

人間の理性を重視したのは古代ギリシャ人ですが、それはあくまでも自然の法則としての秩序を重んじたものであり、「私」という個人の理性に注目したのは西洋の近代思想です。

デカルトから始まる近代哲学は数学や物理学の基礎となり、国家・社会のあり方や人間の生き方にまで大きな影響を与えてきました。

合理化=近代化=西洋化です。

つまり合理化するということは、西洋化するということでもあります。

日本人はもともと合理的な考え方をすることに慣れていません。

その特徴は言葉の違いにもよく表れています。

例えば一人称の場合、英語であるといかなる時でも「Ⅰ」ですみますが、日本語であると時々にあわせて「私」・「僕」・「俺」・「自分」・「わたくし」などというように変化します。

日本語は主語がなくても伝わる言語であり、例えば源氏物語は一切主語が出てきませんから、誰が誰に話しているのかがわかりにくく読みにくくなるのです。

つまり日本人は、西洋人のようにはっきりと明確に=合理的にではなく、雰囲気を察して柔らかく=感性的に物事を考えて、伝えてきたわけです。

一方で西洋にも人間の理性に懐疑的な見方をする哲学者や思想家もいます。

例えばイギリスのエドマンド・バークがその一人です。

理性が絶対であると考える人は自分の考えが正しいと思いがちですが、バークのような人々は人間は不完全であると考えており、どんな天才であったとしても1人の理性には限界があるとしています。

例えば「合理的」に設計された原子力発電所は絶対安全といわれていましたが、電源を喪失しただけで大爆発を起こしたことは記憶に新しいことです。

人間の理性に信頼をおけないとすると何を基準に物事を考えればよいかというと、人間が長い時間をかけて築いてきた歴史や伝統です。

人々は多くの間違いを重ねてきたかもしれないけれども、長い年月をかけて少しずつその間違いを修正してきたはずであり、歴史や伝統に従っていれば誤ることが少ないと考えるのです。

つまり歴史や伝統は、現在を生きる私たちに与えられた「祖先の知恵」であるということです。

そのため改革をするとしてもあくまでも歴史や伝統を守るために行うものであり、それを破壊するような急進的な改革(例えばフランス革命)には反対することになります。

日本は明治以降、近代化を進める必要性から、バークのような考え方をする人物を教科教育の中で重視してこなかったため、教科書にもほとんど扱われていません。

日大豊山水泳部は1世紀以上にわたる歴史と伝統がある部活動であり、それを時代の流れに合わせて変化させつつ存続してきました。

現在は水泳の初心者からオリンピック選手まで、200名以上の部活動となっております。

現在に生きる私たちの役割として大切なことは「祖先の知恵」を次世代へつなぐことであると考えています。

今回の改革が「祖先の知恵」を破壊するようなものでないことを祈るばかりです。

 

旧制豊山中学から現在の新校舎までの変遷です。

 

竹村知洋

 

 

 

 

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部活動は逆流から“滝登り”の時代へ

2022-03-16 10:25:24 | トピックス

文部科学省やスポーツ庁が推進している運動部活動の改革には“時代の流れ”を感じています。

近年、競泳選手のほとんどはスイミングクラブで練習をすることが中心となっていますが、私たちは時代の流れとは逆らうような形で「学校水泳」にこだわってきました。

しかし今回の運動部活動の地域移行という改革のなかで部活動を存続していくことは、逆流どころか、まるで滝を登って泳ぐような難しさを感じています。

時代は「体育」から「スポーツ」へ、「部活動」から「民間クラブ」へと流れていき、学校は全国的にその流れに乗っていくことでしょう。

私は文部科学省やスポーツ庁の施策に反対しているわけではなく、教員の負担を減らすためにはむしろ必要な措置であると考えます。

日本の教員は諸外国のように授業のみで他の業務は担当制になっているということがなく、学校内外のさまざまな業務を担当しています。

特に部活動は教育課程外の活動であり、土日に大会が入り、競泳のインターハイは夏季休暇の時期に開催されています。

献身的な日本人教員の努力で成立してきた部活動ですが、もはや気持ちだけでは限界にきているということです。

改革は“時代の流れ”として必要であるとしても、文部科学省やスポーツ庁も認めているように、「学校体育」としての部活動には固有の価値があるはずです。

今の流れでいくと数年後には学校対抗の大会がなくなり、参加選手の多くは民間クラブからの参加者となります。

そして全国の中学校や高校から部活動が消えていくことになります。

日本中学校体育連盟(中体連)や全国高等学校体育連盟(高体連)もその役割を変化させていくことでしょう。

部活動を存続させたいという思いがあったとしても、1人の顧問や1つのクラブ、1つの学校の気持ちだけで乗り越えられるものではありません。

部活動が楽しみで学校に行くという生徒もいるはずですし、それが進路を決定する重要な要素でもあるはずです。

実際に日大豊山中学・高校へ進学した生徒の志望動機の上位には、常に「クラブ活動が盛んだから」という理由が入っています。

私は個人的に部活動がやりたいからという気持ちで続けてきたわけではなく、110年間にわたる日大豊山水泳部の歴史と伝統を存続させようという思いでここまで務めてきました。

それは学校側の多大なるご理解の上に成り立ってきたものでありますが、国全体が部活動廃止の流れにあるなかで、部活動の意義を守るために気持ちだけで頑張り続けるというのは無理があるというものです。

続けることは大変ですが止めることは簡単であり、一度やめてしまえばもう2度と戻ることはないでしょう。

競泳では部活動で選手を育成してインターハイで活躍している若手の先生もおりますが、私たちを含めても風前の灯です。

私たちは「少数派」であることを自覚しており、それであるからこそ貴重であるとも考えています。

それぞれの競技には部活動で頑張りたいという「少数派」の先生もいらっしゃることと思いますので、色々な競技や各学校とも今後の部活動のあり方について情報共有をさせていただけると幸いです。

 

 

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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部活動の変遷

2022-03-13 09:55:08 | トピックス

戦後、学習指導要領において部活動はどのような位置づけで現在に至ったかを考えてみます。

1947(昭和22)年 「自由研究」

 ・学年区別のない活動、学校の教師が指導すること。 → 生徒は自由参加

1951(昭和26)年 「特別教育活動」として正規の教育課程へ

 ・教科に重点を置きすぎるあまり特別教育活動が軽視されることのないように注意。

1958(昭和33)年 クラブ活動への全員参加の奨励

 ・生徒・児童の自発的な活動を通して、個性の伸長を図る。

1968(昭和43)年 小学校4年生以上のクラブ活動の必修化

 ・クラブ活動の教育的意義、教育効果が大きい。

 ・知育偏重の高校教育を是正し、教科外活動を充実する。

 ・クラブ活動が部活動へ。

1978(昭和53)年 高校の名称は「特別活動」へ

 ・個性の伸張に加えて、社会性や実践力を育むことを目標にする。

1989(平成元)年 部活動の参加をもって、教育課程内のクラブ活動の履修へ代替

1998(平成10)年 総合的な学習時間の新設

 ・クラブ活動の表記が消える。 → 必修としてのクラブ活動廃止

2008(平成20)年 「生きる力」を育む

 ・部活動の意義と留意点が総則のみに言及。 → 教育活動としての位置づけが曖昧に

2018(平成30)年 部活動の持続可能な運営体制を整える

 ・地域や社会教育団体との連携を図る

 ・スポーツ庁が「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」を策定 

   → 運動部活動の地域移行へ

 

教育活動における部活動は学習指導要領の改訂に伴い、その意義を大きく変遷させてきたことがわかります。

それに伴い、教師の役割も変化してきたわけです。

教育課程の中で部活動の意義は大きなものであったことから、部活動は自由参加から必修化されたのですが、教育現場は大変だったということがわかります。

もともと部活動は教員の献身的な努力によって成り立ってきたものであり、労働基準法が定める1日8時間労働の範囲でできるものではありません。

これからは地域や地元コミュニティが子どものスポーツを支える時代になり、部活動ではなく「総合型地域クラブ」としてスポーツに取り組むことが期待されています。

部活動にやりがいを感じて教員を目指す人もいるかと思いますが、今後は中学生や高校生とともに部活動に一生懸命取り組むという時代ではなくなったということです。

今後は部活動の経験をしたことのない人が増えていくことになるので、いずれ大学の運動部にも同じような措置が取られるときが来るのではないでしょうか。

 

旧校舎です。

 

竹村知洋

 

 

 

 

 

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水泳部が消える?

2022-03-12 21:06:25 | トピックス

「学校単位で参加する大会などの見直し」の改革の進め方に関して、次のような回答がスポーツ庁のHPに掲載されています。

「学校教育目線での体育の良さを伝えることは重要であるが、部活動はこれまでの延長線での運営が難しいことを示すことが必要ではないか」

部活動に関する今回の改革は、少子化によるスポーツ人口の減少や教員の働き方改革に対応するにはこれまでの部活動のあり方では難しい時代がきたので、「運動部活動の地域移行」を図ろうというものです。

この改革により教員の負担が大幅に減少することは間違いありません。

しかし改革の実施後に予想できることは、学校から運動部が大幅に減少するということです。

特に水泳部(競泳)は全国的に激減し、水泳部に所属する生徒も減少することでしょう。

その理由は、全国大会に出場するほとんどの選手はスイミングクラブで練習をしており、全国中学やインターハイにスイミングクラブ所属で出場できるということになれば、学校の水泳部に所属する必要がなくなるからです。

学校も大会に出たければスイミングクラブに行くことを生徒に勧めるようになるかも知れません。

学校の先生が大会の申し込みをしたり、大会の引率をするという負担もなくなるからです。

そしておそらく2023年の全国中学校では、ほぼすべての出場選手がスイミングクラブ所属で出場することになるでしょう。

またリレーもスイミングクラブで編成することになれば、大会参加の制限タイムがJO並に大幅に上がることになると思われます。

文部科学省やスポーツ庁は民間クラブから大会に参加できることを推進することでスポーツ人口を広げたいということですが、水泳(競泳)に関してはその限りではありません。

なぜなら競泳は現在でも1人の選手が2つの選手登録をすることができるので、大抵の選手は学校とスイミングクラブの両方で選手登録をしているからです。

学校の大会は学校名で、スイミングクラブの大会はスイミングクラブ名で大会に出場しており、最近は両方の登録を併記するという制度もできました。

もともとスイミングクラブで練習している選手が全国中学校に出場していますので、大会に参加する選手が増加することは考えられません。

それどころか学校から水泳部がなくなることで、都道府県大会などの地方大会の出場者はむしろ減少することが予想されます。

学校の水泳部にはスイミングクラブに通っておらず、春から夏にかけて部活動として学校のプールで練習している生徒もいますが、水泳部自体がなくなってしまえばそういう生徒の居場所がなくなります。

地方大会の場合、出場制限タイムはかなり低く設定されており、練習をする環境が整っていなくてもそれなりの泳力であれば参加できるという利点がありますが、いつかスイミングクラブに通わなければ水泳大会に出られないという事態になるかもしれません。

泳ぐことが速くなくても水泳が好きな生徒はたくさんおり、日大豊山水泳部にも泳げないから泳げるようになりたいという動機で入部してくる生徒もいます。

学校の水泳部であればそれほどの金銭的な負担もなく、生徒も時間のゆとりをもって水泳を楽しむことができるはずです。

部活動がなくなることで教員の負担は減るかもしれませんが、保護者や生徒の負担は増加することも予想されます。

スイミングクラブに通うとなれば月謝が必要になりますし、生徒が選手コースで練習する時間は大抵18:00以降になるはずです。

学校であれば放課後すぐに練習ができますので、その頃には練習が終わっています。

日大豊山水泳部の練習時間は、Aチームでも月~金は18:00~18:30、土は17:00、日曜日は休みです。

平日でも家族と夕食を共にし、日曜日はしっかりと休むことができ、学習時間も確保されています。

保護者のなかには学校のクラブ活動に期待をされているという方も多いのではないでしょうか。

水泳に当てはめて考えると、今回の改革はメリットよりもデメリットの方が多いのではないかと感じています。

「これまでの延長戦」での部活動運営が難しいということは事実だと思いますが、結果的にスポーツ人口が減り、保護者や生徒の負担が増すような改革になってしまうかもしれません。

何とか知恵を絞り、学校の部活動とスイミングクラブが両立できる良い方策はないものでしょうか。

懐かしい旧校舎です。

 

竹村知洋

 

 

 

 

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運動部活動の地域移行

2022-03-11 10:23:16 | トピックス

文部科学省とスポーツ庁で数年前から検討されてきた運動部活動の改革です。

令和5年以降に実施する具体的な方策として、2つの提言がなされています。

Ⅰ.休日の部活動の段階的な地域移行

Ⅱ.合理的で効率的な部活動の推進

この改革により学校教員労働時間や仕事量を軽減することができ、生徒は民間クラブで専門性の高い指導をうけることができるようになります。

この改革を全国展開するために2023年度から全国中学校体育大会(全中)に民間クラブから出場できることとなりました。

この取り組みは高等学校においても同様の考え方をもとに取り組みを実施することと提言されています。

つまり数年以内にはインターハイにも民間クラブからの出場が可能となるということです。

現在、ほとんどの競泳選手はスイミングクラブに所属して練習していますので、運動部活動やスポーツのありかたを考えるとこの改革は確かに「合理的」です。

しかし「合理的」な改革で失われるものもあることを認識する必要があると考えています。

失われるものとして確実なのは、長年続いてきた学校対抗の全国大会である全中やインターハイです。

おそらく全国中学校体育大会やインターハイという名称も変わることになるでしょう。

私たちのように全中やインターハイの総合優勝を目標として活動している部活動は、チームとしての最大の目標を見失うこととなります。

私が影響を受けた思想家は、イギリスのエドマンド・バークです。

バークはフランス革命に反対し、『フランス革命の省察』を著しました。

フランス革命はそれまでのフランスの歴史や伝統をすべて否定し、人間の理性を絶対視することで一から国家を形成しようとした改革です。

フランス革命における農民の反乱は全土に及び、ギロチンによる大量処刑やクーデターが繰り返され、多くの人の血が流されました。

バークは人間の理性に基づく「合理的」な改革の危険性を主張しました。

祖先が築いてきた歴史や伝統は先人の偉大なる知恵であり、人々の生活にバランスをもたらし、物事を安定させる力があります。

人間は不完全であり、その判断が常に正しいとは限らないため、先人の知恵がその助けとなるわけです。

急進的な改革による変化は、それまで受け継がれてきた大切なものを失わせる可能性があります。

それをバークは『フランス革命の省察』で次のように表現しています。

「生活についての古来の思想や貴族が取り去られたとき、その損失はおそらく計り知れぬものがあります。まさにその瞬間から我々は、自らを治めるための羅針盤を持たず、一体どの港に向かって舵を取っているのか、しかとはわからなくなります」

歴史や伝統の破壊は、海上に浮かぶ船に乗りながら方向性を見失い、どこを航行しているのかもわからない状態に陥っているのと同じであるということです。

確かに学校の運動部活動に伴う課題は多いと思いますが、一方でそれが続いてきたことにも大きな理由があるはずです。

私たちにとって「運動部活動の地域移行」というのは、部活動の存続にも関わる大きな改革です。

日大豊山水泳部は創部が1912年であり、100年以上にわたって諸先輩方が築いてきた歴史と伝統があります。

それが「学校水泳」であり、「55の教え」です(水泳部HPをご覧ください)。

今回の「合理的」な改革が先人の知恵ともいうべき歴史と伝統を失わせないものであることを祈るばかりです。

旧校舎の写真です。

2011年の総合優勝

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「体育」と「スポーツ」の違い

2022-03-10 17:53:28 | トピックス

「体育」は、知育・徳育とともに人格形成のために学校教育の一環として取り入れられたものです。

身体を鍛えることで、心身ともに強い人間になることが目的とされています。

「スポーツ」は何かのためというより純粋に運動そのものを楽しんだり、競技力を競いあうことを目的としています。

日本人の身体活動はもともと「体育」の考え方が中心でしたが、最近になって「スポーツ」の考え方が広まってきたといえるでしょう。

近年、スポーツ庁が創設され、日本体育協会が日本スポーツ協会になり、体育の日がスポーツの日になったことからも日本人の運動に対する考え方が変わってきたことがうかがえます。

私たちのクラブ活動は「学校体育」の一環として行っています。

「スポーツ」のように楽しみや競技力向上のみを考えた活動として行っているわけではありません。

日大豊山水泳部は「強く正しくおおらかに」の校訓のもと、水泳を通して「男子力」を高めることを目的としています。

クラブに取り組むことで人格を形成し、生涯続く豊かな人間関係を育む活動を行なっています。

チームとしての目標は、学校対抗のインターハイや全国中学で総合優勝することです。

学校対抗の全国大会が失われると、私たちのチームとしての目標も見失うことになります。

スイミングクラブから全国中学に出場することができるようになれば、学校の水泳部に所属する必要もないため、全国の多くの中学校で水泳部もなくなっていくことでしょう。

それと同時に「体育」という考え方もますます失われていくことが予想されます。

それが”時代の流れ”であったとしても「体育」には「スポーツ」にはない価値があることも忘れてはならないと考えています。

日本人はもともと物事を表面的にとらえるのではなく、そこに宿る精神性を大切にしてきました。

それは日本人の美意識を表す言葉に示されています。

例えば、「和」・「みやび」・「幽玄」・「わび」・「さび」・「いき」・「つう」などです。

茶道、武道なども同様で、茶はのどを潤すためだけに飲むものではなく、武は相手を倒すためだけの力ではありません。

もちろん「体育」といっても常に厳しいだけではなく時には楽しみもあり、「スポーツ」といっても楽しいだけでなく人間性や公正さが大切にされています。

要はバランスであって、日本人の「体育」と欧米人の「スポーツ」の価値観をうまく取り入れることが大切であると考えています。

しかし価値観は言葉が失われていくこととともに失われていくものです。

今後、国民体育大会が国民スポーツ大会となり、学校の体育科がスポーツ科になる日が来たとき、日本に「体育」の価値観が残っているのかどうか心配になる今日この頃です。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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全国中学に民間クラブ参加容認

2022-03-10 08:44:06 | ニュース

昨日の新聞に取り上げられていた記事の見出しです。

日本中学校体育連盟が2023年度から全国中学校大会(全中)の参加資格を変更し、民間スポーツクラブ所属の個人や団体でも大会に参加できるよう要件緩和の方針を決定したというものです。

競泳にあてはめると、スイミングクラブで練習している選手はスイミングクラブの所属として全中に参加することになります。

これはスポーツ庁が推進していた改革で、近年問題となっている運動部活動の在り方に対応したものです。

競泳の場合、ほぼすべての選手がスイミングクラブで練習していますから、学校の教員は引率する必要がなくなり、日頃指導しているスイミングクラブのコーチが全中に帯同することになるのでしょう。

スイミングクラブが出場するとなると、「学校対抗」はなくなり、ジュニアオリンピックと同じような大会になることが予想されます。

名称も「全国中学校体育大会」ではなくなるのではないでしょうか。

日大豊山中学水泳部は高校と同じ環境で「学校水泳」を中心として活動しており、高校と同じく全中での総合優勝を目指しています。

コロナ禍では例外的なこともありますが、基本的に学校で練習している4人の選手でリレーを組んで大会に出場してきました。

このような中学校は全国的にみてもかなり珍しいもので、学校の教員が指導をして全中に出場している学校はほとんどないのではないかと思われます。

つまり日大豊山中学水泳部は、全国的にみても絶滅危惧種であり、それだけ貴重な存在であるともいえます。

今回の改革に関する新聞記事を見て感じたことは、”時代の流れ”です。

昭和の時代は学校の先生方がクラブ活動を熱心に指導していたため、全国中学校大会が成り立っていたわけです。

新聞記事の内容の通りに実施されれば、「学校対抗」としての全中は2022年度で終わりを告げることになります。

いずれこのような改革が高校レベルにも同様になされた場合、全国の高等学校対抗である「インターハイ」も失われることになるのでしょうか。

私の好きな作家のひとりが庄野潤三で、『プールサイド小景』という短編小説があります。

作品のなかで学校のプールでインターハイを目指して泳ぐ学生が描かれていますが、そのような情景も小説のなかだけに残るものになるのかもしれません。

いつまで「学校水泳」としてのクラブ活動が続けていけるか、”時代の流れ”のなかで試されていると感じています。

 

竹村知洋

 

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