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歴史ヒストリア⑥ 徳川家康

2014-02-10 20:48:14 | 求人案件検索


徳川家康の「転職」は二度。いずれも、いわゆるヘッドハンティングという形でした。
最初のヘッドハンティングは織田信長から。その結果、家康を失った今川グループは倒産。織田グループは徳川副社長の大活躍もあって日本一の企業グループへと登りつめてゆくことになりました。
織田社長の不慮の死のあとを継いだ豊臣秀吉も、実母や実妹を人質に出してまで、家康を猛烈スカウト。その結果、豊臣グループは、ついに天下統一を果たす事になります。
徳川家康が、信長、秀吉に高く評価された理由は2つあると思います。
その1、実力。信長も秀吉も地域限定戦とはいえ、家康に敗れており、その武将としての能力を高く評価していました。
その2、誠実さ。信長に何度もハードな出兵を命じられても、秀吉に父祖伝来の土地から関東地方への転勤を命じられても、家康は、その指示に従い、一度たりとも不平を言うことは有りませんでした。
現代でも、こんな人材がいたら、誰でもスカウトしたくなるでしょう。実力と誠実さ。この2つは、今でも人材を評価する2大要素となっているような気がします。

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