足元の一歩から
小さなことからコツコツと…がモットーのはずなのですが,実際の毎日は?




徳島に「神山」というところがあります。

徳島市内から車で30分ちょっと山(西)の方面に入ったところです。

俗に言う「田舎」なのですが,単純な田舎ではないようでして…

なにか「人」を引きつける「気」みたいなものを持っている場所なのかもしれません。地名も神の山ですから。

その「気」に引きつけられた一人にChanさんがおりました。Chanさんは大学時代のサッカー部の先輩です。

Chanさんは通常の範疇を超えた見識をもたれた先輩でした。大学卒業後,しばらくは大学の医局に残られていましたが,私の一つ下の後輩の女の子と結婚。それを機に大学を退職され,数年間の勤務医を経てなんと奥様と一緒に日本を飛び出され,世界旅行の旅に出られます。

それも単なる金持ち世界旅行ではありません。

2年半に渡り,世界のあちこちを回り現地に入り込んで生活しながら外から日本や世界を眺められていたようです。その後帰国して,今度は1年半ほど日本中を車で旅し,定住の地を探されていた様子。そして最後に選んだ地がこの「神山」でした。

なぜ神山だったのか?ChanさんのHPからその理由の一部をかいま見ることが出来ます。

Chanさんはすぐに神山にとけ込み,やがては神山になくてはならない人となっていかれたようです。それは「歯医者」としてではありません。「人」としてです。神山に来られてから歯医者はされていなかったようです。


そしてこれからというときに彼は「天国」へ召されてしまいました。


肝臓癌。47歳の若さでした。



この日曜日,私は数名のサッカー部の先輩とお別れの挨拶に神山へ出向きました。
Chanさんらしく,お通夜・葬儀といった「形式」的なものは一切なく,近しい人たちが集まってChanさんの旅立ちを温かく見守ってあげる…そんなお別れ会でした。

そのあたりの様子はこちらのブログに生前のChanさんの日記とともに記されています。

私はもう3年ほど前でしょうか,Chanさんと神山の温泉で偶然ばったり一緒になったことがあります。誰にも話しませんでしたが,その時すでにこの「時期」がそう遠くない将来訪れることを悟られていた様子です。もしかすると神山に来られる前からうすうすとお感じになっていたとも想像されます。


人は自分の終着地点が見えてきたとき,どのように考えるのでしょうか?


もちろん,人それぞれではあると思いますが一般人を超越したところにおられたChanさんは,自分の思いを神山から発信しようとなさっていたのかもしれません。そして,そのメッセージはこれから神山に集う人たちの手で,さらに大きくはっきりしたものになって伝えられていくのだろうと思えるのです。


またひとり,大きな影響力を持った人が旅立っていかれました。

Chanさん,今度は空の上から日本や世界の行く末を見守ってください。
そして良い方向にみんなが向かえるように応援してください。



合掌






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