長電話

~自費出版のススメ~

読売フロントの恥ずかしいセンス

2011-03-19 | メディア
一週間後に迫ったプロ野球の開催の是非について、コミッショナー、セ・パオーナー及び選手会での現状への見解、見識の違いが浮き彫りになり、「とにかく何か文句を言いたい人」も含め紛糾しております。

これは東京から疎開し、久し振りに実家に帰ったのに、この状況で親子喧嘩してるようなもので、節電に血道をあげる東日本の人々からすると、開催した場合の実際の影響がどれほどのものかは分かりませんが、「あほらし」い話ではあります。

予定通りの開催派は、建前として「復興への側面支援」を強調しますが、前選手会会長・ヤクルトの宮本氏は、「思い上がらない方がいい」と延べ、実は動機の不純なオーナー達を牽制しています。多くの人は宮本氏側に立つでしょうし、さっそく文部科学大臣から自粛を迫られることになってしまいました。

巨大電力を消費する1万人を軽く超えるイベントが、それも毎日開催されるのがプロ野球の興行です。民放テレビ局だって無駄に下らない放送を続けていますし、読売という愚かな会社ながらその大きな影響力に気遣う他テレビ新聞系列各社は、事実を伝えるだけのものが大半で、強い非難はしていないようです。

その是非は視聴率や足を運ぶ熱心なファンの寡多でも判断することは難しいでしょう。節度の側面からでも経済効果の側面からでも、正当化はしようと思えばなんとでも言えるからです。

ただけしからんのは、開催強硬派が3・11地震に対して9・11米同時多発テロの際に大リーグコミッショナーのセリグ氏が出した談話を引き合いに出して、開催の正当性を担保しようとしたことなのです。

「野球は小さいけれど、人々が悲しむとき、連帯するとき、特別な役割を果たすことができる。米国そのものに似て、野球は人々を鼓舞することができる」

事件当時のアメリカは、星条旗をよって立つところとして全土で連帯を示し、野球という日常を貫き通し、テロリストたちに微動だにしないアメリカとして平和的示威をするという意味がその言葉に、力強く込められていました。

しかし、今回の日本の災害の敵は自然であり、それによる放射能であり、電力低下です。具体的にどうこうできる相手ではないと、人々の攻撃は内面(個人の葛藤やストレスだったり、政府だったり)に向かいます。日章旗によって連帯できない日本人のジレンマが、このさもしい議論を呼んでいるのかもしれません。

語るに落ちたというべきか、「批判を覚悟の上」というコミッショナーの発言通り、イメージを落してまでやらなければならない事情を糊塗するのに、あの時のアメリカの心理や姿勢を闇雲に引き付けて利用するというのは、この世界が注目する中での発信として最悪のものであり、震災後もっとも恥ずかしい日本人を見たような気がしました。