長電話

~自費出版のススメ~

水清きところに魚住まず

2011-03-08 | 政治
エジプトは古代エジプトの「エジプト」、チュニジアは世界史で習う「カルタゴ」です。ではリビアは?というと、空き地みたいなもので、文化的には「不毛」なのだそうで、あのような暗愚な指導者を戴くのも、地政学的には自然な流れと言えるのかもしれませんし、またカダフィーは欧米によって不自然にしかれた国境から生まれたフリークスなのかもしれません。

リビアの首都トリポリは三つの首都(トリオ・ポリス)を表し、いかにも背伸びした印象で、そんな背景がある以上その指導者のコンプレックスの過剰さも無理からぬこと。

リビア人で私の知っている有名人はカダフィーしかおらず、批判や検討を初めて経験する国ならではの人材不足を露呈しており、いかにも腑に落ちる体制の悲惨な現状は、あのような指導者を長年野放しにするしかなかった、国家の概念の薄い遊牧民の国、部族社会ならではのことなのでしょう。
 
翻って日本は、長年議会があるにも関わらず、CIAの手先であった岸政権以降、アメリカの支配が確立され、リテラシーを放棄した国らしく決定権がないが故に判断の幅が狭くなり、「木を見て森を見ない」人たちばかりが溢れ、興味の対象は重箱の隅にしかなくなり、結果潔癖症的な雰囲気がおおらかな政治風土を奪ってしまいました。「貧すれば鈍す」の典型ですね。

政治家はどんな案件でも与野党攻守を変えれば、顔が違うだけで言うことは同じです。そんな自覚もなく、敵失のおかげで余裕あり気な自民の(石破政調会長以外の)執行部を見ているだけでぞっとします。政権獲得、そして顔のない仲間の当選の為には「国民なんかどうでもいい」という精神状態に陥っているのでしょう。

100回以上の訴追歴を誇るイタリアの首相は、どうやら政権危機を脱したようですし、カダフィーもあっさりとは政権を譲りません。日本の外相の辞任もその理由も、かの国では俎上にすら上らないほど小さなことでしょう。代表(つまり首相)投票権を持つサポーター(党員のようなもの)に外国人の参加を許しているくせにいまさら何を騒いでいるのかといったところです。

日本人の多くはそのよく解からない病的な潔癖さによって表層の灰汁だけを越し取り、絶対安全王子様の日本ハムの斉藤にうつつを抜かし、大相撲春場所を中止に追いやったことを忘れ、国民あげて追いつめている小沢一郎氏の訴追内容の吟味もせず、漫然と花見の季節を待ち焦がれています。