長電話

~自費出版のススメ~

犬も歩けば、猫も歩く

2011-03-04 | メディア
子供は好きなのに、大人は好んでは食べないもののひとつに「ハンバーガー」があります。私ももう半年ほど食べていません。

それでも私は、モスバーガーはもちろん、フィレオフィッシュだって好きだし、上品なケンタのハッシュドポテトより、カリカリしたマクドナルドのポテトが好きだったりします。

しかし、ときどき行き当るあまりに不味い、とてもビーフとは思えないハンバーガーの材料を疑う事もあり、そんなときはいつも、大学生の頃に聞いた「これは猫か鼠の肉じゃないか」と調べた大学教授のことを思い出します。

結果的には「無罪」。話のネタとしては、味に神経質な教授が調べたんだから、「クロ」で巨大資本の横暴というテーマで社会問題になるオチじゃないといけませんが、シロ、確かに牛肉ということでした。

ただ、それじゃ納得がいかないというか、話に娯楽性がありません。

教授が「猫か鼠の肉ではないか」と疑ったのは「猫や鼠の肉」を食べたことがあって比較したわけではなく、当時200円もしたハンバーガーの肉なのに、あまりにも不味く、とても(当時贅沢品だった)牛肉だと思えなかったからでしょう。

つまり、いわば猫(鼠)味のビーフだったということです。

これはいわゆる究極の選択とかいってもてはやされる「カレー味のうん○と、○んこ味のカレー」問題と同じですが、カレー問題の場合その現実感のない設問の不適切さで、犬が好きか猫が好きかと質問し、こちらの性格を推し量ろうとする輩と同じ匂いがする、その不快な例えよりずっと、現実感のある例です。

これからは、カレーの例えは止めて、猫(鼠)味のハンバーガーか、牛風味の猫(鼠)を使ったハンバーガーかで「あなたならどうするう」問題を問われるべきでしょう。

西武を買い上げその負債を完済したウォルートの攻勢が始まろうとしています。

日本人の理解できる味覚の微妙な機微を損なうような、貧乏人相手だからといって、娯楽性を隠れ蓑に不味い料理をガソリンのごとく供給する「巨大資本」を『連帯』して撃つことも、イタリアのスローフード運動のようなひとつの見識として必要なのかもしれません。